« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月

2008.10.30

話題

10月30日 えっ!3年後に消費税のアップ

 すっかり暗くなった夜道を自転車で走ると日ごとに寒さが身に滲みます。
 ちょっと前には夏を生き延びた?蚊に刺されて痒いなんて言ってたがその蚊ももう見かけません。
 もう10月も終わりだから季節の移り変わりも早い。

 家に帰りついて玄関を開けると暖かい空気がうれしいものです。
 最近では愛犬ポン太も気前よく起き上がり出迎えてくれます。

 「ヒーターを入れる?」そんな言葉を息子が吐くと。
 「まだ、ヒーターの季節には早いでしょう」と妻が。
 何か暗い話題ばかりが膨らんで愉しいことや嬉しいことが少ない毎日です。
 それでも、一日一日と過ぎて行き「何かパッとした明るい話題は無いものか?」と思うこの頃です。

 衆議院の解散が先送りされ追加経済対策だといって2兆円の交付金を交付すると言う。
 そんな交付金が消費購買力となって経済効果を上げるのか疑問符だらけです。
 日々の生活必需品の値下げにつながるような対策ならば喜ばしいが、先行き不安な生活だから、出費を押さえてこの先の生活のために貯蓄しようと思うのが庶民のはかなき知恵です。

 選挙目当ての「ばらまき」と言われてもしかたないようなものです。
 その生活不安をいっそう増大させるのが「3年後をめどに消費税アップ」という話題。

 公平な税金の負担は累進課税が当然だと思うのです。
 金持ちからはたくさん、貧乏人からは少なく・・・・これが税金の本当の平等な納め方です。

 全ての消費に税金をかけるなんていうのは、もっとも苦しい庶民に過酷な負担を強いる大衆収奪方法にほかならない。

 だから、消費税は悪法中の悪法ですね。
 教育費や医療費や老後の生活安定が保障されるのならばそれなりの税負担は理解できるが。
 金持ちの減税はしっかりやって、貧乏人からはしっかり「負担をお願いする」ってのが今の中身。

 消費税は格差を拡大する税制になってるのにまだ税率アップというのでしょうか。
 自由・平等・博愛という自由主義の理念はどこに行ったんだろうかと思うのですね。

 景気対策=庶民の暮らしの安定とは聞こえないから、やっぱりこの国の政策というのは庶民の目線とずいぶんとかけ離れている。

 暗い話題ばかりで、ストレス社会がますますヒステリックになってる・・・という世相だと思うんです。
  
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.28

うつらうつら・・・

10月28日 読書週間だそうですよ♪

 10月27日から11月9日の二週間にわたり読書週間だそうです。
 楽しい読書してますか~♪ などと言ってみつつ、近頃は夕暮れも早くなって5時を過ぎる頃にはすっかり暗くなります。

 日の出とともに起きて日の入りとともに就眠できれば体内リズムと自然が合致して健康な肉体を保てると思うのだが、文明社会は「灯」というものを生み出して、しっかりと秋の夜長に蛍光灯の灯を頼りに読書が出来てしまう。

 エコロジーというならば、本当は電気などというエネルギーに依存せずに、できるかぎり太陽の光にあわせた生活を心がければよいのだが、そういうわけにもいかない。

 このところ、夕食を食べ終えると途端に睡魔がやってきて、ついつい瞼が閉じてうつらうつらしてしまう。
 愛犬も含めて家族がじゅうが、なんだか眠たそうな毎日。

 眠りの言葉もいろいろあって、「うつらうつら」は浅い眠りと不明瞭なねむりの交差だし、「うとうと」って言えば起きてる様な眠ってるような浅い眠り、「とろとろ」これも浅い眠りってわけ。

 「ぐっすり」とか「こんこん」とかいう深い眠りというよりも、うつらうつらした浅い眠りのなかで、愉しい夢でも見られれば、そんなシアワセなことはないが、台所の椅子にもたれかかって、テレビの声をぼんやりと聞きながらでは、そんな夢も見ない。

 「春眠、暁を覚えず」というが、「秋眠」という言葉はあまりお目にかかれない。
 そりゃぁそうだ、春の朝は気持ちもよくて夜明けも知らずに眠っているってことだが、秋にはもの悲しさに包まれた気持ちになっても、まどろむような眠りとはちょっと違う。

 秋の夜ながに台所の椅子に座ってうつらうつら・・・・やっぱりこれは「惰眠」ってことか (笑)
 まぁしかし、心が重くなってゆったりと眠れない日々を過ごすわけじゃなく、無駄な時間を眠りに費やすのもそれはそれで幸せなことかも知れない。

 眠りの森の中でうつらうつらと惰眠の似合う我が家の住人たちです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.26

秋・日記

10月26日 ちょっと肌寒い日 

 10月も下旬になるとめっきり秋らしく上着なしでは寒い日曜日でした。
 気温は16度、近所の田んぼでは稲刈りが始まり刈り取られた田んぼには黒い土が顔を見せました。

 先週に続いて息子が「続・男はつらいよ」寅さん映画のDVD二作目を借りてきてきました。
 どうも全48作を毎週借りてくるつもりらしく全作見終える頃には来年の秋の枯れ葉が舞っている頃だろうか。

 第二作は寅さんが産みの母親を訊ねて京都の連れ込み旅館に行くとそこにいたのは旅館のごうつくババアの母親だった・・・というのが物語の軸になっている。

 マドンナ役には佐藤オリエ、恩師には水戸黄門でもお馴染みだった東野英治郎、そして母親役はミヤコ蝶々と懐かしい顔ぶればかりです。 

 しかし、この「男はつらいよ」を初めて見たのは学生の頃だったが、なぜか下町の人情物語が小市民的でどうしても好きになれなかったのが正直な感想でした。

 それよりも、藤純子の「非牡丹シリーズ」ものや鶴田浩二などの任侠もののほうが好きだったから、「男はつらいよ」がいいと思うようになったのは、それからずいぶん後のことになる。

 いろいろと山アリ谷アリの人生を過ごして、あるとき放映されていたテレビ映画の「男はつらいよ」をなんとなく見ていて、「そういうものか!」と妙な納得をして、それから「寅さん」などの山田洋次監督作品が気に入った、そういうことです。

 だから、息子が何を思って、急に「男はつらいよ」を見始めたかよくわからないが、現代という時代に欠落している「何か」を埋めたいと思っているならば、こういう映画に引き込まれるように見るのもいいだろう・・・とも思う。

 そういうわけで、秋も深まりゆく映画鑑賞の日曜日でした。

Img_0050
             忘れられたように落葉が舗道の脇に・・・秋です

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.25

生キャラメルに負ける(笑)

10月25日 大曽根-ナゴヤドーム球場-平和公園-日泰寺(自転車散歩)

 名古屋駅の百貨店で北海道の物産展が開催されているようで、今話題の「生キャラメル」の販売がされている。
 あの芸能人の田中義剛が牧場長の北海道花畑牧場の「生キャラメル」が人気で朝早くから並ばないと買うことができないという。

 というわけで、恒例の週末自転車散歩VS生キャラメルのCSのような戦いは「生キャラメル」の完全勝利でした。(笑)
 どうも長蛇の列ができていて朝8時だというのにストップ直前だったらしく、「特急に乗って買いに来た」という人もいたほどの人気商品らしい。

 珍しい物への飽くなき追求、スイーツという甘味への驚くべき執念、世の女性の実利主義ともいうべき、こうした行動は、ああ私には理解できない。(笑)

 のんびりと、ちょっと肌寒い風をきって自転車で走る爽快感のほうが、生キャラメルよりもはるかに「美味」と思うのだけれど、男のロマンチシズムと女の現実主義との対比と言ったら、ちょっとブーイングがくるだろう。

 「いっしょに来てくれないならば生キャラメル買っても あげないからね~」

 と言って、朝早くから出かけた妻が買ってきた生キャラメルを得意げに一粒差し出して、賞味しろと言わんばかりだったので、「ふん、たかがキャラメルじゃないか。所詮は子どもの菓子」などと思いながらも口にしました。

 予想外に美味い。口の中で溶けてキャラメルの香りと味が広がります。
 初めて生チョコを食べたときに「こんなチョコレートもあるんだ」と驚いたのに似て、「ほほ~いい味だ~」などと口走ると。

 「明日、もう一度並ぶ?」

 プロ野球CS戦も終わりました。
 大砲と有名選手の寄せ集め球団から、チームプレイのできる選手の組織に切り替えた原監督の手腕の勝利だった今シーズンのジャイアンツです。
 最大13ゲーム差をひっくり返して優勝しただけあって強かった。

 負け惜しみではなくて、やれやれやっと終わってくれた!というのが率直な感想です。
 中日も若手のピッチャーが力をつけてきて、攻撃陣の層がもう一つ厚くなれば来シーズンも楽しみです。

 WBCの監督問題も揺れています。
 イチロー選手の発言にはさすが日本を代表するメジャーリーガーとしての資質を感じる。

 金儲けとパフォーマンスばかりが先行するプロ野球界にとって、落合監督の「野球をよく知ってるノムさんがやればいい」という発言や「イチローがプレイングマネージャーで」という野村監督らの流れに抗してもの申す姿勢はプロ野球ファンとしては好感がもてる。

 どこかの誰かが出来レースを仕掛けてファン無視の監督人選をするような方法は、毎日ホテルで食事する政府の要人が、町の市場で市民生活を視察するパフォーマンスに似て、ウンザリするものがあるということです。

 そんなわけで、本日は一人名古屋市の東部丘陵地にある平和公園にぶらり自転車散歩に出かけました。
 久しぶりに大曽根商店街から名古屋ドーム球場をまわり→平和公園→日泰寺という走行距離は38キロ。

 大曽根といえばその昔は名鉄瀬戸線大曽根駅前からアーケードのある下町の商店街だったのが懐かしい。
 今はすっかり整備された商店街になってるが、人の流れがこの地域に足を止めないのが寂しい気がします。

 ナゴヤドーム球場は今日は静かです。
 本来ならば、ここでクライマックスシリーズが開催されているはずなんですが・・・・
 
 ちょっと曇天の平和公園でしたが、家族連れで休日を過ごす人や釣り人もいて「平和」な週末風景でした。
 「平和」といえば、帰り道になにげによった千種公園の一角に戦跡記念碑があるのを知りました。
 終戦まぎわの名古屋大空襲で多くの尊い命が犠牲となった爆撃痕の塀が残されています。
 爆撃によって空いた穴がそのもの凄さを伝えています。
 
Isekiimg_0039
                         戦争の痕跡と親子の休日


 ゆっくり走っていると、いろんなものを見つけることができる自転車散歩の良さです。

Heiwakouennimg_0020
                      MR-4Fと平和公園の深まり行く秋

   
   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.24

やっぱり陳腐なクライマックスシリーズです

10月24日 監督采配のおもしろさ

 いやぁ今日のCS第3戦中日×巨人は見どころが多い試合でした。
 ガップリ四つの好試合だっただけに、いっそうCSなんていうものの陳腐さが浮き彫りになった形です。
 
 プロ野球のチームがフェアプレイの精神で堂々と戦い抜くという姿に子どもたちやファンは野球への限りないロマンを感じるものです。
 総力をあげて戦う姿は、それこそがプロ野球の醍醐味というもんです。

 そう思うと、アドバンテージなどという、戦わずして1勝というCSの制度も陳腐なものだが、今日のように「引き分け」でも再試合がないからほぼ1勝というのもアン・フェアな制度といえます。

 ちょっと別な角度から見ると、戦う前に一方にあれこれと有利な方法を取り入れて、さあ「プレイボールだ!」っていうようなものだから、「いじめ」っていうと大袈裟だけれど、やっぱりフェアな制度のもとでの戦いとは言い難い。

 これってスポーツ精神から大きく逸脱してるんとちがうだろうか!
 まあ、そもそもCSなんていうもの自体が、ペナントレースの覇者に無条件で「日本シリーズ出場権」を与えないわけだから、それ自身が優勝チームへの「逆いじめ」みたいなものだけど。

 アメリカの地区別に何十チームもある状況で、その格差を是正するためのプレーオッフ制度の合理性は肯定できるところだが、セ・パ各6チームでなおかつ交流戦も組まれている日本のプロ野球で3位までが、なんでまたCSなどという試合をしなきゃいかんのだろう?
 ペナントレースの意味がなくなってしまうのに。

 それで、今日のように迫力ある点取りゲームが展開し、投手の継投に監督采配の味がでた、大変おもしろい試合だったんだけど、その力相撲のような試合の結果、巨人も中日も一歩も引かない展開になると、どちらのファンも、試合結果だけではなくて、ゲームの展開やかけ引きに緊張感もでて、ボルテージもあがるものです。

 ・・・・が、そんな一歩も引かない「引き分け」の後に残る、アドバンテージ1勝、引き分け1勝(分)というCS制度がもたらす陳腐な結果は、好試合のボルテージも一挙に下がり興ざめするものです。

 巨人ファンも「引き分け」や「アドバンテージ1勝」ではおもしろくないでしょう?
 まぁペナント覇者に、もう一回覇権を争えというほうがおもしろくないから、早くこんなCSなんてのを終えて、西部ライオンズと戦いたいというのが正直なところでしょうね。

 だから、ペナント優勝チームも、2位・3位チームの選手も、こんなCSなんて絶対にやりたくないと思ってるに違いありません。

 しかし、今日の試合の見どころは、投手起用に尽きます。
 9回のクルーン投手が中村選手に死球を出したところで、急遽山口投手に交代させ3イニング投げさせた原監督と第6戦までを念頭に投手起用する落合監督という監督の試合に対する姿勢がクローズアップされました。

 目の前の勝負を全体の試合運びの中で考える。
 なるほど、落合ドラゴンズが短期決戦に強いという一端がかいま見えた気がしますね。

 日本一をめざす中日は3連勝あるのみです。
 もし、3連勝するようなことがあるならば、今日のような投手起用の打つ手が攻撃の流れとピッタリ合致する戦術を、淡々ととれる監督采配の凄みといえるでしょう。

 勝った負けただけで、この陳腐さに気がつかないでCSなんか応援していたら、元々がフェア精神なんか存在しない制度だから、ストレスが溜まるばかりなのです。

 しかし、今日は充分に「プロの野球の試合」を堪能できましたね。
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.23

「P」で撮る

10月23日 デジタルカメラが泣いている・・・

 Img_0005
                 (「P」モードで撮った自転車MR-4Fと一本の木)

 先日、友人とデジタルカメラで撮るフォトの話をしていて、ちょっと有名な写真家でも「P」で撮ってる人がいるという話を聞きました。

 「P」ってのは、デジタルカメラの撮影モードで「プログラムAE」のことなんだけど、カメラの撮影モードダイヤルに「P」って書いてあるからそう呼んでいるわけです。

 で、このPモードっていうのが、絞りやシャッターが自動設定で、その他の調整が行えて、撮影意図が反映できる・・・と、解説書には書かれていますが、よく分からないから便利なオートマチック程度の理解で撮ってるのが今です。

 せっかくのデジタル一眼レフであっても、ほとんど基本もなにもかも無視というか無知というか、このいい加減さが生み出す写真は、やっぱり出来栄えもまったくよろしくないのです。
 
 デジタルカメラの基本なんて眼中になく、好きな対象を好きなように撮れれば、写真なんてカメラマンの心が映し出されるものだ!な~んて、生意気な言葉を吐いていたが・・・・

 ちょっと話はかわるが、岡井耀毅著「肉声の昭和写真家」(平凡社新書)を読んでいます。
 土門拳や木村伊兵衛らと同時代に活躍した日本の13人の写真家の作品とその成り立つ背景が紹介されていて、ほとんど知らない、知ってるのは秋山庄太郎ぐらいです。
 著名な写真家というのは、それだけの作品を生み出す背景と努力と、なによりも情熱があるものですね。

 やっぱり、知らないことが多すぎる写真という世界です。
 ちょっと、わけのわからない大言壮語を謹んで、こりゃぁ勉強せんといかんかな~。

 ただ、自分が良いと思うものを撮って、楽しいと思えなければ「写真」なんて、現実の情景や人や物のリアリティを上まわることはできないなとこれだけは思うのです。

 いろんなブログに載っている「デジタル写真」を見ると、実に美しく、よく考えられて撮られているから、そういうものから学ぶものも多い。
 
 さて、まずはデジタルカメラの基本操作から独学で勉強です。
 ガンバレー♪ などと今さらながら自分に言ってみたりして・・・(苦笑)  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.21

ピンポン球を追う

10月21日 卓球練習日

 このところ練習の機会も遠のいていた卓球の練習日でした。
 スポーツの秋。

 プロ野球の観戦も楽しいものですが、自分の体を動かしてスポーツするのはもっと楽しいです。
 中学生時代にしごきの毎日を過ごし、脱走寸前で先輩につかまって、またしごかれた卓球という球技。
 おかげで、体が覚えているからどんなに練習に空白が生じても、なんとか形になります。

 「何とかなる」窮地におちいっても何とかなるものだ・・・そんな確信めいたものも、この卓球というスポーツで身に付いたものかも知れません。

 それに、卓球は生涯スポーツと言われるだけあって、歳には関係なく、それなりに楽しみながら球を追えるところがいいです。
 温泉ピンポンでも、職場の休み時間卓球でも、職場の仲間たちと愉しい時間を過ごせることに感謝・・・そんな本日でした。
 めずらしく短い日記です(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.20

試合の流れ

10月20日 CS第3戦 中日×阪神・・・実況中継

 久しぶりにプロ野球クライマックスシリーズ第一ステージ第3戦中日×阪神戦を観ました。
 阪神ファンにはセ・リーグのペナントは巨人に持ち去られて、ここにきて中日に負けてしまうというWの悔しさだと思います。

 今日の試合などは、岩田投手の1安打ピッチングとセ・リーグNO1のクローザー藤川投手の継投で、引き分けでも勝ちあがりが待ってたから、無念・・・その一言ですね。

 阪神は勝って第二ステージで巨人を打ち破るというしか、このCSの意味がなかったから、勝利することが試合の全てだった。

 それに比べて、中日は競りに競ってとにかく日本一に近づくだけだから、「挑戦者」という位置付けしかない。

 勝った負けたという試合の流れよりも、岩田投手に完璧に抑えられ、難攻不落の押さえ藤川投手に手も足も出ない・・・という状況の中で、最後の最後のギリギリのところで踏みとどまるという、予想していた通りの試合展開で阪神を下したところが、歓喜やまないファン冥利です。

 8回裏、赤星選手がヒットで出塁してエラーも手伝って3塁ベースに進みました。
 1点入れば好投している岩田投手に続いて藤川投手がピシャリと締めるはずだから、こりゃあマズイと思ってると。

 「ねえ、ねえ どちらが勝つの?」と妻が。
 「あのねえ、そんなのわからんけれど、1本しかヒット打てない中日だし、絶対絶命の不利な場面」
 「それで、どちらが勝つの?」
 まったくなんでそんな未来予知みたいな質問になるのかよく理解できん人です。(笑)

 「じゃぁ予測しようか、0-0で試合が続いて、最後の最後に中日が1点とって勝つ」
 「去年もたしか巨人が優勝したけれど、中日に負けて・・・だったわね」

 妻は巨人ファン、と言っても根っからのファンではなくて親の影響でしゃびしゃびになった水割りのような巨人ファンです。
 「そうだ!中日が勝てばバーゲンがあるわ~ふふふ」(笑)

 という間に吉見投手がピンチを切り抜けてスリーアウトをとりました。
 それで、9回の表のウッズ選手と藤川投手のフルカウント勝負となって、パカーン~。

 見事に接戦の末の崖っぷちで勝利した中日ドラゴンズでした。
 この流れで東京ドームでも押されに押されて、もう後が無い試合から、紙一重の4勝3敗で日本一に近づいて欲しいところです。

 そうそう、阪神の岡田監督も「クライマックス」なんてのには反対してたんですね。
 3位どうしの中日と日本ハムが日本一を戦うなんてことになれば、CS廃止論が湧き上がるだろうな。
 しめしめ (笑)
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.10.19

久しぶりの「寅さん」映画

10月19日 今日も早起きして銀杏拾いに行ってきました

 まだ人が来る前にイチョウの木の下を探せば銀杏の実が収穫できるはずだ!といつもより早起きして、今日も庄内緑地公園に自転車散歩。
 収穫は・・・ほどほど。

Img100_3
 何を思ったのか息子が映画「男はつらいよ」(第一作)のDVDを借りてきました。
 先日何かの話の折に「寅さん映画は、笑いと涙と人間模様の傑作映画だよ」って話したからか・・・
 「DVDを借りたから観る?映画はやっぱり第一作目からじゃなくちゃ」って、まるで観ろといわんばかり。

 第一作目の「男はつらいよ」は1969年8月の封切り映画で、実はまだ観たことがありません。
 今から40年ほども前の映画になるので、時は日本の高度経済成長期。
 寅さんも、さくらも、博も、おいちゃん、おばちゃん、それに御前様もみな若い・・・って当たり前ですが。

 おいちゃん役は初代の森川信で、マドンナには光本幸子ってところです。
 もう渥美清や笠智衆など亡くなった俳優の全盛時ですから、ほんと役者が役者らしい演技をしています。

 20年ぶりに柴又の「とらや」に戻ってくる「フーテンの寅さん」、さくらは独身でキーパンチャーの仕事に就いている。
 となりのタコ社長の経営する朝日印刷の二階には博役の前田吟が住み込みで働いている。
 この寅さんとさくらの兄妹の再会から、さくらと博の結婚、そしていつもどおりの御前様の娘「冬子」への想いも儚く散って、旅に出るまでが第一作です。

 出演者が皆若いから、ちょっとドタバタするし、寅さんの啖呵売のセリフも事あるごとに話され、なんとなく「喜劇ぽっさ」も残ってるが、この後に製作される48作までの基本パターンが、十分に盛り込まれているのです。
 下町の人情模様は、この映画の基調ですね。
 
 考えれば、この昭和という時代を背景にした「男はつらいよ」の時代には、「偽装」なんてものはなかったし、中小企業のタコ社長のようなオッチョコチョイだけど人間味のある経営者がまだ残っていた。
 さくらや博のように、真面目を絵に描いた生き方が「素晴らしい」と言われる時代だったわけです。

 社会からはみだし者扱いされていた「寅さん」であったが、そんな寅さんの「人を愛し優しい」姿を、身内や顔見知りの人々は、なんだかんだと言いながら受け入れる社会であった。

 そういう時代に威勢だけはいいが純情で人を愛することにかけては誰よりも情熱を持っている「フーテンの寅さん」という主人公が繰広げる笑いと涙と人情が、どんどんと希薄になっていってる今の時代と対比できる。

 まだ、ちゃぶだいがあり、チャンネル式のテレビや、若い職工さんがフォークギターに合わせてコーラスを歌う、そんな映画のシーンがとても懐かしい。

 その懐かしさの中に、生きるうえで大切な愛情と優しさがふんだんに盛り込まれているから、笑いながら泣き、泣きながら共感する、そんな映画なのかも知れません。

 いつみても元気になれる「男はつらいよ」です。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.18

銀杏拾い

10月18日 自転車散歩のお土産でした

 週末です。
 またしても庄内緑地公園自転車散歩に二台で行きました。

 まだ飽きてはいないようだな?と思ってたら、ちゃんと予定の行動「銀杏拾い」を考えていた妻だった。
 「この辺りから、銀杏の匂いがするぅ~」

 銀杏の匂いは好きになれないし、なにより銀杏の実も好きではないから、茶碗蒸しに隠れた銀杏も箸でつまんで、大好物の妻にあげてしまうくらいです。

 もうずいぶんと採り尽くされていたけれど、それでもけっこう拾うことができました。
 本日の秋の自然がくれたお土産ということですね。 
 これから、どんどんとイチョウの葉が黄色くなって、秋が深まるにつれて舞い落ちて、季節は冬がやってきます。

Img_0073
                       (まだまだ銀杏の実が・・・・)

Img_0108
                       (どんぐり&銀杏の実のコラボ)
 
 公園の帰りにスポーツショップに寄って自転車走り用にと、秋の新作スポーツウエァを買いました。
 いろいろ探した結果、結局色違いの同じものを選んだから、「ペアルック風」になってしまったが、いまさら「ペア」をそろえる必要もないけれど、ここは銀杏と違って好みが一致したわけです。

 そうやって、自転車ポタリングの世界にジワジワと足を踏み込ませていくのは、まるで計画性を持った宗教勧誘家の手口みたいなもんだな!と、ニヤリです。(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.16

暗い日

10月16日 厭世的な話題ばかり・・・

 10月15日の昨日は、お年寄りの老齢年金の支給日だったから、全国的に「振り込め詐欺」の発生も多かったという新聞記事が載っていた。

 これ以外にも、マルチ商法業界からの献金問題が一面のトップ記事ですし、中国製粒あんにトルエンが混入、農薬インゲン問題も先に発生しています。
 明るい材料がほとんど見当たらない新聞を読んでいると、ほんとうに厭世的な気分になってしまいます。

 あ~ぁ、とため息が二つ三つとでてくる本日です。
 こういう日は「三隣亡(さんりんぼう)」かと思えるほどで、仕事でもクレーム話が舞い込んでくるわけです。

 ちなみに「三隣亡」というのは、まぁ民間信仰の迷信だが、江戸時代には「三輪宝」とも記されていたようで、造語らしい。
 どちらにしても「大凶日」のことを指しているというわけです。

 新聞を読むときにはその日の「出来事」を読むわけですが、それと同時に今日は何か楽しい記事が載ってないかと一面から三面まで、そしてスポーツ欄や生活欄などにも目を通しています。

 だけれども、ほんとうに今日は、ちょっと微笑ましい記事が見当たりません。
 
 記事がなければ写真はないか、楽しく和みの写真は?
 ありましたね。
 探してみるものです。
 楽しいわけでも、和めるものでもないけれど、ちょっと生きるパワーが感じられる写真があった。

 「後期高齢者医療制度の廃止を訴え、デモ行進するお年寄りら・・・」という説明が付いてる、普通のデモ行進の写真の横断幕にこんなスローガンが書かれていて目に留まりました。

 生きるなというならもっと生きてやる

 まったく、そのとおりだ!
 そういえば、今日も仕事の電話を受けていて、ついでに話も広がってこんな言葉が・・・
 
 「あのコイズミがだなぁ、世の中をめちゃくちゃにして、それから年寄りに冷たい仕打ちばかりで腹がたってしかたないんだわなぁ、そう思わんか?」

 同感です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.15

Moon Light

10月15日 月がきれいでしたね

 「ねえ、ねえ、お月さまがきれいだったでしょう!」

Img_0186

 帰り道、今日は一段とお月さまが明るく輝いていました。
 歳とともに輪郭がぼけてしまう視力でも、たしかにきれいな月が見えました。

 子どもの頃は、あの月の模様がどうしたら兎に見えるのだろうと真剣に見つめていましたが、大人になって忙しい日々を送っていると、まじまじと月を眺める時間も少なくなります。
 自転車からじっくりと見上げる月の美しさです。

 この月をなんとか写真の絵にならないか。
 バカチョン・デジカメに納まらないかと何度も立ち止まって見上げていると、なんと背後からパトカーが近寄ってきました。

 職務質問されることもなくそのまま行き過ぎましたが、パトカーごときに気を奪われるのが可笑しい(笑)

 しかし、なかなかあの美しい月の輝きを手にすることはできません。
 暗い裏路地でもダメです。

 それで、歓楽街から夜空を見上げると、このいろんな人々の思惑がうごめく街にも同じ月の光は照らしている。
 太古の昔から、人の生活の移り変わりとともに風景は変化しても、月の光は同じなんですね。
 あたりまえのことなんですが・・・・

 車のフロントガラス越しに丸い月を眺めていた妻と、片や自転車で同じ丸い月を眺めていた自分と・・・・
 これも、あたりまえのことだけど、あたりまえと言ってしまうのもなんだか惜しい気分。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.13

ゲージュツの秋

10月13日 自分でこれだと思えばそれで良しということ

 「ちょっと気分転換に自転車で走ってみるか?」
 大学生活を終えて就職というまぁ人生の岐路に立って考え込んでいる息子に声をかけると「行ってみようか」と。
 考えるよりもまず実践が必要なこともあるし、しっかり考えて行動することもあるけれど、「人生なんとかなる!」っていう楽観主義ももたないとね。

 しかし、自転車で走るかと聞いて、20歳を過ぎた息子だから、「そんなオヤジと行けるかよ!」っていうぐらいの返事が調度良いとも思うし、ちょっと複雑な気持ちですなぁ。
 というわけで、土曜日は風邪から喘息になってダウンした妻を置いて一人走りして、今日は息子をお供に、いや息子のお供で庄内緑地公園ホームロードへと走りました。
 本日の走行距離、28キロ。

 芸術の秋ですが、今もって芸術というものの中身がよくわかりません。
 絵画、小説、音楽、映画・・・・素晴らしい作品はたくさんあるけれど、「芸術」って言葉でくくると、いったい何が芸術やら。

 それで、たしかマルクスが言ったと思ったが、人は誰しも音楽家であり、作家であり、彫刻家であり美術家である、そういう才能を持っているが、社会的環境がそれを疎外しているけれど、本来は誰しもそんな芸術家としての能力を開花できる社会・・・・

 誰しも、そんなゲージュツ家であっていいのだと思っています。
 だから、今日は「ゲイジュツの秋」と題して、我流、自己流、思い上がりに、思い込みの激しい「ゲージュツ作品」を写真でアップしてみます。(笑)
 つまり、自分でこれだと思えばそれで良しということに尽きます。
 
 資材置き場のゲイジュツ 
 何度も通る自転車散歩道の脇に、資財置き場があって、この鉄板の壁に見事な「絵画」が描かれています。
 絵心のある人が描いたと思うのですが、資材置き場と絵画というミスマッチのようで、実はこれほどゲイジュツ的な表現方法はないと思って、通るたびに立ち止まってしまいます。
 美術館の絵画に負けていないと思うのですが・・・
Kabeimg_0165

 こういうのが好きだっていう一枚

 風がちょっと出てきたベンチの隣に自転車を停めて、なにげにタイヤを見ると、小さな枯れ枝がからみついている。
 いっしょに連れ帰ってくれと言わんばかりに、風が吹くたびにタイヤにしがみついていた。
 こういう発見が大好きですね。
 だから、これはどこにでも転がっている些細な事柄というゲージュツに他なりません。
Karehaimg_0159

 スナップの構図ということ
 庄内緑地公園はコスモス祭りということで、コスモスがとてもきれいです。
 秋の青空のもとで咲くコスモスを何枚か撮ってみましたが、やっぱりコスモスです。
 あたりまえです。
 そのコスモスの向こうから「イエローコスモス?」って声が聞こえてきて、どうもフィリピンから働きに来ている方たちが休日を楽しんでいる様子でした。
 こういう構図が好きですね。
 何か人の暮らしや人生や喜びみたいなものを撮ってみたい、それがちょっとピンボケのチョロスナであっても・・・・
 だからゲージュツってわけです。
Kosumosuimg_0151

 生き物の思考
 ここまでくれば、ほとんど主観主義の典型みたいなものです。
 自分が気に入ったから、これがゲイジュツだ!っていうのに等しい。
 もちろん、本当は芸術作品といわれるものを創り出す力があればいいが、そんなものがないごくごく普通の人が自分の撮った写真や書いた文章や作ったものを、大切にして表現するなら・・・・みんなゲイジュツということです。

 この愛犬ポン太の瞳をじっと見つめていると何を考えてるか分かるような気がします。
 だから、こういう一枚も自己流のゲイジュツだと思っていますが・・・・

Ponntaimg_0136

 あはは・・・ここまで「ゲイジュツだ!」って呆れるくらい言い切ると、何となく生きていることが愉しく思えてくるものです。
 馬鹿馬鹿しいくらい楽しく自己主張すると、「それなり」に思えてくるかも(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.12

むかし話の秋

10月12日 「舌きり雀」と「浦島太郎」と・・・

 少し前のこと、田んぼの稲が色づき始めたと思っていたら、20羽ほどのスズメが一斉に飛び立って行きました。
 スズメも収穫の秋にほくほく顔のようです。
 まぁ、人間さまにとっては、昔から穀物を狙うフトドキ者というわけですが・・・・

 今年も小学生のゲージュツ的な案山子(かかし)が立ちました。
 思いっきり恐そうな案山子の顔が、なんとも子どもらしく素直でいいですね。
 スズメが恐がって田んぼに寄り付かなければいいのですが、スズメもこの子どもたちが育てている稲だから遠慮してくれるといいが。

Kakasiimg_0063
 
 しかし、昔からなぜかスズメって愛くるしいから嫌いになれません。
 もう何十年も前に祖父が農作業のあい間の休憩どきに「舌きり雀」のむかし話をしてくれたことを思い出します。
 まだ子どもの昔ばなしの本など手に入らない時代だったから、何度も何度も同じ話をせがんで聞かせてもらった。
 そんな、子ども心がしっかりと思い出に焼きついて、今でもスズメが路上でチュンチュンと飛び跳ねている光景を見ると、ふむふむ、こいつ等の「雀のお宿」はどこにあるんだろうか?などと思ってしまいます。


 今日は、恒例の図書館通いの日でした。
 ちょっと雲が厚く、もう半袖一枚では肌寒いから、長袖の上着も必要な気候でした。
 図書館の裏手にある小さな池には、アヒルとか亀などが生息しています。
 ちょっと天気の良い日には、池の中の岩に登った亀たちの甲羅干しが見られます。

 それで、ふと見ると何やら小学生の二人が、タモで亀を捕っているところに出会いました。
 けっこう大きな亀で、もちろん首と手足を引っ込めて防御・・・
 しばらく様子をみていると、二人して家に持ち帰るか相談しているようです。

 こんな大きな亀だから、マンション住まいだったら飼えないだろうし、飼うにも大きな水槽も必要になります。
 ふむ、ここは一つオジサンの出番で、「君たち、君たち、家に連れ帰っても飼うのも大変だし、お母さんにも返して来なさいって叱られるかもしれない。どうだい、おじさんがこの亀とちょっとしたお小遣いと交換してあげようか」

 などと、例の昔話「浦島太郎」でもしてみようか?などと思ったわけです。
 そうすると、助けてもらった亀が涙をながして、「お礼にこの池の底にある竜宮城にお連れさせていただきます」などと言ったりして・・・

 こんな、ちっぽけな池の中に竜宮城などあるわけないし、なによりもこの図書館の本が濡れて読めなくなっちゃうじゃん、などと妄想することしばし。
 挙句の果てには、玉手箱を開けたらモクモク煙が出てきて、何十年後の世界か分からないが、環境破壊が著しくすすんで、おちおち自転車で街も走れない、そんな世界に帰るのもたまったものじゃない。

 まあ、ここは少年たちの生き物の命の大切さを学ぶ戸外学習ということにしよう・・・(笑)

 新刊本コーナーにおもしろそうな本がありましたから、ゲット。
 誰もまだ借りていない本をちょっとだけ先行して読めるシアワセです。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.11

職場の心象風景日記Ⅱ

10月11日 あいさつ

 「ありがとうございます~♪」
 人と人が世代を超えて同じ時間を共有しているのが職場です。
 家庭にいる時間とおなじくらい過ごす職場が心を通わせられるところだったらとても幸福です。
 「おはようございます」と大きな声で返してくれる友人とか、「はい、この書類ね」と手渡せば、「ありがとうございます」って必ず一声添えてくれたりと・・・

 「職場を活性化する取り組み」というものがあります。
 まず、「あいさつ」からと言われて、そういうことが組織の指示として提唱されているのですが、そんな外から持ち込まれた「あいさつ」なんて、本音がみえてしまうものです。
 同じ職場で同じような悩みや喜びをともにできる日常の仕事環境があってこそ、自然にあいさつができるということです。

 そういう意味で、自分の仕事も人の仕事も同じ職場人生の一環だと思って考えれれるといい。
 4月に仕事環境が変わり、この職場ではいつも「ありがとうございます~♪」という声が聞こえます。
 新しく入社した新人の人たちが率先してあいさつするから、ちょっとくたびれたおじさんにも「ありがとうございます♪」となります。

 何もたいしたこともないのに、一つ一つに「ありがとうございます♪」と、これは長い職場人生で、不思議と初めて経験するものでした。
 教師は生徒に学べ!年寄りは若者に学べ!ということでしょう。

 そんな雰囲気を維持しているのは、もうすぐ退職される方、その人の優れたコミュニケーション方法が、自然と職場のありかたを決めているからでしょうか。

 歳を重ねるというのは、時として苦しく辛いことがあっても、愚痴や嫌味を言わない、いや、そういうものがマイナスの要因しかならないことや、人に優しくすることが、しいては自分の人生に跳ね返ってくることを心のそこから理解するということでしょう。
 
 ジョーク人間の自分は、ほんとうに毎日というほど辛口ジョークもいいます。
 ちょっと書類を数えてる手が遅いと・・・・
 「いやぁ、歳をとったから水分が不足して書類もめくれない、としよりはピチピチの若さには勝てんってことだわさ」(笑)

 新入の人が仕事場に侵入した蚊に喰われたら
 「さすが若い人の血は美味いってこと、もう○○さんたちなんか、ご馳走のあとの粗食みたいなもんだから」(笑)
 
 いろいろと辛口話をしても、この職場ではそういう会話の中身を受けとめて、ジョークの中に潜む人生経験というやつが、人と人を繋ぐ「ユーモア」として理解してくれるのが嬉しい。
 (もちろん言ったぶんだけ、きっちり反対に返してくれるのだけど~♪)

 「ヤジ」も一服の清涼剤になるし、「何やってるの」っていう叱責も励ましの言葉になります。
 それは、お互いの心情というか、信頼感というか、そういうものが確認しあえるという前提があってこそかもしれません。

 我が家でも、もっと辛口ジョークを連発しますが、幸かな「こまったオヤジ」程度で済まされているが、いい気になって、さらに辛らつジョークを連発すると・・・・
 「あのね、職場で嫌われんようにね」(笑)

 男は社会に6人の敵がいる(だったっけ?)、そんな本音と着飾った言葉を上手に使い分け、職場を渡り歩いて、地位と権威と富を捜し求めるよりも、ごく普通に、ごく正直に、ごく素直に、人と人との心を通わせることが出来る、そんな職場人生をまっとうしたいものだと思っています。

 「名もなく、貧しく、美しく」映画のタイトルですが。
 まぁ、貧しいかどうかは別としても、世の中の片隅のほんの小さな職場のなかにも、年齢を問わず「すばらしい人」はいるものです。
 そういう人との出会いはとても幸せなことだと思っています。
 職場というのは人と人との出会い、巡り遭いの場所ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.10

職場の心象風景日記

10月10日 職場、友達と楽しく働かなくっちゃ! 

 今週は、めっちゃ(笑)忙しい一週間でした。
 終業の合図とともに、残業デイが始まる一週間、疲れたなぁ~ってところです。
 なぜか、このところ相談業務も舞い込んで、でも「この忙しいところに!」などとは思いません。
 忙しいときは忙しく、ちょっと余裕のあるときは余裕で、あるがままの流れに身を任せて・・・・

 「仕事は楽しく働けるのが一番だね」このところ、そんな言葉も交わされています。
 楽しく働けば、一人一人の力も重なって何倍もの力量に膨れ上がります。
 苦虫を噛み潰したような仕事場では、どんなに協力できても人数分以上の力はでないものです。

 毎年、歳を重ねて、思うようなパワーも発揮できずに、ガチガチの競争主義の職場だったら、毎日「窓際族」「落ちこぼれ」「嫌われ者」ありとあらゆる名札を下げることになっていたように思う自分です。
 そういう意味では、以前の職場でも今の職場でも「自分なりに精一杯力を発揮しよう!」と素直に思わせてくれる友人たちがいることが嬉しいです。

 思えば、ある意味綱渡りのような仕事人生を送ってきた自分だと思っています。
 これまで崖っぷちを歩いていても、いつも手を差し伸べてくれる友人たちがいました。
 「ともだち」
 世間で友達といえば、自分のことを理解してくれるとか、何でも話ができるとか、まあそんなふうに言われています。
 そういう意味では「ともだち」なんて、ほとんど居ないに等しいですが。

 だけれども、いつも職場というところには「同僚」という名前の「ともだち」が何人かはいました。
 そして、それほど長きにわたって一緒に仕事をしたわけではないけれど、個性があって、人を思いやる心があって、楽しく会話ができる友人たちと巡り合うことができました。
 こういう友人たちに支えられて、今働いている自分がいるし、今人のことも少しは考えられる自分がいます。

 とてもラッキーな職場人生を送ってこれたのも、その時々に本心から語り合えたこうした友人たちがいたからです。
 職場というのは、飯の食い扶ちを稼ぐところだけではないと思いますね。
 こんな身近なところに、本当の「友人」、「ともだち」と呼びたい人がいるものです。

 そんなわけで、今日も目いっぱい仕事をしましたがそれでも処理できなくて、「ちょっと手伝ってほしいんだけど~」
 「いいですよ~♪」
 とても感謝、感激、雨、あられ~♪ってちょっと古い表現かぁ(笑)

 そういえば、昨年も朝まで徹夜覚悟の仕事を助けてもらいました。
 渡る世間は鬼ばかり?いやいや、人生のたった数年間だけの同じ職場の同僚であっても、この人は「ともだち」だな!と思える人は探せばいるものです。

 だから、世間で言うところの「ともだち」なんて、ほとんどいなくても、自分にとっては「この人は友達だ」と勝手に呼べる職場の友人がいるのが幸福です。

 これを「超幸せな職場人生」と言わずして、どこに幸せがあるんだろうかと思う本日です。

 ふぅ~、ではもう寝る。(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.07

歌と時代と・・・

10月7日 歌番組

 最近はテレビもクイズ番組が全盛で歌番組は数えるほどしかありません。
 かっては、毎週ヒット曲を中心に茶の間(古い~)に流行の歌が否が応でも流れていたものです。
 その分、最近ではCDやネットでダウンロードしたりして、メモリーオーディオなどで手軽に聞くことができるから、時代の遷り変わりということでしょう。

 帰宅すると「あなたが聞きたい歌の4時間スペシャル」という番組をやっていました。
 たしか昨日は「名曲ベストヒット”昭和40年代青春の歌謡曲&フォーク名曲60選”」ってのも見たというか聴いたので合計7時間ほど1960年代から90年代のヒット曲を聴いたことになります。
 ほんと、我ながら飽きもせずによく聴くものだと思います。

 もっとも、これらの曲はほとんど手元のipodに入ってるから、あらためて懐かしいというわけではありません。
 それでも、当時の流行っていた時代の映像は、あのミュージシャン、このミュージシャン、(というよりも歌手という言い方のほうが似合ってる)の若かりし頃のものだから、そんなところは懐かしいですね。

 なぜか不思議と11歳という年齢の差がある妻ですが、意外とこうした古い曲、まだ生まれていない頃の曲をよく知っているのには驚かされます。
 自分の歳以上の時代の歌をよく知ってるから、ついでに「この歌は・・・・」というウンチクも達者で、そんなところは話を聞いてても愉しい。
 ただ、ソファーに座った隣でカラオケよろしく、いっしょに歌うのは閉口してしまうのですが・・・

 久しぶりに、たくさんの懐かしい曲を聴いてると、何こに魅力があるんだろうかと思います。
 いい曲だ!と思う歌は聴きながら、曲の歌詞やメロディにあわせて風景画や映画のワンシーンのように、その情景を頭の中で描いています。
 その描いた情景が感覚にピッタリくれば、もう「いい歌だなぁ~」となります。

 ですから、そうした想像が及ばない曲というのは、どんなに売り上げ記録をもった曲でも、好みが追いつきません。
 芸術性に欠ける単細胞なんです。(笑)
 こんなところは、ほんと時代遅れの自分だと思うのですが、妻などはそういう聴き方はしないから何でもOKのようです。

 1960年代から80年代にかけて歌われた曲は全体的に、やさしさや穏やかさが表現されている日本のヒットソングです。
 もっとも、いつの世でも「ラブソング」が流行の中心に座ってるのは変わりませんが。
 歌詞もわかりやすいものが多いから、そのへんが情景描写しやすいということです。
 
 そんなことを思いながら、もっとも輝いていた頃のアイドル達やヒットソングの歌手たちの映像を見ていると、何か元気になるから不思議なものです。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.06

仕事より家族

10月6日 新マイホーム主義?

 勝手に書いてる長い日記ですから、感想は自由ですし、読み飛ばして、黙殺するのも自由ですから(笑)

 日本世論調査会が実施した「家族」に関する全国面接世論調査の結果が昨日の中日新聞に載っていた。

 かって日本経済がピークを過ぎた頃、それまでの会社人間がちょっと疲れたのかマイホーム主義へと変化していって、仕事も大事だけれど余暇や家族の憩いを求めるようになって、モウレツ企業戦士なんてのがどこかえ消えていった。
 高田純二の「五時から男」なんてのが流行って、会社に埋没する悲しい習性を皮肉るCMなどが登場するのもこの頃だったと思う。

 それで、この「家族」に関する全国面接世論調査っていう記事の見出しを見て、さらに現代は一層マイホーム主義というのが進化したのだろうか?とふと疑問に思えてきた。
 「仕事より家族」世代問わず8割 というのが新聞の見だしというわけだ。

 「仕事よりもよりも家族の幸せを優先」という答えも「どちらかといえば-」を含めると81パーセントという。

 もう少し数字を追ってみると。
 「人間が生きていく上で家族が必要」(どちらかといえば-を含める)
                                    ・・・・ 99%
 「個人の生き方より家族にきずなを大切にする」」
                   (どちらかといえば-を含める)・・・・71%
 これを見る限り、「家族」という単位の必要性、家族の結びつきを大切ににするという傾向が顕著。
 そして家族の役割という項目は
 「愛し合い、精神的に支えあうこと」 ・・・・59%
 「子どもを産み育てる」・・・・50%
 「経済的に支えあう」・・・・24%
 「年老いた親の面倒を見る」・・・・23%

 このほか、家族構成や家族のタイプなどの質問に回答がされてるが省略。
 自分の家族への満足度は「満足している」(どちらかといえば-を含める)・・・・91%

 という結果になっているそうだ。
 これを見て、なんとなく現実とのギャップを感じてしまったし、その理由が何だろうと思った。

 家族が必要という回答の割には、どちらかというと急いで結婚するよりもという風潮が強いし、家族のきずなを大切にするという回答も、家族そろって団欒なんて減ってるのが現実だと思う。

 家族の役割について、「愛し合い、精神的に支えあうこと」という回答が最も多かったのだけれど、夫婦、親子のコミュニケーションが不足し、会話が上手く成立していない家族も少なくないように思う。
 それでも、91%の人が今の自分の家族に「満足している」と答えている。

 この現状認識は、私が今の家族を見て思う主観だから違ってるかも知れないが、世論調査の回答というのは、「願望」が色濃く反映されていると思う。

 つまり、理念としての「家族」への憧れがあって、格差社会や競争社会の過酷な現実が酷ければ酷いほど、そうしたものを癒す場所としての「家族」への期待が高まってるという反映だと思う。

 かってのマイホーム主義は脱会社人間を実行して家族の団欒や余暇を大切にしてきた。
 今の新マイホーム主義は、競争社会からの自己防衛として家族に帰納しているように思えてならない。

 会社というものが能力主義による競争原理を徹底させるほど、そこには年功序列制度にあった、同僚とか仲間とか共通する悩みや問題を共感する体質が削げ落とされて、ひと時も安らげない「職場」となっている。
 サラリーマンの中の「うつ病」あるいは「うつ的症状」が拡大されているのは肯ける。

 だから、充足されない満足感を家族に求める傾向は自然といえば自然。
 でも、ここで解らないのが、今の家族に「満足している」が圧倒的ということ。
 渡る世間には鬼ばかりだから、そんなところと比べればまだマシ?ってことか。
 積極的に肯定的に「我が家がいちばん」って思ってるのだろうか?。

 世の中には仕事の話を家庭に持ち込まない、家庭の話は職場では話さないという人もいる。
 仕事のことは事情がわからない家族に話しても理解してくれないとでも思ってるのか。

 けれども会社も家庭も人間同士が作り上げてる「場所」なのに、話を出さないってのもいささか了見が狭い。
 というか、そういう「会話」が「会社」と「家庭」で分離されてること自体が私にはよく解らない。
 「会社」のことを家族に話してコミュニケーションがとれない人が、会社の中でコミュニケーションがとれるはずがない・・・・と私は思ってる。
 
 8割の人が「仕事よりも家族の幸せを優先」と考えているのは、何か「働く意味」が見出せない現実のように思われてならない。
 見かけはマイホーム主義のように見えるのだが、それが成果主義、競争原理という非人間的な労働を強いられている社会からの消極的抵抗のようにも思える。

 お互いの人間的協働がなくなって、本来の労働意欲よりも「飯のために働く」意味しか見出せない職場に、とっとと見切りをつけて、個人的な幸せを追求するのはごく当たり前のことかも・・・・。

 だけど、派遣労働やワーキングプア、競争主義(格差社会と言ってもいい)などといった、現代の「蟹工船」のような労働実態が続く限り、自分の子どもの世代、孫の世代・・・・と、社会的な不幸は、その個人的な幸せにも暗い影をおとすことは間違いないと思う。

 というわけで、こんな不充分な文章を最後まで読んでいただいた方はお疲れさまでした(笑) 
 たんなる雑文日記ですから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.05

ネットごしの外野席

10月5日 日曜出勤の途中で・・・

 日曜日。
 曇り空で雨も夕方まで持ちこたえそうだったから自転車で通勤しました。
 いつも休憩する公園の横のグランドでユニフォーム姿の2チームが、いまプレイボールとなるところだった。
 まぁ、休日の出勤だから時間は不定期で、ちょっと外野席から観戦することに・・・

 緩いボールを投げるピッチャーがパカン、パカンと外野まで飛ばされて、あっという間に3点入りました。
 この先、どう試合が展開するか興味もあったが、時間が差し迫っている。
 ネット越しの外野席で、周りを見渡しても観客は自分一人です。
 
 外野席から、試合の展開を見るのもおもしろいものだが、時と場合によっては、ネットで区切られた外野席の観客のままで、事の成り行きを静観してばかりいてもダメな時もある。
 大声を上げて激励したり、差し入れをしてネットの向こうとこちらから思いを一つにすることも必要ってこと。

 今日はそんな事を思って仕事に行きました。

Img_0107


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.04

秋意

10月4日 秋色の前座ってところ? 

 晴れ。
 空が澄み渡り味わい深い季節です。
 週末自転車散歩、今日は一人走りでした。

 というのも、相棒は風邪で咳込んでとてもそんな気にはならないから布団の中でおとなしく・・・

 「じゃぁ~ちょっとばかり行ってくるから~♪」
 「わたしを置いて、行くっていうのねぇ~♪」
 「はいはい、咳止め薬ここに用意しとくから~♪」

 いやいや別に節まわしをつけてしゃべってるわけじゃなくて、なんとなく雰囲気で♪をつけてみただけ。

 紅葉にはまだ早いが、公園の葉っぱは秋の色へと変わり始めています。
 もうすぐ、紅や黄色に彩られた景色が楽しめそうですね。
 ほんとちょっとした季節の遷り変わりに、ほんのちょっとの和みを感じられるのも自転車散歩の良いところです。
 
 Aki_img_0102

 秋の日の公園の風景は「幸せ家族」の構図ですね。
 レンタサイクルが無料で借りられるらしく、親子連れで休日を愉しんでいます。
 
 なんだか、こんな幸せな家族がいるかと思えば、都会の夜をわずか数千円のマンガ喫茶やビデオ店で過ごさねばならない人もいる。
 
 個人的な幸せ社会的不幸、この落差の大きな社会に、ため息が出そうです・・・・どこかが狂ってる。

 食卓に、甘い柿と梨と葡萄が揃いました。
 柿はこの秋一番の美味しさに、大満足です。
 くだものが美味しいのも「秋」の贈り物ですね。

 明日は日曜出勤、病気にめげずに「♪元気をだして~ワッショイ」だな、二人とも。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.03

数字マジック

10月3日 卓球クラブの宴会でしたぁ~♪

 最近文章に「♪」マークをよく使っています。
 この「♪」を入れると、なんでもない文章でも不思議と楽しくなるような気がするから、錯覚です。

 錯覚といえばマジック、よく目を凝らして、じっくりと見極めないと本質は見えてこないってことです。

 かっては20名以上の部員数をほこり、それなりに上位を狙うといったチームであった職場の卓球部も、社会現象にあわせるように、右肩下がりのちょっと低調気味で、部員数もdownwardright下降線です。

 考えられる原因もいくつかあるけれど、部員の減少はたしかにパワーダウンの感を否定できない。
 大勢いれば元気というわけではないが、数字のマジックです。

 良いときも悪いときも、中身を検証すれば、盛り返す方法はある・・・・けれど、余裕がないとそれもすぐには。
 一人の元気印の役割が、全体を変化させることもあるから、まぁ、これからです。
 
 そんな事を考えていて、今日のスポーツ結果に目を通すと、連勝街道驀進中のドラゴンズです。
 よっしゃ、よっしゃ・・・これで、今後の勝敗勘定をすると。

 ペナントレースであと 1勝3敗。
 CS戦は第一      2勝1敗
      第二      3勝2敗
 日本シリーズは    4勝3敗   合計すると10勝9敗で 

 見事!日本一のチャンピオンフラッグというわけです。(笑)
 
 この確率は高校野球の甲子園での優勝とは比べものにならないほど低いし、ペナントレースの勝率よりも断然低いバーゲンセール並です。
 これも数字のマジック。

 巨人と阪神の戦いこそ、今年のセ・リーグ優勝、日本シリーズ挑戦権の覇者そのものです。
 だから、10勝9敗の成績でプロ野球日本一にドラゴンズがなって、CS、CSでプロ野球も盛り上がるって騒いでいる、お馬鹿でロマンを忘れた数字マジック信奉者に、そんな日本一が本物かよ?と分からせて、一泡吹かせて欲しい。(笑)

 プロ野球の醍醐味、選手の一年間の頑張り、ほんとうの感動は巨人・阪神のどちらかの選手とファンのものだと思うのですね。

 あはは・・・だからこそ、今年のドラゴンズの目標は10勝9敗の日本一しかないのだなぁ~♪、これが(笑)
   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.01

本と人をつなぐ

10月1日 通勤読書「本と人をつなぐ図書館員」山内薫著  

 三日も雨降りが続いたので地下鉄通勤でした。
 おかげで「本と人をつなぐ図書館員」山内薫著をずいぶんと読めました。
 夏の頃に比べると通勤列車の中で読書する人が増えたような気がするから、やっぱり読書の秋と思う。

 「本と人をつなぐ図書館員」は思った以上におもしろいです。
 ごく当然のように図書館で本を借りて読んでいる自分ですが、本に接することが困難な方々がいる、知ってるようでもうひとつ知らなかった現実です。

 この本では、視覚障害者への点字図書や拡大写本を活用した本と人を結ぶ実践、知的障害者の方へのアプローチ、高齢者への紙芝居やテープを使った読み語り・・・・

 本と接することが困難な方々にどのように本を提供するのか、それを特別なことではなくて、固有の状態に応じた図書利用のさまざまな実践経験が紹介されています。

 なるほど、図書館が公共の図書利用サービスを当然のように借りに来る人だけではなくて、利用できない人にも利用方法を考えて行ってこそ図書館の役割ということです。
 すごくわかりやすい問題意識です。

 ちょっと知らなかった刑務所での読書についても書かれていて興味深いものがあります。

 乳幼児の読むことの体験、すなわち「お話を読んでもらう」ことから本と向かい合う成長の過程などは、自分がかって農作業の合間に祖父に何度もせがんで話してもらった昔話「浦島太郎」や「桃太郎」を物語として想像して楽しんでいた頃を思い出します。

 そんな中で、回想法ということに書かれていますので引用すると。

 回想活動(Reminiscence Sessions)というのは、昔を回想することによって過去と現在を結ぶ活動で、社交性を促進して新しい人間関係をつくっていったり、介護者と高齢者の距離を縮めたりする効果がある。また自己主体を強め、自尊感情を高めると同時に、他人を認識し理解することに変化を与えることを目的としている。

 高齢者の施設で昔を思い出す童謡や紙芝居やものを使うこともここなんだと分かりましたね。

 そういうふうに、昔の幸せな思い出を回想することによって、自分自身の現在を問い直して、活性化させるという意味では、自分でも知らず知らずのうちにやってる方法かもしれません。

 70年代のフォークソングをくり返し聞きながら過去と現在を繋いで、元気の良かった時代の自分を確認したりと・・・・

 なかなか興味深く読めた一冊です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »