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2009年5月

2009.05.31

仙人になりたい~♪

5月31日 新緑の香りがたまらない。

 昨夜からの雨も午前中にあがっりました。
 青空ものぞいたから早速久しぶりの自転車散歩で庄内緑地公園へ。
 雨上がりの新緑の香りはなんとも言えないいい気分です。
 樹々の香りが、爽やかな風に乗ってやってきます。

Img_0056

 こういう光景の中をのんびりと走っていると、いつまでも飽きません。
 自分の気に入ったものを肌で感じて、その風景を記憶にとどめ積み上げていくと、また新しい発見があって、「愉しみ」ってのは、そんなふうに広がっていくようにも思います。

 しかし、日頃のストレスの多い暮らしと比べると、日常からタイムスリップしたくなります。

 仙人です。

 仙人といっても、武術に長けて何十年と修練を積んだ、亀仙人のようなのじゃなくて、ただ、ただ俗界と隔てた自然界で霞を食べて暮らす、そんな仙人のイメージ。

 そうそう、仙人って不老不死の術も心得てるらしいから、少しでも俗界に未練や煩悩を持ってると、不老不死そのものに耐えられないだろうな。

 街に住んで、余計な人間関係などに気を使って、いらぬ煩悩に悩まされて、そういうものから離れるには、田舎暮らしが魅力だけれど・・・

 週末の「田舎暮らし」に出張して、ほどほどに飽きた頃に、また都会に戻ってきて、そういう暮らしって、やっぱり良いにつけ悪いにつけ、人間社会からの小さな逃避行なんだろうな。

 いっそのこと、スパッと脱サラして、誰も来ない田舎に移住したとしても、ファストフードや乗用車やTV・PCに慣れきったスタイルが切り替わるものだろうかとも思う。

 それならば、いっそのこと田舎暮らしに憧れるよりも、霞を喰らい、雲に乗って、自然とともに不老不死の世界を眺め続けるような、そんな仙人になりたいものだ。(笑)

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2009.05.30

ヒートアイランド現象

5月30日 名古屋は暑いわけです。
 
 全開した窓から涼しい風が通り抜けています。
 もうすぐ梅雨がきて、真夏のうだるような暑さはその先に待ってるのですが。

 どうも、今週はめずらしく都心のヒートアイランド現象のような職場風景に、ちょっと怒りがヒートアップした一週間でした。
 だから、涼風のような爽やかな出来事を探さなくっちゃ、っていう心持ちです。

 気象庁が東海地方のヒートアイランド現象の調査結果をだしたと中日新聞に載っていました。
 それによると、都心の気温が周辺よりも高くなるというこの現象で、名古屋は気温が最大3~4度上昇しているといいます。
 その原因としては①ビルなどの建物が日中ため込んだ熱を排出する。②産業活動で熱を排出する。などが挙げられています。

 相変わらず、街の中心部ではコンクリートのビルと空中道路の建設が進んでいます。
 天邪鬼的な言い方をすれば、「100年に一度の未曾有の不況」は地球温暖化抑制に貢献してるというヒニクな結果です。
 
 それで名古屋の平均気温は100年に2.8度上昇してるというから、何年か後には間違いなく亜熱帯もしくは砂漠のような気候になってる。
 そしたら「名古屋城の金の鯱」や「テレビ塔」などが、四季が美しかったあの頃の名古屋などと懐かしがられてるかも・・・

 まあ、名古屋だけじゃなくて、東京は3.3度、大阪は2.9度の上昇だそうで日本全土から季節なんか消えてしまうってことです。
 その頃には今生きてる人々は誰もいないわけだけれど。

 などと言いつつ、今日は「感動」とまでは行かなかったけれど、数年前に上映された映画「幸せのレシピ」がWOWOWで放送されていました。
 交通事故で死んだ姉の一人娘を引き取った主人公のレストランの女性シェフが同じ店に雇われたライバルの優しさにひかれ、三人の新しい家族の絆で結ばれた店をオープンする・・・そんな幸せなストーリーです。

 こういうハッピー・エンドで観終える映画がいいと思える心もちです。
 主人公の幸せへの道をいっしょに楽しめるから、疲れたときに観ると無心になれますね。

 ソファーで妻とゆったり観てたら、あれれ、もうこんな時間。
 「じゃぁ、最後まで観て今夜の幸せのレシピは家族で美味しいパスタのお店に行こうか」
 明日の元気のために、おしゃれなパスタの店で・・・

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2009.05.28

どいつも、こいつも・・・

5月28日 怒 

 「今日はいつもの温厚な○○さんじゃないですね」と同僚に言われた。
 腹立たしい!と感じることは、ひとそれぞれちがいがあるけれど、今日は一日怒りモード。

 他人のミスとか間違いとか失敗とか不注意とか、そういうものは腹を立てるに値しないし、悪口なんてレベルも、まあそういうふうにしか表現できない人の特徴だから、反論に値しないと思ってるわけです。

 けれど、管理責任をまっとうしない管理職、責任逃れのためならば誰が苦しもうが意に介さない責任者。
 こういう輩は、地位という権力を持ってるから余計にタチが悪い。

 偉そうに大ぼらを吹きながら、やることは保身のためのガードを張りめぐらすことばかり。
 社会性なんて欠片もない自己中心主義。

 人権感覚を喪失して、上から目線で、ほどこし福祉を当たり前と思う輩。
 
 まったく「どいつもこいつも・・・」って思うと、腹立たしくなるので、こういう日記はあまり書きたくないが、今日はそういう腹立たしさいっぱいの出来事ばかりでした。

 普段ならば、まあそのうちに窮地に立たされて、ちょっとは学習するだろう?などと思う余裕もあるが、そんな日ばかりでもない。

 格差社会や官僚社会というのは、それを支えるイデオロギーを実践する人がいて成り立つ。
 人の痛みや苦しみに鈍感で、なおかつ社会的地位の高い人物の抑圧的言動は、ごく普通の庶民の間違った抑圧感情とは、天と地ほどの違いがあるしその責任も決定的に違う。

 そういう人々がこの誰も責任をとらない無責任社会を支えているわけで、まったく、どいつもこいつも・・・
 ちょっとは、自分の損得ばかりじゃなくて、「自分たち」の幸せっていう発想を持てよな!って言いたい。

 疲れるなぁ~って思うのが半分で、残りはキャパが小さい自分を嘆いてしまうなぁ~ ┐(´д`)┌ヤレヤレ

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2009.05.27

絶望行動

5月27日 強い心と弱い心

 メンタルによる休職者の話が伝わってきました。
 もう何人目なんだろう。
 原因や要因はいろいろであっても、この職場は何とストレスに無防備で無理解なところなんだろうと思う。
 
 「メンタルな病に罹るのは、心が弱いからだ」と思ってる人も多く、そういう言葉を聞くと、この人は自分はけっしてメンタルな病気にはならないと思い込んでいるんだろうと思う。

 今では「うつ病」なんていうのは、小学生からお年寄りまで、誰しも病気になる可能性があると言われているけれど、誰もが自分は違うと思い込んでいるから、結局、こうした病気は「ドクターにお任せ」、せいぜい「うつ病の人には励ましの言葉は厳禁!」という程度の関わり方しか見出せないでいる。

 もちろん、自分もそんな病気の専門的な知識など持ち合わせていないから、適切な対処などできないと思っているけれど、円滑な人間関係が築かれれば、そんな病気にまで追い込まれる人も減るのではとも思っている。

 みんな自分の事で精一杯で、他人のことに目を向ける余裕もないのが現状なんでしょう。

 少し前の中日新聞に「マウスの絶望行動」という記事が載っていて興味深いものがあった。
 
 尾を固定したり水槽の中で泳がせたりするなど逃げられなくすると、最初は逃げようとするが、その後あきらめ、一定時間、動かなくなる行動で、どのマウスにも起こる正常な反応 (同新聞記事より)・・・を絶望行動というそうだ。

 で、正常なマウスと異常がある変異マウスとの比較実験では、変異マウスには絶望行動が見られず、遺伝子レベルでの関係も特定されたという。
 まあ、そういう専門的なことはわからなくても、こうした絶望行動は、ごく普通の遺伝子の中にその要因があるようだから、何も特に「心が弱い」とか「ストレスに弱い」とかの心の持ち方だけの問題ではないわけだ。

 強いストレス、特に出口の見えない絶望的な環境に置かれると、マウスも人間も「絶望行動」をとるという点では同じだと思う。

 自分も経験したことだけれど、この絶望的でどうしようもないと感じると、全てのことに対して「気力」が生まれなくなり、出来る限り放置しておいて欲しくなる。
 何も考えなくて眠っていることが、もっとも普通の状態になるってわけだ。
 
 うつ的な状態になったときは、だから仕事から遠ざかり、休養をとることによって快復へと進む。
 「マウスの絶望行動」と同じで、当たり前の正常な反応というわけ。
 
 問題は、ほとんど出口なしの絶望的な心理状態にまで追い込まれる、そうした環境下にメンタルケアなく孤独に放置されるところにある。
 職場ではメンタリティは個人の心の問題だと決め込んでいるから、適切なケアなど誰もしない。
 職場の管理職になればなるほど、自分の管理能力を問われるから、「個人の心の病気」へと追いやってしまう。
 
 誰しもが、強い叱責や人権無視や過重労働の中で「出口なしの絶望感」を感じ続ければ、かんたんに「うつ病」にもなれるわけである。
 「絶望行動」って言われているが、本当は「危険を回避する自己保全行動」だと思える。
 
 疲れたら休養して、じっと固まって「絶望行動」をとるというのは、人間らしい正常な反応なんだが・・・・
 

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2009.05.26

微笑み

5月26日 笑顔の王様

 今日は嫌な話もあったし、辛い話もあったし、良い話もあった。
 そういういろんな話がテンコ盛りの日は、ちょっと反応を控えめにして目立たないのがよい。
 ♪人生苦もありゃ、楽もある~なのです。
 
 笑顔と言ってもいろいろある。
 ニコッと笑う笑顔、大らかに笑う笑顔、漫才師のようなおどけた笑顔・・・
 けれども、何ていっても笑顔の王様は「微笑み(ほほえみ)」ですね。
 屈託のない、心底からの笑顔ということです。

 顔は笑っていても、瞳は冷めている、そんな笑い顔もあります。
 能面のような笑いでしょうか。
 笑顔の裏の意地悪い本心が、言葉となって漏れてくるってことです。

 それら全て「笑い顔」の範疇なんだけれど、人の表情っていうのはやっぱり嘘をつかないものです。
 話しかけるといつも笑顔で応えてくれる若い方がいます。
 ニコッと笑えばそれだけで人を癒す力があるものです。
 けれど、そんな笑顔であっても辛いときや苦しいときもあるわけです。
 その辛さや苦しさを笑顔がオブラートのように包んで、その人の表情になります。
 
 時々、その笑顔に隠されている辛さも見えてきます。
 けれど、そういう辛さ苦しさに負けまいと頑張っている表情はいじらしくも可愛くも感じられます。
 「頑張る!」っていうのは、きっと自分の良さを肯定し表現することにあるんでしょう。
 頑張り過ぎなければいいが・・・
 
 屈託の無い明るい笑顔の人も、それぞれの苦しみや辛さを持ちながら、笑顔が人と人の親和力となって相互の癒しとなるから、笑顔に努めるわけです。
 ほんとうに、天然ボケと言われるような、根っからのお人よしなどは一握りに過ぎない。
 
 そういう、辛さや苦しさを保ちながら笑顔で人と接することができれば、それほど人に安心感を与えることはありません。
 だから、少しでもそういう人に近づきたいと思っている毎日です。 
 
 ブログ日記も同じですね。
 楽しく明るい日々の出来事を出来る限り見つけ出して綴ることができれば幸せです。
 そんな幸せなことばかりじゃないからこそ、そういう小さな出来事を探すわけです。

 今日は病気で仕事を休んでいる友人と久しぶりに会うことが出来ました。
 微笑むような笑顔がとてもよかった。
 この笑顔は昔からちっとも変わっていないなぁ~♪ 

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2009.05.25

電波障害と地デジ化

5月25日 微妙~

 名古屋駅周辺の再開発による高層ビルの出現なのか、我が家のテレビに電波障害の可能性があるという。

 それで、この電波障害の対策としてアナログ地上波のかわりに、デジタル地上波のコンバーターを取り付けることで、障害を解消するという説明を受けました。

 今のアナログ地上波テレビは2011年7月24日をもって、電波送信が停止されるから、地デジ対応のテレビに買い換えるか、地デジ変換のコンバーターを取り付けなければ、テレビ放送を見ることが出来なくなる。

 今のままで良いと思っていても、アナログ放送が停止するわけだから、このままではお茶の間のテレビは単なるブラックボックスになってしまうわけで、何らかの対応を迫られて、何らかの出費が必要になる。

 そんなにしてまで地上デジタル放送にしなければならないものだろうか。
 ETCもそうだけれど、この地デジ化ってのも、どうみたってこの手の業界が利益を受けるわけで、業界というか米国というか、そうした人たちの思惑がプンプンと匂うわけです。
 
 そんな、アナログ地上波の停止まで、あと2年ちょっとになって、我が家でも「デジタル地上波」になったらどうしようかと話していた矢先。
 たまたま、アナログ地上波テレビの電波障害地域だったので見事に全部のテレビ受像機にデジタル地上波コンバーターがつきました。

 ただし、これまで不安定な画像でも見れた「三重テレビ」などはまったく映らないし、空いている「ビデオ1」なんていうチャンネルに繋がっているコンバーターなので、操作がやや複雑化されてしまった。
 チャンネルリモコンも二つになって、ややこしい。

 ごく普通にテレビを見ているお年寄りにとっても、こういうややこしさには閉口するだろうし、なによりもこれまで見ていたテレビで充分だと思ってる人にとっては、デジタル地上波になろうが、なんの恩恵もありはしない。
 そんなに急いで、デジタル地上波にする意味は・・・・やっぱり、その手の業界の思惑としか考えられない。

 デジタル地上波への転換によって、画像が鮮明になると言われてるが、一方では時報などはタイムラグが発生するようだし、それよりも何よりも「出費が必要になる!」ってことです。
 現在、電波受信が困難な地域では、場合によってはまったく受診が出来なくなることもありえそうだし、猫も杓子も「デジタル化」を全てよしとするのも考えものだと思う。

 アナログ電波障害があるならば、中継地点に電波塔(アンテナ)を設置すれば事足りるような気もするが、デジタル化が規定路線になってるから、デジタル地上波コンバーターで対処するということなんだろう。

 しかし、年々こうした家電機器の取り扱いが複雑化して、ますます理解する根気がなくなるのを痛感します。
 だから、お年寄りの気持ちが痛いほどわかるような気がする。
 歳をとったらシンプルなものが一番です(笑)
 

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2009.05.24

読みと賭け

5月24日 職場の卓球大会でした

 卓球の前にプロ野球セ・パ交流戦。

 中日対日本ハムが行われ7回まで川井投手が打たれながらも0封してたら、な、な、なんと8回に登板したのは、元巨人の河原投手。

 1年9ヵ月ぶりの一軍、自由契約からテスト入団しての登板でした。
 テレビの解説者は「球威が無い、スピードも140キロ出ない、ピッチャーがいないか、よほど調子がいいかどちらかの登板」などと・・・

 楽天の野村監督が「野村再生工場」なんて言われたことがあったけれど、川井投手の勝利がかかり、前回のロッテ戦の逆転負けの二の舞か!と想起してもおかしくない河原投手の起用でした。
 ファンはやきもき「浅尾-岩瀬で完封勝利だろう?」と思うものです。

 読みと賭けの違いなんだと思うんですね。
 球威がなくても、きっちりと外角低めにコントロールされた投球で「抑えるだろう」と読む。
 事実、谷繁捕手もそこに球を要求したリードだった。
 
 球威がありスピードがあり球団一二を争うピッチャーだけでは一年は戦えない。
 調子が悪かろうが、球威がなかろうが、コントロールが悪かろうが・・・つまりは持ってる力は投手それぞれ。
 そこんところを、試合で出せるように采配する、賭けじゃなくて、やっぱり「読み」なんでしょう。

 そんなわけで、今日の職場の卓球大会はというと。
 まずは結果から 男子2勝1敗(予選2位も決勝進めず)、女子2勝1敗(予選リーグないため準優勝)
 無事戦い終えて、めでたし♪めでたし♪

 いやぁ~、何が面白かったかというと、団体戦だから対戦組合せオーダーってのがあって、「読み」がズバリ的中。
 勝つべきところで勝って、負けるべきところで負けました。
 つまり、持ってる現在の力量を順当に発揮できる対戦相手にみなが恵まれたってことです。

 勝つことを楽しめたのが今日の大会の最大の成果だった。
 もっとも中日ドラゴンズとは違って、本当は読みが的中というよりも賭けが成功したってことですが(笑)  
 落合監督の度量の広さというか「読み」の深さを感じましたね~♪ 

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2009.05.23

プレ・虫歯予防週間

5月23日 歯医者に行く

 6月4日の虫歯予防週間を待たずして、奥歯の親知らずが痛んだので、何年ぶりかで歯医者にいきました。
 6(ム)と4(シ)で虫歯予防デー、いろんな記念日とか○○の日が数字の語呂合わせであります。

 そんな語呂合わせの日などすぐに忘れてしまうけれど、この6月4日だけは子どもの頃から、もっともわかりやすい「ム」「シ」歯の日です。

 小学校の頃は毎年ポスター書きもさせられて、白い歯に黒いばい菌マンを描いたものでした。
 けれども、そんな歯科衛生教育の効果はほとんどなかった自分。
 どちらかというと、歯と骨というカルシュウム系の弱点が、歳をとっても苦しめられます。

 しかし、最近の医療機器、医療技術の進歩は目を見張るものがあります。
 レントゲンを撮って、その映像がすぐさま治療台のモニターに映され、治療方針を説明してくれます。
 とてもわかりやすい。

 「奥歯ですからね、ちょっと大変な治療になりますよ」
 「えっ!大変って、痛いのですか? 痛みには滅法弱いんですが・・・」

 歯医者嫌いになったのは、子どもの頃のウィ~ン、ガガガガ~っていうあのおそろしい機械音と痛みにつきます。
 
 「いやいや、大変っていうのは大きく口を開けてちょっと時間もかかるということです」
 「あっそうですか!よかった、痛くなければなんでもいいです。」
 
 この会話を妻に言ったら、「そんなことでどうするの、私は痛みには強いわよ」
 歯の治療=痛み・・・幼少のトラウマですね。

 麻酔注射も痛くない、歯を削るのも痛くない、神経の治療も痛くない。
 医療技術っていうのは日に日に進歩していると実感しました。

 21世紀中には癌治療をはじめ、現代の病の多くの治療法が確立して、「不治の病」なんていうのはなくなるのでは?そんな気持ちにさせられます。

 ただ、そうした治療技術や機器が適用されるのが、高額な医療費を払える金持ちに限られる、「人の命も金次第」という社会になってる心配のほうが大きいのですが・・・

 しばらくは通院治療が続きそうです。
 いやぁ~ 痛くさえなければ、煮ようが焼こうがなんでもいい、好きにしてくれ~ (笑)
 
 書き終えて、まるで幼児なみだと気がついた本日の日記でした。

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2009.05.22

闇夜に濡れ薔薇

5月22日 蚕起食桑(かいこおこってくわをくらう)

 暦というのはおもしろいものです。
 「七十二候」は一年を5日ごとに分けてそれぞれの時候につけた名称のことで、今日は「蚕起食桑」。
 蚕が成長してクワの葉を食べ始める頃という意味だそうだが、蚕などみたこともない人も多い。

 田舎で生まれた自分だから、親戚の養蚕業の記憶がおぼろげにあり、納屋のようなところに蚕の棚があって、それこそ映画の「モスラ対ゴジラ」のモスラのミニ幼虫(笑)、まあ蚕なんだけれど、その蚕がクワの葉を食べていた。
 
 「蚕」だけじゃなくて「モスラ」とか「ゴジラ」なんていう怪獣にワクワクした世代だけれど、それすら「なに?」っていうのが今の子どもたちなのかもしれない。
 しかし、蚕が生み出す絹の糸は、たしかにかっての日本の輸出産業だったし、そうした養蚕農家にとっては、まさに今頃が「蚕起食桑」の時候だったんだろう。

 などと、懐かしい日本の昭和の一コマを想像するのも楽しいものだ。

 新聞の経済欄に目を通していたら、「消費税で格差是正」という驚くべき見出しが載っていた。
 政府の経済財政諮問会議の骨子だそうだが、消費税そのものが貧乏人から広く有無を言わせず収奪する「税金」の制度だから、金持ちからはたくさん、貧乏人からは少なくという累進課税ではなくて、いっそう格差を拡大する税制なのに、なんという論理矛盾なんだろう。

 社会福祉のための消費税と言って導入されたこの消費税。
 何兆円もやれ車だETCだエコだ給付金だと莫大な税金を投入して、国の予算が大変だ!ってのが言い分だけれど、いったい国民の暮らしがどれほど良くなっているというんだろう。

 何かがおかしい。
 と、誰しもがうすうす感じているのに、庶民目線のない官僚や政治家だけが、おかしいとは感じていないってことだ。

 帰宅路に小雨だったのが大粒の雨にかわって、あわてて簡易レインコートで走る。
 自転車のボトルホルダーに簡易雨具を常備しているこの「転ばぬ先の杖」的な知恵です。
 やっぱり、自転車の天敵「雨」対策はしっかりやらねば、もうすぐ梅雨もやってくるから。

 しかし、自転車にとっての天敵も我が家の玄関先の花々にとっては潤いの雨。
 うすいピンクの薔薇が元気よく花を咲かせている。
 小降りになったのでちょっと暗い玄関先にでてみると、なかなか色っぽい薔薇の花だ。
 こういう雨に濡れた闇夜の薔薇の色香というのもいいものだ。

 一枚カシャリ! 
 綺麗な写真じゃないけれど、その色香はしっかり撮れていると思い込んでいる(笑)


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 PS:雨に濡れると人も植物もうっとりするほど美人で色気がでるってことか(笑)

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2009.05.20

俺とか僕とか私とか・・・

5月20日 ご機嫌ななめ

 見事なサヨナラ負け
 ライト前にワンバウンドした瞬間に、テレビの画面とサヨウナラ~♪
 中日ドラゴンズ今日は負けました。

 勝ったり負けたりは勝負ごととはいえ、好機を生かせずピンチで潰れると、ちょっとご機嫌ななめ。
 ・・・の気分もどき。

 話は変わって・・・
 自分のことを指して「俺」とか「僕」とか「私」とか「自分」とか、言い方はいろいろあるけれど、一般的には「私」って言うことが多い。
 まあ、女性の方はほとんど「私」って子どもの頃から言うのが普通だが、男性となると小さい頃は「ボク」で、その次に生意気盛りになると「俺」なんて言って、それでも大人になると、さすがに「私」って言い方に変化する。
 まれに、「自分」って自分のことを言う方もいるものだが、さすが年配になって「僕」って言うひとは少ないものだ。
 
 この一人称の呼び方は人それぞれだから、べつにどうでもよいことなんだけれど、自分のご機嫌がよくないときに「ちょっと違和感」って思うのが「僕」「僕」と連発するひと。
 おいおい、いい歳して「僕」はないだろう!って思うけれど、まあ小さな違和感だから、こんなブログで罵詈雑言を書いてみたくもなる。

 「ぼく、学校は楽しい?」などと小学生に声をかけることはよくあるけれど、「僕の方ではですね」などと、社会経験を積んだシニアの男性が言ってるのを聞くと、「おいおい、オコチャマかよ」って思ってしまう。

 まあ、好みの問題と言ってもいいんだけれど、何でも「かわいい~♪」などと連発するのを聞いて「言ってる君は可愛くネェ~」って思ってしまうのによく似ている。(笑)

 小学生の頃担任の女教師が「男の子も女の子も自分のことは私でいいんですよ」って言って、男の子と女の子一人ずつに「わたしは○○です」って言わせられたことがある。
 
 いまでこそ、男女共同参画社会と言われる時代だけれど、きっと当時はこの担任の教師は「男女同権」の気持ちを強く持っていたんだろうと思う。

 そんなわけで、ひとは誰しも違和感を覚える表現ってものがあるが、こんなブログ日記の文章でも充分「違和感」を覚える方もいると思う。

 そういう小さな違和感はあって当たり前だし、だからどうだということでもないから、「僕」って連発している年配の方に対して「若々しい表現だ」と言えばいいかもしれないが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と同じで、ドラゴンズがサヨナラ負けすりゃぁ、些細な表現も気にくわネェって・・・ご機嫌ななめのせいにしておこう。(笑)
 

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2009.05.19

小銭の思い出

 5月19日 小さな呵責

 長袖ではちょっと暑いし半袖では涼しいような気候。
 そんな中途半端な季節があって、どうしようかと迷うこともまた楽しいもの。

 財布の小銭が貯まって、ただでさえ小さな財布がふくらむと、おもむろに小銭をとりだしてちょっと大きめの小銭財布に移すんだけれど、それでもどんどん貯まってしまう。

 スーパーで領収書やカードでパンパンに膨らんだ財布から支払いをする主婦の、その財布の中には1円、5円、10円、100円としっかり入って、端数までしっかり小銭で支払っている。
 これって、「986円ですよ」とレジで言われ、無造作に1000札をだしてしまう自分のような者には見習うべき姿だと思う。

 ちょっと、収納戸で探し物をしていたら「選別銀行・とりだし君」などと名がついた、小銭選別貯金箱が出てきた。
 もう10年ほど前に使っていた貯金箱で、小銭を入れるとコインの大きさで1円、5円、10円・・・と選別できる代物というわけだ。

 台所において、財布の小銭をチョコチョコと入れてたが、貯まるはずの100円玉がいっこう増えない。
 何故か目減りしていくので、まだ小学生の息子と娘に「おかしいなぁ~100円玉がちっとも増えないんだけれど?」って言うと、ふたりとも「知らない」って返事。

 ちょっと、親の目を盗んで缶ジュース代に消えていたんだろうと解かっていたけれど、そういう経験も「小さな心の呵責」という勉強だと思って、見てみぬふりをしていた。

 もっとも、子どもが大きくなってから「あの時はやっぱり選別貯金箱から小銭を使ってたんだろう?」って聞いたら、時々10円玉とか100円玉を盗っていたと娘が正直に白状したのだが・・・
 
 おそらく、娘にとっては「あれぇ100円玉が・・・おかしいなぁ」って親の言葉が小さな胸に突き刺さっていたんだと思う。
 それで、ちょっとドキドキしながら「知らない」って言ってみたけれど、良心の呵責に苛まれてたんだろう。

 子どもの成長っていうのは、そういう自分の心への問いかけがあってこそ次のステップに進むものだと思う。
 見てみぬふり、あえて何も言わないことによって、ことの良し悪しを分別する能力を養うことだとも思う。

 いやなに、そんな自分も子どもの頃、親の財布からチョコレート欲しさに小銭を盗って、やっぱり良心の呵責に苛まれたものだ。
 人様のものを盗ってはいけない、嘘をつくと良心の呵責に苛まれる・・・単純な真理を痛感したものだ。

 そんなわけで、今更そんな小銭などを失敬してもしかたがないほどアルバイトに精をだしてる子ども達だから、机の上に置かれた選別貯金箱「とりだし君」の小銭も貯まる一方かもしれない。

 小銭が貯まって札が消えてゆく、当世、財布事情の庶民ってことだ。

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2009.05.18

アニマル・セラピー犬?

5月18日 愛犬ポン太の話

 一週間の始まりの今日は快晴。ちぇっ!週末がこの天気だと嬉しかったのに。
 それでも、この天気は数日で崩れるようで、毎日天気とにらめっこです。
 
 我が家の愛犬ポン太はこのところ発情期で「クゥ~ン、クゥ~ン」とよく鳴いています。
 もうしばらくすると諦めて、普段の穏やかな日常に戻るのだけれど、可哀想ですがしかたありません。
 年がら年中発情しているような人間よりも、正直でわかりやすいというか自然の姿です。

 そのポン太は毎朝妻の運転する車に飛び乗って義母宅へと出勤します。
 幼犬の頃から、共働きで一人じゃなくて一匹で番犬するのも可哀想だと義母宅で日中を過ごす習慣になってるから、もうそろそろ飼い主が出勤するだろうという頃になるとソワソワしだす。
 おかげで車の後部トランクへ飛び乗るしぐさはサーカス犬並の華麗さです。
 
 本当は、我が家の番犬のはずが、いつのまにやら出勤犬に変貌してしまった。
 それでも、休日や休暇の日は玄関で用心棒のように、「ピンポ~ン」と鳴れば「ウゥ~ワン」と吠えてくれるから、普段の義母宅でも、やっぱり用心棒の仕事はやってるようだ。

 私らからすると、昼中に散歩に連れ出してもらえるし、用事で帰宅が遅れるときも世話をしてもらえるから、ちょっとありがたいのですが・・・
 そんな日課が10年以上も続いていると、犬にとても本宅と別荘の区別がつかなくなるんじゃないかと懸念するのは飼い主だけで、当人・・・じゃなくて当犬は夕方迎えに行く妻の車にさっさと飛び乗って帰宅するらしい。

 義母宅がおばあさんの一人暮らしだから、こんな出勤犬でも、朝出勤してくると散歩に連れて行ってくれる。
 「いつも(ポン太が)お世話になります」と挨拶するのだが、世話というよりも毎日やって来る孫のように思ってるのかも知れません。
 
 一人暮らしのお年寄りが犬や猫を家族の一員のように大切に飼っている家庭も少なくない。
 老後の寂しい一人暮らしにあって、世話をしながらペットと会話するのは、孤独になりがちな日常の中で、心の健康を維持するのには適していると思います。

 過剰な世話焼きや、わずらわしい人間関係が持ち込まれるよりも、こうした動物とのかかわりのほうが、気兼ねなく心をひらき易いのかも知れません。
 アニマルセラピーの役割を担っているとも言えます。

 まあ、義母はまだまだ元気で暮らしていますが、それでも一人暮らしというのは、やっぱりテレビを見て過ごしても、会話にはなりません。
 動物とは会話はできませんが、言葉は通じなくともアイコンタクトは可能です。
 動物と人間の交流。
 「ねたきり老人」などという外国ではありえない状態がごく普通になっている日本のような、お年寄りにとって棲みにくい社会ですから、動物と会話することで「鬱的気分」というのも和らぐかも知れません。

 案外、そこのところを愛犬ポン太も承知して、毎朝義母宅に行くのかも?
 まさしく、アニマルセラピー出勤犬ってところでしょうか(笑)

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2009.05.17

部屋の模様変えは芸術なりぃ~(笑)

5月17日 今日も雨降りの日曜日

 先週あたりから田んぼの蛙が鳴きだしました。
 この雨でまた明日辺りから蛙の合唱が聞こえるのでしょう。

 しかし週末が雨降りだと、予定してた図書館通いも自転車散歩も中止です。
 雨降りの休日は皆さん何をして過ごしているんだろうか、道行く人の姿もほとんどないとそんなことも思う日曜日。

 今日は一日、自分の部屋の模様替えに精をだしました。
 模様替えといっても、壁に飾ったあれこれを全部取り外し、作りつけた棚も取っ払い、暑い夏に備えて今からできるだけシンプルな雰囲気を出そうと。

 いつものことなのですが、白い壁にカレンダーや絵やら、呆れるほどいろいろな物を貼り付けて、季節が過ぎて行くと、その飾る物々のアンバランスな雰囲気に嫌気がさしてしまう。

 貼っては剥がして、飾っては取り外して、作っては壊して・・・
 なにか永遠に満足しない芸術のような気がしています。
 壁だけではありません、本やら資料やら溜まりにたまって、整理して、それでも溢れかえってしまう。

 そんなメタボな部屋をスッキリさせるには、整理したり並べ替えたり収納したり・・・そんな面倒なことを、根底からやめてしまうのが一番です。
 買い物袋とか本の紙カバーや旅行のパンフレット、おまけのような品々、なんでそんな物をと思っても捨てられないから雑然とした部屋になる。

 片付けられないというよりも、理路整然と収納したくなる、収納できるはずだと思いたくなるからややこしい。
 もはや物、それもたいして重要でもない物との格闘のようなもので、充分に徒労に終始している。
 だから「この部屋という空間をどのように表現してみようか?」と、そんな気持ちになるときに、初めて今まで馬鹿馬鹿しいほど溜め込んできた「つまらない生活品(とすら言えない物)」を、あっさりとゴミ袋に捨て去る気持ちになれるというわけです。

 白い壁が甦ってきました。
 やっぱり、時には生活臭のない空間に自分を置いて、静かに読書に耽ったり、音楽を聞いたり・・・
 そんな狭くても小さな書斎(?)が、気持ちをリフレッシュさせてくれます。
 

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2009.05.16

理想的な道

5月16日 ブログ更新、ひさしぶり~♪

 地上波テレビで映画「ダビンチ・コード」を放映しています。
 「あれ?一緒に映画館で観たのに?」って妻に言うと。
 「観たんだけれど~、あのとき意味がよくわからなかったから・・・」
 なんともまぁ、その素直さは昔も今も変わらないなぁ~

 二日連続でサヨナラ勝ちの中日ドラゴンズ。
 同じ勝利でも、テンションの上がる勝ち方が増えると選手のモチベーションもupwardright
 仕事も勉強も部活も就活も婚活も離活も、究極はモチベーションのような気がする。
 そのモチベーションを大切にしないと、創造力も活力も生まれない。

 日本経済も活性化しない(笑)
 労働者を大切にしなければ、いくら競争させても、格差をつけても、やっぱり日本経済は尻すぼみ。 
 しかし部活、就活はまだしも、婚活とか離活なんて言葉が出てくると、ラブもロマンスも無くなってちょっと情けないと思う最近です。

 そんなわけで、久しぶりのブログ更新です。
 ほぼ毎日更新を目標にしている「日記」だけど、三日ぶり。
 何してたか?って。
 あはは、すぐに寝てしまって・・・・ブログ、まあいいかって(笑)

 それで、今日は「道」がタイトルです。
 先日、友人が名古屋から高山までの300キロを自転車で日帰りサイクリングしたとの話。
 300キロとは、もう驚異の世界というか恐怖の世界としか思えないんですが、それにしても凄いの一言です。
 朝の4時から夜の8時まで16時間の日帰り、食事時間を引いても時速20キロ以上でコンスタントに走り続けた計算になります。

 まあ、自転車歴の長い友人だから・・・それでも300キロって名古屋-東京ぐらいかな?
 私なんか自転車に乗り始めて、まず50キロの通過点があって、その次に100キロの壁があります。
 今は、この100キロが目標値、いずれは日本列島一周、夢は尽きない (笑)
   
 ところで道といえば、名古屋市内の自転車専用道路の写真です。

01
 
 歩道があって、歩道と車道の間に植え込みがあり、車道の端に青い自転車専用レーンがもうけられています。
 この道路を見つけたときに、「これだ!」って思いましたね。

 何も膨大な予算のかかる立派な自転車レーンを歩道に作らなくても、車道の端にこんな自転車レーンを作ればいいわけです。
 このレーンの残念なのはレーン区間が短いことですが。
 基幹道路でなくても出来るわけだから、何車線もある名古屋市内の広い道路ならば、自転車専用レーンを車道の左端にペイントして造れるにちがいないと思うんです。

 自転車に乗るだけがエコじゃなくて、都市交通のシステムに自転車を組み込めば、安全で快適でエコな自転車の生活が楽しめるはずなんだがな・・・

 さて、またブログ更新の再開です。
 無い知恵をしぼって、知恵熱を出して、楽しい日記になればいいけれど?(笑)

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2009.05.12

卓球練習風景

5月12日 エースの条件

 Img_00371

 曇りガラス越しのピンポン。
 熱気でデジタルカメラのレンズも曇る。

 あはは・・・嘘をつきました。
 プライバシーに配慮してボカしただけです。(笑)
 
 そんなわけで、今日は職場の卓球部の練習日でした。
 久しぶりの大所帯、20人ほどが参加してくれました。
 
 練習日といっても、楽しむ卓球です。
 2009世界卓球のようにはなりませんが、それでもミニゲームなどもやって・・・
 練習を終えて帰宅したら「疲労感」いっぱいでした。
 ふむ筋肉疲労がすぐやってきた・・・若いってことだ(笑)

 まあ、試合に勝つにはもっともっと練習が必要だけれど、こういう和気藹々もいい。
 チームが怒涛の快進撃を続けるには、エースの存在が絶対不可欠です。
 これって、どんなスポーツにも共通です。
 お楽しみのピンポンからプロの試合まで、スポーツ競技には「エース」と言われる人の存在感があります。

 で、エースって言われる人は「巧い、強い、人望がある」っていう条件をそなえている。
 そういう選手というのは、なかなか少ないものですが・・・
 その上で、もう一つエースの条件があると思っています。
 
 華がある!!

 強ければ巧ければだけではなれないエースの条件だと思うんですね。
 なんでしょう? 熱意! 情熱! 輝き! 気品!
 なんとも形容しがたいのですが・・・そういったもの。

 で、この職場の卓球部にももちろんエースがいるんです。
 ちょっと病気でお休み中だから、早く元気になってくれないかなぁ~
 

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2009.05.11

風の音が聞こえる

5月11日 爽やかな季節

 我ながら下手な文章なのに「風の音が聞こえる」などとよく書くものだ。
 なんだけれど、こういう言葉ってある瞬間に「ハッ」って浮かんで自然に頭の中で文章になってるから不思議です。

 まあ、そういう季節なんですが・・・
 そうなんだけれど、表に出て顔を会わせると「暑いですねぇ~」っていうのが挨拶がわりの本日です。
 昼食を終えて、短い休憩時間に事務所の外の木陰のベンチで休憩していると、一人二人と集まって「暑いねぇ」。

 まだ5月というのに、衣替えも済んでいないのに真夏日ですからね。
 それでも、木陰にしばらくいると心地よい風が吹きぬけて、やっぱり五月の風を感じることができます。
 風を感じることのシアワセ、お金をかけなくてもこういう季節感を肌で感じられることの喜びです。

 久しぶりに、まだ陽が落ちてない夕刻に自転車で帰宅しました。
 暑くも寒くもない帰宅路です。
 自転車だから、ちょっと風が体を通り抜けて「シュ~」って、小さな風の音が聞こえます。

 夏の今時分ならば、アスファルトに熱せられた湿気のある温風で不快になるんだけれど、この季節はそれがないのが嬉しい。
 ほんとうは、風など少しも吹いていないのかも知れないけれど、自転車で走れば風を切って風の音が聞こえるってわけです。

 基幹道路などは自動車の騒音で風の音など聞こえません。
 けれども、ひとつ裏道に入れば買い物帰りのおばさん自転車やクラブ活動帰りの学生さんの姿とともに、やっぱり風の音が聞こえてきます。
 
 そんな風景を楽しむことができるのも、ちょっと余裕がある帰り道だからでしょうか。

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2009.05.10

真夏日の今日の映画はこれ!

5月10日 Gyao映画「猟奇的な彼女」

 なんと5月にして日本列島は真夏日。
 真夏日って気温30度以上の日、25~30度は夏日で35度以上になると酷暑というそうです。
 名古屋はというとやっぱり30度を超えていたから、今年も「暑い夏、名古屋」の予行演習ってところでしょうか。

 飛び石となった連休の最後の土日、沖縄の旅を楽しんでいる方もいるかと思えば、こんな良い天気なのに休日出勤していた私です。
 それでも、昨日からパソコンテレビGyaoの映画三昧の週末を過ごしています。
 このGyaoのいいところは、自分の時間に合わせて映画が観られるところです。
 ちょっと列記してみると。

 「リトルショップ・オブ・ホラーズ」 1986年 米国 
 宇宙からやってきた食人植物をめぐるミュージカルSFコメディ。なんともまあドタバタ的な面白さがあって楽しんで観れましたね。

 「invasion ‐インベイジョン‐ シーズン1 第19話~第22話」
 同じ姿かたちをした人間と混合種との分裂、未知の生命体からの侵略の恐怖・・・うん、なかなか観はじめたら止まらないカ○パエ○センのようなSFドラマでした。
 おかげで、昨日はブログ日記もほったらかして真夜中まで見続けたから、今日は睡眠不足ぎみの休日出勤でした。
 続編が出たらまた夜更かししそうで、恐いですね~恐いですね~って淀川長治さん風味(笑)

 それで、いよいよ今日のメインイベント映画はというと「猟奇的な彼女」 2001年 韓国。
 韓国の歴代第1位を記録したラブストーリー映画です。
 ラブコメディ映画の要素、笑わせる、泣かせる、ハッピーにさせる・・・そういったものがしっかり盛り込まれているから、たしかに韓国歴代第1位の記録を樹立としても不思議ではないですね。
 以前、この映画が紹介されたとき「猟奇的」という言葉に○か×かのどちらかの映画だなって思ったものですが、今回初めて観て◎作品でしたね。

 ラブストーリー映画ってのは、多分観る人によってそれぞれの琴線があって、そこに触れるとビビビィ~って反応して、これはいい!ってことになる。
 シリアスなラブストーリー映画に「ゴックン」となるひともいれば、こういうコメディタッチのラブストーリーにビビビィ~ってなる私みたいな者も・・・・
 
 というか、案外この「彼女(チョン・ジヒョン)」のような、暴力的で凶暴(?)な素振りに隠された「優しさと純真さ」が魅力的だから、ラブストーリーそのものにも魅力を感じる。
 そういうところかも知れません。
 以前にこの日記でも書いた「ギャップの魅力」が100パーセントの映画でした。

 そんなわけで、楽しい家族旅行をするわけでもなく「今日は母の日よ~」って言ってもなんにも無いけれど、なんとなく家族揃って平和な真夏日の一日。
 

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2009.05.08

なんとなく、なんとなく・・・

5月8日 日記

 「私って馬鹿なのかも知れない、仕事がわからないから・・・」
 そんな事を言い出す妻に。
 「新しい仕事に就いてたった一ヶ月で全部わかってしまったら、何年もやってる先輩に申し訳ないだろ」
 などと優しく言ってはみるが、その気持ちはよくわかる。

 仕事も順調に進んでいるときは、ちょっとぐらい変化があるほうが楽しいと思うものだが、しくじったり躓いたりすると、平穏無事で過ごすのが一番だと思うものだ。
 
 そんなふうに日々暮らして行くということは、心の変化とのつき合いで、それも楽しいと思ったり、ちょっと手に負えないな、と思ったりいろいろあるものだ。

 ブログ日記でも書こうかとパソコンの前に向かってみたののの、もう一つ気が向かないのでパソコンテレビGyaoの無料映画を観てしまった。
 「バリア」
 男女4人が行き着いた古城は入ったら最後脱出できない異空間、ちょっと人間心理も見せてくれる恐怖スリラー映画。
 日記を書くつもりで、突然「映画」を観てしまう・・・そんな突発的な行為をしてみたい日というわけ。

 一日をいつも通りに過ごして、いつものように過ぎて行く。
 退屈なほどの日常が恋しくてしかたがない日は、自分のキャパシティを超える変化に見舞われた日。
 平たんな時間の積み重ねが、なにか物足らなく思う日は、ちょっと人生にさみしさを感じる日。

 どちらにしても、なんとなく、なんとなく心が定まらないってことなのだな。
 こういう時に読むと気持ちが和らぐのが種田山頭火の句というわけで。

 ま つ す ぐ な 道 で さ み し い  (種田山頭火「山頭火句集」より)

 山頭火の句集のなかでも好きな句の一つ、けれど一番好きな句は。

 分 け入 つて も 分 け 入 つ て も 青 い 山  (同上) 

 この二つの句はちょっと対をなしてると思うし、そんな心情がたまらなくいいと思う。


 しかしなぁ~ こんな文章を世間では「五月病もどき」とでも言うに違いない (苦笑)

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2009.05.06

ハウスダイエットの日

5月6日 家庭の整理術?のようなもの

 いやぁ~、連休も終わってしまいました。
 雨も降って自転車散歩も小休止となると、なんだか体も重くなったような気がします。
 テレビショッピング「驚異のくびれ」コアリズムのCD販売の宣伝を見ていて、「杉本彩の年齢を感じさせないプロポーションだってぇ~、くわばたりえはウェスト-20センチだって~」などと、ちょっと挑戦的な言葉を妻に投げかけてみたりするGWの終日です。

 しかしラテン音楽にのってウェスト運動っておもしろそうだ。
 ただし、毎日続くかどうか?そこが肝心要だと思うわけです。あらゆるダイエット方法は「継続」という一言に集約されると言ったら言い過ぎかなぁ。
 
 「CD1万円らしいから買ってみる?」とまたしても挑発(笑)
 「だからぁ、前から買ってよって言ってるでしょ」
 「美脚マシーンも買って、でっかいゴムボールもころがってるし・・・つまり毎日できるのかってことなんだよね」
 「そんなことばかり言ってると嫌われるわよ」
 「・・・・」
 
 毎日、夜の30分さあやるぞ!って決めて、地道なダイエットを続ければ脅威のプロポーションが手に入る・・・
 「言うに易く、行うに難し」なんだけれど、本当にダイエットが必要ならば、そういう環境を夫婦や家族が創り出せば案外簡単かも知れないとも思う。
 一人苦しんでやるダイエットは楽しくないだろうな。

 そんなわけで、我が家のゴールデンウィークの年中行事になってる大掃除、片付け、衣類の入れ替えが、今年はGWの最終日になってしまった。

 もっと早くからと思っていたが、「さあ、今日こそはやろう」と自分か妻が言い出して、「うん」と返事はあるものの、もうひとつ気が乗らない、こういう場合は我が家では「二人ともやらない」ことになっている。
 休日に一方が出かけて他方が家に居ても一人でコツコツなんてほとんどない。

 「さあ、今日はやろう」という気持ちが一致すると、俄然馬力がかかって、家中がひっくり返るような大整理イベントが始まる。

 まったくこの家はどうかしてる。
 独立心が薄いのか共依存体質かなどと思うのだが、この何事も一緒にやるというのが辛い家事労働、大掃除、片付けを「イベントのようなもの」に変えてくれるのは間違いない。

 なんだけれども「今日はやろう」ってのが本気なのか掛け声だけなのか、そこをお互い見計らっている。
 「やろう!」「うん」と言いつつ、テレビを見ながら昼寝・・・今日はヤル気の意思表示だけだと了解(笑)
 だから、この「今日はやろう!」っていう気持ちが一致するか否かだけが問題ってわけです。
 やっぱりひとりでやるのは楽しくないってことですね。
 
 なかなか日頃、こまめに掃除や整理などが出来ない我が家だから、半年も過ぎると不要なものも溜まって来ます。
 捨てられない性格もあるけれど家族四人が生活するってことは、物も買うし新聞や雑誌やあれこれと家庭に集積されて、いわばちょっと肥満気味になるようなもの。
 そのまま過ぎて行けばどんどんと溜まるのが我が家です。

 大きなゴミ袋が幾つも出来上がりました。
 いったい、そんなに不要なものをどうして溜め込んでいたんだと思うくらいです。
 
 ハウスダイエットにつとめて、驚異のビューティフルライフを取り戻せるのはいつのことだろうか。 
 

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2009.05.05

ギャップの魅力

5月5日 映画「昼下がりの情事」と「ブラックキッス」

 このGW連休、みなさんお出かけしてるんでしょうか?
 今年は「どこかへ行くの?」と聞く人みな何処へも行かないという人ばかりです。
 節約型の休日の過ごし方が定着して、やれ海外だ、それ連泊旅行だ、という雰囲気ではない近頃なんでしょうか。

 昨日から映画を二本観ました。
 「昼下がりの情事」「ブラックキッス」という映画です。
 ご存知のように「昼下がりの情事」はオードリー・ヘプバーン主演の名作で、WOWOWで放送されていました。
 もう一本は手塚治虫さんの息子さん手塚真さんが監督する猟奇殺人を題材にしたホラーミステリー作品で、こちらはインターネットテレビ「GYAO」で放送されています。

 雨降りですし、本当ならこの二日間はカーポートの屋根掃除とかいろいろやってたはずなんですが、ついついのんびりと映画鑑賞ってわけです。
 「昼下がりの情事」は中年のアメリカの大富豪(フラナガン)と音楽学校でチェロを学ぶ若い女性(アリアンヌ)の恋愛映画なのですが。
 オードリー・ヘップバーンの清楚な役どころの雰囲気がたまらなくいいですね。

 このモノクロ映画というのは、余計なリアル感が中和されて、映画のストーリーに溶け込みやすいかも。
 それで、なんといってもオードリーが探偵をしている父親から盗み見した調査ファイルで、自分を何人もの恋人がいる「大人の女」に見せようと必死になるシーンは、実に可憐で魅力的なわけです。

 本当はまだ恋もしたことのない若き女性の可憐な演技なわけですが、そういうところは映画を観ている側からは、うら若き女性と大人の女との「ギャップの魅力」として映るんですね。
 ラストシーンで、事実を知ったゲーリー・クーパー扮するフラナガンがアメリカに帰国する。
 列車がいままさに出発しようとする瞬間まで、彼女はほかの恋人たちが待ってるんだ、だから悲しくもない・・・
 そんな演技を悲しみをこらえながら去ってゆく彼に必死で話しかけるわけです。
 あ~ぁ、そりゃあもうゲーリー・クーパーじゃなくても、胸にぐ~っと来る。

 気が強くて、負けん気の強い女性がいるとします。
 誰しもが、その「男まさり」と形容される姿に圧倒されることしばしばです。
 だから、「あの女は強いなぁ~」って皆が言うのですが、たしかに、プライドも高くて人に負けることを極端に嫌い、自分を通して行く、まぁそんなタイプの人もいるもんですが・・・
 
 そういう人の中に、ちょっと小さな気の弱さが見えたり、人の知らないところでの優しさがあったり、そういうものを知ってしまうと、何ともいえないその人の人間味を感じてしまいます。
 アリアンヌなんですね、オードリー・ヘプバーンなんですね。

 私なんか、ちょっと変人ですから、そういう背伸びして、気の弱さや臆病さや優しさを包み隠して、精一杯「強い女」を見せてるところが、やっぱり「ギャップの魅力」だと思うわけです。
 一途な恋、そのエネルギッシュな愛情を向ける姿はいつの世も素晴らしいものです。

 あはは・・・しかし「昼下がりの情事」、ラストシーンは感動的でしたね。

 【ストーリーはこのサイトで知ることができます】
  http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/LOVE%20IN%20THE%20AFTERNOON.htm

 まぁ、こんな映画をみた後で「ブラックキッス」の感想を書くのも辛いものがあります。
 GYAOのレビューで皆さん書いて見えますが、なかなか猟奇殺人というシーンと映像の迫力は感じましたが、そんなストーリーの結末がちょっと消化不良でしたね。

 常軌を逸した人間の起こす殺人事件の犯人像は、その犯罪の猟奇性と反比例すればするほど、恐怖感が倍増するものです。
 犯人がもうすこしなぁ~って思った作品です。

 まぁ、これも「ギャップの魅力」の問題ってわけですが、ビジュアルクリエーターと称される手塚真作品です。
 Gyaoでやってますから、「どんなんかな~」って観るのもGWの暇を持て余してる方にはいいかも。

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2009.05.04

思惑

5月4日 世界卓球2009とショッピング

 このところ世界卓球2009をテレビで応援観戦していました。
 昨日、今日とドラゴンズは連勝したものの、5割を切って負けも先行していたので、ここは一つプロ野球ファンらしく、ちょっと浮気な心かわりでもしてみようと・・・

 岸川聖也選手・水谷隼選手の銅メダルは卓球ファンは皆大喜びです。
 岸川・水谷ペアのことを「セイヤ・ジュン」って呼ぶようです、若々しくていいですね。
 その次の世代も活躍しました。男子の松平健太選手、女子の石川佳純選手、丹羽孝希選手もいる。

 日本の卓球界も世界と渡り合える選手がそろってきて、テレビ放送も堂々夜の8時台のお茶の間時間に復帰して、この先が楽しみですね~♪

 それにしても、中国選手の技とパワーは凄いですね。
 「超人」って形容していたテレビ画面でしたが、まさしく超人のような卓球です。
 攻められても瞬時に攻撃に転じるスピードとパワーは、あれはもう芸術としかいいようがないですね。
 
 日本の卓球は福原愛選手を始め、女子選手にスポットがあてられてきましたが、男子卓球も今後が大いに楽しみです。
 人気沸騰してかっての「お家芸卓球日本」が復活して、それでほんのおこぼれでもいいから、職場の卓球クラブも元気になってくれれば言うことなしです。
 
 などと書いてると中日ドラゴンズはどうなってるんだ~って。
 いいんです、このまま夏場までは、勝ったり負けたり・・・ドラゴンズも若手が出てきて、今は負けても成長の糧になるから、負けてもいい。
 なんだけれど、負けるとストレスもたまるから、ちょっと時々心変わりして他のスポーツに熱心になるけれど、勝った翌日の「中日スポーツ新聞」の記事を隅から隅まで喫茶店で堪能するということです。

 しかし、世界卓球2009の応援に熱が入りだしたら福原・平野ペアは●,石川佳純選手も●、吉田選手も●、岸川・水谷ペアも準決勝●・・・強い中国選手相手だからねぇ。
 思い通りにならない勝負の世界、●星続きだったドラゴンズが逆に○○って、本当に思惑が外れっぱなしです。

 思惑といえば、今日は娘とスポーツ自転車に乗って庄内緑地公園から名古屋市西区のワンダーシティ「MOZO(モゾ)」に出かけました。
 「お父さん、娘が自転車で一緒に行こうよ!なんて言ってくれて嬉しいでしょう?」
 あいかわらず、憎まれ口は一人前、この強気な性格は誰に似た?・・・って母親しか考えられないでしょう(笑)

 ショッピングに行きたいから、あわよくば少し資金も出して欲しいというのが娘の魂胆に違い有りません。
 そこは、そうは簡単に問屋が卸しません。
 「そうか、自転車かぁ~じゃあ一緒に行ってあげるよ」
 などと乗せられた振りをしながら、「スポーツ自転車の心地よさを知ってもらうチャンス到来」です。

 相手が、その気になった瞬間を捉えて、こちらの思惑どおりにことを運ぶ!
 これは、勉強でも恋愛でも共通する法則ですね。
 相手がその気になるまで、じっと待つ、待つ、待って、ちょっとその気が出た瞬間をイッキにガブリ寄り。

 「ママチャリよりも走りやすいし~、スピードメーターあるだろう、時速20キロは軽いし、どうだこの庄内川の堤防道は気分いいだろう?」
 「ああ、この庄内緑地公園に弁当持って自転車サイクリングすれば、最高のデートスポットだろう!」
 「爽快、爽快、気持ちいい走りだろう」

 ・・・てなわけで、ちょっと資金もかかったけれど、まずは「スポーツ自転車体験」第一段階終了でした。
 今度はもうすこしレベルアップするチャンスを待つってことですが・・・
 でもって、久しぶりに娘と昼食を食べてたら、ひょんなことから、MIXI(ミクシー)でブログを書いてるらしいと分かったから。
 「そうか、じゃぁお父さんとマイミクになろうか?」
 「なんで、お父さんとマイミクしなきゃならないの!」
 
 ふむ、「今日はこのへんで勘弁しといてやろう!(「池乃めだか」ふうに)」(笑)
 
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2009.05.03

ちょっと一安心

5月3日 憲法記念日です

 昨日は「夏も近づく八十八夜~♪」。
 今日は憲法記念日です。
 ブログ日記を書いてて思うことは、こんな「ふ~ん、あっそう!」っていう、何気ない暦の話題も気に留めるので、なんとなく一日々々がしっかり記憶に残るってことです。

 それで小学校唱歌「八十八夜」の続きはというと、「野にも山にも若葉が繁り、あれに見えるは茶摘じゃないか、茜たすきに菅(すげ)の笠~♪」って続くんだけれど、茶摘も茜たすきも菅の笠も見たことがない。
 最近ではどこも手摘みに代わって機械摘みがほとんどのようだから、それもしかたがないか。
 でも、たしかに夏は近づいてきていますね。
 街路樹も若葉の緑が新鮮な輝きを増し、花壇の花たちも生き生きしてます。

 元気がないのは人間さまの社会。
 今日は憲法記念日で、憲法9条を大切に思っている一人なんだけれど、憲法25条も気になるところです。

 第25条
  すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する

 戦後、コツコツと汗水流して働けば、狭いながらも楽しい家庭が築けると、小さなマイホームを夢見て、家族旅行に幸せを感じて、健康保険料は高くても医療費は困らないから、年金はなんとか納めれば老後も人様に迷惑がかからないほどの慎ましい暮らしも保障されるから・・・・

 そんな、思いで日本国民の大多数は、地道にコツコツと働き続けてきたわけだけれど、医療費の自己負担が払えないから病院からも遠のいて、年金も安心できないものとなり、ましてやマイホームなどいつ解雇されるかわからない時世、不安定な派遣労働では夢の夢でしかなくなりつつある。

 「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」というけれど、いったいどこで間違ってしまったんだろう?
 今春卒業して就職するはずの新規採用内定取り消し者が過去最悪になったと厚生労働省が発表しました。
 内定取り消しとなれば、未来に希望をもって社会人になるはずの若者にとっては「酷い仕打ち」にほかなりません。

 企業にとっては「数」でしかなくても、本人には「生活」があるし、将来への思いもあるわけで、「企業の理屈」だけで簡単に「取り消し」してしまうという企業の社会的使命感の失われた態度は、憲法の理念からも外れるわけです。

 最近もっぱらスポーツグッズのお気に入りは「mont・beii(モン・ベル)」というショップですが、そこの季刊誌「OUTWARD」にこの会社の代表辰野勇さんが「日本型企業経営の美徳」というこんな記事を書いています。

 『1975年、モンベルを創業するとき私は、30年先のビジネスプランを頭に描いた。
 そのシミレーションの中で、長期にわたって企業の活力を保ち続けるためには、常に社員の平均年齢を低く保たなければならないと考えた。その為には毎年若い仲間を受け入れ続ける必要がある。結果として社員数が増え続けていく。それらの社員を維持するためには企業が大きくなって商い高も成長し続けなければならない。即ち、売り上げを伸ばすために人を増やすのではなく、人を増やすために売り上げを伸ばさざるを得ないことに気付いた。それも30年もすればジェネレーションの循環が始まるので、その理由で企業規模を拡大しなくても良くなるはずだ。・・・』

 アメリカ式収益至上主義経営がもてはやされ、結果として「リストラ・派遣切り」が社会問題になっている中で、否定的側面ばかりが強調されてきた日本の「終身雇用制度」の秀でたところを示しているってことです。
 ちょっと気分がスッキリして元気になれる記事でした。
 それで最後にこう結んでいます。

 『金は手段であっても目的にはなり得ない。なぜなら人はみな「幸せになるために」働くのだから』 

 「mont・beii(モン・ベル)」という会社の企業経営理念がほんとに良くわかります。
 もう一枚スポーツジャケット買ってしまおうかって気分ですね。(笑)
 「金儲けは悪いことですか?」などと言ってた、どこかの誰かとは雲泥の差がある。

 そんなわけで、「就活」を頑張っている人たちも、ひょっとしたらこの社会の企業家といわれる人の中に、将来を見抜くビジョンを提示できる会社があるかも知れないので、元気を出して欲しい。

 そういう我が家の息子も「就職」でずいぶんと苦労してきたが、なんとか就職も採用内定し、あまり口うるさく言ってこなかった親だけれど、ちょっと一安心ってところです。 
 ほっ!

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2009.05.02

琵琶湖サイクリングin安土城跡

5月2日 国破れて山河あり、城春にして草木深し (杜甫)

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 GW(ゴールデンウィーク)五連休の初日、職場の自転車仲間とサイクリングでした。
 高速道路がどこまでも1000円、まるで「百円均一」のような庶民感情をくすぐる値下げで、渋滞を覚悟で出かけたが、以外と混んではいませんでした。
 まあ場所によると思われるが、GW休日は嬉しいがこの何もかも世知辛い社会にこそ潤いをもたらす休養が欲しいものだと・・・

 よく知られた織田信長の居城「安土城跡」周辺の日帰りサイクリング。
 ここは天守閣もなく石垣が当時の城の面影を残してるだけです。
 当時は城の南側に城下町があり、その他は琵琶湖の内湖に囲まれた地形だったというから、難攻不落の城だったんでしょう。
 それも、明智光秀に攻められ、一夜にして落城となったわけです。

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 天主につながる大手道から上がる石段の、ところどころに「仏石」が配置され、仏の姿が彫られているが、それも今ではかろうじて形を残すのみです。
 人の足蹴にされる石仏というわけで「そういうことをするから城も滅びるってことだよね」そんなつぶやきも納得できます。

 先日、合戦に破れた足軽などへの「落ち武者狩り」を題材にしたテレビ番組が放送されていました。
 戦国時代というのは、権力をめぐる露骨な殺戮(さつりく)の歴史であり、城主から兵として徴用される農民の歴史でもあったわけです。

 この石垣や石段には、そういう足軽として集められ否応なしに殺戮を余儀なくされ、傷ついて殺された農民たちの血糊が滲みこんでいると思うと、やっぱり「現代の織田信長になる」などと権力者の一面をもてはやすことに、なんとなく違和感をもつわけです。

 「生きるも地獄、死んでからも地獄にしか行けない」と世を悲観した農民の苦悩は想像に絶するものがある。
 などと言いつつ、五月の晴れ渡った安土城跡のかえで(?)の鮮やかな新緑は心地よい。

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 礎石だけが整然と並ぶ天主跡は、ここに高さ30メートルを誇る「神になろうとした男」の権力の象徴であった天守閣をイメージすることができる。

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 それもこれも歴史の一時代だったとしても、いつの世も自分の命を牛馬以下として捧げなければならない人々がいたわけです。
 まあ、そんな事に思いを馳せる安土城跡というわけでした。
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 【おまけ】 

 いつもデジカメで撮ってばかりだから、たまには自分のサイクリングフォトでも載せてみようかと・・・
 友人が撮ってくれた一枚を加工して、ボカシテ、トリミングして、サイズ変更して、オトコマエ写真にならないかなと・・・無理だった(笑)
 まあ一応プライバシーを気にしながら、グリコのおまけほどのインパクトはないけれど、ちょっと雰囲気だけ載せてみました本日ぅ~♪

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