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2010.06.21

裸のブログ

6月20日(日) 勝手気ままに5年と10ケ月

 職場の方がブログを書いているしツイッターもやっているという。
 じゃあ、読ませてもらいたいからブログ名を教えてと頼んだら、「職場の人に見られるなんて・・・書きたいことも書けなくなる」と。

 その気持ちはちょっとは理解できるが、果たしてそういうものだろうかと思う。
 職場の人が読んだら困ることって何だろうか、いつも思ってることを文字にして、その思ってることが他人を心外させるものなら、そうかも知れないが・・・
 「書かないことはあっても、書けないことは無い」と思っているのだが、「いやいや書けないこともある!」とお叱りを受けるかも知れない。
 
 2004年の9月にこのブログを書き始めてもうすぐ6年になる。
 勝手気ままに書いてきたとはいえ、ときどき「なぜブログを書くのか」と自問することもある。
 自問するほど大それた問題でもないけれど、時には「なぜ生きるの」ってのと同じくらいの膨らみになることもある。

 最近では「日記なんだわさ」と思うことも増えて、ほとんど文字のたれ流し状態になっている。
 情報の発信とか友人とのコミュニケーションとか、いろいろ理屈を考えてみたりしても、どうもそれほどのことでもない。
 読む人がいてくれるから書いているのだけれど、読む人が誰もいなくなっても、やっぱり書いてると思う。
 そう思うと、やっぱり「日記」に帰結する。
 「日記」というならば創作とは違うわけだから、嘘は書けないし装飾も必要ない。
 
 以前、友人に指摘された「的を射るが正しくて、もしくは当を得たって使うのよ」
 そういえば、たしかに「的を得た」って書いた記憶があるが、間違いはお手のものだから、きっと何年も書いていると、誤字もふくめて、たくさんあると思う。
 そういうことも含めて、今の自分以上でも以下でもないだろう。

 たくさん書けば書くほど、ボロもでれば、おかしな事も、非常識なことも人目にさらすことになる。
 持て余すほどの「あれこれ」も持ち合わせていないから、着ている服を一枚一枚剥ぎ取られて行くようなものである。
 けれども、だからといって、身の丈以上のことは書けないし書くほどのものもない。
 そうなると、今のあるがままの「自分」をさらけ出すしかないわけだ、いや、さらけだすほどのものがあれば、それにこしたことはないが。
 やっぱり、裸のブログにならざるをえない。馬鹿馬鹿しさも、いい加減さも含めて・・・
 
 ブログというものはそういうものだと思っている。
 文章を積み重ねれば、書いている人の人格や思考や、それに嗜好も表現される。
 何を題材に書いたとしても、結局は同じことで、書く人のパーソナリティが表われるわけだ。
 そこに「本音」というものがあり、どんなに着飾っても、どんなに虚構を貫いても、どんなに「あたりさわり」のないことを書いても、見えてきてしまうものだと思う。

 ブログを書くっていうのは、自分を書くことに他ならないと思っている。
 自分を表現するわけだから、職場であろうが、知人であろうが、親戚・家族であろうが、読まれて困ることはないだろうし、読まれて困ることは書かなければいいと思っている。 
 だからといって、ただ「あたりさわりのない」ことを書いていても、いったいそれが自分にとって何かという、そういう自問が残る。

 どうせ書くならば「あたり」もし「さわり」もする、そんなWeblogが、日々書けたらなぁ~と思うこの頃なのだぁ。
  

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コメント

「HPは世界に発信している」なんて言われてます。なるほど、今や世界のどこでも読めます。ただし見ず知らずの人や外国人が僕のHPを読む割合なんて1億分の1もないでしょう。ぼくはせいぜい10名くらいかなぁ・・と思って書いてます。

ぼくのHP掲示版は自宅前に張り出している掲示版のイメージです。それ以上でもそれ以下でもない。時々掲示板を貼り替えている。でもそれを他人に読まれることを期待もしていない。

自分のために自分のデッサンを自分から少し離して見る。すると自分の間違い、デッサンの間違いに気づく。「自分の思いの反芻作業」なのです。

一休みさんの記事は時々私の気持ちとリンクします。

コメントになるかどうかわからないけどこの欄にはおさまらないと思うので、ブログについてマイブログに書きますね。

こんばんは。

私も会社の人にはブログを書いてることは言ってません。
仕事で失敗が多いので、それをネタにしてますからね。

親兄弟にも言ってません。
こちらはやっぱり気恥ずかしいです。

息子ふたりには言ってるのですが、母親の書いたものなど、全く興味関心がないようです。(笑)

私も、時々何でブログを書いてるんだろう?
って自問するときがあります。
お花の写真も、同じ時期に同じように咲きます。
あ~このお花、去年も載せたしな~・・・。
なんて思いますし。

で、数日更新するのを休むと、俄然書きたくなるから不思議なんですね。
結局、書くことが好きなんだと思います。

間宮さんこんばんは。
ブログってのも、最初は意気込んで書いてましたね。
自己表現だとか、誰かが読んでくれるだろう・・・なんて。
そういうのは、長続きしないですね。
自分のキャパの小ささに嘆き、知識のなさに落胆し、誰も読んでもいない事実に気づくわけです。
そんなもんだ!と分ったときから、やっと自分のためのブログだと気がつきましたね。
たぶん、こういうネットの世界は、ある種の誤解と思い込みで成り立っていると思うわけです。
そこを、通過できないと、消えるか、目指せブログ仲間100人!とか、現実と虚構が逆立ちするわけで、それが、不思議といえば不思議な「おもちゃ」だと思っています。

felizaさんこんばんは。
長年ブログを書いてると、螺旋階段のようにクルクルと思考が回り、いつか又同じ位置に戻って、そうやってるうちに、去年よりはちょっとはマシな考えになったかなと・・・
「人格があるように文格がある」という考え方には、とても納得しますね。

tamiさんこんばんは。

ときどき書く私の「ブログ考」には、いつもコメントいただいてるから、同じように長く書いてる者の気持ちの部分には、通じるものがありますね。
同じスタンスで書き続けるのもパワーがいるもので、そういう点では、tamiさんエネルギッシュなんですね。

なんだか「同じ道」を歩いているという、目に見えない連帯感みたいなものを感じたりもします。
だから、記事を書いてる日よりも、アップしてない日が続くと、どうしたんだろう?ってね。
そういう、読み方ができる私にとっては貴重な「小さな幸せ」なんですね。

なるほど。ブログは"自分のための螺旋階段"なのですね。同じところをぐるぐる回っているようで少しずつ登っているのですね。長く続けてみえる方のさすがな言葉です。教えていただいてありがとうございます。私は肩に力入っていました。

「ブログ仲間100人!!」やっと100人になったかと思ったら、読者は一人で、99の名前は偽名だったら、笑えるなぁ・・・ははは

felizaさんこんばんは
どこまでいっても自分に向って書いてるって感じなんですね。
だから、これまで1400日分の記事が積み上げられて、「まっ、こんなもんか!」って思うもののほうが多い。
もし、全部消えてしまったら、ちょっと残念には思うけれど、悔しくてしかたないとは思わないですね。
いや、いい加減に書いてはいないのですが、それらは「今」の自分の中に残ってるからいいかってね。
そんな気がしてるんですね。

間宮さんこんばんは。
ブログ仲間100人!もし「ワールドカップ良かったねぇ~」って記事を書いて、99人が「ほんと、良かったねぇ~」ってコメント返したら、なんだか恐ろしい悪夢だと思う(笑)
オウム返しのような共感は、なんだかつまらないと思う今日この頃ですね。

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