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2008.11.22

ブラックで閉鎖的で平凡で自己満足なブログの世界

11月22日 とるにたらない日々を書くブログ

 三連休、行楽に旅行にみなさん生活をエンジョイしてますか~♪
 長~い・硬~い・理屈っぽ~い日記ですから、連休の暇を持て余してる方だけ読んでちゃぶだい、それ以外の方はスルーしてくださいね~♪
  
 では、暇人さんだけどうぞ~
 というわけで、所詮ブログ日記なんてほとんど変化の乏しい日常をいかに再発見するかに尽きると思う。

 街で年末のイルミネーションを撮ったり、シーズンには紅葉を狩りに行ったり、趣味の自転車で旅に出かけたり、めずらしいものを発見して写真に収めたりと、そんなちょっとの変化があれば、充分記事にはなるけれど、そんなもののない平凡な日常が生活のほとんどを占めているわけだ。

 ということは、そのほとんどを占めるとるにたらない日々を書かなければ、ブログ日記なんて写真紹介雑誌や旅行パンフレットや数多く出版されている書籍のマイナー版になってしまう。
 マイナー版とは、つまり「二番煎じ」ってことだが、一番があるだけ書きやすさもあるがやっぱり一番のほうが巧いし価値がある。

 もしこれを上回ることができるとすれば、よほどの強い思い入れや感動を表現できたときだけである。
 個性とはそういうものだし、変化のある対象を記事にするときには、よほど考え抜いて書かないと「つまらない紹介文」でしかなくなるわけだ。
 だから、たくさん書いてきた自分の「つまらない紹介記事」を読み返してみるときブログって何?と自問自答してしまう。

 ところで、いわゆる平凡な日常って奴はこれも見過ごせばなんの変化も無い「つまらないもの」でしかない。
 朝起きて仕事に出かけて三度の食事と職場と家庭の人間関係・・・・
 毎日々々、同じことが連続して繰り返されると思うと、実に味気ない生活だと思う。
 たまには喧嘩や言い争いはあっても、それも日常的な事柄だったら、変化もない。

 そう思ってしまうとブログ日記もやっぱりそれだけのものしか書けない。
 日々の生活の中で同じ事柄であっても、昨日と違った今日、以前と違った現在を見つけ出せればいいが。
 それには自分の心や感じ方の変化に敏感になるということだと思う。

 もちろん知識も必要だし経験も必要だけれど、それより形式よりも本音や素直さを表現できることが敏感さということだと思う。
 文章の巧さよりも、非日常的な出来事よりも、ごくごく平凡な生活の感受性を強く表現できるブログに計り知れない魅力を感じる。

 ところで、ブログにもいろいろあって、何人かの仲間との情報交換に重点がおかれているものもある。
 「チャットブログ」だと思っている。
 それはそれで、ブログが持ってるコミュニケーション手段の有効活用だと思うし、そこに自分の思考や思想みたいなものが表現できて、それが相互理解されて行くなら、実に理想的なブログだと思う。
 けれども、なかなか「そうは問屋が卸さない」のも真実で、世の中には理屈好きもいれば、超感覚的な人もいる。

 郵便事業(株)のCMで「年賀状の数だけ自分を支えてくれる人がいる」というのが流れている。
 ほんとうか?と思う。
 年賀状のうちのおそらく数枚か数十枚ていどが本当に新年の挨拶をしたい、されたいと思う人だ。
 だから、頑張って年賀状を書いてる本当のところは年中行事と思うか、さもなくば「自分の世界」を年賀状に託して表現しているに違いない。
 上手に本音とたてまえを使い分ける大人の世界の常識なんだけど、この常識ばかりにとらわれると「本音」を磨くことがおろそかになって、毎年義理年賀状がどんどん増えていく。
 もちろん、年賀状の枚数で人間関係の豊かさが計れるならば、なんと貧弱な人間関係だことか。  

 「チャットブログ」の難しさは顔の見えない文字のコミュという制限からくる「距離感」が、限りなく本音の周囲を巡り巡ることに終始してしまうことだと思う。
 だから、これが或る時何かの拍子に「誤解」が生まれると、ブログの意味すら消失してしまう。
 だから、時々見受けられる極端なほどの「論争もどき」が繰広げられているものなどはどうしてもブログの本道とは思えない。
 まあ、あたり障りの無いコミュニケーションばかりでもこれもつまらないが・・・

 思い込みブログというものもある。
 とうとうと持論を展開するって奴である。
 自分などもこれに類するきらいがあると思っているが、これは人を寄せ付けない場合が多い。
 コミュニケーションを念頭に置かないから、どうしても閉鎖的になりがちである。

 こういうブログが実際の生活感覚を喪失してしまうとこれほどおもしろくないブログはない。
 「自己満足」という言葉がピッタリなんだが、言うほどに「自己満足」もしていない。
 だから、ひと月ふた月・・・いち年に年と経過して行くと、書くこともなくなり尻すぼみになって行く。
 活路を見出すため、ネットの世界の住人になろうと必死で、あちこちのブログに出入りするわけだが、所詮は自己主張する相手を求めてるにすぎないわけだから、やっぱり尻すぼみ。

 ブログって何だろうと本当につくづく思う。
 ある一定の範囲のなかでのみ有効な文字表現なんだろう。
 秋葉原で起きた無差別殺人の犯人が「自分からパソコンをなくしたら自分の住むところがなくなる」という意味のことを言ってたが、これはとてもショックなことだった。

 現実世界を豊かにする方法の一つであるべきパソコン文化「ネットの世界」が、現実とは独立した人の思考の世界として成り立ってしまい、現実と架空の倒錯が生まれたということだ。
 起こした事件は許されない重大な犯罪であり、人の命をこうも軽々と殺めてしまう精神構造に恐ろしさと怒りを覚えるが、現実感覚がマヒするということが何を意味するか象徴的でもある。

 ネット文化に自分の生活の一部をゆだねるということは、それ以上に現実社会の歪んだものを知ろうとすることだし、その現実の中での人間関係や社会や政治や戦争と、今自分が関わってる「インターネット」との接点を、いつも忘れずに持ち続けるということだと思う。

 日々の暮らしのなかのあれこれを自分流に考えて、名も知れない訪問者が批評しているであろうことを忘れずに、それでもめげることなく書き続けるということが、この現実社会を見続けるという行為であることだけは間違いないと思うわけです。

 ・・・などと言いつつ、やっぱり平凡な日常生活を書くというのは少々パワーも要るものだなぁ。  
   

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