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2010年3月

2010.03.31

持久力

3月31日(水) なんだかんだで残業週間だなぁ~

 働きすぎても誰にも喜ばないけれど、そういう日々ってわけで、もう三日連続で真夜中の帰宅。
 すぐ寝ればいいものを、少し空白の時間を持つのが昔からの週間じゃなくって習慣だ。

 しかし、ずいぶんと持久力もついたような気がする。
 マイカー通勤してた頃に比べると、格段に疲れを忘れている、いいことだ。
 これは、毎日の自転車通勤のおかげかも。
 時計の針が重なる頃の自宅に帰ると、娘が言った。
 「そんなに遅くなるのなら、自転車通勤をしばらく止めたら」

 そうじゃないんだなぁ~、夜中の道を自転車で吹っ飛ばして帰宅するのが、仕事からの開放感。
 この、気持ちはわからんだろうな。
 まあ、いいか。

 そんなわけで、3月も終わりを迎えた。
 桜の季節につきものの、退職者への送別セレモニーもあったり、涙する若い女性職員もいたりして・・・
 おおいに「人生」を感じる一日だった。
 出会いと別れは人生につきもの、どう生きるかだなぁ。
 
 桜も五分咲きから八分咲きに変わってきた名古屋市内。
 通勤経路を少し変えて、公園の桜の樹のを眺めながら走るのが、最近の楽しみ。
 日々、ちょっとづつ変化してゆく、桜の開花がよくわかる。
 癒しの時間帯だなぁ~。
 寝る。

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2010.03.28

五条川のさくら便り 2010年

3月28日(日) 見ごろ 食べごろ 桜ごろ

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 予告どおり、というか予定どおりの五条川(愛知県岩倉市)の花見サイクリングに行ってきた。
 名古屋-江南線を北上して、サイクリングには手頃な37キロほど。
 さくらの季節がやってきた!と、そんな感じだなぁ。

 昨年も思ったが、延々と続く五条川縁のさくら並木は幹の剛毅さとさくらの華麗さが対照的だ。
 ごつごつした太い幹から自由に延びた枝に花が咲くそのアンバランスな美だろうか。
 冬の間は、枝ばかり賑わうこのさくらの樹が、こんなにも・・・
 妖艶、まさにそんな気がする。

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 五条川のさくらの開花は2分~5分咲きくらいだろうか。
 それでも、しっかりと8分程度まで開花している樹もある。
 さくらといえども、「桜それぞれ」、一つとして同じものはないし、今年の桜はけっして昨年のそれでもない。
 生きてるんだなぁって思う。

 午前中に家を出発して、二台の自転車でトロトロと物見遊山サイクリング。
 う~ん、もうあと一週間先が満開か?
 それでも、五条川端のさくらの根がアスファルトを持ち上げ、ところどころデコボコした道を上下しながら走ると、それも「おまけ」の愉しさ。

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 さくらの見ごろはいつなんだろう?
 休憩で立ち寄った喫茶店のマスターに「来週あたりが見ごろですか?」と訊ねると。
 「今ですよ、桜のほんのりとした赤みが残ってる、ここから全体が真っ白になって行く、今からですよ」
 なるほど、言われれば満開のさくらの白さとちがった、薄いピンクの花たちだ。
 蕾の色がそうさせているのだろう。

 人にたとえれば10代の若々しさ、満開のさくらはアラフォー世代か(笑)
 まあ、こんなさくら見物をしている自分は・・・・

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 みたらし団子と桜餅を買って、五条川のベンチで食べるってのが美味い。
 曇り日だけれど、少し陽もさして、人出も増えて「快活」ってこういう表情だなぁ~
 もう、待ちきれなくて、さくら見物に足を運ぶ人間たちの春!ってところだ。
 今度の週末は、どっと人波が押し寄せるだろう、とてもとても自転車どころじゃなくなるに違いない。

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 陽がさしてくると、午前中の2~5分咲きのさくらだったのが、俄然、花開きだす。
 たった、数時間のことだけれど、桜の開花の早さだ。
 一日一日、ぐんぐんと開花が進みそうで、あっといいう間に満開か。
 「これで一雨降って満開よ!」と妻が言う。
 
 満開の頃のさくらも見たかったが、こんなまだ赤みが残っている桜の頃も、たしかに風情がある。
 午後の3時には帰宅した。
 ちょうど、帰宅を待っててくれたように、空からポツリポツリと雨が降り出した。

 というわけで、写真も載せてみた春爛漫の良い一日だった。

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                   おまけ:山内一豊生誕の地碑

 

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2010.03.27

淡々とお仕事でやんす

3月27日(土) 出勤だったぁ~

 先日、仕事で行った病院の玄関前の桜が満開だった。
 いつも通勤する道の傍らの学校の校庭に咲く桜は五分咲き。
 同じ名古屋市内でも、もう満開のところもあれば、これから咲くところもある。
 なにがこうも違うのだろうか?
 また、寒さが戻ってきた3月も終わり。
 できるだけ、陽だまりを探して走る週末出勤日。
 早咲きも、遅咲きもどちらも春を謳歌して散る桜に違いない。
 
 午後から、誰もいなくなった職場の席で、淡々とお仕事でやんす。
 一人黙々と溜まった仕事を片付けていても、「自分ばかりが」とは思わない。
 きっと、自分の知らないところで、黙々と仕事をしている人もいるのだろう。
 目に見える忙しさと目に見えない忙しさ・・・それぞれの労働でしかないわけだ。

 「相談事」の仕事にしていると、社会的悲惨家庭の数々に遭遇する。
 そういう、もつれた糸がからみあって、どうしようもない現実が「不幸」のように思われる。
 からみあった糸口はその端緒さえ見つかればなんとか成るものだが、もつれた糸の複雑な絡み具合に諦めてしまう人も多いのが現実だと思う。
 幸せと不幸せはほんのちょっとのすれ違いでどちらにでも傾いてしまう。

 だから、そういう糸口の前でただ佇んでしまう方々の頑張りを期待するものだ。
 「頼むから、もう少しだけでいいから、強くなれないものか!」と神頼みをしてしまう。
 仏教でもキリスト教でも何でもいいから、ここから這い出させてくれ・・・と。
 あはは、そういうのは「アドバイザー」としては失格である。

 「困難なケース」に出会って、その解決がいくらか出来ると、「良かったな!」と思いはするが、だからといって、自分が満足することはほとんどない。
 普通の暮らしに戻れたというだけだから・・・
 目に見える不幸な事象の向こうに、はるかに多くの不幸な現実が横たわっている。
 そういう現実は見えようが見えまいが、たしかに存在するわけだから。
 
 仕事をしていると、「幸せ」とか「不幸せ」といった抽象的な概念に、ひどく重さと暗さを感じるときがある。
 淡々と仕事をこなしているときは、そういうものから一時的にも解放された気になる。
 だから、目に見えないということは、案外「安心できる」ことなのかも知れないな~

 「今日も生きてる。豪勢じゃぁないけれど、食事も食べることができた!」
 そういう、生きてる現実だけで、充分じゃないのだろうか?
 そんな気がする本日。

 明日は妻と五条川の花見サイクリング。
 満開だといいな!
 満開でなくても、充分だなぁ!
 

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2010.03.25

水の流れと人の末

3月25日(木) 人事異動ということ

 「水もの」という意味は、どうやら客の出入りに左右されてしまう「水商売」の「水」と同じことらしい。
 人事異動の季節がやってきた。
 ああ、また今年も悲喜交々の人生に「人事は水ものだなぁ」と痛感する。
 その「水ものに」勝負をかけて、見事裏切られるやるせなさ!なんだろうな。
 期待を裏切られて「まったく、どこに目をつけてるのだ、節穴か!」と思うのか、そういう人事が「水もの」であることを忘却した、甘さか・・・
 
 しかし、人事異動というものは不確かさを持つものであることだけは間違いない。
 では、「何故こんな人事異動なのか?」と問うて、まともな答えが返ってきたためしは一度もない。
 人脈、金脈、学閥、コネ、駒合わせ・・・およそ、そうしたドロドロとしたものが、知らぬところで蠢めいている。
 人事とは伏魔殿のようなものだと思っている。

 水の流れと人の身の行く末は、定まり知らぬもの。
 そんなものに、一喜一憂して、己の不幸や幸福を云々して何になる!と思う。
 自分の人生は自分で切り開くだけであって、辛い職場にも楽しい職場にも、ちょっとしたことでひっくり返る要素はたくさんあり、嘆くものでも有頂天になるものでもない。
 ただ、人間関係が人の在り様を決めることだけは確かなことだと思う。 

 いつも人事異動というと思い出すのは、最後の「瞽女」小林ハルさんの「良い人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」という言葉だ。
 こうも言っている。
 
 どんないい人とも、どんな悪い人とも歩いてきた。
 ・・・・厳しい思いをして「人の痛み」を知り、私も「あの人と歩いてよかった」と言われるように人に良くしてあげようと努めてきた。
 人間なんて、悪い目みなくちゃ、幸せになれないんだて。
 
                     (本間章子著「小林ハル 盲目の旅人」より )
 こういう強さを自分も持ちたいものだ。

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2010.03.24

カフェ・ラッテで一服

3月24日(水) heartハートのマークだぁぁ

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 日本列島に雨前線がかかり、雨降りの一日でやんす。
 地下鉄で仕事場へ行くことになって、もうこういう気分の乗らない日は、少し早めに仕事を切り上げる。
 時間の余裕がある日の地下鉄帰宅。

 名古屋駅前にある喫茶店でちょっと一休み読書ってわけ。
 喫茶店の条件は、一に読書が出来る雰囲気、ニにやたら騒がしくないこと、三に珈琲がそこそこ美味いこと。
 というわけで、名古屋駅前、通称「名駅前」の自称「私の隠れ家的喫茶店」で注文したのがカフェ・ラッテ。

 この「カフェ・ラッテ」って、イタリア語でコーヒー牛乳を意味するらしいが、出来上がったカップに、ハートマークの図案が・・・っていうか、ちょっと欠けてるから残念!(笑)
 こういう何でもないことに喜んでるところは、一人遊びの好きだった子どもの頃からの習性なのかも知れない。

 ちょっと、シンプルで奥まった小さなテーブルで読みかけの本を開いていると、もう周りの客などは、ほとんど風景としてしか映らない。
 返却期限を過ぎてしまった図書館本「飢餓と戦争の戦国を行く」読み終えたら、早く返さねば。

 戦国期の飢えと疫病と殺戮の中で農民がいかに生き延びようとしていたのか。
 白土三平の「カムイ外伝」などで登場する農民・下層階級の史実のような気もする。
 よく語られている戦国物語とは違った農民の戦争社会の過酷な姿が資料によって解明されている本だ。
 ちょっと小奇麗な喫茶店で読む本としては、おそらく場違いにも思えるこのアンバランスだと思うが。
 こうしたひと時は、心身ともにリフレッシュできる。

 人恋しくてたまらないと、喫茶店読書なんてする気も起こらないだろうが、一人になって沈思黙考、いや黙読。
 そういう時間も、現代人には必要だと思うんだなぁ。

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2010.03.23

春は木の芽時・・・

3月23日(火) 日記

 雨の中レインコートで帰宅した。
 それからが一仕事、レインコート、ヘルメットカバー、シューズカバー、リュックカバーなど、雨具一式の水滴を拭き取り、明日の準備をしておかないと・・・
 子どもが明日の学校の準備をするようなものだ。
 面倒臭いことには違いないが、それも雨の日の自転車通勤の日課と思えばなんて事はない。
 
 考えて見れば、サラリーマンなんて「今日は出勤したくないなぁ~」と思っても、嫌々ながら家をでる。
 そうやって、仕事を繰り返すうちに「嫌だなぁ・・・でも、まあ仕方ないか」となる。
 毎日、元気に出勤する人もいるが、心の中では葛藤があるに違いないと思う。
 そんな、一日々々を暮らしているわけで、「今日は止めた!」と言い切れる人が羨ましいが・・・(笑)

 これは、ワーカー・ホリックという症状でもある。
 現代日本の働きすぎと言われるサラリーマンがかかえる矛盾ともいえるが、「日本人は勤勉だ!」という評価は、好き好んで自分たちがつけた言葉ではない。

 春は木の芽時、冬眠していた動物も植物も、一斉にムクムクと起きだす季節。
 人も同じだ。
 冬の間、何となく縮こまってた体が目を覚まして、心も目を覚ます。
 情緒も感情も、やっぱりムクムクと起き上がるわけだから。
 ほっとけば良いものを、そろそろ世間が気になって、感情不安定になるのもこの季節だと思う。

 春は陽気に誘われて、楽しくなる季節でもある。
 いや、楽しさも、人それぞれだから、上手に人間関係を保てるならば、何か始めるにはもってこいなのだが。
 なかなか、コミュニケーションを取るのが難しい人にとっては、気になってしかたない季節でもある。
 だから不思議と、この季節はやっぱり仕事でも、問題ごとが多発しやすい頃。
 「木の芽時・・・」ってことだ。
 
 一眠りしてしまい、夜中に書いてる本日の日記なり~ぃ、これも春の兆しだなぁ。

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2010.03.22

新しい道

3月22日(月) 青い空と白い道
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 最近は何故か「自分の歩んできた道」を振り返ることが多い。
 辛かったとか嬉しかったとか、そういうことよりも、今まで歩んできた道が、これからどんなふうに続いて行くのだろうかと考えてしまう。
 「人生」と言ってもよいが、目の前の事象から、ぼんやりと遠くを眺めるようなものだ。

 目の前の道といえば、まだ若い頃に、D・カーネギーの著書「道は開ける」「人を動かす」なんて類いを夢中で読んだ日々があった。
 まさに、自己啓発本のお手本で、これは日本でも200~400万冊も売れたベストセラーだった。
 今ではすっかり内容も忘れてしまったが、人生をポジティブに生きる方法論が書かれたもので、毎日持ち歩いては検証していたような10代の後半だった。

 それが、あるとき突然「つまらない」と思えたのは、こういう方法論をいくら積み重ねても、自分がつかみたいものに到達しないと思ったからだ。
 その頃は仕事にも人間関係にも、なんだか現実味が稀薄になって苦しんでいたものだった。
 哲学とか社会科学とか心理学とか、そういう本を乱読してみたけれど、どうしても満足感は得られなかった・・・
 今から思うとあたり前っていえば、あたり前なんだけれど。
 
 それから、人生ながく生きてきて、知りたいことも、知らなくてよいことも、いろいろ身についた現在。
 自分史を振り返ると、ところどころに選択する「転機」というものがあった。
 ある意味、激情型のような生き方で、そのつど「新しい道」に足を踏み込んできた。
 温厚で人畜無害で仏のように思われてる(笑)今の姿とは、ちょっとかけ離れている。

 若い頃の思い出である。
 まあ、そういう話はあのねのね・・・ってことで。

 今朝は早起きして、妻と庄内川サイクリングに出かけた。
 妻を連れ出す方法論(笑)といえば、「あのねぇ、美味しいモーニングコーヒーでも飲もうか?」であり、「溜まった洗濯と家事は、帰ってから一緒にやろう」ってこと。
 キーワードは「美味しいモーニングコーヒー」と「一緒に」である。

 ちょっと寒いくらいだが良い天気、トロトロ夫婦で走る自転車には最高だ。
 それに、庄内川の河川敷に最近「新しい道」も出来てたので、名古屋市中村区の豊公橋から庄内緑地公園まで、河川敷を走ってみた。
 コンクリートのゴツゴツ感が残る真っ白なサイクリングロードで、また気分も違って楽しい道だ。
 モーニングコーヒーを飲みながら、ちょっと真面目に人生談義もどきを・・・
 人生には「天気」じゃなくて「転機」がつきものだと思う本日なりぃ~(笑)
 
 ははは、来週末は五条川へ桜・桜・桜・・・なのだ~♪

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2010.03.21

黄砂と桜の日

3月21日(日) 白鳥公園(名古屋市熱田区)の桜は一部咲き

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 全国的に黄砂が舞った日。
 休日出勤のため朝家を出ると、ぼんやりとくすんでいる。
 天気予報は曇り、けれどもうこれは光化学スモッグのようなもの。
 たまに顔を出す太陽に照らされる雲は黄色く、まさしく黄砂。
 黄砂は昔からあったが、中国大陸の砂漠化の拡大で日本列島にはより増えているんだろうな。
 こういう気候を見ると、地球規模で進行する環境破壊を実感する。

 仕事を終える頃にはすっかり黄砂も吹き飛んだが、変わって風の強いこと・・・
 自転車も強風にあおられ、向かい風になかなかスピードも出ない。
 体感温度も下がり、寒さ倍増である。

 堀川沿いの白鳥公園の桜の開花状態を見てきた。
 まだ一部咲き程度、名古屋の桜の満開は3月28日頃で例年よりも10日ほど早い。
 来週の日曜日が、絶好の花見ごろだろう。
 去年は雨の五条川に行ったが、今年は何処に行こうと考えるだけで、テンションは上がるものだ。

 そんな、桜の枝にわずかに咲いた花を、じっくりと眺める時間。
 桜はどこにでもある日本、「桜が咲いたなぁ」とただ通り過ぎてしまうにはもったいない。
 じっくりと眺めるて、「あの蕾もこの蕾も開花待ってるんだろうな!」とつぶやくもよし。
 
 そういう日々の暮らしの中に季節を見つける楽しさなんだろう。
 自転車は、絶好のアイテムだ!と何度でも言いたい。
 行動半径が歩きと比べてずいぶんと広がる。
 車では通り過ぎるしかない場所や風景に立ち入って眺められる。
 先日、友人が言っていた。
 「自転車はご近所までと思ってたけれど、こんな遠くまで足が延ばせるなんて・・・」

 強い風に負けないで鳩が飛んでいた白鳥公園のパンジー、いや自転車か(笑)
 なんの変わり映えのしない風景だが、それこそが街角自転車散歩の醍醐味だ。
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2010.03.20

日本初の歩道橋

3月20日(土) へぇ~、へぇ~、へぇ~

 自転車日和。
 職場の友人のKさんからメールが入って、庄内緑地の自転車ポタリングの誘い。
 前ぶれもなく、突然「いかがですかぁ~」と誘ってくれるのが嬉しい。
 自由に気ままに自転車で、この春の清々しい戸外を走るのは何ものにも代え難い。
 ・・・というか、15歳以上も歳の違う友人から、気軽に声をかけてもらえるのは、感謝、感謝。
 まだまだ、パワーは衰えていない(笑)

 というわけで、庄内川周辺を一走りしてみると、今日はヘルメットにロードバイク姿の方も多い。
 やっぱり、この季節を待ち望んでいるサイクリストたちってわけだ。
 
 この庄内公園に向う途中に名古屋と岐阜を結ぶ県道67号線が走っている。
 その枇杷島橋を渡った先にあるのが、幅2.5メートル、高さ5メートルのコンクリート製の歩道橋。
 日本で最初の歩道橋として作られたのが1959年の6月。
 当時、交通量の多いこの道路を渡ろうとした子どもが重傷を負う交通事故に会ったのを契機に作られたそうだ。

 ちなみに、ネットで調べると、4月25日が「歩道橋の日」だそうで、1963年に大阪駅前に日本で初めての大型歩道橋が出来たのに由来してるそうだ。
 それに先だつ4年前に、ここ枇杷島町に架けられたのが、この日本初の歩道橋。
 以後、全国各地で歩道橋が増えていったという。
 歩道橋といえば鉄骨で組まれたものがほとんどで、これは頑強そのものだ。
 いやぁ~、初めて渡ってみたけれど、鉄柵は錆びて、コンクリートは磨耗しているところが歴史を物語っている。

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 しかし、ほんとうは歩道橋ってのはどうも好きになれない。
 車優先社会の見本みたいなもので、なんで人がワザワザ階段を上がって降りて、道路を渡らなきゃならないのだと・・・
 この歩道橋が出来た当時は、交通量の多い割りに一つも信号がなかったそうだから、交通安全の一役を買ってたわけだ。

 自分の住む街の近くにも、こういう歴史があると思うと自転車散歩はやめられない。
 歩道橋の上り口には、「50年間 守ってくれて ありがとう」と書かれた丸いアーチがあった。
 この4月には架け替えのために取り壊されるそうだ。

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2010.03.17

男と女の間には・・・

3月17日(水) 黒の舟歌

 仕事を終えて、自宅まで帰る時間帯。
 すっかり街も暗くなって、なんだか昼間の忙しさを切り替える、ちょうど良い時間になっている。
 とくに何を考えることなく、自転車のペダルをまわすと、開放感がいっぱいになる。
 最近導入した骨伝導スピーカーのBGMが、ただただ流れているだけだが聞こえてくる。
 そういう、時間帯があって、仕事と生活のバランスが保たれてるような気がする。
 ランダムに流れてくるBGM、今日はちょっと好みの曲について書いてみる。

 加藤登紀子「黒の舟歌」、聴けば聞くほど、そうだよなぁ~と思う懐かしい歌だ。

 ♪男と女の 間には 深くて暗い 川がある
  誰も渡れぬ 川なれど エンヤコラ 今夜も 舟を出す
  Row and Row  Row and Row
  振り返るな Row Row
 

 若い頃の、男と女の恋愛は、思いが強く隔たりが大きければ大きいほど一生懸命になる。
 一直線の感情は、「誰も渡れぬ川」であっても、漕ぎ出さずにはいられない・・・
 そういう、感情を歌ったものだ。

 この男と女の隔たりは、いつの世の、幾つの歳になっても、なかなか埋められないミステリアスのものでもある。
 だから、エンヤコラと力を込めて、渡ろうと努めるもので、そういう距離感を失わないのがいい。
 たとえ、風呂上りにバスタオル一枚でスタコラサッサ・・・であっても、たとえ処お構い無しにプップとオナラをしまくっても・・・やっぱり、男と女の間には、深くて暗い川があるものだと思う。

 若さは、無意識にこの川を渡ろうと努力するものであるが、その川の深さと暗さを、いつしか忘れて、エンヤコラと漕ぎ出すのも億劫になってしまうと、この川も干上がってしまうというわけだ。
 何でも解かってしまった気持ちになると、船を漕ぎ出す気も薄れてしまうのだろうと思う。

 誰も渡れぬ川なれど・・・
 いくつになっても、エンヤコラと漕ぎ出す気持ちを持ち続けていれば、熟年離婚や粗大ゴミ扱いはされないものだし、いつも男と女の間には暗い川の深淵が顔をのぞかせている。
 そのミステリアス感は新鮮なものだと思っている。
 まあ、漕ぎ出して疲れ果てて、川底に・・・ってこともあるが、それを含めて男と女の人生ってわけだ。

 明日は妻の誕生日。
 誕生祝など何もないけれど、「黒の舟歌」の気持ちだけはプレゼントってことなんだなぁ~。
 好きな懐かしい一曲である。


 

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2010.03.16

溜飲が下がる最終回(笑)

3月16日(火) ネタに尽きたので「泣かないと決めた日」

 8回目にして最終回の連続TVドラマ「泣かないと決めた日」を妻と娘と私とソファーに並んで観てしまった。
 最近のこういう連続ドラマって放送回数が短くて、半年ももたないのは何故って疑問。

 まあ、それにしてもストーリーで視聴者を惹きつける構成は見事かも。
 わかり易くて単純で、青春ドラマで、恋愛ドラマ、水戸黄門のような勧善懲悪・・・パチパチパチ。
 無事、ハッピーエンドで終了しましたから、めげずに頑張る勇気という主題も充分に伝わった。

 悪の3人トリオ、万里香、西島、梅沢部長の嘘と陰謀が暴かれてゆく痛快さをみんな期待してたから、これぞまさしく「溜飲が下がる」思いで観ていたんだろう。
 あれだけいじめられたんだから、もっとガツンとコテンパンに・・・

 そういう気分でみんなテレビのまえで観ているのだろうなぁ~と思うから、結末に悪の3人トリオの一人でも、逃げ延びたら、やっぱり「溜飲は下がらない」(笑)

 ああ、要潤の女性ファンは「なんで~万里香をニューヨークに連れてくの~、離婚よ、リコン!」な~んて思ったのだろうかねぇ。
 もしも、もしもの話だけれど、このパワーハラスメントの世界において、万里香、西島、梅沢部長の3人が、のうのうと欺瞞生活を続ける結末になってたら、観てる側はフラストレーション溜まりっぱなしだろうな。
 そうすると、本物のノンフィクション作品になってしまうし、ヒロイン美樹は1話で潰れてしまってる。
 
 ソファーに座って、酷い悪の3人衆の嘘が暴かれて行くのを期待してたのが娘。
 妻は「ごめんなさいと謝る万里香がそうも簡単に変わるはずないじゃない、手よ、手・・・」などと、注釈している。
 私は、あ~ぁ、また観てしまった、やれやれ・・・と斜めに構えて。

 そんな、我が家の3人3様の連続テレビドラマ考ってところだったなぁ。
 ネタに尽きたので、ブログ日記の話題にはちょうどよいかもね。
 チャンチャン。

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2010.03.15

催花雨

3月15日(月) 雨もまた楽し・・・

 植物の開花を催す雨。
 予想どおりの雨が降り出して、レインコート、ヘルメットカバー、シューズカバーと準備に怠りなし。
 とはいえ、雨の日は自転車には辛いものがある。
 ゆっくりと走る。
 腹を決めて、ゆっくりと雨の風情を楽しむのも、春先のこの時季ならではのこと。

 仕事を終えて、障がい者団体の会議に出た。
 顔ぶれは、そうそうたる面々だから、こんな雨の日に自転車で出席するのも自分くらいだろう。
 会議と名がつくものはあまり好きではない。
 物事は会議の外側で進行しているもので、形式が整ってるほど、そういった感じが強い。
 運動家、知識人、役職者・・・いろんな階層の人々のコミュニケーションが基本だと思う。

 自転車を置いて、濡れたレインコートを脱いでいたら「雨の中を自転車ですか?」と。
 「自転車が好きなんですね」と・・・
 はたと思った。
 自転車が好きなんだろうか?違うような気もする。
 通勤の13キロほどを、人間が自然に移動するには自転車が最高だと思う。
 自動車では、ちょっと自然に限りなく近いと言いがたいからだ。

 自転車よりも歩くほうが、更に自然に近い暮らしだろうが、この距離は遠すぎるわけだ。
 だから、出来る限り自然に近い暮らし方をと思っていたら、いつの間にか自転車ライフが出来上がっていたということ。
 そういう、暮らし方に親しみが持てて、それが「自転車好き」と言うならば、そうかも知れない。
 マシンとしての自転車に興味が強くあるわけじゃないと思っている。
 自然に近い暮らしというのが、只今のこだわり(笑)
 だから、金銭欲よりも、のんびりと季節を感じ、風や光を感じる暮らしに楽しさがある。

 こんな生活を追及して行くと、究極は山の中の古民家あたりで、ランプ生活になってしまうだろうが、現代人として何十年と暮らしてきた経験は、そんな仙人みたいな暮らしが夢物語であることも承知しているつもりだ。
 だからこそ、この都会の暮らしの中に、少しでも自然を取り入れた生きかたが出来ればと思うわけだ。

 雨が出窓の屋根にあたってポトポトと音を立てている。
 規則正しい雨音も、それはそれで美しい旋律に聞こえるものだ・・・
 

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2010.03.14

春!つくしの季節だなぁ

3月14日(日) 庄内川の春を3枚、カシャ!

2010

 3月も中旬になって、陽気もポカポカ。
 今年も庄内川につくし取りに行ってきた。
 いつも採取する堤防の土手は護岸工事で、附近にも一つも見当たらない。
 一匹も釣れない釣り人の心境がよくわかる。
 工事ひとつで自然も大きく変化するので、なんだか生態系ってものの難しさなのかも。

 こうして、土手もコンクリートに覆われて、たしかに治水なんだろうが、なんとも言い知れないものがある。
 それでも、袋一杯つくしを取った人とすれ違うから、どこかにあるんだろう。
 庄内川の下流に1キロほど歩き、やっとつくし取りの人の姿を見つけると・・・あった。

 けれども、なんだか小さいしすこし貧弱だが、まあ、つくしに違いは無いけれど・・・
 毎年こうしてつくし取りに妻と来て、堤防を歩いていると、春だなぁ~とつくづく思う。
 「この花は何?」
 「オオイヌノフグリ、私が小学生の頃からいつも咲いてたわ」
 なんとも意味しんな名前に似合わない小さな野の花も春を謳歌してる。
 草のかげには「てんとう虫」も隠れているが、どうやら「てんとう虫も踊り出す~♪」とはならないようだ。
 
 今年は一眼レフじゃなくて、デジカメで撮ってみた。
 「つくし目線」で撮ろうとすると、ほとんど地面にカメラを置くようなもので、液晶で確認もできない。
 つまり、適当に何枚か撮ってみたが、案の定ピンボケになる。
 まあ、いいか。
 つくしは撮るものじゃなくて、取る(採る?)ものだから。

 陽気がよくて、晴れ渡った空を見上げていると、春だなぁ~。
 なんだかんだとたわいもない話をしながら過ごす日曜日。
 歩くことよりも自転車が多いので、4~5キロも歩くと腹も減る。
 「財布は持ってきていないよ」と妻がいうが、ここはセレブな我が家(笑)の「貧乏な私の財布」が物を言う。
 ちょっと、こだわりのラーメン店で昼食にする。
 
 なんとも、のんびりとした日曜日である。


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2010.03.13

就職氷河期

3月13日(土) 週末出勤

 週末の休日というのに出勤した。
 出掛けに曇っていた空から、雨が降り出して自転車も人も濡れる。
 こんな休日出勤の日は晴れててもしかたがないから、雨、ふん!おあつらえ向きだ。
 ・・・で出勤したら、一人増え、二人増え、3月の年度末の光景だと思う。

 非正規雇用が正規雇用に取って代ろうかという現象だが、労働者が安心して暮らせるのは、やはり正規雇用の道だと思う。
 自由に気ままに仕事ができるなんて誤魔化しは、自由に気ままに雇用調整できるという会社の論理の押し付けにすぎない。
 社会保険も完備されない労働は、日本的終身雇用が再評価され始めた時代の流れに逆行している。
 一方で非正規雇用者がリストラされ職に困っているのに、他方で正規雇用労働者の長時間労働が増えているのは、おかしな現象だと思う。 

 中日新聞に大学生の本年度の就職内定率が80パーセント、最低の年であると書かれていた。
 記事を読んでいたらこんな「つぶやき」が目に止まった。
 「時代によって採用状況が違うのは不公平だと・・・」
 たしかにその通りだと思う。

 企業が経済状況によって雇用を変えるのはありえるとしても、雇用は100年の計だと思うから、リスクを負ってでも、採用するのが企業の社会的役割だと思うわけだ。
 20パーセントの若者の働く場所が決まっていない。
 数字の問題ではなくて、その一人一人の人生や暮らしが問題だということ。
 
 来春に就職を控える娘の就職に対する不安が日増しに高まって「就職できるんだろうか?」と。
 20世紀が労働者の社会的地位向上と安定の道を歩んだ時代だったとしたら、いったい、いつからこんな将来の展望に期待がもてない社会になってしまったのかと思う。

 経済の問題はとどのつまり政治の問題だと思うが、ショーアップされパフォーマンスばかりが目につく劇場型選挙のあれこれが政治になってる社会。
 こういう閉塞した時代には、独裁者型の政治家が生まれやすいし、それを熱狂的に支持する民衆が生まれてもおかしくないのが過っての時代でもあった。

 ますます、本物と偽物を見分ける力が大切な時代になってきたなぁと思う週末だ。
 

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2010.03.11

頑張れって言うかぁ~、楽しめって言うかぁ~ 妻

3月11日(木) 自転車通勤の動機

 朝起きると妻の自転車(GIANT ESCAPE M Classic)がスタンバイしている。
 おやぁ~?
 「今日は自転車通勤するのよ・・・」
 おお!、いよいよ自転車に本格的に目覚めたってことか。
 妻の職場までならばゆっくり走っても30分。
 花粉症と疲れることが嫌いなはずの妻のこの心境の変化はなぜ。
 まあ、帰宅してから聞いてみようと・・・。

 思うのだが、自転車通勤しているからといってなにも偉いわけではない。
 エコに貢献しているとか、メタボ対策に効果があるから素晴らしいってことでもない。
 ましてや、人様に褒められようなんて気はさらさらない。
 そういう、気持ちでは自転車通勤なんて、続かないものだと思う。

 自転車を走らせて、ただただ実感するその楽しさが身につくと止められないだけだ。
 愛犬に散歩は疲れるだろう?って問いかけるのと同じで、犬が歩くのと同じ心境だと思う。
 先日、職場までの距離を自転車のメーターで再計測したら12.5キロだった。
 思ってたよりも1.5キロ少なかったが、それを40分で走る
 時速に換算すると、12.5×60÷40で、およそ時速19キロってことになる。
 信号待ちもあるから、平均速度は20キロを超えていると思う。

 市街地の車の法定速度制限を30キロにすれば、交通事故も渋滞も車も確実に減り、自転車利用も増えると思うが、そんなヨーロッパスタイルは、車社会の日本では夢のようなものだろう。
 市街地の車の法定速度を30キロに制限!!まだまだ理解されないだろうな。

 帰宅して「自転車通勤したの?」と聞いてみたら、「うん」との返事だった。
 「いよいよ、自転車通勤?明日も晴れそうだけど・・・」
 「明日は乗らない」
 「う~ん、で、何で今日は自転車通勤したわけ?」
 「昨日、ちょっと食べ過ぎたからよ」

 もう一度書いておこう、自転車通勤してるからって、偉いわけでも立派なことでも何でもない。
 人それぞれに応じた、自転車ライフをエンジョイすればいいと思う。
 この季節、花粉症に殺られるからと言ってた妻が、初自転車通勤をしたってこと。
 こと自転車に関しては「頑張らない」のをモットーにしている妻・・・動機は不純(笑)だけどよく頑張った。
 頑張らずにガンバって、自分流の自転車ライフを見つけてくれればOKだよな。
 自転車は楽しむものだから。
 

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2010.03.10

貧困

3月10日(水) つぶやき

 お金が無いから病院にかかれない。
 病院にかかれないから、痛みを我慢しながら暮らしている。
 暮らしていると言っても、ほとんど布団の中で耐えてる日々。
 子どももおおぜいいるから、働いている上の子の収入が一家のすべて。
 だけど義務教育をなんとか終えたほどでは正規雇用もままならないアルバイト収入。
 一月10数万円たらずの、その日くらしでは、インスタントラーメンも立派な主食となる。
 親は貧しさの中で、これ以上は子どもに迷惑をかけられないから、医療費の自己負担も惜しんで、病院にはかからない。
 いや、かかりたいのだけど、かかりたくない。
 貧困が世代連鎖するように親から子へ受け継がれて行く。
 優しい人たちだ!と思っていたが、そうじゃない。
 貧困が暮らしを変える意欲も夢も奪ってしまって、ただその日を耐えて過ぎて行くのに慣れきってしまう無気力感。
 貧しさの坩堝から抜け出す気力も、ガスや電気の止まる不安にかき消される。
 下の子どもたちは、この貧困家庭から抜け出すことができるのだろうか。
 明日に向うことよりも、この日を過ごすことに精一杯なのだ。
 日本の貧困地帯がここにもあった。

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2010.03.09

「エイリアンの地球ライフ」

3月9日(火) ちょっとだけ感想

 高機能自閉症、アスペルガー症候群というあまり聞きなれない障がいをもった著者の本。
 手短に著者の言葉で言うと「ちょっとものの感じ方や表現のしかたが風変わりで、コミュニケーション下手で、社会にとけこんで人付き合いを無難にこなすのが苦手な人」というわかりやすい言い方。

 生きづらい、コミュニケーションがとりづらい、空気が読めない・・・そういう、なんだか人と違う感じ方に特徴があるのも、こうした人だろう。
 まあ、そういう診断名を持った著者の奮闘ぶりを読むと、何だか自分にもよく似た部分も見いだす。
 障がいとまではいかなくとも、なんだか理解できるなぁ~という程度だが。

 人と話す機会の多い仕事をしていると、「ちょっと変わってるな」と思う方々と話すことも少なくない。
 それが、こだわりの強い人だったり、感情表現のはっきりしない人だったり、ほとんど会話のキャッチボールが成立しなくて一方通行だったり、人におかまいなしに自己主張だけしたり・・・

 そういう気質や性格のように見える人と接していると、「なぜこの人は、そう考えるのか、振舞うのか?」そこに、疑問をもつことも多い。
 そういう人に対して「なんだこいつは変人か?」などと一刀両断に決め付けて見るよりも、どこに、そんな思考をする原因というか因子みたいなものがあるのかと、そう思うわけだ。

 この広汎性発達障害という特徴のいくつかを知ることも、人を理解する上での手助けとなるもので、もう一つの人を理解する方法としてのアダルトチルドレン(AC)とあわせて、実に興味深いものがある。

 自分のなかに、よく似た特徴を発見もするし、何よりも「生きにくい」「人間関係に悩む」と強く思ってる人にとって、それが障がいであろうがなかろうが、こうした本は、その理解の手助けになるだろうと思う。

 人の心のあり方へのアプローチ、そういう問題に関心を寄せることのできる一冊。
 もう一つ、人が生きて暮らすにあたって「幸せ」ってなんだろう?とそういう疑問にも答えを出している本じゃないかとも思う。

 けっして難しい専門分野の理解というよりも、ごく普通に暮らす自分の中にある「生きかた」を問い直すことができた一冊だし、人を理解することの手助けとなる一冊だ。

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2010.03.08

趣味の世界

3月8日(月)  そういう季節なんだなぁ

 ・・・そういう季節がやってきた。
 職場のまわりを見渡すと、そろそろ苦痛に歪んだ表情の人が多くなる。
 ご多分に漏れず、このところ小言の多い妻が鼻の穴にティッシュを詰めて・・・
 蓮根のすりおろし汁の民間療法もやってるが、効き目落ちてるようだし。
 花粉症の季節到来ってわけだ。
 
 週末にワカサギ釣りに出かけた職場の方々に戦果を聞くと・・・0匹との返事。
 なんとまあ遠路はるばる出かけ一匹も釣れないとはお気の毒としか言いようが無い。

 趣味にはいろいろあるが、職場にもパン作り、考古学調査、隠れカメラマン、絵描き・・・そういう趣味をお持ちの方々がいる。
 それなりに、何年もかけて築き上げてきたものには、ちょっとアマ以上でプロ以下のものがある。
 楽しんで、趣味に没頭できるのはいいもので、立派なストレス解消法になるものだ。

 まあ、必死で「The趣味」などと思い込む人もいるようだが、楽しめてナンボの世界だと思うから、楽しめなければすぐに飽きて次から次へと「The趣味」を繰り返すことになる。 
 
 いろいろある趣味の話を聞くと、なんだか面白そうだなぁ~と思うが、ホイホイと手を出さないのが肝っ玉の小さい自分である。
 そんな趣味の中で、おそらく死んでもやらないと思うのが「ゴルフ」と「釣り」である。
 ゴルフについては、ちょっと「こだわり解釈」を持ってるが、まあここでは述べないとして、釣りの方である。

 どうも長年、釣り好きの人は気が長い人だと思い込んでいたが違うようだ。
 釣り好きは「短気」な人が多く、のんびり屋には向かないものらしい。
 日長、ぼ~っと釣り糸を垂れて、のんびり過ごすとばかり思っていたら、そうでもなく、こちらと思えば又々あちらと、せわしなく場所を変えて、釣りに興じるらしいから、たしかにのんびり屋には向かない。
 見た目の釣りの「のんびりムード」とは違って、魚との格闘技に近いのかも知れない。

 釣りの醍醐味を説明してもらっても、正直もう一つ楽しいと思えない。
 釣りさおを構えているよりも、湖畔のサイクリングロードを何周も走っているほうが、ず~っと面白いと思う。

 第一、命ある魚を釣り上げて魚も痛かろう・・・これは、むりやり付けた口実(笑)
 やっぱり、釣りの楽しさは良くわからないので、「寅さん」映画は面白いが、「釣りバカ日誌」は今ひとつなじめない。
 「食わず嫌い」に似たものだとも思うが、一日かけて釣りに出かけて成果が0匹でも、懲りもせずに又出かける根性・・・そこだけは、とてもよく理解できる。
 やっぱし、そこは趣味の世界の共通点だと思うわけだ。
  

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2010.03.07

晴耕雨読

3月7日(日) ひきこもり生活

 何度も何度も窓を開けて、水溜りの雨の波紋を確認するが、一向に止む気配が無い。
 少しでも降り止んでくれたら、その間隙をぬって名古屋城の梅の花を眺めに行こうと思っていた日曜日。
 妻は日曜出勤でいないし子どもらも外出している。
 「一日ひきこもりだなぁ」と腹を決めて借りてきた本を二冊ほど読む。
 その合間に部屋の片付けに精をだし、雨空を恨んでもしかたない。

 晴耕雨読。晴れた日には田を耕し雨の日は読書をする、昔からの自然に逆らわない暮らし方でもある。
 耕すような田んぼの代わりに自転車に乗って街角散歩の日課もあるし、今日のような雨の日は家の中。

 だから、一日「ひきこもり生活」というわけだが、一人家に居てセッセと部屋の乱雑に詰まれた書類や手紙やあれこれを整理し、ベッドに横になって本を開く。
 こういう暮らし方が特別苦にならないから、退職して老後を淡々と暮らすことに案外適応力があるのではとも思っている。
 
 暮らしとはバランスの上に成り立っているもので、自然に逆らうことなく、その暮らしに適応できることが「自立」だと思う。
 趣味がなければ老後の生き甲斐が無いというのは嘘だと思う。
 何も無いごく普通の日常生活のなかに、自分の暮らしを築いて、自然の流れにそった生き方をする・・・
 人間関係も同じことだ・・・と思う。情報が氾濫して、人との繋がりを「趣味」や「インターネットの世界」に置き換えていると、知らぬ間に何かに依存した暮らしになってしまう。

 「もう、ほとんどプライドなんてものは無いんだよな~」と独り言。
 資産や資力の大小や社会的な地位や名誉といった欲は、自分をギクシャクした生活に縛り付けるものだし、そんなところに、落ち着いた暮らしなどありはしないものだ。

 夕食を終えて、「何だか甘いものが食べたいよなぁ~」って言うと、「私も食べたい」と妻が・・・
 それではと、近所のコンビニにチョコレートとアイスクリームを買いに行くことにした。
 まだ小雨が降ってるから、本来ならば夜の自転車となるところを、車を走らせて。
 いつも職場の人たちに「残業の菓子」を貰うことが多いから、袋に小分けされたチョコもついでに買う。
 
 一向に雨は降り止まない。
 車の助手席から「もう少し左に寄らないと・・・」と小言が漏れてくるけれど、たかだかコンビニまでのことであるが、「買いに行こうか?」「うん」となるところに我が家のバランスがあるのかも知れない。
 
 本日の読書。「大江戸残酷物語」「エイリアンの地球ライフ」、速読できないんだなぁ~
 
 
 

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2010.03.06

雨上がりの週末

3月6日(土) 夕暮れの名城公園

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 朝から雨が降っていた土曜日。
 せっかくの週末が雨降りだと、なんだか損な気分だ。
 しかたなく、一日読みかけの本を開いて過ごそうと決めてたが、うとうとと・・・

 今週はちょっと予期せぬ仕事も舞い込んで追われた一週間だったので、昼間っから布団に入れば瞼も重くなるってものだ。
 一年は1月に始まり12月に終わるが、「年度」って区切りは4月から翌年の3月。
 「年」と「年度」の違い。学生にとっては「年度」が大きな区切りで自分の仕事も同じ区切り。
 3月は一年で一番忙しくそれは来月まで続くわけだ、なんだかな~

 うとうとと眠り込んで目が覚めたのが午後、寝溜めするようによく寝たら、すっかり雨上がり。
 「自転車のサドルバックが壊れてしまったから買いに・・・」
 そんな口実で、雨上がりの街を走った。
 空気も道路も街並みも、すっかり雨が洗い流してくれて清々しい。
 雨上がりの街を、骨伝導のipod音楽と一緒に走ると、ハクモクレンの蕾が春を待ちわびている。
 
 1時間でも2時間でも街並みを散策するように旧美濃路街道も走って・・・
 一つ奥まったこの旧街道にはところどころ古民家が残って、屋根神も見られる。
 いつも、ここを通るときに思うのは、織田信長が桶狭間に出陣した街道であり、かっては清洲の刑場に罪人が運ばれた道だろうと、そんなことを思い巡らす。

 
 名古屋城のある名城公園で一息ついたのは夕暮れの闇もそこまで来ていた。名古屋城の梅は満開だろうか?
 名古屋城もライトアップされていた。
 名古屋空襲で焼け落ちたこの城はコンクリートの城に再建されたが、豊臣の家臣だった加藤清正、福島正則らの築城の技術の見事さも石垣の重厚さに残り、昔を偲ぶには充分だろう。
 城よりも、こうした豊臣秀吉の家臣らの滅びの歴史のほうが、この城にまとわりつく。

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 名古屋の街もそのときどきの風情を見せてくれるから飽きないものだ。


 

 

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2010.03.02

ゆるゆる社会派ドラマ

3月2日(火) あはは、またしても「泣かないと決めた日」なのだ

 そういえば、世の中「ゆるキャラ」ブームのようだ。
 とぼけた表情のキャラクターが癒しになると言われてるが、どこが癒しなのかちっともよくわからない。
 こういうのを好むかどうかは千差万別、どこがいいのだろう?

 娘のノリに乗せられて、またしても火9のテレビドラマ「泣かないと決めた日」を観てしまった。
 社内イジメあり、DVあり、社内不祥事あり、社内恋愛あり、女性の経済的自立あり・・・
 ちょっとした社会派ドラマ仕立てになってる、それも「不毛地帯」などのカチカチの社会派ドラマではなくて、ちょっと「ゆるゆる社会派ドラマ」って感じがする。

 この「ゆるゆる」ってところが、軽く物語りのストーリーを楽しめていい。
 こういう傾向って最近の目立った特徴なのかも知れないなぁ。
 真剣に「職場の人間関係」なんてのに向き合うと、ず~んと重圧がかかってしまう。
 「ゆるゆる」がコミュニケーションの方法論になって、着かず離れず、「~みたいなぁ」って自己主張を避けて、客体を装う。
 ある意味、処世論のようなもので、そうしなければ世間を渡るのが苦しい時代ってことなのかも知れない。

 それに比べるならば、子ども達の発想のストレートさは気持ちが良いものだ。
 自転車通勤の途中で、いつも登校児童の集団にあう。
 「一年生になったなら~♪」って皆で歌っていたら、誰かが言い出した。
 「六年生から反対に歌ってみようよ」
 それで、大きな子から小さな子まで「六年生になったなら~○×△◇~♪」と大合唱。
 一年生の子が六年生になって、どうしようというのだ?って思うのは大人。
 ちょっと微笑ましい集団コミュニケーションのとりかただ。

 しかし「泣かないと決めた日」のタイトルどおり、強い自立したヒロインはまだ登場していない。
 毎回、涙を見せているヒロイン・・・、そこがこのドラマの重要なシーンかも(笑)
 ゆるゆる社会派ドラマの隠し味ってことだろうか。

 てなわけで、おおいに楽しんで見るべし!

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2010.03.01

あれこれ図書館本

3月1日(月) ちょっとエイリアンで、猟奇的で、戦国で、山頭火・・・

 せっかくの満月が雲に隠れてる雨の名古屋なんだなぁ~
 残念無念!!

 しかし3月になっても変わり映えのしない日々が続いている。
 劇的な出来事があれば、テンションが上がったり下がったりと楽しいだろうが・・・いや疲れてしまうかな。
 とにかく、これといってドキドキ感もなければ、苦悩する日々でもない毎日。
 平凡であれば非凡な日々を期待し、感情の高ぶるときは何も無い日常を欲するという、なんだか「やじろべぇ」のような吊り合う心かも。

 歳を重ねると、若い頃ほど感動することも少なくなってくる。
 経験値が増えると少々のことでは驚かなくなるから、これを心の安定とみるのか、情緒の枯渇とみるのか、どちらなんだろう。
 バンクーバー冬季オリンピックも「感動をありがとう!」などと言うほど、そんなに感動もしなかったが、ほどほどに、カーリングやスノーボードやフィギュアスケートに「ほほぉ~」と見入る程度であった。
 もしかしたら、感動を忘れた可哀想な自分なのかもね(笑)

 昨日は久しぶりに図書館の本の貸し出しに行ってきた。
 詠みかけの本も数冊、同時並行して読んでるが、まだまだ欲深いってわけだ。
 日頃の平々凡々とした暮らしが続いていると、ちょっと変化を求める気持ちが、貸し出し本にも現われる。
 
 いったい、どんな本を借りているのか、少し書き出してみる。

 「エイリアンの地球ライフ」 泉流星 新潮社  
   これは以前読んだ「僕の妻はエイリアン」という高機能自閉症の著者の続編か。
 「酔いどれ山頭火 何を求める風の中ゆく」 植田草介 河出書房新社
   種田山頭火の最近本であるが、もう山頭火関係は何冊目になるのだろうか
 「大江戸残酷物語」 氏家幹人 洋泉社
   歴史ブームの中の知られざる猟奇的残酷史、けっして私は猟奇趣味などないが。
 「飢餓と戦争の戦国を行く」 藤本久志 朝日選書
   鎌倉期から戦国時代まで、戦争と飢餓の歴史として書かれているようだ
 「戦国の城を歩く」 千田嘉博 筑摩書房
   城を城郭の歴史として解説されてる本のようだ

 これを貸し出し期間内で読みきることは難しいと思うが、なんとも知的好奇心に火がつく本ばかりだと思う。
 いや、人によっては「何でそんな本なの?どこが面白いの」となるかも知れない。
 どういう本を好むかってのは、やっぱりその人の性格や気質によるものだと思う。
 役に立つかどうかと言ったら・・・どれもこれも役に立たない。
 読書ってのはやっぱり1+1=2といった直線的なものじゃないと思うんだなぁ。
 

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