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2010年9月

2010.09.30

栞(しおり)

9月30日(木) 秋の夜長は・・・水木しげるワールド

 旅先で自分への土産を買おうと思って探す一品は栞(しおり)。
 木彫のものや革製のもの、その土地柄のものなどいろいろある。
 けれども、長く愛着をもって使うことが出来ないのは、意外と厚みがあって機能的ではない。
 ブックカバーや本についてる紐のしおり、これは便利だけれど、ちょっと味気ない。
 そこで、もっぱら常用しているのが、ポストイット。
 これも味気ないといえばそれまでだが、記憶に留めたいページに貼っておけば、後から「?」っと読み返す。
 本棚に納められた本の上部から幾つものポストイットの頭がのぞいている。

 「栞(しおり)」が木からなる漢字で、それも意味がある。
 昔、枝を折って道しるべにしたそうだし、木を薄く切って「栞」にしていたと言う。
 たしかに、何ページもある本の道しるべというわけだ。

 午後から季節外れの遅すぎる「夏休み」をとって、秋の夜長の読書に似合う本を探してみようと思った。
 平積みされた新刊本、山積みされた話題本・・・本探しというものは宝探しに似ている。
 読書好きの人たちは、この何万冊も揃った本の山、本の森から自分の読むものをどうやって見つけ出しているんだろう。
 ネットで事前検索して買うのか、話題の本の新聞広告からか、友人に勧められてか・・・
 昔からの解けない些細な疑問でもあるが、それも千差万別といえばそうかも知れない。

 水木しげるの文庫本をいくつか買った。
 漫画本2冊にエッセイ3冊、しばらくは「水木しげるブーム」の後塵を拝するというわけだ。
 妖怪ものと歴史ものがどう結びついてるのか、そこが知りたいという思い。
 考えてみれば、以前は「妖怪漫画の第一人者」ほどの興味しかなかったし「ゲゲゲの鬼太郎」も面白いアニメほどでしかなかった。
 
 いろんな本の読み方があるが、作家にとらわれて読むことが多い。
 その作家について俄然興味が湧くのかどうかが入り口。
 ちょっと邪道なのかも知れない、「作品」よりも「作家」に焦点があたってしまうから。
 
 そういう読み方が多いのだが、何気に衝動買いしてしまう本もある。
 たとえば、今日は筑摩書房の「心洗われる話」って題名の文庫本。
 古今内外を問わず、短編小説が収録されている、つまり心洗われる話というテーマで編集された本だ。
 こういう買い方は「自己啓発本」の小説版みたいで、何となく好きになれないが、冒頭の短編小説が芥川龍之介の「蜜柑」だったので、そこから推測して、そういう短編集か?となった。
 寝る前に、ちょっと読むには最適の短編集だろう、何よりも栞のお世話になることも少ないか。

 秋の夜長は長いというから・・・ちょっと活字に更けるのも悪くない。
 

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2010.09.29

果報は寝て待て

9月29日(水) 志摩ってこーね列車「サイクルトレイン」

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                   志摩市観光協会のカレンダーより「大王崎灯台」


 昔から「果報は寝て待て」って言うけれど、待ってて果報が来たためしがない。
 焦らずに気長に待て!と言っても「諦めて気長に忘れろ」ってことの方が多いのだが・・・
 そんな、人生で忘れた頃にやって来たのが、志摩ってこーね列車「サイクルトレイン」

 募集して短期間で定員オーバーで、キャンセル待ちになっていた、近鉄の企画「サイクルトレイン」。
 「キャンセルが出ました」と連絡が入り、昨日、友人とさっそく申し込みに行ってきた。
 ほとんど、無理だろうと諦めていたので、超!超!ラッキー・カムカムである。
 まさに、寝て待っていたら果報が飛び込んできたって感じである。

 10月はこれでサイクリングのお遊びが2回もある。
 気候も自転車日和となって、スポーツの秋!読書の秋!果物の美味しい秋!と・・・
 人生を楽しむイベントの秋!って感じだなぁ~
 ただ、今回は仕事に追われて妻が一緒に行けなくて残念なんだが。
 

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2010.09.27

自然体

9月27日(月) 雨にうたれて帰宅した。

 仕事を終え、知的障害者の作業所関係の会議に出かけた。
 会議というのは、なぜかもうひとつ意気が上がらないのが近頃。
 現状が停滞していると、会議とて同じことである。
 しかし、そうそうたるメンバーが揃うと、なんだかやっぱり気おくれもするものだ。

 それでも、昔ならば「しっかり発言して、意見も出して・・・」と気負っていたが、今ではちょっとだけ自然体。
 人にはそれぞれの役割があって人それぞれ応分の仕事がある。
 自分に応じたところで、おおいに力を発揮すればいいんじゃないかと。
 ずいぶんと力が抜けたものだと思う。
 
 石川啄木の好きな歌。(もう、何度も書いている。)
 人がみな 我よりえらく見えしとき 花を買い来て 妻と親しむ
 そういう心情はとてもよく理解できるから好きな歌だ。

 障害者自立支援法の廃案が先延ばしされて、世の中のしわ寄せはいつまでも社会的弱者につきまとう。
 どこでも、将来展望に明るい兆しが見えてこないのが現状だろう。
 今は谷間の季節だなぁと思う。
 谷間からどう這い上がるのか。
 展望とモチベーション、そこが大切にしなきゃならない問題の核心ではという直感。

 会議を終えてもまだ雨が降り続いていた。
 先日買った「レインジャケット」が威力を発揮した。
 蒸れないし、雨をしっかりはじいてくれる。
 帰り道を急ぐ。
 車道を通過する自動車にしっかり水溜りのはねを飛ばされる。

 まあ、いいか。
 帰れば、ちょっと遅めの夕食と風呂が待っている。

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2010.09.26

日曜家庭料理

9月26日(日) そんなもん出来まへん!!

 「お父さん、来年退職して料理できるの?」と娘に言われる。
 出来るはずがない。
 カレーだとかそういう簡単なものは味の保障はしないが出来ても、小難しいものはとても無理だ!
 しかたがない、何十年と人様にご厄介になる暮らしをしてきたから。

 スーパーに食材の買出しに行った。
 ああ、妻は休日出勤で夕食は不要なので、娘との二人分だ。
 しかし、なんともまあ日本は何でも揃っている国だと感心するし、ある意味呆れもする。
 
 包丁もまな板もガスコンロすらない家庭もあるというが、必需品は「チン」ていう、つまりあれだ電子レンジ。
 台所用品などなくても冷蔵庫と「チン」があれば、食べることには不自由しない。
 それが食文化と言えるものかは定かでないが。
 レトルト食材に冷凍食品、いやいや、もう出来上がった料理すら売っている。
 野菜サラダだって、キャベツにニンジンに、もうそのままドレッシングをかければ出来上がりパックもある。
 
 職場の昼休み、カップラーメンにコンビニおにぎりで「昼ごはん」ってのもめずらしくなくなった。
 日本の昼休憩が短すぎるのか?2時間3時間の昼休みの国もあるというから、日本の食文化自身がレトルトパック、インスタントと言える。
 外食産業とてレトルト食材を「チン」して焼いて煮て「お待たせしました」の世界だ。
 それでも、けっこう美味い商品も増えてると思うので、働きすぎ、いや、働かされすぎの日本が生み出した技術の賜物か。
 共働きして、子育てして、家事と仕事に追われれば、冷凍、レトルト食品が「ダメだ」とは言い切れない。

 さて、そんなわけでレトルト食材を解凍して、「ああ、お父さんが作るから」と大見得を切って夕食にとりかかったものの、ふむ?何かが違う。
 順番を間違えた。
 卵を3個も使ったから、今更もう一度ってのもエコに反する!
 こうなったら仕方がない、「新しい料理さ」と言いつつ、「まあ、食べれないわけじゃないしぃ~」と。

 「お父さん、大丈夫?」
 あはは、何とかなるだろう。
 あれだけのスーパーの食品棚に陳列されたレトルト冷凍食品があれば、美味しい味の料理なんて小難しいことは、発売元の更なる商品開発にまかせて、商品の組み合わせと手順さえ間違わなければ何とかなる。

 まあ、そういうものを「庶民の夕食」と妻や娘が諦めてくれさえすればだが。
 一週間でも一ヶ月でも一年でも何とかなるものだ。 わっはっは!! 
 ・・・とは言うものの、ちょっとは考えないとなぁ~、エンゲル係数も高くなるしぃ。

 

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2010.09.25

言葉のスケッチ・・・秋の日

9月25日(土) まあ、自己満足の日記ってことで

 陽だまりが恋しい季節にむけて庭の樹の枝払いを早々に済ませ、こんな秋晴れの日はやっぱり自転車散歩に限る。
 自転車健康法じゃあるまいが、一日20キロほどは乗らないと気がすまない・・・って、これはもはや依存症か?

 青空が広がっている。秋は空が高く澄み渡っている。
 西の鈴鹿山脈からぐるりと一望すると、南に名古屋市街の高層ビルが建ち並び、東には三国連峰が見渡せる。
 空気が澄んだ庄内川の堤防は恰好のパノラマだと思う。

 秋の空が高いというが、高いのは雲も同じ。
 じっと停まって見ていると雲の動きもはやい。
 もしも雲ひとつ浮かんでなかったら、ただ青い空だけが海原のように見えるのだろう。
 なんだか、それも味気ない。
 だいいち、雨も降らないではないか。

 彼岸花が咲いてる頃だろう。
 案の定、取り壊された民家の石垣に遠目でもわかる赤い花が咲いていた。
 もう必要でなくなった古ぼけた石垣、こんなに似合う彼岸花。
 その艶やかな赤い色合いとは正反対の淋しい花だと思うのは、その昔の記憶がもたらす心象風景だからか。

 この時季はコスモスもきれいに咲いてるはずだが、サイクリングロード脇のいつものコスモス畑は今年はもう一つ元気がない。
 コスモスは細い茎の先にピンクや白の優しい花をつけ、気候の変化に強いはずがなぜだろう。
 傍らの過ぎ去った夏の名残のようにしおれたヒマワリが、いっそう秋を感じさせる。

 コンクリートの橋の裏手で初老のおじさんがカメラを構えていた。
 ここは、毎年見事な彼岸花が咲いて被写体にはもってこいだ。 
 「まだまだ、咲きますよねえ?」と話しかけてみる。
 「この庄内緑地公園の雰囲気を撮りたいんですよ」と返って来る。
 秋晴れの空は、見知らぬ人への挨拶も軽やかな言葉をさそってくれる。

 半そでシャツも木陰に入るとヒンヤリするほどだ。
 この先、季節が深まればもっともっと日差しが恋しくなるに違いない。
 空いてるベンチに腰掛けテーブルにバックと水筒とヘルメットを置いて、文庫本を取り出す。
 めずらしく漫画本、水木しげるの「劇画ヒットラー」

 妖怪漫画が流行の水木しげる本の中で、ちょっと面白い。
 まだまだ緑の多い木立の中で読むドイツ・ファシズムの歴史。
 この平和な光景の中で繰広げられる劇画本の中の第二次世界大戦。

 木立に囲まれた青い空を白い雲が北から南へと流れてゆく。
 何でもない空の風景画のようだ。
 一人でいても飽きないし淋しさもない。
 しばらくすると、自転車に乗った若い女性がやってきて読書を始めた。
 ああ、こんな澄み切った青空の下で読書する心地よさを、この人も・・・

 【秋の日のスナップ】
 ごくごく普通のそこらにころがっている風景、何でもない風景もいいものだ。


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 瓦の向こう、遠くに鈴鹿の山並みが連なっている、庄内川の堤防

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 彼岸花はひっそりと咲いてるのが似合う

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 こうして枯れたひまわりを撮って何になる?季節の名残。

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 ちょっと目を離すと、この青空のキャンパスから消えてしまう雲なんだなぁ

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 コスモスが似合うのは平和で穏やかなファミリーの休日風景


 
 
 

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2010.09.24

暑さ寒さも彼岸まで

9月24日 自転車レインジャケットが届く

 昨日は秋分の日、「暑さ寒さも彼岸まで」というが、文字どうり秋分の日を境にして急に肌寒くなった。 
 今朝は天気も曇って、よけいに肌寒いくらいだった。
 自転車通勤は汗をかくので、このへんが微妙に悩むところだ。
 一枚多くすれば汗をかく、一枚少なければちょっと寒い。
 まあ、そういう気候を楽しめるのも自転車通勤の醍醐味なんだけれど・・・
 「わかるかなぁ~わかんねえだろうなぁ~」などと、あの一世を風靡した「松鶴家千とせ」風のギャグを言ってみる。
 
 小雨がパラパラ、降るのでもなく降らないわけでもない天気の一日。
 昨日、自転車用にとネットで注文しておいたPremierの「レインジャケット」が届いた。
 自転車専用の「透湿防水素材」というだけあって着心地充分、背中の丈がちょっと長いのもいい。
 これを、クルクルと小さく丸めて、工具袋に詰め込んで、自転車のボトルゲージに取り付ける。
 急な雨はこれで準備ばんたんというわけだ。(写真のようなもの)

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 雨だけじゃなくて、防風ジャケット代わりにもなるから、夜も暗くなった帰り道にさっそく着用してみた。
 あの、コンビニで売っている透明な塩ビ製のレインコートとはやっぱり違う。
 自転車通勤は何事も準備が全てである。
 「備え有れば憂いなし」、盗難に遭って悔しいが、おかげで「災い転じて福となす」
 つまり、これ「塞翁が馬」というわけで、こんな話。

 その昔、老翁の馬がいなくなって村人は気の毒がったが、老翁は「なにそのうち良いこともあろう」と言うと、そのいなくなった馬が数ヵ月後に駿馬を連れて戻ってきた。
 それを村人が喜ぶと「なに、そのうちまた悪いことが起こるさ」というと、駿馬に乗った老翁の息子が落馬して怪我をしてしまった。
 村人が見舞いに行くと「なに、そのうちまた良いこともあるさ」と、するとその後戦争が起こり、多くの若者が死んでしまったが、老翁の息子は足の怪我のために徴兵を免れて助かった・・・【ことわざ辞典より】

 というわけで、まあ簡易雨具を盗まれてしまったが、そのおかげで、またお気に入りの自転車アイテムを探す楽しみと、愛着が生まれたというわけだ。
 もちろん、今度はしっかりとワーヤーと錠前で盗難防止に努めているのだが。
 

 

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2010.09.23

笑って許せない社会

9月23日(木) 凄まじい雷鳴でポン太がちびる

 凄まじい雷鳴だった気がする。
 そう、たっぷりと睡眠をとっていたので、あれは何時ごろか?
 爆撃のような音で多少は目が覚めたものの、「ああ雷か!」と気にもとめずに寝入っていた本日。
 雷の嫌いな愛犬ポン太は落雷にビビッて、お漏らし・・・
 気が小さいというか怖がりというか、玄関中が匂っているから、やれやれ。
 というわけで、玄関を掃除し、ポン太のシャンプーもしたが、このシャンプー嫌いの犬の抵抗の激しさときたら、おかげで、手足が引っ掻き傷だらけだ。
 まあ、それもこの愛犬ポン太の習性だから、笑って許している。

 「切れる高齢者」が増えているという。
 退職して社会との関わりも少なくなった世代、お年寄りの中で、些細な事にもカッとなり感情を抑え切れない人が増えているらしい。
 老後への不安が背景にあるのか、戦後の高度経済成長の中で「仕事」中心で生きてきて、暮らしに正面から向かい合ってこなかった結果の「いらだち」か。
 「戦争という悲惨と耐久の経験値がない、戦後世代の高齢者が増えてるからよ」というのは職場のある方の意見。
 「このまま時代が過ぎてゆけば、アメリカ型の訴訟社会となってゆくでしょうね」とも言う。

 テレビの番組でクレームに対処する会社を取り上げた番組を放送していた。
 飲食店のクレームを根絶するために奔走する担当者のドキュメンタリー番組だった。
 「接客態度が悪い」「注文してから何時間も待たされた」などから、クレーマーとなって金品を要求する客まで、まことに多様なクレーム対応である。
 そんな中で、60代の(高齢者)のクレームと男性ばかりか女性のクレームが増えているという言葉が気になった。

 ここにも「切れる高齢者」がいる。
 血の気の多いのは若者の特徴、歳を重ねて社会の第一線から卒業したお年寄りと言われる世代は、丸くなり穏やかに対処する術を身につけた世代・・・という、日本社会の昔からの「高齢者」の概念が、どうやら崩れ始めているようだ。
 
 自己主張も相手があって成り立つもの。
 「間違ってるじゃないか!」と怒りだして怒鳴っても、やっぱり相手があるわけで、コミュニケーションをとって解決するという姿勢とはちょっと違う。
 利害関係を軸にした人間関係、そこからつきつめると、たしかに訴訟社会が生まれてくる。
 「笑って許せる社会」からだんだんと遠ざかって行くような気がする。
 笑って許せないこともあるものだが、世の中の大部分は話しあって相互理解すれば済むことが多いはずだ。
 余裕のなくなった社会だと思う。

 そんなことを番組を見ながら妻と喋っていたら、娘が。
 「あのね、うちの家族はそういう考え方かも知れないが、友だちのお父さんなんか店に入って注文して、5分たっても出てこなかったら、店を出て行くんだよ・・・」と。
 まるで、そんなに甘いことでどうするの!と言わんばかりだ。

 ははは、たしかに甘い、甘いかも知れないが「多少のミス、少しの間違い、出来の悪い従業員・・・」
 そんなのは、優しく諭せば済む問題だと思う。
 世の中「クレームゼロ」の社会を想像すると、息がつまりそうだ。
 クレームをつけられるようなことはあって当たり前、クレーム方法が問題というだけ。
 あらゆるものに完璧を求め、付加価値の高いものを求め、少しのミスをも許さない社会が、どれほどのクレーマーを生み出し、ストレス社会を生み出し、鬱的社会を生み出していることか。

 ラーメンの器に髪の毛が一本入っていたら、「何じゃコリャー!」と即座に文句を言う。
 料金に見合った商品、清潔感のある商品を要求するのは間違っていない・・・
 けれど、自分だったら「もうちょっと清潔にしないとお客来なくなるよ」と思いつつ、髪の毛を取り出してそのまま食べてしまう。
 子どもが床に落としたおかずを「はい、3秒以内だったら大丈夫、フーフーしたら食べれるよ」と言って食べさせるという話を聞いた。
 「3秒ルールだそうだ」・・・これだと思う。
 
 何をそんなにイライラしなければいけないんだろう。
 「笑って許せる社会」が消えてしまうと、人は完璧を求め、間違いも認められず、自己主張ばかりが膨らむ社会になってしまうような気がする。
 太っ腹な人生を歩みたいものだ、たかが髪の毛一本入っていようと人は死にはしないのだ!
 

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2010.09.21

がっはっは!!

9月21日(火) ペナント優勝にぐっと近づいた中日ドラゴンズ! がっはっは~と高笑い

 中日ドラゴンズのファンと自認する割には日記もときどきなので今日は高笑い記事。
 それにしても、名古屋の中日ファンは佳境に入っている。
 久しぶりのセ・リーグ優勝が目前に迫って、熱い、熱い!(CSシリーズがあるが、もう優勝したような気分)

 ただ、年々職場でもプロ野球の話題が減っているのは、いろんなスポーツ中継が茶の間、いやリビングのテレビで放送されるいようになって、かってのようなプロ野球観戦人口そのものが減少しているからか。
 以前のONに代表された超ヒーローが今は不在だからか、活躍する選手が米大リーグに移籍してしまうからなのか。
 
 まあ、そうではあっても、中日ドラゴンズの投手力を背景にした戦いが、セ・リーグのイチバンになるのももうすぐ。
 巨人の重量打線も阪神の破壊力のある打線も、中日投手陣に対しては、虎も猫になり、巨人も凡人になる。
 そんな今日の中日×阪神戦だった。
 
 昨日のヤクルト戦はもどかしいの一言、一夜明けて、がっはっは!!
 勝てば官軍がプロ野球ファンの心情だと思う。

 今年の秋は中日新聞社から名古屋駅、栄町の中日ビルまで、優勝パレードが見られそうだ。
 あの巨人のV9を阻止して優勝したときから、職場を休んででも優勝パレードを欠かさず観にいっている。(前回だけは行けなかったが・・・)
 だから、今年はやっぱり休暇をとってでも観に行く腹積もり。

 無邪気に単純に子どものように喜んで、オラが地域の中日ドラゴンズってわけだ。

 というわけで「燃えよドラゴンズ♪」なのだぁぁぁ
">
 
 2009年のナゴヤドーム・球場合唱編の「燃えよドラゴンズ」
 この歌元気がでる歌だと、ファンは皆そう思ってるわけなのだなぁ。
 
 ♪遠い夜空にこだまする 竜の叫びを耳にして 
 ♪ナゴヤドームにつめかけた 僕らをじぃ~んとしびれさす~ 

 あはは、ここまで言い切れば 満足!満足!ファン冥利に尽きるなぁ~

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2010.09.20

案山子も立って

9月20日(月) 心の健康のバロメーター

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 この季節、また今年も小学生たちの作った案山子が近所の田んぼに立った。
 力作だと思っている。
 スズメやカラスの稲穂を狙う鳥たちから、自分たちの田んぼを守ろうとする気概が込められてると思うんだなぁ。
 不要のCDをいっぱいぶら下げて、とにかく賑やかな案山子になっている。
 これが鳥たちに功を奏するのかは問題外、「とにかく鳥は近づくな!」ってそんな気持ちがこもっているから、毎年、今年の案山子はどんな出来かな?と愉しみな都市農業の風物詩。

 「案山子」って何で「案山子」なのか。
 そういう「何で」って疑問になると調べてみたくなるものだ。
 「何で」と思ったら、やっぱり何でそう呼ばれるのか、健康な暇人の疑問でもある。
 どうも、その昔鳥獣を追い払うのに、動物の毛や肉を焼いて、その悪臭で追い払ったというらしい。
 「嗅がし」が案山子の語源だそうだ。

 なるほど、今じゃそんなことをしたら都市環境美化条例違反(だったかなぁ)となる。
 キラキラと反射テープが張りめぐらされ、愛犬ポン太もときおり通る自動車のヘッドライトにキラっと光ると、恐くて近づけない。
 犬の目からすると案山子も反射テープも、なにやら恐ろしげに見える様だ。
 すると「功を奏するか?」などと書いたが、案外威力を発揮してるかも知れない。

 などと、とりたててめずらしくもない話題を書いてる日記である。
 ときどき空白の日もあるが、日々何かの話題を書こうと努めている。
 長く書いていると膨大な文章の足跡だけは残るが、果たしてどれほどのキラっと輝くものがあるのか疑わしい。
 ある意味、もはや習慣である。

 なんだか可笑しな文章だなぁ~とペロリと舌をだして、まあいいか、それも自分。
 とりとめもない膨大な文章を書いていると、無理してるなぁと思う日や下手な文章だなぁと思うことも多々ある。
 まあ、そういうものも含めて、書き続けることで知る心の健康のバロメーターってわけだ。

 今日は「案山子の話題」。
 いつもコメントをいただいてる間宮さんの「マミケンの部屋」に、楽しい案山子がたくさん紹介されています。
 案山子も時代を反映していろんなものがあり、作り手の意気込みが感じられてとても面白い。
  

 

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2010.09.19

蓮池の亀

9月19日(日) 湯~湯~自転車ポタリング

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 或る日の事でございます。
 お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。

 ・・・と始まるのは、教科書にも載っている芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の始まりの一節。
 いや、今でも教科書に載ってるかどうか怪しいが。

 ここは愛知県津島市の津島神社そばの天王川公園の蓮池。
 自宅から20キロほど離れた公園で、とりたててどうという公園でもないが、蓮の葉と花が咲いていた。
 お釈迦様と同じように、ちょっと池にかかる橋からのぞいてみると、たくさんの亀がいる。
 この池の下によもや地獄が広がっているとまでは想像できないが、亀社会があってときおり落ちこぼれた亀がお釈迦様の救いを求めて顔をだしているのだろうかと、人間社会を模倣して考えてしまう。

 それで、何でこんな場所にいるのかというと、休日は家で「のんびりしたい」という妻をだまして、いや「リフレッシュ!」と言いつつ、津島市にある日帰り温泉自転車ポダリングに誘ったわけだ。
 連休ともなれば、風光明媚な観光地に出かける人も多いだろうが、日頃の疲れをそれほど遠距離でもない公園と温泉をめざして、気分転換も悪くは無いと思う。

 まあ、自転車と日帰り温泉というコラボレーションってところが八丁味噌、じゃなくて味噌だと思ってるが・・・
 名古屋から通称「佐屋街道」を走って、と言っても、ここは交通量が多く、車道も狭い。
 どうしても、歩道も走らなきゃならないので、凸凹路面は尻に来る。
 「お尻が痛い」
 細身のタイヤにパンパンに空気をいれて、振動は尻の肉に突き刺さる。

 湯~湯~のんびり日帰り温泉自転車散歩と洒落込んだつもりが、交通量と狭い道路に神経も使う。
 この数ヶ月休暇どころでなかった妻は、久しぶりの自転車。
 恰好は一応それらしくなってきたが、なんともいやはや、スピードが出ない。
 ほとんど、ママチャリ速度でエンヤコラ・・・付き合う自分もエンヤコラ。
 ゆっくり走るのも嫌いではないが、あまりにも遅い、ママチャリにも抜かされる、尻も痛くなる・・・

 気分は長距離自転車ポタリングってところで、やっと目的の「日帰り温泉」に到着。
 のんびりと昼間から露天風呂に浸かり、ジェット水流バスで筋肉をほぐし、その後は休憩室でウトウト。
 あ~極楽じゃ!

 そういえば、極楽の蓮池のふちで御歩きになっていたお釈迦様ではないが、池をのぞき込んでいた妻が「あれぇ、亀って平泳ぎのように手足を動かすんじゃないのね」と。
 亀の泳ぎはバタバタなのだ、もっとも怪獣ガメラは手足を引っ込めて、空を泳いでというか飛んでたが。

 実に堅実で安上がりで節約したエコの見本のような休日だった。
 亀のようにゆったりと過ぎた一日。
 こういう連休の過ごし方も、自宅でゴロゴロしているよりは、ちょっとは気分転換になったかも。

 

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2010.09.18

野鳥

9月18日(土) 野鳥と戯れる9月かな

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 週末の自転車散歩。
 今日はあまり見かけなかったが庄内緑地公園は、野鳥観察のカメラマンも多い。
 カメラ本体の何倍も大きなレンズをつけたカメラマンを見ると、その意気込みの凄さを感じる。
 「趣味の世界」ってものは奥が深いし、その奥の奥はもう無限大なんだろう。
 楽しいと思うことをやる。
 楽しいと思うことが多ければ多いほど、人生は楽しく生きられる。
 けれども、何が楽しいのかわからない人もいる。

 「趣味」って、学ぶことじゃないと思うんだがなぁ。
 学んで極めようと思う「趣味」はもはや学問だと思う。
 楽しくない学問はつまらない、たとえ学んで素晴らしいものが出来たとしても、楽しくなければ「それなり」のものだと思う。
 人よりちょっと優秀、人よりちょっと素晴らしいと評価される。

 楽しいかどうかは、自分が決めるものだ。
 だから、自分は無理して背伸びして何かをしようと思わない。
 家事や仕事や、そうそうあまり関係ないがダイエットだって同じ、避けたいなぁと思うことでも楽しく出来るならばOK、どんなに努力しても、そう思えないことは、さっさと諦める・・・そんなところだなぁ。
 楽しいと思うことだけをやりたいと思うこのごろだ。

 細い枝に野鳥がとまっていた。
 風が吹くと枝も揺れるが、実に巧みに体をキープしている。
 「むくどり」だと思う。
 この季節に市街地や野原にその姿を見せるという。
 
 野山の野鳥とはちょっと違うのだろうか人慣れしているのか。
 近づいても逃げない。
 チョンチョンと枝を渡りながら、毛づくろいと、なにやら遠くを見渡している。
 もう10分以上この枝から離れようとしないから、傍らのベンチに座っている自分も、意地でも走り出せない。
 「おまえが飛んだら、自分も走り出そう」
 
 むくどりとの戯れだと思っている。
 けれど、むくどりの方は「そんなの、あっしには関係ござんせん」ってところだ。
 暑い夏がひと区切りついて、秋らしい爽快感がいっぱいの庄内緑地公園だ。
 ああ、野鳥の名前なんてよく分らないから、撮った写真と鳥図鑑を見比べて「むくどり」だろうと。
 「そんな勉強嫌いで、鳥の名前も知らない奴に、もう付き合えるか!」と、どこかへ飛んでいった。

 人間に媚びない無垢な「むくどり」だってことか。

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2010.09.15

9月の雨

9月15日(水) 元気であること!

 今日から「老人週間」が始まる。
 老人福祉法による「高齢者」の年齢は65歳からだが、平均年齢が80歳を超えた現在、はたして65歳を「老人」と言えるのだろうか?
 「老人」という言葉はなんとなく好きになれない。
 「老い」ばかりが強調されて、高齢者が社会を支えてきた!という事実がどこかに飛んで行ってしまったような現代、「長く生きてること」の凄さが、立派さが、もっと理解されてもいいと思うのだが。

 帰り道、ちょっと雨の心配もあるかと思っていたら、案の定、突然のスコールのような豪雨。
 自転車に常備しているはずの簡易雨具は盗られてない。
 スーパーの軒下を借りて、大雨の通り過ぎるのを待った。

 トタンの屋根が雨音で凄まじい大音響、車のヘッドライトに映し出された雨のどしゃぶり!!
 一歩というか、一回転もペダルを踏み出せない状況。
 道の向こうには「とんちゃん」と書かれた居酒屋の「のれん」がかけられている。
 何をすることもなく、天を見上げ、ひたすら雨が上がるのを待った30分。

 無駄な時間?
 以前ならば、なんともまあ無駄な時間を過ごす羽目になったものだと思うだろうが、今では「何もしない」で、ただ空を眺めて、道路に飛び散る雨水のくり返しを見ていることが苦にならない。
 無駄なようで無駄ではない時間だった。
 雨音のシンフォニー、ヘッドライトに映る雨の軌跡、客の来ない居酒屋の孤独な「のれん」・・・
 なんだか、絵になる9月の雨だと思った。

 長く闘病生活を続けていた友人が職場復帰が決まったと事務所に顔をだしてくれた。
 職場復帰!!なんだか言葉にできぬほど嬉しい。
 たくさんの困難をかかえながら、病気に負けずに、また仕事に復帰できる頑張りには、「よかったね」という労いよりも、もう敬服に値する。

 職場復帰するまで待ってるからと言っておきながら、自分のほうが職場を卒業することになって、う~ん、約束を守れなくなったからなぁと気になってたから、余計に嬉しい。
 まだ、病気と闘いながらの職場復帰だという。
 辛く苦しい道を、それでも一生懸命歩いている姿は、自分もまわりの友人たちも、彼女に「頑張れよ」という以上に、自分たちが彼女に励まされていることを知っている。

 「頑張れよ!」 いや違う。
 それぞれの人生って道を「一緒に頑張って行こう!」そう思うのだ。
 いやぁ~、あの輝くような笑顔に会えたのは、今日の何ものにも代え難い最高の出来事だった。

 

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2010.09.14

自転車泥棒・その後

9月14日(火) 手作り盗難警報装置

 帰宅して家中の窓を全開する。
 やっと秋らしくなった涼風が、日中に暖まった部屋の空気を押し流してくれる。
 やたらと窓の多い家にしたのは、この部屋を流れる風が欲しいためだった。
 それにしても、最近は窓の少ない家が目立つ、あっても、ごくごく小さな窓。
 窓を多くとる、外の光と風をたくさん取り込む・・・家の条件だと思うのだがなぁ~。

 先日、通勤用のロードバイクの取り付け部品の盗難の話を書いた。
 そのとき、なぜかサドルに取り付けたバックだけは盗られなかった。
 数日たった昨日、自転車置き場に行ったら、サドルバックが外されている・・・泥棒!!
 そこは、盗難のあとでワイヤーと鍵で固定していたので、外したものの盗るのは諦めたようだ。
 う~ん、なんともはやしつこい自転車泥棒だ(未遂だったが)
 
 職場の上司に報告して、「自転車泥棒注意!」の喚起をお願いした。
 それでお終いにしたらおもしろくない・・・と、思うのが泥棒以上にしつこい自分だ。
 たしかに、自転車置き場の自転車たちはママチャリが多い。
 白とブルーのロードバイクは目立っている。
 「あはは、一休みさんの自転車なら、僕でも欲しいと思うよ」とは職場の同僚の言葉。
 
 カッコ良い自転車、高級な自転車が好きなわけではない。
 乗りやすさ、疲れない、安全に安心して、そういう気持ちが、サドルを変えたり、付属品を付けたりしているだけなのだが。

 「しつこさ」も泥棒以上になれば、この不逞の輩も諦めるだろうと。
 手作りの防犯警報装置を作ってみた。
 100円ショップで「ひったくり防止用」の警報音ブザーを購入した、あのヒモを引っ張って安全装置が外れると「ピィ~~」って鳴るやつだ。
 不逞の輩は自転車本体ではなくて付属部品を狙う馬鹿者だから、この警報装置を自転車のボトルゲージに取り付けてみた。
 もちろん、ボトルにはサッポロ生缶ビールを、付属品それらしく装飾してだ。
 ゴキブリホイホイ的警報音装置だと思う(笑)

 これを盗って、ピンポンダッシュよろしく逃げれば「ピィィ~~」って駐車場中に鳴り響くはず。
 警告にはなると思うし、そういう「しつこい持ち主」もいると肝に銘じて、二度と馬鹿な真似をしなくなればいい。
 と思っている。

 「ねぇねぇ、警報装置は鳴った?」と、お気楽な妻が喜んでいる。(喜んじゃだめだ)
 残念ながらというわけじゃあるまいが、幸いにも本日はとくに異常なし。
 万引きもそうであるが、自転車泥棒も「罪の意識」が低いから、再犯率も高い。
 自転車の価値を見直して、自転車ライフを復権すべし!!というポリシーがあるから、まあ自転車犯罪には意地もある。
 ・・・と言えば聞こえも良いが、本当はそんな立派なものでもない。

 子どもの頃から、こういう工作物が大好きだっただけである。
 だから、夏休みの宿題なんて、読書感想文とか日記は嫌いだったが、「夏休み工作」だけは大好き。
 そういう嗜好が大人になってもやめられまへんなぁ~ってわけで、俄然楽しくなる。

 鍵だけじゃなくて、簡易な自転車盗難防止装置がもっと商品化されればいいと思うが、その前に「盗られて悔しいが、また買えばいいか!安い自転車売ってるから」こういう自転車の販売環境と意識が問題だ。
 
 転んでもタダで起きない!嫌なことでも楽しんでみよう!ってことかな(笑)
 

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2010.09.13

小麦色

9月12日(日) 健康美というイメージ

 風呂上りに、プファァ~と缶ビールを流し込み、まだまだ暑さが続く9月の中旬。
 いつまで続くやらと言いつつ、鏡の前に立つとしっかりと夏の名残の焼けた肌である。
 上腕から先と太腿から下がお腹の白さと対比して、しっかり浅黒い、というか小麦色。

 今年の夏は例年以上に、炎天下を自転車で走ったから、重ね焼をしたようなものだ。
 この歳になって「小麦色」もないが、世はまさに美白時代。
 日焼けはお肌の敵だし、紫外線も昔よりも強くなって、シミやソバカスや皮膚がんの心配もある。

 夏の健康的なイメージといえば「小麦色の肌」だと思っていたのが我々の時代だ。
 カネボウのキャンペーンガールだった、夏目雅子の健康的な小麦色の水着姿に、目を釘付けにされた時代もあった。
 まさに、日焼け=健康的という図式がインプットされた脳細胞は、紫外線の恐さを理屈の上では分っていても、「美白」の美しさ以上に、「健康美」という魔法を解くのは容易ではない。

 だから、小麦色の肌の健康美そのものだった夏目雅子が、大女優になって活躍しても、やっぱり、あの小麦色の健康美のイメージがどこかにあって、「急性骨髄性白血病」で闘病生活を送っていた彼女が27歳の若さで亡くなったのは、とてもショックだったわけだ。
 
 よく焼けた夏。
 健康のことを考えると、誰も「小麦色」に焼けた肌がけっして良いとは言わない。
 日焼け止めのクリームを塗って、日焼け防止のカバーや手袋をはめて、白く健康的な美しさを保とうとするのが、世の女性たちである。
 「小麦色」と「美白」、時代を区分する象徴的な「健康美」と言える気がする。

 けれども、夏目雅子に代表される「小麦色の健康美」というイメージはなかなか払拭できないのが、おじさんたちの世代なのかも知れない。
 まあ、コギャルってのもあったが、あれは不健康の象徴。

 癌治療のために闘病生活で抜け毛に悩む患者さんにカツラを無償提供する「夏目雅子ひまわり基金」があることも知りました。
 夏目雅子さんの遺志だそうです。
  
 

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2010.09.11

ネジ一本

9月11日(土) こだわる楽しみってことで・・・

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 自転車のスタンドのネジが一本ダメになった。
 道具箱の中を探してみたが、「帯びに短し襷に長し」で代替ネジがちょっと不服。
 ネジ一本をあちこちのホームセンターで探したが、どうも気に入らない。
 それで、週末の今日は、ネジ一本を買いに名古屋駅の東急ハンズに出かけた。
 こういう、こだわり方は「ワイルドじゃねぇな~」と思いつつ、まあいいか。

 自宅から自転車で15分足らずの名古屋駅。
 相変わらず「人ごみ」で賑やかしい。
 「人込み」と書くのか「人混み」と書くのか「人ゴミ」と書くのか・・・
 ははは、気分しだいで、どれも当てはまる。

 こういう、人だかりの多い場所は嫌いだと言う人もいる。
 毎日、満員の通勤地獄に苦しんでる人は、やっぱり嫌いだろう。
 自分は、そうでもない。
 人の少ない静かで落ち着いた場所は好きだし、自然の風景には観光客は邪魔なものだと思う。
 そういう場所もいいものだが、時にはゴチャゴチャと人がふぞろいに溢れる場所もいい。

 今日の名古屋駅の中央コースは、それでも、いつもより人通りが少ない。
 写真よりももっともっと人で溢れているのがいつもの週末だが。
 駅の表側に設置してあるのが「金時計」、新幹線側にあるのが「銀時計」と最近は言うのだそうだ。
 ・・・と、職場の若者が教えてくれた。へぇ~そうなんだ!知らなかった。

 人で溢れる街のようすを「喧騒」とか「雑踏」とか表現するが、たしかにザワザワと雑然として、人の声が何やら「ざわめき」のように聞こえる。
 一人々々は確かに何かを話してるけれど、それが不規則な声の集合となると、ほとんど人の声には思えない。
 待ち合わせる人もいれば、遠くの町から来た観光客もいる。
 これほど大勢の人が集まっても、誰も知らない無関係な人の波というのが面白い。
 
 こういう、光景を見ながら、輝くような笑顔や、沈うつな表情や、不安げな顔、意気揚々と歩く姿・・・
 それらが、みんな人が暮らすエネルギーのように感じられるから、こういう場所も嫌いではない。
 一日、この駅のコースで行き交う人びとを観察していても飽きないなぁ~と思うけれど、まあ、そこまで暇人でもない。
 (いや、暇になったら案外、そんなことをしてるかも!)

 目当てのネジ一本を買った。
 たかだか、ネジ一本のために名古屋駅に来る奴も、そうそういないだろう。
 そういう自分も、無関係に行き交う人たちの一人として、この中に紛れ込んでいることが、なんとなく可笑しく思えるのだな。

 明日は、早起きできたら、久しぶりの休日となった妻と庄内緑地公園に自転車散歩する約束だが・・・おっと、こんな夜中だから、起きれるか?
 寝る。
 

 

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2010.09.09

自転車の季節がやってくる・・・

9月9日(木) 他愛も無いハシャギだなぁ

 朝晩の気温が一挙に下がって涼しくなった。
 30度ちかくあった気温が26度ほどに下がった朝晩だが、日中は相変わらず暑い。
 それでも、自転車通勤していると、体感的に数日前と格段に違うわけだ。
 汗のかきかた、ちょっと下がった空気の塊と肌に受ける風の爽快感。

 歩いていても、それは感じるだろうが、4~50分も自転車で走って感じる気候は、体に敏感に伝わってくる。
 体感的「秋の気配」というわけだ。
 このまま、過ごしやすい季節に突入すれば、「自転車の季節」がやってくる。

 たしかに、今は「自転車のブーム」なんだなぁ。
 そろそろ、通勤自転車も増えてくる。
 今はまだ学生さんの通学自転車が多いが、これから通勤ロードバイクやマウンテンバイクや・・・増えてくるだろう。
 春と秋に増える自転車通勤。
 ときどき思うのは、夏と冬の厳しい季節も乗ってこその自転車の楽しさなんだがなぁ~と。
 
 10月に自転車サイクリングを予定している。
 第一週は静岡県の焼津から富士山を眺めながら駿河湾を走る職場の友人たちとのサイクリング。
 以前このコースは小雨にたたられて、三保の松原でほんの僅かに、富士山が見えただけだったから、再チャレンジってところだ。
 快晴の秋の日に富士をな眺めながら、駿河湾沿いを走る自転車軍団を見たら・・・それは私らです。(笑)

 それで、その翌週はサイクルトレインで三重県の賢島まで行き、大王崎灯台をめざす、例の「志摩サイクルトレインの旅」。
 で、昨日職場の友人と申し込みに行ったら、な・な・なんと締め切り一ヶ月前というのに、定員に達してると言う~じゃありませんか。
 あっという間に申し込みが殺到して、定員に達したらしい。
 余裕でいたのが不覚だった。
 しかたなく、キャンセル待ちの申し込みをしたものの、果たしてどうなるか。

 やっぱし、自転車ブームという現実をこんなところでも実感する。
 残念だけれど、まぁ自分には庄内緑地公園という、ホームグラウンドがあるからいいか??
 と負け惜しみを言いつつ、え~と、キャンセルされる方がみえたら、ぜひぜひ、お譲り下さいと哀願、懇願、平身低頭なんだなぁ(笑)
 
 壊れたので注文していた新しい冷蔵庫が届いた。
 観音開きのちょっと大きめ、製氷庫もついて、野菜室もあって、なんだか広い。

 三種の神器の一つであった「昭和」を象徴する「冷蔵庫」いや「電気冷蔵庫」と言うほうが似合っている。
 子どものようにハシャいで、開けたり閉めたり・・・、ほほぉ~扉にもいっぱいパック牛乳が入るじゃん。
 と、嬉々として喜ぶ姿は、なんだか自分でも可笑しい。
 「セレブ」とか「リッチ」とか、そういう姿とはかけ離れた、新しい「冷蔵庫」に嬉しがる小市民な我を感じてしまう。

 子育ても終わり、子どもたちが独立しようとするこの先、ちょっと大きめの冷蔵庫なんて必要あるのか?とも思うが、世はまさに食品冷凍、レトルト全盛、冷凍して「チン」する文化だから、いいのかも知れない。
 いやはや、こういう食品文化には欠かせない冷蔵庫といえる。

 開けたり閉めたり・・・「何楽しんでるのよ!!」そんな声が聞こえる冷蔵庫事情ってわけだ。
 つまらぬ話で、あのねのね!なんだなぁ。
 

 

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2010.09.07

予期せぬ出来事

9月7日(火) 外気温30度を超えてる!!

 9月に入って一週間が経つというのに名古屋は暑い。
 夜の11時をまわっても、まだ30度を下回らないようだ。
 名古屋には、もう一つ熱くなる理由もある、中日×阪神のプロ野球首位攻防戦!
 まあ、完封負けしてしまったが、寒風ならば少しは暑さもやわらぐものだ・・・とオヤジギャグを飛ばして、これも少しは気温を下げる効果があっただろうか(笑)

 職場の冷房機械が故障して、仕事場は猛暑だった。
 車で「出張」の仕事が入っていたから、「カーエアコン」を効かせ猛暑脱出した、申し訳ないなぁ。
 修理に日数がかかるらしいから、復旧するのはちょっと涼しくなった頃のようだ。
 予期せぬ事態というのは、こんな風に微妙なズレを伴うってことだろうか。

 想定外といえば、阪神戦の初戦はチェン投手で〇星間違いないと思ってたら、打線がカラ回り。
 お寒いドラゴンズ打線だが、まだまだ熱い名古屋が続きそうだ!
 
 で、もう一つ。
 15年ほど使っていた我が家の冷蔵庫もオーバーヒート。
 ここ数日、冷えが弱いと思ってたら、どんどんおかしくなって、もう冷蔵庫とは言えない状態になった。
 アイスクリームが溶けて、バターも液状化現象となって、かろうじて部屋の空気よりは冷たい程度になった。
 そろそろ寿命かな?と思うが、一年365日休みなく働き続けて、冷やさなくて良い常温保存の食品まで、冷気に包んでくれる働き者というわけだ。
 冷蔵庫が食品庫になっちまった現状への警鐘なのかも知れない。
 あ~ぁ、予期せぬ出来事だわい。

 そんなわけで、なんだか、この異常気象のような9月の暑さに、人間もぼ~っとなって、家電製品もぼ~っとなって、なにやら可笑しな日々である。
 いっそのこと、各家庭で井戸を掘り、昔ながらの手動ポンプで冷たい地下水を汲み上げて、豆腐やスイカや、冷たいザルソバなんかを食べてみたい!
 こういう話題を9月にするのも変だが、最近の地下水なんて水銀や環境ホルモンや有害物質がいっぱい含まれる都市部の井戸水だろう。
 環境汚染は元に戻るのに何十倍もの年月を要するってことだなぁ。

 それにしても気温が下がらない夜だ!下がるのは思考能力ばかりの、とりとめもない日記だなぁ。
 
 
 

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2010.09.05

伊那谷

9月5日(日) 遠くに南アルプスを眺望し、V字谷の町の下を流れる天竜川・・・南信州

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 「いとこ会」があるというので長野県の自分が生まれ故郷に行ってきた。
 昔の日本は子どもが7人も8人もいたのが当たり前だった。
 両親の兄弟も合わせるとそんなもので、だから「いとこ」となるとネズミ算のように多い。

 今のように出生率が1.〇〇という時代では、「いとこ」といっても両手もいないだろう。
 まあ、そういう「いとこ会」をやる、地元や遠くにいる「いとこ」にも案内が届く・・・

 農山村特有の結束力なのか知らないが、ちょっと不思議な感覚でもある。
 これは、11歳違いの妻の年代になると、「いとこ」も僅か、ほとんど交流もない。
 だから、いとこ夫婦も合わせると総勢30人近くになるからそのほうがめずらしい。

 そんな「いとこ会」が開かれたのが南信州の天竜峡にほど近い宿。
 伊那谷というだけあって、V字の地形に日本有数の景勝地、天竜川が流れ、東には南アルプスの山々が連なっている。

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 5歳のときに、この地を離れたから、記憶が薄いとはいえ故郷に帰るようなものである。
 人生のそれこそ10分の1弱しか住んでいなかったが、自分の親の親の・・・そうして、過去に繋がるルーツを考えると、やっぱり愛着のある町と風景である。
 故郷とは、人の繋がりがあってのものだと思うから、世代が代ればまた新しい故郷が出来てゆく。

 本来ならば、妻といっしょに出かけるはずが、休日出勤状態だから、結局一人で中央自動車道に乗り、出かけたのが土曜日の午後。
 もちろん、一度は自転車で走ってみたい飯田高原、伊那谷。自転車も積み込んで・・・

 往復20キロほどの「ハーモニックロード」という道を走ってみた。
 アップダウンのある道だ。
 というか、こんな山と谷の地形の町だから、どこを走っても坂道だらけ。

 ひとつ、ふたつの坂道はどうってこともないが、アップとダウンが交互に続くと、あ~、日頃は平たんな名古屋市内ばかり走ってる身には堪える・・・アップ坂はやっぱりギブアップ!!

 延々と続くような気がする昇り坂、あっという間に走り終える下り坂というわけだ。
 なんだかなぁ~、人生みたいなもので、息が上がるほど苦しんで、ハーハー言いながら、やっと迎える頂上の嬉しさ。
 そこからフルスピードで体全体に風を受けながら走る爽快感・・・
 走り終えて記憶に残るのは坂道の辛さあっての下りの素晴らしさ。
 
 坂道を上がると伊那谷が天竜川に沿って広がっているのが見える。
 ここは過っての武田軍の支配下か、それとも平家の落武者部落が起源なのか?
 なんて、勝手に想像する伊那谷の風景である。

 りんご畑や梨畑がいたるところにあり、干し柿の産地でもある。
 時おり、カラス追いの「パーン」という空砲音が聞こえてくる。
 古い土蔵なども残っている民家もあり、当たり前なのだが名古屋の街並みとは比較できない。
 つまり、流れる空気や時間すら「ゆったり」しているように・・・ように思われる。

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 たかだか往復20キロを2時間かけて走って、「湯ケ洞」という日帰り温泉で汗を流した。
 昼間っから、温泉に浸かって、大広間の休憩所で「昼寝」。
 極楽じゃぁ~♪極楽じゃぁ~♪と心底思うんだな。
 一人じゃなかったらもっと楽しいとも思うが、このアップダウン!妻が「走る」と言うわけないか。(笑)

 
 

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2010.09.03

自転車泥棒

9月3日(金) 自転車を大切にすること

 仕事中は職場の自転車置き場においておく自転車だが、残業となるとシャッターが下りるので、出入り口付近に移動させて留めておく通勤自転車。

 帰りに何かがおかしいと見れば、ライト、スピードメーター、工具、簡易雨具、おまけにタイヤバルブのキャップまで、しっかり盗られてしまった。
 とても残念でたまらない。
 いろいろ考えて、自転車通勤が安全で快適にできるように、苦心してそろえた品々だから、ガックリときてしまう。

 こうやって盗んだ物を自分の自転車に取り付けて、何食わぬ顔で自転車に乗るんだろうと思うと、金額にすれば自転車本体の何分の一だろうが、大切にしていたから、余計に悔しい思いである。
 物は金を出せば何でも買えるけれど、盗品を自分の自転車に取り付けて、はたしてそれで、楽しい自転車ライフができるのだろうか?

 自転車本体が盗まれなくて良かった!とも言えるかもしれないが、ライト一つとっても、いやたかだか数百円のバルブキャップにしても、自分で考えて買った愛着ある品だから・・・

 自転車が放置され、自転車が簡単に盗られ、また買えばいいじゃないかという風潮が、「たかが自転車部品」という、考えに至るのだろうか。
 人が見ていなければ何でもする、お天とうさんも、お月さんも見ているんだよ・・・もはや、そういう自分の心との葛藤もなくなってしまった世相なんだろうか。

 1948年のイタリア映画に「自転車泥棒」という名作映画がある。
 戦後のイタリアの貧しく職に就くことすら困難な世相を描いた作品である。
 なかなか職に就けなかった中で、やっと役所のビラ貼りの仕事にありついたアントニオだが、仕事には自転車が条件だという。
 貧しい中で、妻にシーツを質にいれてもらい、やっと手にいれた自転車を、仕事をしてる最中に若者に盗まれてしまった。
 アントニオと息子は自転車泥棒の若者を探し街中を歩く、当時の敗戦国イタリアの実情である。
 自転車がなければ、せっかく就いた仕事も続けられないし、貧しさからも這い上がれない。
 父と子は街中を歩き探すのだが見つからない。
 ついに父親は他人の自転車を盗んでしまうが、見つかって捕まってしまう。
 不安げな息子が、父親を助けたい一心でかばう姿が、いっそう悲しい現実を浮かび上がらせる。
 警察に突き出そうとする群衆、持ち主は「もういい、放してやってくれ」と・・・
 
 自転車という視点でみれば、自転車は庶民の貴重な財産であり働く手段でもあったのがこの時代。
 イタリアに限らず、この日本でも自動車が金持ちのステータスであった頃、やっぱり庶民の足は自転車だったわけだ。
 私の父親も生涯において自動車など一度も運転したことがなかったし、近くの工場に勤める交通の足も、やっぱり自転車だった。
 
 だから、自転車は貴重な財産だったし、自転車泥棒などまれだったし大事件だった。
 「二重ロックで盗難を防止しよう!」と声高に言わなければならない社会が現代だ。
 廉価で、重くて、走ると疲れる自転車が溢れているのも現代。
 
 自転車の良さが見直され、自動車代わりの自転車の快適性が復権されたらと思っている。
 こうした盗品を自分の自転車に取り付けて、それで自転車に乗っても楽しくないだろう。
 アメリカナイズされ、自分さえよければと考える、人を蹴落としても自分が良ければ・・・
 そういう、心無い荒んだ気持ちが社会に蔓延し始めているということだろうか。

 自転車泥棒に走ったアントニオ父子の思いつめた表情が観るものにやるせなさを思わせる映画「自転車泥棒」であったが、現代の自転車泥棒はハードルも下がったのだろうか。
 
 自転車に乗る人は、もっともっと自転車をほんとうに愛して欲しいと言わずにはいられない。
 残念な出来事だった。
 そっと元の場所に返して欲しいと願うのだが・・・

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2010.09.02

9月ですなぁぁ

9月2日(木) 日記

 変わり映えのしない日々だ。
 と言っても、朝の出勤時には、小学生の集団登校の姿がみられるようになったから、2学期も始まった。
 先週から、残業の日々が続いている。
 帰宅し、夕食を食べ、不覚にも疲れて眠ってしまい、夜中に起きる。
 そんな不規則生活そのものだ。

 以前ならば、こんな不規則な生活になると、体だけじゃなくて、心も低調になったものだが、不思議なもので毎日の自転車通勤のおかげで、体力も気力も維持されている。
 ただ、パソコンに向う時間も減り、なによりも自宅にいる時間そのものが少ない。

 追われる!まさに、仕事に追われている。
 「自分の時間がない!」とは思わない。
 自分の時間と、そうじゃない時間なんていう区別などありはしない。
 たとえ仕事に追われて、本を読んだりテレビを観たり、そういう時間が減ったとしても、それを「自分の時間」が少なくなったとは思わない。
 忙しかろうが暇だろうが、睡眠時間が少なかろうが、不規則生活だろうが、そういう暮らし方が「自分の時間」ってわけだ。

 まあ、労働力の切り売りをしているのがサラリーマンだから、お安く特売品のような「労働力」になっている自分がいるのだけは間違いない。

 もうすこしで、仕事のピークが過ぎる。
 ちょうど、記録的な暑さを更新している、この日本列島にも、かならず秋の気配が近づいて来るように・・・
 頑張ろ~!っと。
 

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