« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

2008.05.31

そのひぐさ

5月31日 うつむきかげんな足元に日日草

 29日の日記に5月もあと一日と書いてしまいました。
 何故か二・四・六・九・十一(ニシムクサムライ)に五月が入るほど疲れた心もちだったからか?

 「日日草を植えておいたわよ、好きだっていってたでしょ?」
 「いや、安い花だし、毎日しっかり咲いてくれるから・・・」

 デッキ前の花壇の真ん中に、白と赤紫の小さな日日草の花が咲いてました。
 生命力が強いのですね。
 次から次へと咲いて日々を楽しませてくれる花です。
 
 ホームセンターに妻と買い物に出かけました。
 あまり気が上がらないのを知ってか知らずなのか。

 「この前買った臭わない納豆って、ほんとうに臭わなかった?」 
 「いや、少しは臭うものだよ」

 「そういえば、ヨーグルトも出始めた頃ってものすごく酸っぱかったでしょう?」
 「そうかなあ」

 脈絡のない話が車の中で、突然のように出てくるのですが・・・
 昔からこの女(ひと)は、日常生活の中で気落ちすることがほとんどないんですね。
 気が滅入るよりも、怒りが先行するから、明るいといえばとても明るい。
 それが良いところだとも思う。

 徳永英明のCD「ボーカリスト」の曲がしずかに流れています。
 中性的な高い声の響きがとても心地よく聞こえます。
 そういう日もあるものです。

 今日が、ほんとうにほんとうの五月の最後の一日でした。

 日日草なほざりにせし病日記    角川源義
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.29

負荷

5月29日 気がつけば5月もお終いだなぁ~

 立ち止まることも無く4月から走り続けてきたような感じです。
 あと一日で5月も終わり、暦の上だけでなく、季節は初夏~!。

 クレーマーとの対応の後で「なんか疲れたなぁ」と思ったら、物理的にも新しい仕事に変わり、ひたすら走り続けている自分を発見して、「ちょっと疲れか?」と立ち止まったということです。

 スポーツの後の筋肉痛、若い時は翌日に、歳をとると翌々日に出てくる、ソレに似ている(笑)

 負荷がかかってるってことかぁ。
 心も体もっ負荷!・・・っていうのが現状かも知れないとも思うのですね。
 中日ドラゴンズの失速にあわせて、自分も失速気味になってるかなぁ(笑)
 
 こういう時は、休暇でリフレッシュ、ヤケ酒でリフレッシュ、いえいえじっと耐える・・・・
 「じっと耐える」なんてのは限界があって、だいたい「切れる」ってのが相場か「忘れてしまう」ってのも相場ですね。
 だけども、この「心身のストレス」っていう奴から逃げないというのも方法論の一つです。
 何故ストレスと感じるのか?、どこに負荷がかかってるのか?
 などと真っ向から考えてみるのも、実はストレス解消法とも思いますね。
 どうせ、いずれは忘却の彼方に行ってしまうのだから、覚えてるうちは考え続けるのも「手」です。

 人間の脳なんて、嫌なことや辛いことや不幸なことは忘れるように出来ています。
 忘れることによって、重くのしかかった負荷を和らげているんですね。

 一説によると、高齢になって認知症に罹った患者さんが幼少期の頃の自分に戻るのも、実は「死の恐怖」からのストレスから解放される症状だとも言われていますが・・・・
 なんとなく、分からないでもない。

 忘れる!仕事からのストレスを忘れる、さまざまな人間関係のストレスを忘れる、良い方法です。
 どうせ人間なんて中途半端な生き物だから、ほどほどで充分だと思うのも、良い方法です。
 自分みたいに、ストレスに「こだわって」考え続けてみるのは亜流かも知れない。

 ・・・・が、負荷がかかって、もうもうと煙がでる直前のエンジンの限界点がどこなのか?
 そんなふうに考えるのも悪くは無い。
 
 まあ、しかし「ちょっと走り続けて疲れたから」エンジンの限界点かもしれない今日この頃ですね。
 仕事に区切りをつけて有給休暇を取ろうかなぁと思う、これって貧しき現代サラリーマンの姿ですなぁ。
 
 余談ですが、朝の「目覚ましテレビ」で最近の若者たちに「マンガ蟹工船」が口コミで広がって15万部のベストセラーになってると言ってたと妻からの話。
 小林多喜二の小説「蟹工船」のマンガ版のようですが。

 ネットカフェ難民、ファミレス難民と言われる劣悪な若年労働者の環境が、戦前の労働者像と重なって共感を得てるということなんでしょうか?

 「蟹工船」、私が思春期に読んだ感銘を受けた小説の一冊です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.28

クレーム・クレーマー・モンスター

5月28日 クレーマーに凹む!?・・・・

 ちょっと良い話でも書こうと思っていましたがねぇ~
 今日はクレーマーとの対応に凹みました・・・・なんて書くだけではこの日記らしくないので、「らしい」日記でも書いてみようと思います。
 それにしても、クレーマーとの対応は神経が擦り減るものです。

 少し前にモンスター・ペアレンツという学校などへの理不尽な要求をつきつける親が話題になりました。

 今日帰宅時にちょっと喫茶店によって雑誌を読んでいましたら、最近は「崩壊する医療機関」ということで、モンスター・ペイシェント(患者)の実態が載っていました。
 自己中心的な要求で暴言や暴力行為におよぶ患者のことを指しているんです。

 「他で受けた治療の後遺症は、最初に受診したお前の病院がしっかり診てくれなかったせいだ」とか診察に待たされて医者に「まず謝れ」って要求する患者。
 さんざん文句を言った挙句に「ここの病院はダメだから、よその病院に行くタクシー代をだせ」・・・・
 言葉の暴力ばかりか、医者を蹴りつけるといった暴力行為もあると書いてありましたね。

 教育も医療も現場は大変な苦労をしているが、それを改善する政策が出てないから、社会に慢性的な不満が充満していると思いますね。

 だから、クレームをつける人もでてきます。
 でも、クレームを言う人とクレーマーは似て非なる存在だと思いますね。
 いろいろな問題を解決したいと願って要求することは必要なこと。
 クレーマーと呼ばれる人々は解決よりも、自分の存在誇示と優越感を満たすためにクレームを言うのですね。

 だから、「重箱の隅」のクレームを本題とスリ替えてしまうのが多いですね。
 そして、相手が「反撃してこないだろう」という前提だから理不尽な要求でもなんでも出てくるんです。

 クレームを言う人は問題解決のために要求しますから「話し合い」になります。
 この立ってるところがクレーマーという人と決定的に違う。
 
 それで思ったのが、クレーマーとパワーハラスメントとはよく似ているってこと。
 職場の上下関係を前提に「反撃してこないだろう」という予測の上で自分の地位に見合った存在誇示と優越感に満足することが中心になる。
 本題の解決のための「話し合い」というよりは、罵詈雑言や示威をもって攻撃するわけですね。

 しかし、クレーマーとの対応はホトホト疲れるものです。
 ごく普通の人間は疲れるのが当たり前なんですが、このクレーマーという人は疲れないんです。

 なぜ疲れないか、自己中心的な要求をつきつけて暴言を吐いてもそれが優越感につながり気分が良いのでしょうね。
 クレームを言う人は、そんな優越感よりも問題解決の「話し合い」に神経を注ぐから、おそらくちょっと疲れるでしょうね。
 でも、それが問題解決の糸口にもなります。
 
 パワ・ハラは、自分では気がつかないというのも、相手とのコミュニケーションに力点が置かれなくて、優越感の脳内ドーパミンに酔ってしまうからです。
 人が人を傷つけるという行為は許されてはならないですね。

 クレーマーには腹が立つ! これも、ごく普通の感じ方です。
 「いいかげんにせんか!きちんと人の話を聞け!」って言いたくもなりますが。
 もともと、「話し合って解決」という気持ちのないクレーマーとの会話は噛みあいません。

 世の中の格差がひろがり貧困化して行くほど、粗野な「モンスター」があちこちに現れるのは当然かも知れませんね。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.27

ヒロキ君の声かけ

5月27日 今日の出来事 ①

 ヒロキ君がどこに住んでいて、どんな名字なのか知りません。
 でもヒロキ君という名前で呼ばれている障がい児ということだけは知りました。

 自転車通勤しているといろんなことに出会います。
 良い事も悪いことも・・・・それもまた自転車通勤ならではの出来事です。

 いつも同じ時間に同じ道を走ります。
 途中で、いつものように集団で登校するための小学生たちの集合場所をとおります。
 その5~6人の集団登校の子ども達の中にダウン症の障がいを持った子どもさんがいることは分かっていましたから、信号待ちの間は仕事がらというか、このダウン症のお子さんに注目が入ってしまうんです。

 ちょっと多動気味なところもあるが、それでもこの児童の集団の中では茶目っ気たっぷりなお子さんです。
 今日も赤信号で自転車をストップさせて、いつものようにこの児童の集団を眺めていました。
 すると、なぜかこのダウン症のお子さんが急に近寄ってきて手を握ってブランブランと・・・・
 まるで、♪お手々つないで~っていう雰囲気です。
 何か歌を歌ってるみたいだけども、何の歌か?

 「おはよう」って声をかけたら、「おはよう」って返事をしながら、また♪お手々つないで状態です。
 さすがに、周りの子どもたちはちょっとまずいかもと思ったのでしょう。
 物騒な世の中です。
 周りの子どもたちが見ず知らずの大人に近寄る危険を感じ取ったからでしょうね。 
 「ヒロキ!」って呼びました。

 ああ、この子はヒロキ君なんだとその時初めて知りました。

 信号も青に変わり、そろそろ出発しなければなりません。
 「気をつけて学校行くんだよ」って言いましたら。
 「おじさん、また遊ぼうね」って笑顔で返事をして集団の中に戻って行きました。

 いろいろな人によく声をかけられます。
 ホームレスの方にも声をかけられることも多いし、「写真おねがいしま~す」ってのも多いほうです。
 でも、今日のヒロキ君からの声かけは、実に嬉しいものでした。

 障がい児への「見守り」とか「声かけ」のヘルプの必要性はよく言われます。
 障がいを持っているがゆえに必要な日常生活の中での「声かけ」です。
 しかし、今日は障がいを持った児童からの大人への「声かけ」ってわけです。
 
 屈託の無いこんな自然なコミュニケーションは大人にはなかなか出来ないことです。
 計算高く心の内を包み隠した人間関係に慣れきった現代社会の大人が喪失した輝きですね。
 それは「癒し」なんていうものとは違いますね。
 もう、ごくごく自然な人間の在り様を、ごく普通に見せてくれたということです。

 ヒロキ君には「おにいちゃん」って呼んでいた妹さんがいるようです。
 しっかりと愛情をかけて子育てをしてみえる親御さんなんでしょうね。

 この集団登校をしている児童たちも「障がい」とか「健常」などという垣根は低く、同じ子ども社会が形成されているような雰囲気でした。

 こんなヒロキ君のような障がい児のごく普通な行動に何も感じないとしたら無頓着で無感動で大馬鹿者だと思いますね。
 元気で明日も学校に仲間といっしょに出かけなさいねヒロキ君!
 またおじさんと出会ったらしっかり手を握って遊ぼうか!

 というわけで今日の出来事①でした、もうひとつ小さな気づきがありましたので明日二夜連続の「今日の出来事」記事としようかな (もったいぶってる)

 夜更かしとなったから寝る・・・・ (笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.26

風を楽しむ

5月26日 幸運も不運も運の内

 終業時には音楽が流れます。
 最近はすっかり陽が落ちるのも遅くなりました。

 まだ空が明るいうちに帰ろうと思っていたのにハッと気がついたら外はもう真っ暗。
 もっとゆったりとした職場だったらもう少し人生を謳歌できたかも知れん!
 と、思いつつも、そんな職場だったらまた違う悩みに遭ってたかも知れません。

 とても風の強い一日でした。
 自転車の帰路は向かい風が強い。

 ♪なんだ風、こんな風、なんだ風、こんな風・・・・などと、古い「江戸むらさき」三木のり平のアニメCM曲を口に出してみる。 (なんという懐メロCMだこと)

 暗くて風も強いから、いきおいペダルをこぐ力もかかります。
 こげどもこげどもすすまない、人が見たら風車に向かうドンキホーテに思えるかも?

 悪環境このうえもない帰宅路ですが、向かい風のない平坦な道路ばかりではつまらない。
 変化がないということは平穏ではあるけれど、真っ直ぐな道と曲がった道、追い風と向かい風・・・・
 いろいろあっての楽しい帰宅路です。

 穏やかな気候に恵まれれば幸運です。
 悪天候のもとでは不運です。
 幸運も不運もともにあってこその変化ですね。

 楽しむ!!
 幸運に恵まれれば嬉しいが不運に遭遇したらそれなりに甘受する。
 その両方を楽しめれれば、本物ですね。

 幸運も不運も運の内なんですね。
 なんとまぁ、能動的な考え方なんだろう。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.25

おもしろそうな本

5月25日 図書館で宝探しのような気分ですね

 朝方降っていた雨もあがり、天気は上々の日曜日でした。
 近くの田んぼに用水が取り込まれて蛙の歌が聞こえてきます。
 ちょっと甲高いゲコッ、ゲコッって鳴き声です。

 蛙の種類によって鳴き声も違うようですが、そんなことは今日はどうでもいいんです。
 土の中に眠っていた蛙たちにも出番がやってきて、初夏の訪れなんですね。
 あちこちの田んぼからうるさいほどゲコッ、ゲコッ聞こえてくるのが待ちどおしい。

 雨のち晴れ。
 図書館の返却日にお天気なのは嬉しいかぎりです。
 やっぱり、自転車に乗ってのんびりと図書館に出かける・・・・
 この「文化の薫り」がいい、と独りよがりの日曜日です(笑)

 先々週借りた本はつまみ読みしかできなくて、全滅でした。
 そういうこともあります。
 何故かというと、この前は雨降り日に慌てて借りたから、充分に借りる本を選んでいなかったんですね。

 その点、きょうはじっくりと貸し出し棚を「吟味」しましたね。
 木村伊兵衛、土門拳、赤瀬川原平などの写真関係本二冊見つけました。
 かくれんぼじゃないから、もう少し目だって自己主張してくれてたら、もっと早くに借りてたのにと思う(笑)

 もう一冊、「Jポップの日本語-歌詞論-」 著者:見崎鉄っていう本も借りました。
 音楽は聴くもので読むものじゃあないのに、こういう本に興味を持ってしまうところが自分らしいと思うが、なんとなく引け目を感じてしまうところでもある。

 そんなわけで、相変わらず「この人物」って定めたら、何冊でも借りてしまう癖はなおりません。
 その分、興味の対象はますます狭くなるってことです。
 しかし、じっくり探せば図書館というところにはおもしろそうな本が隠れていますね。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 女子バレーボール、フルセットの末にセルビアに惜敗、世界ランク7・8位の戦い、まだ上に6か国もあるってことか。
 中日ドラゴンズ、なんとかかんとかギリギリで接戦勝利、交流戦は嫌いですねぇ。
 外国人力士が番付表の半分を占める大相撲、琴欧州の優勝で「国技」の楽しみ方もチェンジが必要か?
 エンタテイメントプロレス、M字開脚で観衆を惹きつけたインリン様がボノちゃんに圧殺されて引退! ショー・プロレスの醍醐味です。
 ・・・・などと、スポーツの話題も波乱万丈の感があり多彩な近頃ですね。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.24

スポ根!!

5月24日 なんにでもタイトルをつけたがるブログです(笑)

 女子バレーボール、日本×タイ戦。
 「ニッポン、チャチャチャ見なくっちゃ」(古~ぅ!)という妻に付き合っての本日です。
 「あのアタック攻撃を逆アタックで打ち返す!なんでやらないのだろう?」
 「できるわけないでしょ、ブロックでも難しいんだから」
 「そうかなぁ?・・・・」

 知らないことの楽しみ面白み強みです。
 バレーボールを熟知してる人は、そんな発想はしないのでしょうがそれでも思います。
 「一か八かで逆アタック攻撃できないかなぁ」
 「・・・・」(あきれ顔)

 フルセットの末に日本が勝ったのを見届けて雨の中を愛犬ポン太の散歩です。
 「ポン太、雨だから逆散歩コース攻撃で行くぞ!!」
 実に執念深い「逆」の発想でした(笑)

 ところで、全日本女子のバレーボールを見ていて思いました。
 やっぱし、スポーツの根底には「スポ根」があるんじゃないかとね。
 根性で勝てるものではないが、「ケガに打ち勝って」とか「4年前のアテネでは代表を降ろされた悔しさをバネにして」とか「一度は引退を覚悟して」・・・・

 全日本女子代表のメンバーそれぞれの、そんな紹介が試合の合間に流れると「そうか、栗原頑張れ!」「荒木よく成長したなぁ!」などと思うものです。
 浪花節のスポ根物語の土台の上で「北京行きの切符を手にしました!」ってなると、日本人はもうたまりません。

 ああ、これって「巨人の星」や「アタックNO1」や「エースを狙え」の世界です。
 東京オリンピックの大松監督率いた「東洋の魔女、女子バレーボール」のスポ根物語が脈々と続いている日本の女子バレーボールだと思います。

 根性で金メダルなど取れるわけはありませんが、「根性」を現代語に訳すならば「集中力」であったり「1秒の壁」であったり「全日本女子の元気印」だったりするわけです。
 そんな、ふうに思いながらバレーボールを見るのも、ファンの楽しい自由ですね。
 頑張れ!スポーツ根性、人情バレー、逆境を乗り越えた全日本女子バレー選手たち。

 ・・・・なんて書いていて、最近はもうほとんど勝手気ままにブログを書いてるように思いました。
 誰がこんなブログを読んでるかとか、こんなことを書くとどう思われるか?などとまったく気にしていない日記になっています。

 嘘は書かない(間違える事はある)、思ったことを書く、誰がどう思うかなんてまったく気にしない。
 最近のこの3つがブログを書く基本になっています。
 そんなふうに思いながら、日々の生活の感想を書こう、できるだけ頭の中の「考え」「感じたこと」を書こうとしているわけです。

 そうすると、もう、これは巧いとか下手とか、美文とか悪文とか、上品とか下品とか・・・・
 そんなものよりも、一人の自分という人間が何を考え何を感じて暮らしているのか、それが日記に表現できるかどうかが、自分には問題なんですね。
 「私はこれだけの人間です」っていう「これだけ」が正直に伝わればいいから、飾るっていう意識も要らないから気楽です。
 だから、毎日書いていても苦にならない!(笑)
 あはは・・・、究極の居直りです。

 他の人のブログも同じような見方で読ませていただいています。
 ああ、じつにピュアな感じ方だなぁ、正直だなぁ、と感心する日記などは「嬉しさ」をもらえます。
 自分自身が、そういうものに近づきたいと思ってるところですね。


  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.22

コウモリ自転車への危惧

5月22日 改正道路交通法

 イソップの童話に鳥と動物が戦争を始め、ねずみのような体と翼を持ったコウモリは、形勢をみながら鳥だといい、あるときは動物だといって、結局両方から嫌われる・・・そんな話がありました。

 態度をコロコロと豹変させることへの戒めか、時流にそって柔軟な対応をすべきだ、という教訓かどちらなのか?
 子どもの頃に読んだ記憶では前者でしたから、「卑怯なコウモリ」だったですね。

 そんなわけで・・・・どんなわけかは知りませんが、この6月から道路交通法が改正されるようです。
 自転車に限ってみると、子どもやお年寄り障害者を除いて自転車の車道走行原則というのが明確化されるようです。
 それ以外にも二人乗り、飲酒、無灯火、右側走行、携帯やヘッドホンでの音楽を聞きながらの走行の取り締まりを厳格化するという内容です。
 もちろん、これらはこれまでも違反行為ではあったものですが・・・・

 車道が自動車占有道路と化している日本の道路事情にあっては、自動車ドライバーからすると、車道走行する自転車が危なっかしくてしょうがない!と思えます。
 歩行者からすると、歩道を猛スピードで人垣をかき分けて走り去る自転車は危険きわまりない!ということです。

 この10年間の自転車事故を見ると。

 自転車と歩行者の事故    633件 →   2856件 (4.51倍)
 自転車同士の事故       637件 →   4159件 (6.53倍)
 自転車と自動車の事故 126920件 → 141345件 (1.11倍)
 自転車事故総数     141504件 → 171018件 (1.21倍)
                              (「JAFMate」6月号資料より)

 となっており、自転車と歩行者、自転車同士の事故が増加しているわけです。
 
 自転車が歩道走行することによって、本来もっとも交通弱者であるべき歩行者が危険にさらされているのは間違いないのです。
 では道路はどうかというと、自動車に比べて弱い立場であるはずの自転車なのですが、自動車優先道路整備ばかり行われてきたから、3車線の自動車道路が整備されても自転車通行帯すら作ってこなかったわけです。

 だから、ドライバーにとっても、邪魔な自転車!という意識がつきまとうし、事実、以前は自動車通勤をやっていた自分もそう思ってきたのですね。

 自転車というものが、イソップ童話のコウモリのようにも思えてしまうわけです。
 コウモリのように自分からご都合主義の態度を豹変するわけではなくて、自動車優先道路政策によって、おまえは危ないから歩道だ!お前は軽車輌だから道路だ!って、それこそ道路政策のご都合主義がコウモリ自転車を生み出していたわけです。

 ですから、今回の改正道路交通法によって自転車は原則、「車道走行」と明確化されることは良いことだと思うのです。
 そして、これを機会に自転車走行帯の整備が促進されるのならもっとも望ましい姿になります。
 
 でも、これには道路は自動車専用だ!というドライバーの意識変革なくしてはできない、道路を自動車と自転車がきちんと住み分けて走行するという交通安全ルールが確立されなければ、コウモリ自転車はいつまでたっても、嫌われ者のコウモリと同じ立場にすぎません。

 もう一つは、ほとんどルールなき無法地帯のような自転車走行が改善されなければだめですね。
 無灯火、信号無視、携帯見ながら、右側走行、通行人そこのけそこのけ自転車が通る・・・・
 信号無視など当たり前の現状です。
 実は一月ほど前に右側通行する高校生の自転車と接触したことがあります。
 幸いお互いに怪我はありませんでしたが、学校付近の道路ではもう日常茶飯事の出来事になっています。

 あるときは軽車輌の顔をしながら道路の右端を平然と突っ走る。
 あるときはタイヤのついた歩行者の顔をして無灯火で歩行者を押しのける。
 これでは、自分からすすんでコウモリ自転車になって、自動車からも歩行者からも嫌われるようなものです。

 最近、私は通勤時の自転車走行のスピードを抑えるようになってきました。
 できるだけ道路の左端を自動車に気をつけながら走っていますが、それでも「邪魔だ!」といわんばかりに猛スピードで自動車が過ぎ去るときは危険を感じます。
 でも、それよりも歩道を走る時の方が、飛び出し自転車や通行人との接触事故の危険を強く感じるのですね。

 まず、交通弱者の歩行者の歩道での安全に自転車も自動車も気配りするのが必要です。
 そして、その次に交通弱者の自転車の道路左端走行の安全にドライバーは気配りが必要です。
 そんなふうに、公共道路の住み分けに優しさをもって配慮することが第一ですね。
 そして、交通ルールを守ることが、人も自転車も自動車も求められています。

 横暴な自転車走行が続けばコウモリ自転車になってしまいますね。
 そんなところからは、道路の自転車走行帯の整備を要求する理屈はでてこないのですね。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.21

夏バージョン

5月21日 花と自転車

Img_0074

 晴れれば汗をかくほどの陽気です。
 しっかり夏の季節はやってきています。

 「どれぐらい切りましょうか?」
 「夏バージョンでお願いします!」
 この季節になると散髪は短くします。
 何年も行きつけの理容店ですから「夏バージョン」で通用するのです。

 すっかり短髪にして帰宅して「どうどう短いだろう」って言うと。
 「お猿さんみたい!」、毎年同じ答えです。
 う~ん、たまには「ルパンⅢ世みたい!」ってバージョンアップした返事をもらいたい(笑)

 街の住宅の公園に細い茎から延びた花が咲いていました。
 また花の名前探しに苦労するだろうな!と思いながらもデジカメ写真です。
 偶然にも自転車に乗ったおじさんが・・・・
 ふむ、「花と自転車」タイトルは決定しましたが、花の名がなぁ~

 街の中の街路樹や花壇の花には全て「花名札」をかかげて欲しいものです。
 新緑の樹木や花々は都会のオアシスです。
 街を行く人々にこんな花を楽しんでもらうチャンスなんだから。
 出し惜しみしないで花の名札をさりげなく掲げてくれたらいいのに。
 「おお、ひなげしの花だ!きれいだな!」って声をかけてくれるのに。

 「ひなげし」で間違いない?
 こんな素人さんにじっくり見つめられて名前を探してもらえれば「花冥利」ってもんでしょうね(笑)
 え~、間違っていたら心優しい方は本当の名前をおしえてくださいな。
 お礼は「感謝の言葉」です。
 なになに、感謝の気持ちは「物」で表せって? あはは、真実だけど無理!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.20

立身出世

5月20日 末は社長か大臣か!

 昼休みの食堂は「こぼれ話」の宝庫でもあります。
 過っての同僚や知人の近況などが巡り巡って口から口へと伝わり聞こえてきます。
 そんな、近況話の一つがこれ。

 まだ就職して少しの頃、後から採用されて入ってきた彼女はとても元気な人でした。
 当時の職場は現在のように窮々としたこともなく、「山登りをしてみたい」という彼女の希望もあって数人で長野県の燕岳に登ったこともありました。
 いわば、職場の後輩というわけなんです。

 その彼女が、今では出世に出世を重ねて幹部クラスになっているというのです。
 そんな近況を伝えてくれたのが、彼女の元先輩Yさん。
 それを聞いていたのが、彼女の学生時代の部活動の後輩Uさん、そして私です。

 「人生、どこでどう道が違ったんだろう」ってのが偽らざる心境のようです。
 彼女、給与生活者(サラリーマン)の縦社会における「勝者」というのが、ごくごく普通の評価でしょうね。

 ところで、日本が戦後の復興を経て高度経済成長期のころ、子どもたちは「末は社長か大臣か!」そんな立身出世の夢を持っていたような気がします。
 社長も大臣も企業と国のトップだから、目指すはそんな頂点ということです。
 
 そんな社長も大臣も、今では私利私欲の代名詞のようなもので、偽装会社や国民いじめ政府のトップであって、子どもたちが夢を持てる存在から大きく変貌しているんですがね。

 それで、この出世した彼女が、この職場のトップとしてやって来るのも夢物語ではなくて現実味を帯びてきたという話です。
 私のように肩書きに縁のない人間にとっては、まあ数ある人事の一つだけですが、出世レースとして考えると複雑な心境になるのでしょうね。

 立身出世。
 サラリーマンの世界では地位と肩書が給料の尺度です。
 だから、だれしも係長に、課長に、部長に昇進というのはめでたく喜ばしいことです。

 昔、職場の上司から「君は何故上を目指さないんだね、子どもが成長してお父さんが平(ヒラ)だったら可哀想だろう?」なんて言われたことがありましたね。

 あはは・・・・案の定、小学生の時娘から「お父さんはヒラなの?」って聞かれました。
 それで「そうだよ、お父さんはヒラ、でもね仕事を一生懸命やってるんだよ」って答えました。
 それが期待した答えになっていたかどうか分かりませんが。

 昇進・出世というものに魅力があるのかは人それぞれでしょう。
 「夫が早く出世して欲しい」と思う妻たちもいます。
 退職までにはそこそこの役職の地位につくんだ!と頑張る夫もいるでしょう。
 幸いというかラッキーというか、我が家では妻からは昇進とか出世などという言葉は出ません。

 管理職とか上司とか仕事上の上下というものはあります。
 適材適所で管理能力の優れた人が管理職になればいいし、優れたビジョンを展開できる人がトップにばればよいと思います。

 そういうものとは無縁なところで、日々自分の仕事に励んでいる人がいてもよい。
 人間社会ですから社長もいれば事務屋も営業マンも現場職もいるわけです。
 何を目指すのかは自由ですが・・・・思ったようにはならないのも世の常です。

 食材の使いまわしを平気でできる社長もいれば、障害者や高齢者を平気で切り捨てる大臣もいるわけです。
 豊かな心の持ち主が立身出世するわけでもなく
 仕事の能力の高いひとが立身出世するわけでもないようです。

 ほんとうは、そういう人がしかるべき地位や肩書をもって社会で活躍できるのが望ましいのです。
 どこの政党のキャッチコピーだったか忘れたが「出たい人より、出したい人」というのがありました。
 そういうことですね。
 人望と肩書きが反比例してはダメですね。
 格差社会を嘆きながら、自分は勝組み(?)を目指すってのも論理矛盾ですね。
  
 まあしかし、豊かな社会に貢献できる仕事ならば精一杯勤しむ!、それが一番だと思う本日の日記です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.19

しあわせそれともふしあわせ

5月19日 妄想癖

 午後から雨が降り出しました。
 雨の日は列車通勤です。
 乗る人、降りる人、電車の一駅ごとに、無関係な人々が帰宅路を急いでいます。
 人息で曇ったガラスに乗客が映り、それがもの悲しくもみえます。
 
 昔、米国のテレビドラマ「逃亡者」でデビッドジャンセンが夜行列車の窓ガラスに寂しい姿をうつしていたシーンを思い出します。
 雨の日の通勤列車でも、なぜだか旅立ちの夜行列車に乗っている気分になります。
 でも、いつものように各駅停車しか停まらない小さな駅に降ります。
 雨の日は携帯電話で迎えの車を妻に頼んであるから足早にホームを歩きます。

 ベンチに座ったひとりの男性が弁当を食べている姿を見つけました。
 夕食時はとっくに過ぎています。
 弁当もコンビにではなくて、プラスチックの家庭弁当です。
 こういう姿をみると、ついつい妄想癖がでてしまいます。

 昼休みに時間がとれなくて、そのまま食べ残すのも妻に申し訳ない・・・・
 昼と夜の二食の弁当を自分で用意して、毎日同じ時刻に夕食を摂っている・・・・
 リストラで職探しの日々、外食もままならないからと弁当で・・・・

 駅のホームで人目もはばからず弁当を食べているだけでも、とてもめずらしいもの。
 いろいろな、人生です。
 いろいろな、生活です。

 そんな光景を見ていたらふと昔の歌が想い起こされました。
 知る人も少ないカルメン・マキのこんな曲です。


    山羊にひかれて
                       寺山修司 作詞 田中未知 作曲

♪山羊にひかれてゆきたいの 遙かな国までゆきたいの

  しあわせそれともふしあわせ 山のむこうに何がある

 愛した人も別れた人も 大草原に吹く風まかせ

  山羊にひかれてゆきたいの 想い出だけをみちづれに

 しあわせそれともふしあわせ それをたずねて旅をゆく


 なんで、こんな何十年も前に歌わた曲を脈絡もなく想い出したのかわかりません。
 「しあわせそれともふしあわせ」というフレーズが悲しみをいっそう増幅させたのかも知れません。

 とても牧歌的な叙情があふれているから、詩を口ずさむだけでもいいものです。
 なんだか「しあわせとふしあわせ」の間を旅する人生のような気がします。
 何十年も前から人は同じことを繰り返しているんでしょうね。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.18

Windowsの最適化

5月18日 人知れずコツコツと

 よい天気の一日でした。
 朝から家事労働にもいそしんで、ちょっとサボったりして・・・・

 久しぶりにパソコンWINDOWSのツールにある「デフラグ」で最適化をしました。
 ところが、な・な・なんと時間がかかるわ、かかるわ延々12時間以上もかかってしまいました。
 そりゃぁもう、この2年ほどはパソコンのメンテナンスなどしていなかったから。
 PC内のファイルは見るに耐えないほど分散化されて凄まじいわけです。

 市販のWINDOUWSツールソフトを使えばもっと高速化されるのでしょうが、まあいいか。
 それで、12時間以上も費やした最適化処理の結果はちょっと起動が早くなったかな?ということです。
 労多くして功少なしって感じですが、気分です、ファイルが整然と再構築されたかと思う気分の問題かも知れません。
 
 こうして毎日WINDOWSのお世話になってるわけだから、パソコンも苦労して空き容量の少ないところに書き込みをしているんでしょうね。
 パソコン、あんたは偉い!って褒めてあげます。

 休日はいいです、テレビもしっかり見れますから。
 バレーボール世界最終予選、日本×プエルトリコは誰ですか「格下相手」なんて言ってたのは。
 プエルトリコの選手は身体能力はたしかに高いし、もっと技術が身に付けば強敵にもなる存在ですね。

 ところで、柳本全日本の各選手達って顔つきが変わってきたって感じですね。
 たしかにスピードアップされた攻撃力を見せてくれます。
 栗原選手とか木村選手とか荒木選手などは、すっかり「全日本」の風貌です。
 「あどけなさ」みたいなものがなくなってます。

 世界バレーの身長とパワーに対抗するにはスピード・・・・
 以前よりも速攻の切れ味がバージョンアップされていますね。
 人知れず練習を積んで新しいバレーボールの段階にチャレンジしてるのがよく分かります。
 スポーツ技術って積み上げてきた技を再構築して新たなものに結晶させていく。
 そんなふうに出来てこそ強くなるってことでしょうね。

 まあ、WINDOWSのデフラグとよく似ているってことか!
 プロ野球セ・リーグも、毎日阪神首位ではなぁ~
 デフラグ!デフラグして順番どうりに最適化せにゃなぁ~

 中日・阪神・巨人・ヤクルト・広島・横浜って! (笑)
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.17

晩鐘

5月17日 穏やかさ・・・

 二日ほどブログ更新を休みました。

 今年になって毎日更新してやろう!と思って我ながらよくもまあというほど文字を書き連ねてきました。
 自分の思うところを言葉にしたり、感想を言葉にしたりと、そんな作業を目的に書いてきたってところです。
 だけども、自分を表現するのって本当に難しいと実感している最近です。
 まあ、そんなことはどうでもいいか!などといいつつ本日の日記です。

 数日前に友人のお父さんが亡くなられて「葬式」に参加しました。
 葬式といってもキリスト教の方でしたから仏教の「通夜」にあたる「前夜式」なんです。

 ですから、キリスト教の葬式というものがどんなものかわかりませんでした。
 小さな教会でしたが、参列者でホールはいっぱいでした。
 牧師さんから、なくなられた友人のお父さんの暮らしぶりとその信仰心についてお話があり、生前の故人の姿の一端がとてもよく分かりました。
 信仰心が厚く優しい方だったんですね。

 讃美歌もオルガンに合わせて参加者で歌われました。
 もちろん、私も歌いました。
 「讃美歌312番」は結婚式に歌われるものと思い込んでいたのですが違いました。
 主イエス・キリストへの祈りの讃美歌なんですね。

 それに、キリスト教の葬式では故人への礼拝はしないといいます。
 すでに主イエス・キリストの救いの恵みによって天に召されているからだそうです。
 
 遺族の方にいただいた挨拶状にフランスの画家ミレーの「晩鐘」が載っていました。Photo

 広い馬鈴薯畑で農民の夫婦が遠くに見える教会の鐘の音に合わせて祈りをささげている絵です。
 この教会の鐘の音はアンジェラスといって、天使ガブリエルの伝える神のことばだそうです。

 ミレーはそんな自分の幼少期の思い出を描いたと言われていますが、馬鈴薯畑、農民夫婦の祈り、鍬と荷車、そして遠くに見える教会の鐘の音・・・・
 昔からミレーの絵には不思議な魅力があると自分は思って見ていました。
 
 神への祈り、やすらぎ、信仰心 ・・・・そんなものが感じられます。
 仏教もキリスト教とも縁遠くどんな宗派や教義や祈りがあるのか分かりません。
 「神」を肯定するには余りにもかけ離れている自分ですが、本当は「羨ましく」思っているのかも知りません。
 
 遺族の方が、このミレーの「晩鐘」を挨拶状に載せられたのは、亡くなられたお父さんの気持ちが参加された方々に分かりやすく伝わると思われたからでしょう。
 ですから、私みたいにキリスト教の信仰とは無縁な者が、この教会の「葬儀」に参加して何かを感じ取ってくれることが、信仰心の厚い故人の願いのようにも思わます。

 「前夜式」の案内に聖書のこんな言葉が載っていました。

 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
            (コリントの信徒への手紙Ⅱ4章16節~18節) 
 

 キリスト教の生死観がとても分かりやすく述べられている言葉だと思いますね
 
 葬儀から家にもどり教会の葬儀をあれこれ妻に話しましたら。
 「キリスト教の方って、穏やかな人が多いのよね・・・・」
 たしかにそうかも知れません。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.05.14

新聞の片隅にこんな記事が・・・・

5月14日 種痘の日

 ちょっと驚きなんですが、今日の中日新聞の記事によると新聞協会の調査で92.3%の人が新聞を読んでいるという結果のようです。
 テレビやインターネットの普及で新聞の購読人口が減っていると思っていたらそうでもない。
 意外な感じなのですが、新聞というメディアが活字という言葉を媒体にしており、情報源を読み取る側にも真偽を確かめる<読み取る力>が要求されているからだと思うのです。
 テレビなどの映像がもたらす情報はどうしても受動的な一方的な印象を拭えないから、新聞の情報の方が重要視されるのだろうか・・・・

 というわけで、そんな新聞の片隅に載っていたのが「きょうは種痘の日」という切手紹介の囲みコラムです。
 こんな記事です。

 『今日は種痘の日。1796年5月14日にイギリスの医師ジェンナーが8歳の少年に牛痘を接種し、天然痘の予防に成功したことにちなむ・・・・』

 これを読んで、そういえばむかし二の腕に種痘を接種して傷跡のような痕跡が残っていたのを思い出しました。
 歳とともにそんな痕跡も薄くなりすっかり忘れた病気になっていました。
 1980年には世界から天然痘の病気が根絶されたそうですから、昔の話になってしまったわけです。

 それで、中学生の頃に読んでいた偉人伝には、「このジェンナー医師が自分の子どもに種痘を打って試した」という内容があった記憶なんです。

 自分の子どもに人体実験を試みたのか!よほど天然痘撲滅に熱意と研究心を注ぎ込んでいたのだと、当時は思っていましたし、一方では我が子をそれほどまでにして危険にさらすことに疑問ももちました。

 長く、そんな矛盾した医学の歴史だと思っていたのですが、どうも事実は違うようです。
 天然痘の予防に軽い牛痘による免疫効果があるといわれていた事実をジェンナー医師は何度も実証を重ねながら予防法として確立していったというのが事実のようです。

 「我が子で試した」などという問題ではなくて、牛痘によって天然痘の免疫がえられるという事実を医療行為の中で実証したというわけです。

 牛の免疫が人間に効く、などという事実は当時の社会には受け入れられない。
 そんな非難にもかかわらず、貧しい人々に対しても、この牛痘による免疫の効果を説いて予防接種をしているのですね。

 それでは、なんで「我が子で試した」などという伝説が紹介されたのかというと。
 小学校の「修身」の国定教科書に「まず自分の子に牛痘をうえて」という内容が載ったといいます。
 命の大切さよりも、我が子の命をかけてでも天然痘の予防という医学に貢献したことを宣伝したかったからなんでしょうね。
 かっての軍国主義教育の思想宣伝の一端をみる思いですね。

 などと、新聞の記事に触発されて、長年間違った理解をしてきたことがわかり、ちょっと何か良い気持ちになった本日です。
 やっぱり「我が子で試した」りする訳ないんですね。
 
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.13

宴会の人生話

5月13日 遅れてやって来た歓送迎会

 人生なんて言ってもたいした話ではないです。
 今日は職場の歓送迎会でした。
 4月の年度変わりからゴールデンウィークも過ぎて遅れてやって来た歓送迎会です。
 農耕民族の名残よろしく畳であぐらをかいてあちこちに酒の宴ですね。

 稼動年齢期間というのがあります。
 およそ20歳から60歳というところです。
 職場というのは、親と子の交わり、ちょっと無理すれば孫という3代の交わりであってもおかしくないから、そこが可笑しい(笑)
 時代も違えば流行も違う世代が酒宴という<場>で何を話すのでしょうかねぇ。

 共通する<仕事>の話ではおもしろくないですね。
 さりとて、趣味やスポーツと言っても限界があります。
 酔った勢いで無礼講(死語か?)ってのもセンスがないというものです。

 そういうものが混在して酒宴の席が持たれるわけですから
 もう一分一秒でも早く終わってくれと思う人や、ここぞとばかりにパフォーマンスを披露するチャンスと思う人もいます。
 楽しいようで楽しくないようで三人三様、十人十色、百人百様ってことですね。

 <生き様>というものがあります。
 どんなふうに、この人生ってやつを過ごしてきたのか。
 酒宴っていうのは、そうしたものをポロリとこぼすところでもあるわけです。
 ケタケタと笑いながら、あるいはしんみりと、表現方法は違ってもそういう人生の真剣話を聞けることがあります。

 そういう話にお目にかかれると、まんざら宴会も捨てたものではないなと思います。
 ストレス発散のドンチャン騒ぎ・・・・祭りの宴も嫌いではありませんが。
 人生って奴を、そうか、そんなフウに生きてきたのか!っていう話を聞くに付け、宴会ならではの<人生話>なんだと実感するんですね。

 人間っていうのはまことに面白い!
 
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.12

Active(アクティブ)

5月12日 英語力!なんだなぁ~

 学生の頃に大嫌いな学科といえば英語でした。
 外国人に通じない和製英語・・・・それすら出来なかった苦い想い出ばかりです。
 だからという訳でもないが、ほとんど英語が登場しないブログです(笑)
 英会話が出来ると聞いただけで尊敬の眼差しですから、フランス語やドイツ語となれば宇宙人と遭遇したほどの感激ものです。

 外来語などは「カタカナ語辞典」などで意味をたしかめているような現状です。
 もっともお手上げなのは、最近のヒット曲の歌詞です。
 なんで、ああも意味不明な英語の歌詞が挿入されてるんだ!って。

 「○○さんのイメージはアクティブって感じですね・・・・」
 息子と同じ歳ほどの、今年採用された新人の娘さんに言われました。
 ほうほう、アクティブねぇ。

 Active(アクティブ)という言葉を「元気」というぐらいにしか理解してないので、これは褒められてるってことか?たぶんそうだろう!
 悪い気はしないので、「カタカナ語辞典」で意味調べです。

 【アクティブ(active):活動的な,積極的な,能動態】

 スポーツ自転車通勤やサイクリングなどのイメージがあるからなんでしょうか。
 どちらかと言えば、「のんびり屋」と言われてもおかしくありませんが・・・・パッシブ(passive)だったりして。

 しかし、英語が日本語化して使われている最近ですから、ますます時代の違いを感じてしまいますね。
 日常会話にすんなりとこうした英語を取り込める、こんな若さは粋ですね。
 粋 → フレッシュ → fresh ってことです。(小学生的英語力に苦笑)
 
 ほんと、英語力の無さを感じますね、かといって日本語力に秀でているわけでもないが。
 まぁいいか、ここは日本、Japanですから、Englishがいかほどのものか!
 などと、定番のオジサン的居直りを言ってみたりして。

 しかし、若い人から「アクティブ」って言われるのは、同世代の人に言われるのとはまた違って、実に嬉しいものがありますね。
 あはは・・・・そうですアクティブです、自己暗示です。(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.11

ドラゴンズ連戦疲れ?

5月11日 予定調和ってことにしよう

 まったくもって、どうしてテレビ中継を見る日に限って連敗するんだろう?
 確率的にもテレビ中継が始まり、スイッチONするとカキーンと打たれることが多いんです。
 これまでテレビ中継のある日には何故か負ける確率が高いという記憶。
 ましてや、それほど多くない球場観戦では連敗更新中なんです。

 まるで疫病神のようなドラゴンズファンかも知れない(笑)と自虐的です。
 ファン心理というのはドラゴンズの全試合が勝利すると思って観戦しています。
 だから○が当たり前で●は予定外です。
 
 昨日に続いて今日も連敗のドラゴンズです。
 ちょっと精彩を欠いています。
 あのセカンド牽制球はアウトのはずなのに10人目の巨人野手、塁審がセーフの判定・・・・と、そう見えてしまうのもファン心理。

 今日は予定どうりに物事がすすまない一日でした。
 スカッとした気分になろうと中日×巨人戦を見始めると、これも予定外の大敗です。
 ブログでも書こうと思えば、娘に部活の案内の印刷を頼まれる・・・これも予定外。
 部屋の中もスッキリしていないから、気分もイマイチです。

 つまり、自分の思うように物事が進行しないと気分も低下するちゅうもんです。
 いやいや、ほんとうは自分の考えどおりになることの方がめずらしいものです。
 
 ライプニッツ的「予定調和」という考え方があります。
 単純で相互独立的なモナドの合成体である世界は神の意志によってあらかじめ調和すべく定められている 
 ・・・・という考え方だそうです。
 
 ドラゴンズの連敗も自分の思いどおりに事がすすまないのも、すべて予定調和として決定された範囲の中での、生まれるべくして生まれたもの・・・・
 そんなふうに考えると、この観念論の世界は「癒しの世界」です。

 セ・リーグの成績は勝ったり負けたりの繰り返しの末にドラゴンズの勝利に決まっています。
 その負けたりの一つが今日の試合だっただけってこと。
 思いどおり事がすすまない・・・のも、ほんのひと時の谷間であって、幸運の前のアンラッキー。
 ・・・・なんてね。

 ふ~、ドラゴンズも自分も疲れてる!ちょっと休憩が必要だということです(笑)  

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.05.10

目線が違う

5月10日 怒り!

 一日中雨降りの土曜日です。
 桜も終わりGWも過ぎ去って、あとは夏休みを待つばかり?です。

 今日はちょっと「怒る」話を書こうと思うのですが、具体的には書けないので抽象的になるかもしれません。
 福祉というと社会的にいろんなハンディをもった方への社会保障の制度です。
 憲法にも規定された国の政策であって、万人がみな平等な暮らしを営む権利でもあるわけです。

 Mさんの怒り
 『だいたい、あの若い奴はなんだ!
 自分は好きで、いまの暮らしをしているわけじゃないんだ。

 病気になってこんな暮らしになり、みんなに世話になっている。
 それはありがたいと思ってるし、こんな暮らしになってどうしようもなくて、人様にできるだけ迷惑をかけないように暮らしているつもりなんだ・・・・

 だから、世話をしてもらってると思えばこそ、我慢をすることもあるし、下手に出ていることもある。
 それなのに、なんだあの野郎は、あいつは人を見下したような話し方で、相手の暮らしなんかぜんぜん気にもとめてない。
 一方的に自分の都合のことばかりまくしたたてよお。
 (福祉って)そんなもんと違うだろう
 もうちょっと、相手のことを心配したり、心を通わせる話し方というもんが出来んのか!

 どんな立派な大学をでて、どんなに学があるかは知らんが、社会ちゅうもんに出たらもっと人の心が分からんとイカン、そう思わないか。
 
 べつに、特別に扱ってくれって言ってるわけじゃなくて、同じ目線で何で話ができないのか!ってことなんだ。
 若いも年よりもないんだわな、社会にでて人と話すっちゅうのは、お互いが解り合おうという気持ちがないとなあ
 偉そうに「何かしてやる」って態度でよお、そんなもんなら、俺は何もしてくれんでいい。

 もういい、べつに俺なんかどうなってもいい、だけどよう俺はそういう態度の奴は許せんのだ。
 ボタンの掛け違いってあるやろ、ほんのちょっとした言葉だわな。
 ほんのちょっとした言葉でもなぁ、人を見下してるとようわかるんだわな
 なんかあったらよお、あんた呼ぶで・・・・・・・ 』

 ちょっとしたトラブルでした。
 言葉の掛け違い、意思疎通の欠如です、でもMさんの怒りはよくわかります。
 もし心のどこかに「差別の感情」が巣食っていたら、言葉や態度に現われます。
 
 福祉を職業にして働く人、ボランティアとして働く人。
 近代民主主義の発展としての社会保障制度として福祉というものをとらえなければ、福祉って、単なる慈悲と慈愛と救済のしくみになってしまいます。
 
 ですから、福祉に関係する人々は根底に基本的人権を尊重する心を大切にする必要があります。
 つまり、暮らしやハンディの違いはあっても、同じ目線で信頼関係をつくらなければダメってことですね。
 原点はここですね。

 職場の同僚が言ってました。
 「同じ人間だからどんな人でも話しあえばわかるもの。同じ目線で会話が出来なければ、(福祉の仕事には)一番ふさわしくない人だということですね」
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.08

セピア色

5月8日 椰子の実

Kyuukei_2

   名も知らぬ 遠き島より
   流れ寄る 椰子の実一つ
   故郷の岸を 離れて
   汝はそも 波に幾月

                     (椰子の実 作詞:島崎藤村 編曲:大中寅二)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.07

ジャスミンの香りと効能

5月7日 小さな衝突の回避法?

Img_0065

 先日、花壇の端のフェンスにからまってのびたツルの先に白い花が咲いていました。
 車の陰に隠れてあまり目立たないのです。

 「あっ、ジャスミンの花が咲いている」って妻が言ったような気がしたから、部屋に戻って「花ずかん」を調べましたがピッタリの写真がありません。
 でも、やっぱりジャスミンの花だと思うのです。
 顔を近づけると甘い香りがします。

 花の名前を覚えるのはほんとうに一苦労ですが、それも面白いものです。
 モクセイ科ソケイ属の香料植物の総称がジャスミン。
 わかった様でわからない説明ですが、気に入ったのはその香りの効能なんですね。

 ★強力なリラックス効果があり、神経や情緒をおだやかにしてくれる。
 ★自信喪失を改善し、活力をもたらす。
 ★抑うつ状態に対して効果がある。     ・・・・そうです。

 そんな効果があるのならば、部屋中にジャスミンの花を飾りまくってみたい。
 親子のちょっとした諍いなどは生じないにちがいありません。
 毎朝、ジャスミンを紅茶に入れて「ジャスミンティ」を口にすれば、活力がみなぎるかも知れません。

 もっとも 同じ「ジャスミン」という名がついていても、別種の「カロライナジャスミン」という花、こちらの方は花びらに湯を注いだものを飲むと中毒になるといいます。

 毒と薬は裏腹の関係にあるたとえのようなものです。
 いや、ちょっと違うか?
 甘い香りに誘われて夢見心地の果てに「カロライナジャスミン保険金殺人事件」
 あはは、ミステリー小説のネタになりそうですね (笑)

 しかし、この花がジャスミンの花でなかったら今日の日記は「お笑い赤面日記」になってしまいます。
 まあ、それならばそれで笑いの「種」じゃなくて「ネタ」になっていいか! (笑)
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.06

伊良湖岬は快晴100パーセント

5月6日 渥美半島サイクリングロード

 半袖シャツの跡がくっきりはっきり日焼けするほどの快晴でした。
 出直しサイクリングロードを2台で走りました。
 愛知県の渥美半島の先端、伊良湖岬を基点にぐるっと周る38キロの自転車の旅ってわけです。

 ブログに書く旅日記ほどむずかしいものはありません。
 風光明媚な名所・旧跡などを訪れて、歴史や文化や風景を伝えることはできます。
 しかしサイクリングの旅ときたら、自転車と道ばかりです。
 自転車と道と人との、今流に言えばコラボレーションなのかも知れません。

 でもそれは、写真では伝え切れない磯の香りやトンビの舞やウグイスの鳴き声がたくさんあります。
 肌に流れる風も、強い向かい風であったり、背中を押してくれる追い風などです。
 ときどき、昆虫が激突してくれます。

 見知らぬ地元のおばあさんから岩カキをいただいたり、昆布をいただいたりします。
 向こうから走ってきたロードバイクの方の笑顔や、ジョギングするお兄さんの挨拶をもらったり。
 自転車でひたすら走る姿にはスポーツをする人たちとの共感や、地域に暮らす方々との思いがけない交流が生まれます。

 旅、いろいろな旅がありますが、生活圏からちょっと離れたところに行って、そうした空気に直にふれあえるのもサイクリングの楽しさだと思いますね。

 スポーツ自転車に乗ってサイクリングを楽しむ方々がもっと増えればいいなと思います。


 ■伊良湖岬灯台
Img_0138


 ■伊勢湾沿岸を7キロほど直線で走るサイクリングロード
Img_0002


 ■渥美豊橋サイクリングロード
Img_0104


 ■恋路が浜を眺望する
Img_0119

 PS:岩カキを「食べなさるか」と、たくさんくださったおばあさん、「昆布を持っていきなさい」と親切にしていただいたおばさん、渥美半島の地元の方々は本当にいい人ばかりで想い出になりました。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.05

モーニングな旅

5月5日 曇りのち雨、雨、雨・・・・

 ♪ 横たわるきみの顔に 朝の光が射している

      モーニング モーニング きみの朝だよ
      モーニング モーニング きみの朝だよ  (「きみの朝」岸田智史)

 朝からいつ降り出してもおかしくない曇り空が広がっていました。
 いつもより早起きして、いつもの自転車2台を車に載せて。
 曇りでいいから一日続いてくれたらと願って出かけました。
 
 都市高速道路に上がって、今日の目的地は「伊良湖岬」です。

   ♪名も知らぬ 遠き島より 流れよる 椰子の実ひとつ 

 島崎藤村「椰子の実」の詩でよくしられたところですね。

 GWの帰省Uターンの車で混雑してるかと思いきやちょっと空いてます。
 でも、相変わらずの曇り空。
 と思っていましたら、フロントガラスにポツリ、ポツリと水滴が。

 連休前の天気予報は曇りだって言ってたのに・・・。
 本当は昨日が行楽日和だったけれど、家族が揃うからと延期したのに・・・。
 強い陽射しよりも、すこし曇ってた方がサイクリングは走りやすいはずなのに・・・。

 ポツリ、ポツリと降りだした雨脚は小雨模様に変わってきました。
 「この雨脚が続くようなら無理かもしれないなぁ」
 「どうする、明日なら晴れって言ってたわ」

 決断です、サイクリング中止。
 「それじゃぁ、都市高速を降りて喫茶店でモーニングコーヒーでも飲もうか!」

 予定には変更はつきものです。
 残念と思うのか。
 それとも、ちょっと早起きして朝のドライブを楽しんだ、と思うのか。

 ナビの目的地を自宅に設定して、知らない道を、また逆戻りです。
 途中の喫茶店でモーニングコーヒータイムです。

 「ふふふ、モニーングの旅になったわね」

 巧いことを言うもんだ!。
 明日、再チャレンジです。
   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.04

明日は子どもの日

5月4日 GWの家庭スナップ3枚

 明日は子どもの日です。
 じゃあ今日はというと「みどりの日」だそうです。
 とってつけたような「○○の日」だけど、休日ならばなんでもいいってもんです。
 子どもというのはいったい何歳までなのか。
 児童福祉法では18歳未満を子どもとしているし、選挙権を18歳以上としている国も多いようです。
 
 親からすれば、いつまでたっても子どもに見えてしまうし、思春期の子どもは「いつまでも子ども扱いしないでよ!」ってのが世の常でしょうね。
 いやいや、子どものような大人が増えて、ピーターパン症候群とも思われる人も見受けられます。

 ちなみに、ピーターパン症候群っていうのは。
 「言動が子供っぽいという事のほかに、精神的・社会的・性的な問題をはらんでいるという事が挙げられる。ここで問題にされる男性は、人間的に未熟でナルシズムに走る傾向を持っている。」(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

 では、「ピーターパン症候群」という言葉を記憶していただいてスナップ写真です。

Img_0019niji

 掃除と片付けの日、玄関先やデッキなどは自分が暗黙の分担になっています。
 デッキの水洗いをしようとホースから散水しましたら、朝なのに「2時」じゃなくて「虹」ができました。
 さっそく手持ちのデジカメでカシャリと一枚撮ってると。

 「なに子どもみたいなことやってるのよ!」
 「いやいや、虹ができるんだわな~、これおもしろい!何で?」
 「太陽光線が水滴に当たって屈折反射するからでしょ~」
 「ほ~」 小学生の時に、もう少し理科の勉強しとけばよかったか。

 Img_0024iruka

 たしか、「汚嬢様」って言葉があったような気がするし、「片付けられない女たち」って言葉もあったような気がしますが。
 部活、バイト、学校・・・・ほとんど家に居ない娘が久しぶりの休み日です。
 そうそう、息子も居るから、めずらしく一家揃い踏みってわけです。
 19才と21才の子ども達だから、本当は「子ども達」というよりも「息子」と「娘」というのが正確です。

 娘のあまりにも乱雑な部屋を見るに見かねた妻から「片付け命令」です。
 それで、出てきたのが10年以上前の「イルカ風船」ってわけで、ヘリウムガスも僅かに残っていたから注入して、フワフワと部屋を泳いでいます。
 ゴミのような床はたまらないから天井で一休みのイルカを・・・・カシャ。

 「私が小学生の時、もう一匹が窓から逃げていって大泣きしたのを覚えているわ」
 「ほぉ~、そうだったっけ・・・でもな~、これが大学生の娘の部屋かなぁ~」

 何でこんなものを後生大事にしまい込んでいたんだろうと思うのですが、大切にしていたものを失った悲しみを心にいつまでも留めておくのも大切ってことか。 
 だけどなぁ~、このゴミ溜のような部屋を写さないのは親ごころです!まったくぅ。

Img_0040ponta

 愛犬ポン太のシャンプーも私の仕事です。
 久しぶりに綺麗にしてもらって、犬おおはしゃぎ・・・・なんてことはない。
 水嫌いのポン太は暴れる、吠える、逃げ惑うと苦労させられます。
 水洗いの後、バスタオルで拭いてもらうのもそこそこに、猛ダッシュです。
 ウッドデッキの上で、まだ乾ききらない体を舐めまわしています。
 老犬のわりには逃げ足の速いこと、子犬のように敏しょうですね。
 ふむ、犬の舌って意外と長いもんだ・・・
 
 子どもっぽさ・・・・
 「ピーターパン症候群」って言うけれど、病的で歪みさえなければ、常識的で硬直した大人の論理よりも子どもの心の方が、ず~っと大らかで個性的だということです。
 生活を楽しむ、人生を愉しむためには、子どもっぽさを失ってはイカンちゅうことだと・・・・
 「子どもの日」って、そんな大人が反省する日かもね。

 なになに・・・屁理屈だって?ピーターパン症候群そのものだって?
 こっちが子どもで、あっちが大人、いや、こっちが大人であっちが子どもで・・・・

 「ややこしやぁ~♪ ややこしやぁ~♪」 (くどい!!笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.03

メタボタイヤを取り替える

5月2日 自転車のタイヤ交換にチャレンジ!

 この連休は妻と自転車ツーリングに出かける予定です。
 残りの日々は、恒例の片付け・大掃除と、前から一度はやってみようと思っていた自転車タイヤの交換です。

 そんなわけで、自転車雑誌とメンテナンス本をチェックして、いざ準備OK。
 スポーツ自転車店へ、いそいそと出掛けましたね。

 マウンテンバイク「ルイガノ」の太いタイヤもそろそろ劣化をはじめていますし、この太いタイヤっていうのは、地面との摩擦も大きくて、重いんですね。
 26インチ径のホイールに舗装道路用の1.5センチ幅のタイヤを交換するわけです。

 幸か不幸か、これまでパンクもせずに一度もタイヤ交換したことがない。
 3度目の夏を迎える自転車通勤人としては、この「タイヤ交換経験なし」というのが劣等感になりつつある(笑)
 サイクリング途中でパンクしても修理できないのが不安でもあるし・・・
 ってなわけで、表むきは「ああ、こんどのサイクリングに乗り心地よいタイヤに替えてあげるから」などと釈明してみるものの、チャレンジです。
 
 タイヤ交換の手順
  ① しっかりとパーツ交換の手順を本で調べる、タイヤ径と太さ(幅)についてチェック
  ② 自転車本体を持ち込んで、店員にあれこれ聞きまくる、とにかくコツを聞き出す。
  ③ 成せば成る、成さねば成らぬ何事も! チャレンジあるのみ。

 てな必死の形相をしまいこんで、「あの~、タイヤ交換初めてなんですけど、素人にできますか~」、「260×1.5のタイヤ、マウンテンでも大丈夫ですか~」、「挟み込んでパンクさせる危険があるって本当ですか~」
 何でもカンでも聞きまくると親切に教えてくれるのが、専門のスポーツ自転車ショップの方です。
 街の量販自転車店では、タイヤ交換の実技指導まではしてくれません。

 「大丈夫です出来ますよ!ガンバッテチャレンジしてみてください。」
 涙が出てしまうような嬉しい「大丈夫」って言葉です、若い方でしたが、アンタは偉い、先生、師匠、神様・・・(笑)
Img_0004
 購入したタイヤ二本をタスキ掛けにして自宅に持ち帰りました。
 言われたとおりに、メタボサイズのタイヤをはずし、ちょっと苦労しましたが街乗り用タイヤを取り付け完了しました。

 試乗・・・軽快ですね。
 MTB(マウンテンバイク)のタイヤを交換するだけで、負荷が減ってずいぶんと軽く、乗り心地が違いますね。

 「ねぇねぇ、素人が自転車を分解して大丈夫なの?」って妻がいいました。
 「大丈夫、だいじょうぶだから・・・」と、得意顔。(笑)
 あはは、こんどの連休サイクリングは、ちょっと軽快なマウンテンバイクの乗り心地に満足するに違いありません。

 素人には素人にしか経験出来ない楽しさの過程というものがあります。
 こんな楽しみを経験しないでなるものかと思いますね。
 何事も出来るとそれがまたまた自信にもなります。
 マニアックなスポーツ自転車ライフの第一歩になるかもね。
 自分に合った自転車をパーツから組み立ててみたくなりますね。(う~ん、「指丸」がないなぁ~)

 本日の出費
  タイヤ2本       6900円也
  タイヤチューブ2本  1400円也
  ブレーキシュー    1400円也

 合計9700円。廉価なママチャリが一台買えてしまう不思議な自転車の世界ですねぇ~(苦笑) 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.02

褒めたり、褒められたり・・・

5月2日 連休へGO!だなぁ~

 飛び飛び休暇でちっともゴールデンウイークらしくない一週間です。
 それでも、やっと4連休の入り口にたどりついた、って感じです(笑)
 何をしてやろうかな、あれも、これも、思いだけはテンコ盛りですが・・・

 雑誌「サライ」5月1日号が芭蕉特集を載せていたので買いました。
 おまけに、現代語訳の「奥の細道」朗読CDが付いてたってのも動機です。

 この朗読をしているのがNHKキャスターの松平定知さんです。
 渋い低音の語りは、なかなか情感たっぷりですから・・・
 聞きながら、ついウトウトと眠り込んでしまいました、催眠BGMってことか?(笑)

 それで、この特集の座談会のなかで、芭蕉に同行した門人・曾良について寺田農さんのこんな話が載っていました。

 「同行の曾良が、金沢の先の山中で腹が痛くなって芭蕉と別れ、療養ののため先に伊勢に発つでしょう。本当は仮病だったのでは、と疑いたくなるような話も出てきます」

 「・・・・曾良は旅も終わりに近づき、周囲が芭蕉を“先生、先生”と持ち上げるのを見て、疎外感を感じたのかも知れません。・・・・“もういいや”と思ったのでしょう。・・・・」

 門人・曾良という人の素性については本当のところはよく知られてはいません。
 でも、この芭蕉との別れが、褒められる芭蕉へのこんな気持ちを持ったとしたら、じつに人間的な感情なんだなぁと思うわけです。
 ふ~む、この話の部分だけで雑誌代の元が取れたなぁ(笑)

 褒められるといえば、今日職場でパソコン操作をちょっとだけお手伝いして褒められました。
 ほとんど、褒められることなどないが、パソコン知識がちょっと役立ったってことです。

 褒めて育てるとか、部下を上手に褒めるとか・・・・コーチング手法が云々されます。
 たしかに、人は褒められると嬉しいものです。
 「豚もおだてりゃ木に登る」って?
 褒めることと、おだてることはちょっと違うなぁ~
 どこが違うかって?

 褒めてくれる人そのものが、その褒める内容に造詣が深く、より魅力ある人ならば。
 褒め言葉が千両にも万両にも聞こえるものですね。
 ただ、褒めりゃあ喜ばれるっていうもんでもないようです。
 ただ、褒められれば嬉しいってもんでもないようです。

 とまあ、そう思うんですね。
 だけども、褒められることも少ないと、小さな褒め言葉も嬉しくなるものです。

 褒める、おだてる、こっちが褒めるで、こっちがおだてる、いやこっちがおだてるで、こっちが褒める・・・・
 「ややこしや~、ややこしや~♪」(笑)

 というわけで、明日からいよいよ連休だぁ~
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.01

五月の真夏日!

5月1日 メーデーの日

 アクシデントは予期せぬところにやってくるものです。
 日記を書いていたら、インターネットの接続エラーが発生しました。
 書いた文章は飛んでいきました・・・
 面倒なので、別記事で書き直しです。

 予期せぬこと、といえば。
 職場の卓球クラブ、この春の大会は棄権することになりました。
 この時期、仕事も入っていたりして出場選手が確保できないからです。

 職場のスポーツクラブが働く人の健康作りと人間交流を深め、仕事への意欲を高めるためにも、有効なものである!という、企業・会社の人材育成の理念は遠い昔の話ですね。

 よく働き、スポーツで健康作りをする。
 社員の人間交流のためのスポーツ振興。

 現代の企業社会では、生産性に寄与しない余分なものにスポーツはなってしまったのかな。
 
 労働者あっての企業という自由主義の崇高な理想は、資本家あっての企業にとって変わられたのです。
 そんなところには、企業の社会的責任などという発想もでてこないというものです。

 などと言いつつ、今日はメーデーです。
 1886年にアメリカの労働者が「8時間労働制」のスローガンをかかげてゼネストを行ったのが始まりだと言われています。

 でもでも、なんか世の中「労働者」とか「メーデー」とか「ストライキ」とか・・・姿が見えないのが最近ですね。
 その昔は「起て~飢えたる者よ~今ぞ日は近し~♪」なんていう労働歌がメーデー会場で歌われたものですね。
 労働組合への組織率も減少の一途です。
 フリーターやアルバイト、派遣社員などの増加は労働組合への加入を困難にする一因ともいえますね。
 無権利で劣悪な労働環境が放置されてるってことです。

     メーデー歌うたひて野良に出てゐたり  榊原 灯子

 それにしても、まだ五月の初日だというのに日本列島、「真夏日」観測された地域が続出です。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »