« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

2011.04.27

ささやかな旅行計画

4月27(水) 湯治とは言いがたいが・・・

 今週になってやっと普通の暮らしになりました。
 もう半年ほど休日出勤と毎日の残業で凄まじい勤務だった妻が定時で仕事を終えられるようになりました。
 いや、半年というより昨年の春頃から多忙なハードワークへと突入したから、一年ぶりかも。

 過労死しても不思議ではないほどだったが精神的には強い、ここは僕など足元にも及ばない。
 けれども、身体的には疲れが溜まっているだろうと・・・

 もうすぐ、GW。
 5月2日と6日を休めば、怒涛の10連休になります。
 とはいえ日本全国、働き蜂のような労働者はみなGWなので、どこへ行っても混んでいます。
 我が家は泊りの旅行など数年に一度あるかないか・・・行っても、ほとんど日帰りていどです。
 とくに不満もないので自転車を積んで二人でノコノコと出かけるぐらいなもの。

 「せっかくの連休だから、どこでもいいから温泉に行きたいわ」と妻が。
 「安い宿と高級な宿のどちらにしよう?」高級なほうで・・・うん。
 「欧風料理と和風料理とどちらにしよう?」欧風料理のほうで・・・よしゃ。
 名古屋から1時間ほどの下呂温泉で一泊のささやかな旅を予約しました。
 もちろん自転車は積みません。

 僕は毎日の家庭風呂が「湯治」のような呑気者だから、たった一泊でも妻にとっては「湯治」みたいなもの。
 「湯治」と言うにはおこがましいが、それにしても「ささやか」過ぎるかな(笑)
 休日は自宅でのんびりが一番かも知れません・・・

| | コメント (2)

青春サイクリング

4月26日(火) サイクリング サイクリング ヤッホー ヤホー

 サイクリングが楽しい季節になりました。
 たしか「♪~サイクリング サイクリング ヤッホー ヤホー」というフレーズが記憶の片隅にあって、どんな歌だったのか思い出せません・・・というか、そのフレーズしか知らない。
 ネットで調べてみましたら、1957年の頃の言うならば「セピア色」「青春歌謡」「懐メロ」って使い古された言葉で表わされる歌です。
 
 この時代は、まだまだ若者たちが清く明るい青春(?)を謳歌していた時代。
 マイカーでドライブの旅なんて少数派だったのではないかと思うが、自転車に乗って山や丘や浜辺をサイクリングして、心地よい風を受けながら、楽しいお喋りの花が開く・・・
 レトロであっても、いい風景だと思いませんか?そういう風景が少ない今だからなお更いいと思うのですが・・・

 作詞:田中喜久子 作曲:古賀政雄 歌:小坂一也とこう並べても知ってる人は少ないでしょうね。
 ちなみに、こんな歌詞ですが、実になんともいえない「忘れられた青春」みたいな・・・

 ♪みどりの風も さわやかに
 にぎるハンドル 心も軽く
 サイクリング サイクリング ヤッホー ヤッホー
 青い峠も 花咲く丘も
 ちょいとペダルで 一超えすれば
 旅のつばめも ついてくる ついてくる ヤッホー

 今は、青い峠も花咲く丘も旅のつばめも、なかなかお目にかかれないが、サイクリングの雰囲気はそういうものですね。
 時代遅れの情感っぽいのが、これが2番の歌詞なんですね。

 「行こうよ君と どこまでも  弾む銀輪 リズムに乗って・・・」
 「波もささやく 浜辺の道を 若い歌声 合わせて走りゃ 潮の香りが・・・」

 歌の視聴はここで→青春サイクリング

 自転車のイメージは世代によって違うのでしょう。
 今の自転車事情といえば「えぇ~チャリンコぉぉ」ですし、「駅の駐輪場にいっぱいあるしぃ~」です。
 廉価な9800円のチャリンコ、それが自転車のイメージでしょうね。

 しかし、この当時は自転車も大切に扱ってた、雨ざらしなどトンデモナイ時代だったと思う。
 僕なんか小学生で父親に子ども用自転車を頼んでも、買ってもらえなかった。
 自転車は高価で貴重な代物だった。

 まあ、時代は変わっても、「究極のエコ交通手段」「究極の健康法」「メンタルケアの効果」・・・と自転車効能は抜群です。
 その自転車に乗って友だちとサイクリングに出かける風景は、よき時代、よき青春を思い出すこともできる。
 思い出すのは、シニアの世代かも知れませんが(笑)
 よく言われる事に、自転車のあれこれを言うよりも、実際に乗ってみると、街の交通がいかに車優先になっているのか、自転車がいかに心身のリフレッシュになるのか・・・それは、思い切って自転車でちょっと遠出をしてみるとほんとうに実感できるものです。
 この歌の歌詞もそういう意味では核心を突いている。

 そんなわけで、この2011年春のサイクリングの計画もぼちぼち出来上がって・・・
 5月30日(土)琵琶湖の長浜からのんびりと近江長岡まで走ります。
 若い方からシニア世代まで、まあ世代の違いを超えたサイクリングってところです。
 もう一つ、5月28日(土)には「サイクルトレインin伊勢」これも8名ほどで参加することになりました。

 ♪~サイクリング サイクリング ヤッホー ヤッホー 
 レトロな雰囲気を楽しめるのが自転車の旅、金で買うことが出来ない旅・・・それがサイクリングですね。

| | コメント (2)

2011.04.25

今こそ「捨てる」文化だなぁ~

4月25日(月) 寅さんのトランクのように・・・

 数日まえに「山田洋次を観る」吉村英夫著を読み終えました。
 2008年10月30日、愛知県の大学の特別講義として、山田監督を招いてパネラーの学生とディスカッションしています。

 その模様と著者が受け持つ講義「映像文化論」の中で、現代の学生、若者たちに「男はつらいよ」などの映画を鑑賞してもらい、ミニレポートを提出させ、全体として「山田洋次監督論」として書かれた本です。
 山田洋次監督の映画に対する姿勢がとてもよくわかります。

 あわせて1995年に「男はつらいよ」の第48作「寅次郎紅の花」が最後の作品となって以降、十数年を経ている今の若者たちが、この「男はつらいよ」を観て、何を感じるのか・・・そういう疑問に一つの答えを出している本と言えます。
 今も昔も、この映画から受けるものは大きく違わない、心に残る映画はどの時代にも人に感銘をあたえることだけは間違いないということでしょう。

 まっ、本の話はそれぐらいで、ちょっと僕が気になるのは寅さんのトランク。
 旅から旅の啖呵売、寅さんのトランク一つのその姿は、究極の身軽さといえます。
 もっとも、柴又には寅さんを暖かく受け入れる「とらや」の面々がいるのですが・・・

 旅の商売だから・・・「それを言っちゃあお終いよ!」ってことだが、物への執着などこれっぽっちも持たない寅さんの生き方、僕はなんだかそういうものに憧れます。
 物よりも人の気持ちや相手の幸せを願う、そういうものがトランクを開けると、いっぱい詰っているように思えるのですね。

 ちょっと反省を込めて書いています。
 というのも部屋の中に物が溢れている我が家をみると、そう思うわけです。
 今日は午後から溜まりにたまった物を捨てることにしました。
 全部まとめてゴミ袋に入れてポイっと捨てれれば簡単ですが、そうはいかない実に厄介です。

 さて、捨てる!捨てる!と掛け声ばかりで、どうにも捨てられない、結局要る物と要らないものの区別が難しい。
 考えてみれば、引越ししてこの7~8年、仕事の忙しさにかまけて、ほとんど放置状態だったから、何年も前の、見もしない書類とか、使いもしない部品とか・・・出てくる、出てくる。
 もう半分以上は捨ててもいいものばかりだと思っています。
 
 小学生の頃、道徳の時間に「捨てる文化」という授業がありました。
 日本が高度経済成長の途上であったので、消費文化を美徳として子どもたちに教えるものでした。
 「捨てる」ことも文化だ!それは生活用品は買い換える時代に入ったと言うことで、この辺りから「物を大切にする」心も、大量消費する社会、生産と消費の拡大再生産の社会、まあ言うならばアメリカ式文化とでもいうのでしょうか、そういうふうに変化していったわけです。
 
 今はもうそんな時代じゃないと言われ始めているが、あの時代からフーテンの寅さんは、大量消費社会と無縁な生き方をしていたなぁ、と思うわけです。
 もし「捨てる」文化を考えるならば、ほんとうに捨てなきゃならないものは、物に囲まれた暮らしを豊かな暮らしと考える、その心なのかも知れません。
 だから、その延長線上には原発があって、人が暮らせない町を作り出す危険性がある・・・それでもそんな原発エネルギーに依存した暮らしが必要なのか?大量消費社会が生み出した文化の姿がそこにあるのでしょう。
 大量消費を突き進んだ究極にあるのが原発エネルギー依存社会だと思うのです。

 想い出の品はとっておきましょう、今暮らしに必要なものはとっておきましょう、それ以外の溜まりに溜まったものは思い切って捨ててしまおうと思っています。
 そしてちょっと身軽になれば、背負い込んだ余計なプライドや、物で豊かさを感じる気持ちからも解き放たれるような気がするのです。

 寅さんのような漂泊の人生は歩めないけれど、この地域のこの家で暮らすにあたって、やっぱりトランク一つの荷物で充分じゃないのかと・・・あはは、トランク一つは少なすぎるが、まあ、そういう気持ちで暮らして行けるならば、きっと幸せになれると思う今日この頃なりぃ~。

| | コメント (4)

2011.04.24

春の雲

4月24日(日) レンズ越しに・・・

Img_0013

 何に季節を感じるのか・・・
 ひとそれぞれでしょう、野の花に、吹く風に、いやいや、球春だったり、ちょっと薄着の道行く人の服装だったりします。
 空が広いと、空に浮かぶ雲の流れに、これも春を感じるものです。
 春の雲は大地が暖められて対流が起こりやすくなって、ふんわりと綿雲のように浮かぶ積雲です。
 これが発達して、夏の入道雲ともなれば、積乱雲になります。

 いやいや、そんな空に浮かぶ雲なんて、まじまじと見る機会も少ないのが都会人なのでしょうか。
 川が流れていると、そこには広い空があります。
 田舎ではめずらしくもない、こんな風景も、やっぱりビルとビルがゴチャゴチャと林立する都市部では、貴重なものです。

 庄内緑地公園の傍を流れる庄内川は東から西まで広い空を見渡せます。
 東の空にはちょっと横に広がった扁平雲が見られました。
 が、西の空を見ると黒い雲をともなった、これも積雲の一種でしょうか、思いのほか早く流れてきます。

 ああ、雨模様にでもなるのだろうか?
 太陽がときどき雲に隠れては、また顔を出します。
 サングラスをフィルター代わりにレンズに当てて雲に隠れた太陽を撮ってみました。
 いやはや、なんとも怪し気な空になりました。

 「春雲は綿のごとく・・・」と言います、正岡子規の言葉だそうです。
 そんな綿のようなふわふわとした雲が流れていた庄内川の日曜日でした。
 暇人?ですって、ははは。

| | コメント (2)

2011.04.22

ウェザーステーション

4月22日(金) お天気を知るだけだが・・・退職自己記念品

Img_0007

 この退職にあたって、職場の方々や友人の方から退職記念品をいろいろいただきました。
 自転車のブレーキ(以前書きましたが)、木製漆塗りのマグカップ、お酒などなど・・・
 日頃から「いいなぁ~」と思ってる物をいただくのは嬉しいものです。
 
 それで、妻からは「退職記念で好きなものを買っていいよ」と言われていたので、パソコンと気象観測機器が欲しいと言って、無事何でもOKの返事をもらっていました。
 パソコンは7~8年経つWindowsXPがまだまだ使える、ブログとメールと写真の取り込みと年賀状のたぐいぐらいだから、以前のようにハードの新し物好きだったら、最新のパソコンが欲しいと思うが、もうソフトの面だけならばこのままでも充分だと思うのです。

 HDD、MO、スキャナー、通信機器・・・と新製品のカタログを見入っていた時代が馬鹿馬鹿しく思えてなりません。
 IPADやいろんな新製品が出ても、あまり興味はなくなって、「ブログの文章が下手だなぁ~」などと、本来の器械を使うことの方が面白いと思うようになりましたね。
 と、同時にPCよりも自転車や本やそういうアナログ的世界のほうが面白くなってきている。

 まあ、パソコンの器械の世界に入り込むと、エンドレスで最新のテクノロジーを体験したくなるから、次々に新製品を買って、部屋中に周辺機器が散乱することになるのですね。
 そういうわけで、パソコンは買うかどうかは模索中です。
 今はまだ必要ないから、とりあえず「退職記念品」ということでOKをもらったことで、いつでも買えるという満足感で充分かもしれない。

 実はもう一つのOKをもらってた「退職記品」が今日届きました。
 ウェザーステーション。
 室内室外の気温、湿度、気圧変化、月齢、予想天気を表示してくれるものです。
 これに、風速、風向、雨量、紫外線量などが付けば満点だが、値段が高く近くにマンションが建ち、とても風向などは正確に計ることはできないだろうと諦めたわけです。

 気象観測装置としたら入門品、温度計としては高価品というところでしょう。
 それでも日常のお天気を知り、洗濯指数こそ出ていないが、暮らしには役立つだろうと。
 暮らしのなかの自然への、些細なアプローチの一つです。

 まあ、もう少し気象の勉強を積めば、もっと本格的なウェザーステーションが必要になるかも知れませんが(笑)
 もっとも、妻は「変なものを欲しがるな」という顔つきで、それでも退職記念って名目だから、「いいわよ」と一つ返事をしてくれたのが嬉しい。

 さて、明日は一日雨模様のようです。気圧がわずに下がって、室外の湿度が高い。
 部屋の温度は22度、湿度は51%、気圧は1014hpa、おお戸外の湿度86%・・・だから何だと言われそうだが、おもしろいと思いませんか?
 面白くない!?・・・あははは、そうかなぁ~。
  
 
 

| | コメント (2)

2011.04.20

想い出話

4月20日(水) 昼飯の弁当のこと

Img_0035
                  人生ゆっくりでいいじゃないか(庄内緑地公園にて)

 この数年、職場では昼食を障害者作業所の弁当をとっていました。
 高齢者向けの弁当で野菜が中心、ただでさえ野菜不足になりがちな日々だったので、最初こそ「物足らない、肉が・・・」と思い夕方には小腹が空くこともあったが、これも日課になれば栄養バランスとしては結構いいものでした。

 退職した今は、午前中の自転車散歩を終えると急いで帰宅して自分で作っています。
 どうしても麺類中心になる、肉うどんとか焼ソバとか残り飯とあわせてとか・・・。

 それでも、外食をするより自分で作るほうが楽しいし美味しいと思えるのは、たぶん味の良さよりも、自分の餌、じゃなくて自分の昼飯を自分で作ることに満足感があるからかも知れない。
 まあ、そうした粗食であっても出費を抑えて、食べる楽しみを日課にしている自分といえます。

 もう、飽食の時代ではないと思うのです。
 だから、ひと月の小遣いがわずかであっても足りてしまいそうです、節約とかケチケチ暮らしというのは自分でやる限りにおいては、けっしてみすぼらしいものじゃない、お上から「節約しろ、エコにしろ」と言われると腹立たしいが・・・

 昼の弁当には子どもの頃の強烈な想い出がある。
 もう亡くなった父親は町の工場に毎日弁当を持って出かけていました。
 ちょっとゴツイ自転車の荷台に弁当箱をくくりつけて朝早くから仕事に出かけていた。
 百姓が中小都市の労働力として流入し、農業が衰退してゆく戦後期から高度経済成長期の典型だった。

 小学校の夏休みに、その父親の工場に遊びに行き、昼飯時までいて、それから僕は家に帰るわけだが、父親は持参した弁当箱を広げて食べるわけです。
 けれども、その時、同じ工場にいた名前も知らないおじさんは、何も食べずに沸かしてあるお茶だけを飲んでいました。

 父親に「あのおじさんは何故弁当を食べないの?」と聞くと「ああ、あの人は弁当がないんだよ」と。
 もう、その頃といえば昭和30年代。
 学校給食も始まって、昼食が食べられない子どもはほとんどいない時代だったのですね。

 貧困がゆえに弁当も持って来れない、それでいて町工場の肉体労働をしている、そういう現実が不思議でもあったし、なんだか悲しいことでもあった・・・そういう子ども心の記憶でした。
 僕の家はけっして豊かではなかったけれど、初めて「貧困」というものを「弁当」を通じて知った出来事でした。

 今、若者たちが昼食にカップヌードルを食べたりしているのを見ると栄養は大丈夫か?と思うのだけれど、別の意味で「現代の貧困」の様相じゃないかとも思うのです。
 しっかりと食事を摂る余裕がないのか、食生活について考えるゆとりがないのか・・・・
 なんだか競争社会の中で身も心も余裕がなくなって、暮らしと向き合う時間も少なくなってるような気がしてなりません。

| | コメント (4)

スローな暮らし

4月19日(火) 東日本大震災後の価値観

Img_0033
                        庄内緑地公園の青空と鳩(2011・4・19)


 東日本の大震災から一月余が過ぎました。
 毎日くり返し伝えられる被災状況に、暗く不安な気持ちになったが、それも少し落ち着いてきて、ちょっとだけ冷静に考えることが出来るようになったのが現在の心境です。

 昨日、被災地にボランティアで入った方の支援活動報告を聞く機会がありました。
 被災状況、避難所の生活のようす、支援のあり方など、写真も交えてお聞きしましたが、被災された方々の生活の大変さやストレスも心配されるところのようです。
 もちろん、そうしたボランティアとして支援活動をされる方のストレスもけっして小さくないようです。
 まだまだ、先の長い復興への道のりのようです。

 報告された方に報告会の前に「実際に被災地に入ってどうでした?」とお聞きしたら「テレビで見るのとは全然違います・・・」と。
 僕たちはテレビで被災状況を見るだけで、ちょっとナーバスな鬱的な気持ちになってしまうが、実際の被災された方々の状況は、想像を絶するものだと思うのです。
 「生かされた命」とよく言われ耳にします、その実感は被災されて家や家族や友人や職場を失われた方の心底からの吐露のように思われます。

 しかし、この東日本大震災を離れた地域からテレビのニュースを通じて見てきた僕たちも、少なからず「今、生きていることを感謝し大切にしよう」という気持ちになります。
 被災地では道を一本離れただけで、壊滅して何もかも失われた地域と被災を免れた地域があって、その違いにも驚いてしまったそうですが・・・

 東日本の大震災は原発も含めてその収束には長い月日がかかると思われるし、その道程はけっして平たんなものじゃないと想像できるわけです。
 そして、こうした未曾有の大震災を目の当たりにした僕たちは、やっぱり「生かされた命」でもあると思うわけです。

 だから、おそらくこの震災を契機にして、今、自分の生き方や暮らし方に、もう一度向き合ってみようと考える方も少なくないと思っています。
 高度経済成長やオイルショック、バブルの崩壊、リーマンショック、右肩下がりの日本経済・・・
 なによりも、格差社会の中で雇用不安や不安定な派遣労働の増大、そういう社会が「なにか狂っている」と感じていたが、「そのなにか」が漠然としていた現状が、今、徐々に目に見えて来たような、いや、何か価値観の大きな変化が自分に迫られているような、そんな気持ちになるのです。

 僕は、今までのような「生き方」を考え直さなくてはならない状態に、嫌がおうでも今突きつけられていると思っています。
 それがどんなものか?

 復興税のアップ、さらなる経済の縮小、我慢を強いられる時代・・・そんな、今までの暮らしの延長線上の方法論のようなもので済むとは思えないのです。
 この震災を契機にして、一方では「危機こそチャンス」と考えて、あれこれ蠢く人もいるでしょう。
 格差社会が無くなるどころか、ますます拡大して行くでしょう。

 だが、一方ではきっと、今までの暮らしのありかた、社会のありかたを転換する時だと思う人が増えるのじゃないかと思うのです。
 いわば、人の生きる暮らしの価値観がおおきく変わるんじゃないかと思っています。
 
 それが、小さな無駄を省くエコであったり、原発に頼らない自然エネルギーを考えることだったり、人と人との絆を大切にするコミュニケーションだったり、きっといろいろあるに違いないと思うのです。

 僕は「スローな暮らし」を見つけて行きたい。
 人と人の違いを探し、人よりも一歩でも先にいなくてはならないような暮らしではなくて、「なにも特別なこともない」そんな暮らしが見つけられたらと思うのです。
 

| | コメント (4)

2011.04.17

初々しさ

4月17日(日) 姪の結婚式

 Img_0001

 今日は姪の結婚式に招かれました。
 僕の兄弟の子どもたち、といっても立派な大人だけれど、その子どもたちが順番に結婚して、今日、また新しい家庭を作る第一歩を歩み始めたわけです。

 新郎も新婦も初々しい。
 何事も始める時は、慣れない緊張とこれから歩む将来への決意が交錯して、そこが初々しいですね。
 どんな結婚式に出ても、未来への希望と輝きが感じられるものです。
 ちょっと緊張した新郎と満面の笑みの新婦の一世一代の初舞台のようなものですね。

 ♪ 嵐も吹けば 雨も降る
 女の道よ なぜ険し
 君を頼りに 私は生きる
 ここに幸あれ 青い空

 いささか人情演歌ぽいが、険しいのは女の道ばかりでもない。
 男の道だって泣きたいほど辛いこともあるだろう。
 夫婦は空気のような存在になっちゃぁダメだね。
 いつまでも信頼し話し合える、いい距離感を持ってこの先の道を歩んで欲しいものです。

 思い返せば25年前、この姪がまだ小学校に上がる前、私らの結婚式に小さな手に花束を持って祝福してくれたのを思い出す。
 その姪が、今新しい人生の一歩を歩み出すわけで、時の流れと時代の移り変わりを感じます。
 
 白と黒を基調にしたシンプルで落ち着いた結婚式場でした。
 その落ち着いた雰囲気の中に、いろんな人生を歩いた老若男女がいて、初々しい二人がいる。
 この二人には似合っている、とても自然な家庭と暮らしを想像できる。
 いい結婚式でしたね。

 ははは、順番通りならばそのうち我が家の子どもたちにも番が巡ってくるかのかな?

| | コメント (2)

2011.04.16

春の風

4月16日(土) 春の風はいたずら好きだ!

Img_0028

 昨日は歓送迎会でした。
 二週間ほどしか経ってないが、なんだか懐かしい。
 ジョーク話に花が咲いたが、職場でもこんな会話ばかりしていた自分だったなぁ
 冗談も受けて返す方がいて成り立つもので、そういう方にも恵まれていましたね。
 楽しく働ければ辛い仕事も苦しさが半減します、どんなに優れた仕事ぶりでも、楽しくなければ本物にはならない・・・人が想像力や向上心を発揮する原点だと、「笑いは原点」そう思って仕事をやってたなぁ。

 庄内川の土手道を、心地よい風を受けながら走る爽快感は自転車ならではのもの。
 桜の花が、ちょっと吹く風のたびに舞い落ち、道路は花びらのジュータンです。
 少し強い風になると、その花びらが吹雪のように頬にあたります、そうして短い桜の季節が終わります。

 絢爛な桜の命の短さを儚いともいえますが、そうでもありません。
 葉桜となっても、新緑の葉の輝きはあります。
 そういえば、こころなしか公園の緑が、日毎に鮮やかになっていくような気がします。

 堤防沿いの民家の庭に、こいのぼりが見えます。
 もうすぐ、5月なのですね。
 
 やねより高い こいのぼり
 大きいまごいお父さん
 小さい ひごいは子どもたち
 おもしろそうに 泳いでる
    (近藤宮子作詞 作曲者不詳)

 この歌にお母さんは出てこない。
 もともと旧暦5月5日は今の6月初旬、それで、この日は農作業から解放され神事のあと一日遊ぶことが許された女性の祭りの日だった、だからお母さんはいないということだそうです。 (「童謡の風景」合田道人 より)
 あはは、知らなかったでしょう、僕もです。

 鯉のぼりを1枚撮ってみようとデジ・カメを構えたが、風が吹いてくれません。
 あんなに桜の花びらを散らしてた風が・・・
 僕は我慢強いほうだと自認しています、では風に泳ぐこいのぼりを待ちましょう。
 その場にじっとして、ただただ風が来るのを待ち続けました。
 来た!来た!風に乗って楽しそうに泳ぐこいのぼりが撮れましたね。

 いたずらな風と戯れながら走る自転車散歩、もうすぐ5月です。
 

 
 

| | コメント (2)

2011.04.13

桜の花びらが舞っています

4月13日(水)原発の不安感・・・

 春になると桜の花が咲きます、その多くはソメイヨシノです。
 名古屋も、もう満開の桜も終わり、近所の用水脇の桜並木も散り始めました。
 なぜ、春になると一斉に桜の花が、あちこちで咲き始めるのか?
 素朴な疑問でしたが、わかりました。
 ソメイヨシノは1本の木から、接木や挿し木で全国に広まったから、みな同じ親戚みたいなもので、同じように咲くといいます。
 なるほど!だから日本のように南の地域からだんだんと暖かくなると、桜前線も北上して一斉に咲くのですね。

 そんな、のんびりした季節感を楽しみながらも、毎日朝起きると新聞のニュースが気になります。
 東日本の震災ですね。
 テレビのワイドショーは毎日被災状況を伝えています、そんな中でも原発事故の現状がひどく気になる最近です。
 今日は福島原発事故がチェルノブイリ級のレベル7に引上げられたといいます。
 報道される原発の解説は「人体には影響ない」とか「安心です」というものがほとんどで、「冷却し、閉じ込める作業をしている」という報道です。

 ほんとうに、安心できるものか?明日の朝起きたら「炉心が爆発して、メルトダウンを起こし、放射性物質が放出された」そんな記事が載ってやしないか・・・そういう不安感が拭いきれません。
 なぜなら、考えられる最悪の事態については、そうならないように努めているという説明がほとんどで、たしかに炉心に窒素を注入したり、高濃度汚染水の放出ストップに現場は必死で対応しているとは思うのです。

 このまま、炉心の冷却がすすみ、汚染物質の放出が止み、できるかぎり早く「廃炉」になってくれることを、期待しているのですが・・・
 けれども、僕たちはこうした原発事故による最悪の事態についても頭に入れておいたほうが良いとおもうのです。
 最良の状態と最悪の状態について知り、その中で今いったい、どのような状態なのか?そこが一番知りたいし、そういう情報を正確に公表して欲しいと思うのです。
 
 今日の中日新聞の「特報」欄に小出裕章・京大助教が最悪の状態について話してみえます。
 抜粋して書いておきます。

 「(福島第一原発の事故で)予測される最悪の状態は、炉心全体や大半が溶け落ちるメルトダウンだ。今も溶融しているのは確実だが、一部にとどまってくれている」
 「綱渡りだが、冷却効果はあり大規模なメルトダウンの可能性は五分五分よりは低くなった・・・」
 「福島では原子炉が壊れずにメルトダウンが進む可能性がある。そうなると高温の溶融物と下部の水が反応すれば水蒸気爆発が起き、桁違いの放射性物質が飛び出す。これが一番恐い」
 「水蒸気爆発が起こって炉心にある放射性物質の大部分が、ガスや微粒子になって空中に飛び散れば汚染はチェルノブイリと同レベルだ」
 「もしこれが起きてしまえば手のうちようがない」
 チェルノブイリでは三ヶ月後、二百~三百キロ離れた場所に猛烈な汚染地帯が見つかった。福島から同じ距離を想定すると東京も入る。  
 
                              (4月13日中日新聞朝刊より)

 原発の最悪の事態を考えることは、いたずらに不安を煽ることでもないと思うのです。
 原発はそういうものだということで、だから「安全神話が崩れた」とメディアも言い、そのもっとも最悪な事態もないわけではないのです。

 原発について専門的な知識はないから聞いて考えるのが僕たち一般人です。
 最悪の事態を避けるように、英知を結集して対処して欲しいと思うとともに、やっぱり原発というエネルギーに依存した現状から自然エネルギーを用いた社会に転換して欲しいと思うのです。
 
 そのために自分たちの暮らし方もしっかりと考え直すことも必要でしょう。

| | コメント (4)

2011.04.12

図書館に行く

4月12日(火) 社会との繋がりの一つだなぁ

 快晴でした。
 もう冬の厚手の上着は必要ないでしょうとニュースも伝えています。
 久しぶりに図書館通いの日、このひと月ほどは図書館本よりも購入古本を読んでいたので、久しぶりです。
 やっぱり東日本の震災の影響か返却本の棚は震災関係が多いようでした。
 みなさん、それぞれにこの震災については、しっかり知っておこうということでしょうか。

 これまでも、図書館本は定期的にお世話になっていたが、職場から離れてしまうと、とても貴重な社会とのつながりの一つです。
 テレビとか新聞も社会との窓口ですが、図書館は流行りも廃りも含めて、自分で選択できるからいいです。
 それに、隅から隅まで背表紙を眺め、ちょっと気に入った本をパラパラとめくり、そうして狭い自分の頭の限界を、少しだけ超える興味が湧いてくるのが面白いです。

 まったく知らない、陶芸本などを手にして、ちょっと見るだけでいい、そこから今は広がらなくても、どこかで何かの拍子につながって、また借りようと思うかも知れないのです。

 人と話す機会が少なくなると、どうしても社会との繋がりも少なくなります。
 つまらぬ冗談や些細な暮らしの一言二言は、それでも大きな刺激と社会性を与えてくれるものですが、やはりどうしても、人と話す機会が少なくなると、そうしたものを意識的に補う必要に迫られます。

 図書館の本は、好きな本ばかり集まった自宅の書棚とは違って、いろいろな分野が集まっているのがいいです。
 文字との対話でも、そうしたものに触れて意識しなければ、日頃の流れてくるテレビの画面をそのまま頭に入れる程度に留まってしまいます。
 本を読むというのは、頭の中で論理を展開したり、感情の共感も生まれてきます。
 だから、僕のようにことさら、人と会話する機会が減ってしまう人は、おおいに乱読するのも良いと思っています。

 今日はおもしろい本を4冊借りました。
 ああ、小説は今の自宅の書棚の本で間に合うので、エッセイとかそういうものが中心です。
 じゃぁ、どんな本かというと、こんな本ですが、人がどのような本に興味を示すのか?だいたい、借りてくる本のタイトルで察しがつくというものですね。

 夢の続き 吉永小百合 世界文化社
 発達障害だって大丈夫 堀田あけみ 河出書房新社
 山田洋次を観る 吉村英夫 リベルタ出版
 快老生活の心得 斎藤茂太 角川書店

 吉永小百合さんは初めて読む本、堀田あけみさんは「アイコ16歳」以来かな、吉村英夫さんは「寅さん本」でも読んだなぁ、斎藤茂太さんは茂吉さんのご子息なかなか核心をついているなぁと・・・・

 ははは、遅読では誰にも負けない僕ですから二週間の返却期限までに読み終えられるかわかりません。
 まあ、本なんて書かれている内容は知識だけで、それと自分がどう向かい合うかってことだけが、本の愉しさを引き出してくれるものだと思っています。

| | コメント (4)

2011.04.10

久しぶりに寅さん映画

4月10日(日) 「純情編」・・・何回観たんだろうなぁ

410img_0005
                        4月10日庄内緑地公園の桜も満開ですよ

 日曜日なので完全休養日です。
 正月を除いて、日曜日に妻が休みなのは半年ぶりでしょうか、だから、宇宙ステーションから久しぶりに帰還したようなものです。

 まあ、僕は毎日、日曜日のようのものかもしれないが、意外と平日は家事労働を日課にしてやってるわけで、「今日は何もしない日にしよう」というわけで、夕食も「名古屋駅の美味い牛弁当を買ってきて食べようか!」そんな日曜日。
 
 統一地方選挙の投票日でもあったが、ここは無投票で選挙がありません。
 あれば、震災・原発エネルギー政策が投票の選択肢の大きな一つになったと思うのです。
 8時の投票終了時刻と同時に、東京都知事の当確速報ニュースが流れ、「東京湾に原発を作ってもいい」と言ってる候補者に「当確」が・・・、こういう選挙のメディアの取り扱いは理解しがたいものがある。まだ、開票もされていないのに。
 
 まあ、NHKは大河ドラマを見て、そのあと今日は久しぶりに「男はつらいよ-純情編」があるので、チャンネルを即座に切り替えたってわけです。
 山田洋次監督50周年記念作品というわけで、この「純情編」はもう何回も観ています。
 映画のストーリーも全部わかって、場面も全部わかって、そして観るのですが、観始めると新鮮です。
 一つ一つの場面に入り込んで見るので、分っているけれど、笑うところは笑うのですね。
 
 少し前に山田洋次監督の落語集「放蕩かっぽれ節」(ちくま文庫)を読み始めました。
 この落語集に登場する人物、言うなれば熊さん、八さんですが、それが読んでいると、どうしても、あのフーテンの寅さんの言葉に聞こえてくるのです。
 逆に言うと、「男はつらいよ」の寅さんは、落語の人情話にやっぱり通じたものなんだなぁ~と納得もするわけです。

 1971年のこの「純情編」、故郷について語っていましたね。
 旅先の寅さん、柴又のさくらや、とらやの面々を思い出し郷愁にかられます。
 帰る家がある、帰る肉親や友人がいる、そのことが旅暮らしの寅さんにとって、どれほど大切なものか・・・

 現代にも通じるものです。
 それは、東日本の震災に遭われた方々や原発で避難を強いられた方々の今まで暮らしていた家や街への思いであり、その辛さに通じるものです。

 庶民の感情は、こういうごくごく普通の暮らしの中に、しっかりと人情味としてあるのだと思うのです。
 少し世間とは「はみだした」寅さんの可笑しさも、またしかりだと思うのです。 
 久しぶりにソファーで妻と一緒に観た「寅さん映画」でした。
 

| | コメント (2)

2011.04.08

車輪の下で

4月8日(金) 小雨模様の金曜日

 朝から雨模様の空でした。
 桜は満開になりきってないから、この程度の雨で散ることもなさそうです。
 「おんな心と秋の空」に対して「春に三日の晴れなし」と新聞の気象欄に書いてありました。
 つまり変わりやすいお天気、短い期間で天候が変わりやすいということです。

 雨の日には自転車もままなりません。
 4月になって部屋の掃除をすることにしました。
 まあ、気が向く程度ですが、念入りにピカピカに・・・
 先日は一階と二階のトイレをやりました。
 掃除なんてものは、その気にならないとやれるものじゃないが、これが仕事だ!と決めてかかれば意外と楽しいものです。
 時間に追われて義務でやろうとするからいけない、有閑倶楽部的人生に突入して知る掃除のおもしろさかな。
 
 それで、今日のような雨の日は、やっぱり晴耕雨読な一日です。
 読みかけの本は、「花疲れ」のせいか瞼が重くなる、ソファーでくつろぎながら重くなる瞼のおもむくままに・・・
 ついうとうとした後は、風呂場の垢落としに精をだしました。
 垢ってやつは、溜まると頑固になるものです。

 ここらへんは、人間の性格に似ている。
 頑固さも、ある意味ほどほどがいいのかも知れない、溜まると軌道修正が難しくなりますねぇ~
 挫けない意志と頑固さは・・・似て非なるものですね。

 浴槽から、フタ、壁タイル、窓・・・あらゆるものを一挙洗いしました。
 ハウスクリーニングの専門の方は30分だと友人は言ってたが、ははは、ゆうに2時間はかかります。
 こうやって、しばらくは家中を一日一部屋、ハウスクリーニングに余念のない日々です。

 「家事労働」と何だかついで仕事のように言うけれど、これは立派な「労働です」と・・・
 しかし、こういうのは楽しんで遊び心でやると、実におもしろいものです。
 遊び心といえば、ヘルマンヘッセの「車輪の下」ではないが、車輪の下のスナップを一枚。
 踏み潰されそうになっても、くじけずに咲くタンポポなのです。

Img_0204


| | コメント (2)

2011.04.07

花酔い

4月7日(木) 五条川の桜の花は満開です

 たしか「花酔い」という言葉があったはずです。
 が、「花の酔」つまり「花見酒」はあっても、「花酔い」という言い方はないようです。
 けれども、満開の桜を何時間も見続けていると、なんだか酔った気分になります。

 名古屋から63号線をひたすら北に向うと岩倉市の五条川に出ます。
 五条川は南には新川につらなり伊勢湾へと流れる川なのですが、その五条川に沿って桜並木が続きます。
 延々と満開の桜を眺めながら、自転車を走らせました。

 今日は休暇をとりました、といっても退職して「髪結いの亭主」の身分、不要じゃなくて、扶養される身分なので、家事労働からの休暇というわけです。
 幸いにも「金曜日は雨模様だから、花見なら水曜日か木曜日がいいわよ」と妻からも一言もらって出かけたわけです。
 鬼のような雇用者でなかったので良かったです。(笑)

 2時間ほど桜を眺め、桜並木に沿って走り、又桜を眺め・・・
 ほとんど、桜とにらめっこ状態が続くと、お酒は飲んではいませんが、何だか「桜の園」に迷い込んだような、まるで「花酔い」したような気分になるものです。
 平日なのでほどほどの人出だけれど、その人声が桜の薄いピンクの花びらに吸収されたような不思議な静寂感なのですね。
 
 2月の梅も、秋の紅葉も、こんな「花酔い」気分にはなりませんが、それは「桜」だからなんだと思うのです。
 ずいぶんと写真も撮ってみました、ああ、安物のコンパクトなデジカメです。
 写真では伝えられない、この満開の桜の風景は、それも日本の四季なのですね。

 震災で辛い思いをして見える方々もおおぜいいます。
 そんなときに花見なのか!という声もありますが、僕は今生きている時間を大切にしながら、日々を暮らして行くことが、自分の役割でもあると思うのです。
 こうした日本の四季の移り変わりが震災や原発で失われないように思うのが、今考えることだと思うのです。

 連続で写真をアップいたします。
 ちょっと「花酔い」気分に浸れればいいけれど、ははは素人写真では無理か!(笑)

Img_0017
 五条川縁の桜・桜・桜・・・

Img_0030
 腰のまがったおばあさんの畑仕事と桜

Img_0040
 つまり、とても爽やかな雰囲気と桜

Img_0042
 青空と五条川をおおう桜

Img_0058
 桜の幹からも桜が・・・

 まったく、桜づくしです。
 だからどうなんだ?と言われても困るのですが・・・

 桜の花が似合う人物風景は何だろうとふと思いました。
 1番目に、自転車でおしゃべりしながらの女子学生たちの下校風景
 2番目に、お年寄りの施設からの花見、車椅子のおばあさんの笑顔の風景
 3番目に、川辺で弁当を広げる二人、なんだかさわやかな風景
 4番目に、ははは、スポーツ自転車に乗って花見遊山する風景(自分ってことだ!)
 思うに、一人花見もあるけれどちょっと寂しい。
 けれども自転車で桜の園に迷い込んだと思うと、俄然ロマンチックに思えるものだ、自転車は恋人みたいなものだからなぁ(笑)

 まだまだ続く「桜の風景」です。

Img_0072
 桜も花びら一つ見るとなかなか可憐だなぁ

Img_0075
 もう、ただ、ただ桜、桜、桜・・・

Img_0145
 この鳥はサギだろうか?獲物を見据えてじっとしてる

Img_0174
 桜の花間からシギ?カモ?ええい面倒だ!水鳥

Img_0198
 五条川に沿って続く桜並木の自然遊歩道、自転車も通行可です

Mg_0217
 のんびりと一日過ごすお花見風景、平和であることの大切さですねぇ

Img_0247
 あでやかな桜並木が脇役で、主役は黄色いタンポポ。それがいいのです。

 「花酔い」した?
 あはは、あまりの僕の思い込みの強さに「悪酔い」しちまったぜよ!って。
 最後までご覧いただき、ありがたいでございます。
 本日の自転車走行距離42キロでした。(お終い)


     

 

| | コメント (6)

2011.04.05

無粋なカラス

4月5日(火) カァーカァー泣くんだよ~♪

Img_0008

 カラスは鳥類の中でも親子の情が深い鳥だそうです。
 かって昔は神の使いの鳥だった頃もあるらしいが、今じゃゴミを漁ったり公園に居ついたり、ちょっと「はみだし者(鳥)」って感じです。

 白土三平の漫画の中では死者に群がるカラスのイメージが強いが、一方では童謡「七つの子」に歌われるような寂しいイメージ、子どもの頃はそんなカラス像でした。
 我が家にも一日何回かはやってきて、カーポートのアルミ柱をトントンと伝い歩きする姿をよく見かけます。
 カラスよりも野鳥のさえずりのほうが絵になるから、カァーカァーと窓越しで鳴かれても風情はありません。

 庄内緑地公園の桜もずいぶんと花開いてきました。
 8分咲きほどでしょうか。
 例年に比べても、自粛ムードなのか賑やかな花見客の人出も少ないようです。
 
 その桜の花越しの民家のテレビアンテナの先でカラスがカァーカァーとしきりに鳴いていました。
 ひとしきり鳴いては飛び立ち、また舞い戻って再び鳴きます。
 この庄内川縁の桜の枝にはけっしてとまりません。

 「無粋なカラスだなぁ~」と呟いても、なにくわぬ顔で鳴いています。
 粋な伊達男のようなカラスがいるかどうか知らないが(笑)
 たしかに、桜にカラスは似合わないですね。
 大きな松の木の枝に巣をかけているのでしょう、庄内緑地公園には何羽ものカラスが生息しています。
 この公園は名城公園のノラ猫の多さに比べると、ほとんど姿を見ることはありません。
 広すぎて餌にありつけないのか、それともこのカラスの多さがノラ猫には天敵なのか・・・

 ちょっと桜の花越しに見るカラスというのもおもしろいではありませんか。

 

| | コメント (2)

休暇でも休日でもない

4月4日(月) 桜も8分咲き・・・もうあとちょっとで満開だぁぁ

Img_0002
                           新幹線ガード沿いの春・名古屋駅

 月曜日、一週間の始まりだけど、生活習慣の変わる一週間の始まりです。
 朝、いつものように起きて、いつものように。
 「べつに、一生懸命やらなくてもいいからね」と妻がいいます。
 何か気負いこんでいるように見えるのだろうかとも思うが・・・

 先日、友人のメールで「休暇でも休日でもない休みって縁遠かったですよね」と言われました。
 たしかに、長期に病気で休んだりしたこともなく、盆・暮・正月と休暇しか経験値はないので、この仕事に行かない日が続くというのは不思議な感覚です。

 女性は出産・育児休暇で1年とか2年とかの長期の休業があるし、主婦に専念する方は、まあこういう暮らしなんでしょうが。
 つまり、男性ってのは「毎日が休日」というのに、ひどく不慣れな場合が多いのだけは間違いないです。
 だから、仕事を辞めたらオートバイで旅に出るんだぁ!毎日、自由奔放の暮らしをエンジョイするのだぁ~と、そう思うのだけれど、やっぱり不慣れな暮らしは数ヶ月がいいところでしょう。

 劇的に暮らしが変わるのだ!などと思うと、大きな落とし穴に落ち込むと思うのです。
 暮らしはつくるもの。
 家事仕事はいくらでもあります。郵便局で用事を済ますこと、必要な日用品を購入すること、ああ、会社勤めを始めた娘に頼まれた「可愛い、お茶のポット」を見繕うこと・・・

 今日は、そうしたことを自転車で走り回り済ませました。
 この一年間、妻の残業続きで掃除や整理もままならなかった家の中を何とかしよう!というのが、もっかの僕の仕事です。

 「曜日感覚がなくなるよ!」と、誰かが言ってたなぁ。
 しっかりと、月間行事表をダイニングの壁に貼り、分別収集日も書き出しました。
 ははは、まるで家事の素人さんのような行動ですが、そういう「とるにたらない暮らし」を見つめて、一日々々を暮らしてゆくのも大切だと思うのです。

 そういう暮らしの中で東日本の大震災によって、見つめなおすきっかけの暮らしの在り方があるのでは。
 原発エネルギーに頼りすぎた暮らしじゃないのか、放射能汚染がもたらす影響について、省エネ・エコ環境、そういう暮らし方を問い直す、そういう学びというか勉強というか、暮らしの中で見つめて行く課題なんでしょう。

 古書店で杉本苑子の文庫本「決断のとき=歴史にみる男の岐路」(文藝春秋刊)を見つけて読み始めました。
 岐路がテンコ盛の割りには、さらっと流すNHKの大河ドラマよりもよっぽど面白い、僕はこの作家の歴史に対する真摯な描き方が好きなわけです。

 さて、明日も「休暇でも休日でもない」一日です。
 しばらくは、こういう暮らし方に楽しみながら過ごしてゆこうと思う本日なりぃ~

| | コメント (2)

2011.04.02

もう春の賑わいだなぁ

4月2日(土) レンギョウにユキヤナギに桜に・・・

Img_0006

 「昨日、今日、明日」ソフィアローレンが主役のイタリア映画です。
 子どもの頃、兄に連れられて観にいった映画だったが、まだ幼すぎて、やたらソフィアローレンの大人の色気のようなものだけが印象に残っている。
 なぜ連れられて観にいたかわからないが、マセたガキだったということか(笑)

 映画の話題はともかく、昨日、今日と庄内緑地公園に自転車を走らせました。
 ほんとうは、今日は「サイクルトレインin志摩」に行く予定だったが、東日本の大震災で、ちょっとはしゃぐ気持ちになれなくて、おまけに年度始めの忙しさもあって、2週間ほど前にキャンセルしました。

 事前に友人と相談して、サイクルトレインはいつでも行けるし、気持ちの乗らないときはやめようかと。
 その旅行代金は赤十字社を通じて東日本震災復興の義援金にしようということになりました。
 だから、いつもの庄内緑地公園で走っています。

 もう少しして五条川の桜の花の満開の頃、ゆったりと自転車で出かけようと・・・ははは、どちらもお金のかからない省エネサイクリングです。
 世の中「自粛ムード」で賛否両論ですが、僕は暮らしの中にある季節を楽しむことまで自粛することもないと思う。

 何も「花見」はバカ騒ぎばかりではないし、いつも被災地の方々が辛い思いをしていることを忘れなければいいと思うのです。
 そうすれば、やがて桜前線が北上して、東日本の地域にも桜が咲き、一日も早くこうした日本の四季を眺められるように!と心が通うわけです。

 僕は一日25キロの自転車散歩が目標です。
 健康にいいのは勿論ですが、これまでの自転車通勤の距離は退職後も維持したいと思うのです。
 自分自身の心のケアの一環でもあります。
 週に1~2冊の読書も目標です。
 とくに退職を契機に行うものでもないから、余分な力も抜けて・・・それでも目標を持った暮らしは必要でしょう。

 庄内緑地公園の春は賑やかです。
 少し早い花見のファミリーや子どもたちの声が華やいでいます。
 レンギョウの黄色い花やユキヤナギの白い花や、もうすぐ満開になる桜も、色とりどりの春の風景です。
 

| | コメント (4)

2011.04.01

4月ですねぇ~

4月1日(金) 恒例の・・・

 カレンダーを一枚めくって4月です。
 今年は震災の影響ではあるまいが、賑やかな桜の季節もまだまだ1~3分咲き。


 退職後の仕事始めは愛犬ポン太の朝の散歩からです。
 普段よりも遠くの公園までノコノコと。

 公園ではお年寄りたちのゲートボールの姿がちらほらと見受けられました。
 その公園の茂みのマーキングに勤しむ愛犬が何やら見つけたのは、親子5匹のノラ猫家族です。
 一回り以上も大きなポン太を見て、ノラ猫親子が寄ってきました。
 犬と猫との変なコラボレーションだが、ポン太の足にじゃれついて遊びはじめました。
 ポン太もいっこう嫌がる気配もないし、背中に飛び乗ったり、尻尾で遊んだり・・・
 「犬猿の仲」とは、そりが合わない言葉だが、犬猫の仲はどうなんだろう。

 そろそろ帰るか!とリードを引いても、おやまあ、猫の親子もついて来る。
 なんだか、猫の歩幅にあわせて、ポン太もゆっくりだ。
 公園から自宅までは1キロはある道程。
 途中で、なにを思ったかポン太が座り込むと、なんと、子猫4匹が背中に飛び乗って。
 まるで、ハッシドウドウ~ハイドウドウ~、まるでお馬の稽古じゃありませんか。
 わずかな違いに「上だ!下だ!」とさわいでいる人間社会に比べて、なんと種の違いを共存させる動物の自然な姿なんでしょう。
 このまま家までついてきたら、ペット家族の大所帯になるだろうな、ははは・・・。

      ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 どうも、どうもでございます・・・毎年恒例で書いてる「エイプリルフール」話でした。
 チャンチャン。
 フランスでは、たしかエイプリルフールを「4月の魚」って言うと思ったが、それにしても命の営みの優しさが心に滲みる最近ですなぁ~。

 昨日は職場の仕事も最後の日。
 「満を持して退職に望む」、なんてのとは大違いで、一日バタバタして、他の職場への挨拶もバタバタ・・・
 最後の最後まで慌ただしいが、そういうのが昔からだし、そうしてフェードアウトして行くほうが自分らしい。
 終業時間になって、みなさんからお祝いの花束をいただきました。
 僕はなぜ退職するのか?共働きで慌ただしく過ごしてきて、いつも帰りの遅いのが自分でした。
 「もう、家に居てくれてもいいんじゃない」という妻の言葉が決心させたことを伝えました。

 だから、今日4月からは、出来る限りの家事は僕の仕事なのです。
 新しい環境のなかで、人は社会的存在であることを問い直すためにも、どう暮らしたらよいか考えようと思っています。
 それは、ちょっと早い「老後(?)の暮らし方」を見つけることに繋がります。
 残業で遅く帰ってきた妻が「お疲れさまでしたね」と篭盛の花を買ってきてくれました。
 「うん、何とか退職まできたよ」と・・・やっと、退職したという実感でした。

 今日から去年とは違った暮らしの始まる四月です。
 

| | コメント (2)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »