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2007年9月

2007.09.30

「ラクロス」観戦の日曜日

9月30日 またしても雨!・・・でも、ラクロスの競技を観戦しました。

 この週末は秋雨の土・日です。
 普段なら、特に用事もなければ、ゆったりとした日曜日なんですがね。

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 大学生になった娘が、あまり知られていないスポーツ「ラクロス」のクラブに入ったから、「ラクロス」って・・・
 そんな程度の知識しかない家族の面々ですが、今日は集客試合だから見に来て欲しいという要請に、ノコノコと小雨の中、傘をさして鶴舞グランドに出かけました。

 やっぱり雨の日ですから、観戦の応援者もちょっと少ないですね。
 ラクロスって、棒の先にネットがついたクロスというスティックで球を受けて、ゴールめがけてシュートする。
 ちょっと不思議というか、案内のパンフレットには「華麗でハードなフィールド競技」と紹介されています。

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 たしかに、先日のテレビで見た男子選手のシュートのスピードは軽く120~130キロはでていましたから。
ウィキペディア(Wikipedia)」などで起源とかルールなどを少し調べてみましたら、地上最速の「球技」ということらしい。

 サッカーでもなくホッケーでもフットボールでもなく、まだ球技人口も少ないラクロスという競技です。
 それでも、時としてはボールをめぐる激しいぶつかり合いの場面はあります。

 日本でのラクロスという競技の普及は1986年に慶応義塾大学の学生によって始められたとの年表ですから、まだ20年たらずの若いスポーツなんですね。

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 今日は大学生・女子の集客試合でしたから、スポーツウェアと巻きスカートというユニフォームで、皆さん泥まみれの中で戦っていました。

 「華麗」というのはユニフォーム姿、だが、試合が始まれば、思った以上に、走る・投げる・キャッチする・球の奪い合い・・・・意外とハードなフィールド競技だと思いましたね。(華麗なハードさ??)

 試合にはマウスピースを着用するそうですが、そりゃそうですね、けっこう硬くて重い球ですから。
 しかし、こうした歴史の浅いスポーツでも選手たちは、よく頑張っていましたね。
 女子の試合ですが男子チームの選手たちが応援でチア・ボーイに変身した姿を披露して盛り上げてくれていました。
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 まだまだ、メジャーには距離があるんでしょうが、「若さ」というものは、想像を超えて進歩してゆくものですから、いまはマイナーなスポーツと言われていても(ワールド大会はあるようです)、オリンピック種目になって、ラクロス球技人口の裾野が広がっていけば、メジャーなスポーツになる可能性も秘めているんでしょうね。
 ラクロスなんて何も知らない、親が兄弟が親戚が、こうやって試合を観戦する・・・たったそれだけのことですが、こういう努力が積み重ねられて、世の中に広がっていくというものです。

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 頑張れ! ラクロスの選手諸君!!・・・って応援したいですね。

 PS:やっぱりスポーツ観戦には望遠レンズがつきもの、タダでさえ腕が下手だから・・・迫力ある写真が撮れるかどうかもわからないがねぇ(笑)

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2007.09.29

プチ・センチメンタルジャーニー

9月29日 小雨が降ったりやんだり・・・秋雨(あきさめ)

 秋雨の土曜日でした。
 名古屋の大須に出かける日です。

 雨だから、近くの地下鉄まで妻に車でアッシーをお願いしますが、「アッシー」って、お願いするものではなくて、喜んでするものだから論理矛盾です。

 実は月に一度の病院通いの日ですが、職場では「美人の女医さんに会う日」って言ってありますから、動機が不純だ!と言われています。

 ええ、動機が不純という「キャラ」作りしてましたが、本当は「動悸が不安定」だったという理由です。
 まあ、それも改善されて、病状は良い方向に向かっているという最近ですね。

 論理矛盾といえば、何でも突き通す矛(ほこ)と、何も突き通さない盾(たて)の話ですが、「プチ・センチメンタルジャーニー」・・・小さな感傷の長旅って訳すから、まったくの矛盾です。

 が、「♪そんなの関係ない~」っていう、小島よしおのノリともほど遠い気分ですね。
 小雨です、秋雨です・・・・人間、感傷的にもなるものです。

 そんなわけで、恒例の大須商店街をぶらり散歩しました。
 人通りも多く、人の姿が多ければ多いほど、一人歩きの楽しみも多い。
 電気店でレコード盤からMP3へのオーディオ変換機器を買いました。
 レコードやMDの曲をipodに取り込めるという代物です。
 懐かしいというか時代の遅れたレコードを聞くという楽しみですね。

 こんな土曜日は、いつも数時間、ぶらり散歩の時間です、自転車が普通ですから駐車場料金も関係ない。
 今日は、商店街の裏道のごく普通の喫茶店を見つけました。
 一人で過ごす喫茶店はプチ・センチメンタルジャーニーそのもの・・・と私は思っています。
 どんなに混んでいても、珈琲と本があれば、心は小さな感傷旅行に行くことができるんですね。

 仕事も家族も、この時、この空間は全て忘れ去って、私一人で過ごせますから、それがいい。
 「孤独」というものは、淋しいことばかりではないとも思うのですね。
 人間の生の生活が四六時中、切っても切り離せない日常性ですから、非日常性の空間ってこと。

 「人恋しさ」は「孤独」の裏返しのようなもので、「孤独」を忘れ去った現代の生活者は、本当の「人恋しさ」など気にもならないから、見せ掛けの人間関係に満足しているだけとも思う。
 いや、それもまた秋雨のもたらす感傷なのか!

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 年配の女性のホームレスの方がベンチで休んでいる。
 知的障害の女の子の手を引いた夫婦が、たまの休日の華やいだ商店街を通り過ぎてゆく。
 少し冷め切った若い夫婦が、無関係そうに距離を保って寡黙なウインドウショッピング。
 若さに溢れんばかりの高校生たちが、大きな声でおしゃべりのボリュームを上げている。

 みんな、それぞれの小雨の秋の土曜日の風景なんですね。
 そういう人の姿を追いながら、こちら側から眺めている自分は、非日常性の自分でしかないが・・・
 だから、街や人の姿は、何も変わりはしないこんな日でも、新鮮な風景に見えるもんなんです。

 

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2007.09.27

6の6でVictory

9月27日 いよいよ佳境に入る

 一昨日、今日は十五夜、満月だ!って書いたのですが、暦では「十五夜」って記されているのに、職場で聞きましたら、
 「明後日(つまり今日)が、本当の満月なのよ、だからほんとは十三夜で、ちょっと欠けていたでしょう」と
 「カレンダーはたしかに十五夜なのに・・・」

 それに、空に浮かんだ月はまん丸だったはずですが、ああ、これも乱視がなせるわざでしょう。
 パソコンばかり使っていると、眼精疲労から乱視の状態もわるくなります。

 ものの輪郭が不鮮明になって、ぼやけてくるから、何万キロも離れた月の輪郭がちょっと欠けていることよりも、わずか1m先の「カレンダーの十五夜」という文字のほうが鮮明だから信用してしまう(笑)
 
 というわけで、今日が本当の満月のようですが、残念ながら名古屋の夜空は曇りで満月も雲の中のようです。
 「すみません、私嘘をついていました」って明石家さんまふうに・・・・私、「冗談」は言っても、けっして「嘘」はいいません、はい。(笑)

 セ・リーグもいよいよ佳境に入ってきました。
 落合監督は昨日「7試合で7つ取る、そのほうがいいじゃないか」って言ってました。
 今日は猫のような虎打線の阪神に快勝で、あと6試合で6のVマジック。

 まさに6の6で優勝というのが、実に面白い・・・といっても、巨人と中日のファンだけか?
 「佳境」っていうのは、「興味深いところ」とか「景色のよいところ」という意味で使われる言葉ですが、解説者も言ってましたね、「この時期、選手たちは体中痛めている、満足な体調の人は一人もいないもんです」って。
 「佳境」に入ってるのはファンですが、「苦境」を乗り越えようと必死なのが選手たちですね。

 てな野球の話題を提供できるのも、優勝戦線に最後まで残っている中日ドラゴンズのファンが故ですから、ああ、感謝、感謝・・・井端頑張れ!荒木頑張れ!憲伸も中田も朝倉もウッズも森野も、皆あと一息だ。
 
 それで、自分の仕事も「ヤマ場」を迎えて、苦境ですね。
 毎日帰宅が遅いから、疲れも抜けきらないってところです。
 「最近、家事もあんまり手伝わない!」ってカミさんにボヤかれて、こちらも苦境です。(笑)

 こういう時こそ「ああ、佳境にはいってるんだ!マジック○○だ!」って思えればよいのですがねぇ
 「興味深いところなんだ!」・・・そうもいかないですね。

 メンタル・ケアの一つが、こうやってブログで、野球も仕事も見どころ満載だ!などと書くことでもあるのですね。
 まあしかし、そんな時間を睡眠に費やすほうが、健康的時間管理かもしれませんが。

 根っからの「はみだし人間」の要素十分の私は、それが出来ない。
 限界点のギリギリまで、根を詰めて・・・・これは自虐趣味とも言えるかな?

 明日のための疲れた体にちょっと負担をかけた夜更かしというメンタル・ケアなんですがね。
 それも、ほどほどにしないと、鬼嫁と健康破壊がツー・トップで攻めてくる。

 やれやれ、「今日のところは、これぐらい(のブログ)にしといてやるか」(池野めだかふうに)

 「金八先生 贈ることば」
 どんなに思っても親なんてものは、
 子供にしてやれることに限界があるンだよな。

 今日は、本当に子どもに愛情を注ぐことを知っている親が身に沁みて思う言葉ですね
 これって、普通の人間関係にもいえるですね。

 「何もしてあげれなくてゴメン」って、しょせん他人は他人事、私は私だからって思って言う虚言。 
 そうじゃないんだよな、「あなたしか解決できないし、あなたが解決することに意味がある事柄、だから代わりたくても代われない」そういう場合だけ「何もしてあげれなくてゴメン」って言うんだよな・・・

  
 

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2007.09.25

十五夜のてんやわんや

9月15日 きれいな中秋の名月です

 時計の針の角度が直角になるまで働いて、それから明るい満月を見ながら自転車帰宅しました。
 こういう、風情があるから、自転車通勤はやめられません。

 それで、途中で携帯電話の呼び出し音が、いやバイブレーションが振動して。
 「今、帰宅途中だから、あと30分はかかりそ~」
 「台所ででたんだわ、ゴキブリが、早く帰って始末して~」

 美しい満月と黒光りするゴキブリが混在して姿を見せたようです。
 私はゴキブリは、それほど嫌いでないが、ムカデはゾッとします。
 子どもらは「本物のムカデ(?)を見たことがない!」という。
 そうだろうな、こんなコンクリートの街ではムカデよりゴキブリの方が繁殖・生活に適しているからでしょう。

 十五夜のお供えもの、ススキと団子と里芋がそろっていました。
 今日(きょうび)はススキも店で売っているという・・・へぇ~、買ってきたんだ。

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 「出窓越しにススキと十五夜の満月が撮れるからね」って。
 またしても、ブログネタの用意をしてくれました。

 望遠レンズもないから、まん丸な月の拡大写真もむりだから、まあ、こんなマンションの蛍光灯と一緒に点のように映っている十五夜写真もいいか。
 いろんな十五夜の楽しみ方、いろんな満月の写真があってもいいでしょうね。

 それで、美しく輝く満月の話題の足元には、見事に「殺虫剤でコロリ」のゴキブリが放置されていて、おまけに、ゴミ取りの金挟みも置いてありますから、早く処理してくれ~って事のようです。

 ああ、なんで、たかがゴキブリごときで、てんやわんしなければならないんでしょうね。
 死んでるから、摘んでポイと捨てるだけなんですがね。
 そんな、軟なことでは十五夜お月さんが笑っているってもんですね。

 ちなみに、月の語源は「ツク」というらしいから、着くとか付くとか、憑くってのもあります。
 古来の伝承としては「月に神が宿っている=憑く」という意味合いのようですが。

 あはは、今日は「見事にゴキブリに憑かれた」ようだったから、残業の私も我が家のゴキブリ騒動も、ほんまに「疲れた」話です・・・って。

 お後がよろしいようで・・・テケ・テン・テン・テン。


 

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2007.09.24

ここまで来ました、秋です

9月24日 秋風に揺れる田んぼの稲穂かな

 ブログを始めたのが3年前ですから、けっこう続いているものでずいぶんと経ちました。
 それで、初めてブログに写真をアップしたのが田んぼの風景スナップ写真でした。

 今日は、ちょっと雲も多めの休日です。
 戸外にデジ・カメを持って、水田の稲穂を撮ってみました。
 カメラ技術はちっとも進歩していませんが、秋のここちよい風にゆらゆらと稲穂が揺れているこんな風景を今年も見られて幸せってもんです。

 刈りいれ時まで、もうすこしありますが、やっぱし日本の原風景にまちがいありません。
 大きな台風もなく、順調にこのまま育って、新米になる、おいしい日本酒になる、なんとも感慨深い思いですね。

 変わり映えしない写真ですが、一年一年、その年その年の「稲作風景」をこうして撮ることができる、これもブログというもののおかげかも知れませんね。

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 そういえば、今年は近くの小学校の生徒さんたちが、田んぼの一角をお借りして、クラスで稲をそだてています、という看板が立っていました。

 田植えから始めて、自分達の手で育てた稲の刈り取りはどんなに待ち遠しいことだろうと思います。
 都市農業の小さな稲作風景でも、こうして私達に「幸せと感謝」の気持ちを分け与えてもらえる・・・小さな幸せですね。

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2007.09.23

秋分の日に オッパッピイ~♪

9月23日 小島よしおのノリで・・・

 今日は秋分の日でした。
 明日から日没も早まり、夜が長くなる、文字通り「秋の夜長」だから、オッパッピイ~♪

 それで、午後からは中日×広島戦をテレビ観戦しました。
 広島の大竹投手、序盤からヒットを打たれすぎ~、で中日の楽勝ムードだったから、オッパッピイ~♪

 ところが、なんてこったい、打ち崩せない中日打線でした・・・拙攻で完敗でした。
 まあ、ここまできたら巨人と阪神の勝敗は「♪そんなの関係ない~ そんなの関係ない~」って。

 小島よしお、海パン一枚で最も衣装代がかからないピン芸人ですが、この「♪そんなの関係ない~」っていうのは、今年の一押しの流行語大賞かもね?

 で、午後の微睡みのなかで、プロ野球中継に、突如テロップが流れて何事か!とおもいましたら。
 「自民党総裁選挙、福田氏330票、麻生氏197票・・・」って、ニュース速報が流れました。

 自民党という路線と政策が同じ政党の派閥力学の結果ですから、権力者の頂点の首がすげ変わっても。
 ♪そんなの関係ねえ~ ♪そんなの関係ない~ って、まさにピッタリのノリです。

 先の参議院選挙で庶民は「自民党NO!」って言ってるのだから、衆議院解散総選挙が順当ですから、政権党の総裁なんていうのが、大々的なニュースになるのも変な話はあのねのね・・・オッパッピイ~♪

 話は突然かわって、秋分の日の今日、戸外に出てみますと。
 玄関先のミニ薔薇に花がついています。
 今年の春先に買ったミニ薔薇、大輪の薔薇にも負けない華麗さです。

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 薔薇の花好きは多いって「花の本」に書いてありました。
 「花の女王」って冠もピッタリですが、薔薇の棘はチクリと刺されば痛いもの。

 毒々しい棘のある言葉や心は嫌いですが、ちょっと可憐な薔薇の棘は、怠惰で放漫な心に刺激を与えてくれるから、ときにはそんな棘に刺されたいもんです。(マルキド・サドかよ)

 門柱前のミニ薔薇の近くにタイルと小石舗装された隙間から、小さな花が顔を出していました。

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 おや、まあ、「♪ほほいのほいっともう一杯、ワタナベのジュースの素だよ、もう一杯」って、ほとんどの人が知らないかなり昔のローカルCMソングだが、「わかるかな~わかんねえだろうな パッチン」これは全国区だったフレーズだから、きっと知ってるだろうなぁ

 という話ではなくて、舗装された敷石の隙間から小さな花が咲いていたって話で、おそらくこんな隙間に種子が入り込んで育ったということです。

 なんていう名前だったか忘れましたが、この際花の名前よりも、ミニ薔薇に引けを取らないインパクトで咲いた、この花だから、まるで継母にいじめられていた娘が王女になったシンデレラのようなストーリーにも思える。

 ですから、花の名はこの際 「♪そんなの関係ない~ そんなの関係ない~ オッパッピイ~♪」と言うことにしておこうと思う。

 しかし、この「♪オッパッピイ~」って、どういう意味なんだろう、小島よしおに聞いてみたいが、「♪そんなの関係ない~」って言われそうだなぁ。

 当分の間は、玄関前のこの小さな一輪の花が気になる日々が続くような気がします。

 というわけで、本日の日記はお終いですが、本当は一度書き上げて「よしゃ!保存」ってところを、あろうことか「削除×のボタン」をクリック・・・・なんと、なんと ♪オッパッピイ~ なこと (オパピの使い方が違う?) 
 やれやれと苦労して二度書きしましたが、皆さんには・・・

 「♪そんなの関係ない~ 」(笑)
 

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2007.09.22

海辺の自転車【きわめて個人的な】

9月22日 蒲郡シーサイドツーリング日記

 きわめて個人的な日記です。
 文庫本を持って、二台の自転車を走らせました。 

 ほんの小さな自転車ツーリング、二人で海辺を走ってみました。
 写真も何枚か撮ってみましたが、広大な海とぽつんと走る小さな自転車乗りだけです。

 こういうふうに、ただ自転車を走らせているだけの妻の後姿を撮るのもわるくないなと思ったのです。
 だから、海辺を走る自転車だけがカメラの標的でした。

 それが、どれほど美しい風景であっても、どれほどすばらしい海辺であっても、目の前を走っているたった一台の自転車を追いかけている自分がそこにいます。

 この世で一ばん遠い場所は
 じぶん自身の心である

 生まれて何回ドアを閉めたか
 思いだすたび
 ひとは老いる

 みんなが一つずつ
 自分の海をもてばよいのだ

 わかれるとき
 どこへでも持っていけるように  (「海」 断片ノート(1) 寺山修司)


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 山間部の農村生まれで、海には縁遠い中小都市育ち、海を初めて見たのは小学校の5年生の頃だった。
 こんなに海は潮辛いとは知らなかったし、この海の向こうがどれほどあるのか不思議だった

 
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 なみだは
 にんげんのつくることのできる
 いちばん小さな
 海です   (「海」 一ばんみじかい叙情詩 寺山修司) 
 


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 たしかに、海を見続けていても、ちっとも飽きないものです。
 波が押し寄せたり、曳いたり、ちょっと人の心にもにているところがあります。


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 海は 巨大な忘れものである

 あまり大きすぎるのでどこの遺失物収容所
 でも預かってくれない  (「海」 断片ノート(2) 寺山修司)
 


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 三河湾に面して「竹島」という小さな島があります。
 本島とは橋で繋がっています。
 その高台にあるのが「八百富神社」、金運のお守りをいただいたと妻は喜んでいました。
 「運」も自分の力で切り開ければ、これほどいい事はないのですが。


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 海を書くのではなく
 海で書きたい

 一字ごとに原稿用紙が濡れてゆき
 やがて一篇の詩が波立って
 怒涛となるように  (「海」 断片ノート(3) 寺山修司)


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 詩すら書けない自分は、海辺を自転車で走る妻の姿を、追っています。
 それが、海辺を走る自転車の風景として瞳に焼き付けられるならば、それも立派な「詩」だと納得しようとしています。


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 そうです 海では飛べません
 それなのに 海で飛ぼうとして
 びしょぬれになっている悲しい鳥

 一篇の詩を書くということは
 そうした不可能性に賭けてみることなのだ
 ということができるでしょう  (「海」 海では飛べない 寺山修司)


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 走り疲れたときは、海の見えるおしゃれなカフェでくつろぐのがいい。
 ときおり汐の香りが珈琲にまじりあって、けっこうな風味となるものだ。
 そして、どこにでもあるような、おしゃべりが海に似合っているではないか。


 きみ、知ってるかい?
 海の起源は、たった一しずくの女の子のなみだだったたんだ。
 そのなみだが、どうして止まらなくなって地球を水びたしにしてしまったかは、どんな科学の本にも出ていないが、ぼくだけは知っているんだよ。 
 
               (「海」 海の起源に関する一章 寺山修司)


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 妻といっしょに自転車サイクリングで走るのは今回が3回目です。
 サイクリングロード以外は嫌だって言ってた妻ですが、一般道もよく走られるようになりました。

 さすがに、きつい上り道には、音を上げていましたが、上りきった茶店で「ふわふわ」のカキ氷を食べてちょっとは疲れもとれたようでした。

 自転車で走る楽しさを少しづつ感じられるようになってきたのでしたら、こんな嬉しいことはありません。

 今回は一泊二日をかけた、まだ暑さが残る「秋の日」に行った自転車ツーリングを寺山修司の詩の合間に入れてみました。

 こんな、ブログ日記があってもいいんではないかと思いましてね。(笑)
  
 おまけ:一般道を走る後ろ姿ですが、走りながら撮る自分も苦労します、こんなに後姿ばかりでは、我が家の住人以外は面白くもない・・・でしょうね。だから「きわめて個人的」って断り書きしました。
      いつか、このブログを妻が見つけたときには何て言うのだろうかな?
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2007.09.20

書を持って、自転車で走ろう

9月20日 ふたたび、今さら寺山修司・・・

 今日も一日パソコンとにらめっこ。
 眼精疲労もはなはだしい。

 「愛となみだは どっちが高い?」
 昨日書いた寺山修司の詩の最後の一節です。
 古道具屋のおじさんは何て答えたか?

 もちろん「愛」って
 時代感覚なんですね。

 寺山修司という作家の生きた軌跡からすると「なみだ」でしょうか?

 思うんです。
 いろいろな人生の足跡があって、「愛」も「なみだ」も感受性の高低があるって。

 演歌ふうに悲恋のなみだがあったり、寅さん映画のような人情なみだもある。

 恋もさまざまだなぁ
 ひとの数だけ恋があって、大・中・小の恋愛体験・・・それも愛だし、とっくの昔に捨て去った愛もあるだろう。

 寺山修司の詩の言葉の中には哲学というか思想が星のように散りばめられている。
 そこが好きだが、そう思う人もいれば、そう思わない人もいる。

 だから、時代にからみあっているのか、いないのか。
 安直な「感情」の押し付けドラマも多いしなぁ、さあ泣けとばかりに、でもってけっこう「ハマル」もんだし。 

 で、「愛となみだは どっちが高い?」・・・・

    ☆~・・・  ☆~・・・  ☆~・・・   

 明日は季節外れの「夏休み休暇」です。

 妻と愛知県の蒲郡の海岸沿いのサイクリングロードを自転車ではしります。
 一泊二日の小さな旅ってこと。

 なんとささやかな旅だ。
 日帰りでも充分な目的地ですが、そういう処に自転車時間を費やすのもまたいい。
 
 寺山修司の「書を捨て 町にでよう」をモジッテ、「書を持って 自転車で走ろう」ってことです。
 
 で、「愛となみだは どっちが高い?」・・・・人生だなぁ!

 こんな照れるような言葉を繰り返して、自分自身の生きてきた姿を見つめるのもいい。

 仕事疲れで、散文調の今日の日記です。
 もう夜中です。
 カメラは持ったし、着替えは用意したし、準備OK!

 そういえば「書を捨て 町にでよう」の自殺論の部分は面白い、一読の価値ありだ。

 寝る。
     

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2007.09.19

笑いと言葉と若さと・・・

9月19日 いまさら寺山修司、なんだな!・・・

 最近、寺山修司の本をよく読んでいます。
 1983年、43歳で敗血症で亡くなった詩人、作家です。
 私よりも、ず~っと前に生まれた人です。

 いくつか、いい詩がありますが、若さというエネルギーを感じる詩を一編。
 「ぼくが男の子だった頃」という詩の中の一編です。
 
 何にでも値段をつける古道具屋のおじさんの詩

 ぼくは訊ねる
 -ロバとピアノは
  どっちが高い?

 おじさんは答える
 -ピアノだよ

 じゃあピアノと詩集は
  どっちが高い?

 ものにもよるけど
  詩集が高いことだってあるさ

 じゃあ 詩集と春とは
  どっちが高い?

 春だよ もちろん
 季節は 超高級品だから

 じゃあ 春と愛とは
  どっちが高い?

 愛だろう
 めったに 売りには出ないけれど

 そこでぼくは 最後に訊ねる
 ぼくの一番知りたい質問

 -愛となみだは
  どっちが高い?               

 
       角川文庫「寺山修司少女詩集」より

 こんな詩を読むのもたまにはいいだろう!って思いますね。

 今日も残業でちょっと帰りが遅くなりました。
 なんとなく、無口っぽくなって、一人で暗い夜道の自転車走りというのは「癒し空間」ですね。
 べつに、ネガティブな気分でもなく、気分はフツウ・・・

 で、自宅に着くとテレビのお笑い番組が放送されていました「ベストハウス123」って番組なんですが、ロンブーの亮がバンジージャンプに挑戦するってところでした。

 高所恐怖症の私なんか、命綱のない高所作業場面は、たとえテレビ画面でもぞっとしますね。
 考えてみれば、子どもが小さかった頃、遊園地に行ってジェットコースターっていえば、ハイ、私は荷物当番専門でした。

 何を好き好んで高いところから落下の恐怖体験せにゃならんのだ!ってね。
 それで、「こういう番組は見るだけで足がすくむなぁ」って一言いいましたら。

 「じゃあ 子ども(大学生だけどね)が、どうしても一緒に飛んでほしいって言ったらどうする」って妻の吹っかけ言葉です。・・・・来ました、来ました。

 「飛びませんね」
 「じゃあ 私が飛ばなければ殺される言われたら」
 「飛びませんね」
 ・・・・ありえない想定だから、飛ぶはずがないということです。

 ついでに、言っておきましたね。
 「もしどうしても飛ばなければならない場合があるとしたら、飛ばないとお前の命がない・・・って脅された場合は、これは、即飛びます」
 
 単純なテレビ番組からの会話なんですが、ときどき、こんなふうに問答をけし掛けてきます。
 どうでもよいような会話、たぶん、私の口数が少ないからなのか、子どもの帰宅も遅くなり、話し相手がいなかったからなのか、どちらかわかりませんが・・・・

 どうでもいいような問答にも、癒すという力があるんですね。
 息子に「お父さんは私の命がかかっても、バンジージャンプやらないんだって!」と。
 息子もこういう会話に慣れたものですから 
 「・・・・・」です。

 私だって(だって!と強調)かってはジェットコースターにも喜んで乗ってたことはあります、10代の頃。
 ところが、なぜか理由もなく、ある時、「ひょっとして、もしも脱線して数十メートルのてっぺんから落下したら・・・死ぬだろうな、激痛だろうな、失神だろうな」って、本気で思ったら・・・その時から、乗れなくなりました。

 まあ、気が小さい証拠です。
 バンジージャンプは娘と妻はやってみたいと思ってるようですがね。


 金八先生「贈ることば」、そんな私の心情を察してくれていますね。

 気が小さいというのは、
 気が優しいということでもある。


 ほっ!! 

 疲れていても笑いが一番ですね・・・と本日のブログの締めです。 

 

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2007.09.18

「もの」作り

9月18日 サービス?

 残業を終えて帰宅するとポン太の散歩が待っていました。
 暗いはずの夜空にくっきりと白い雲が見て取れます。
 この「白い雲」は天候のせいではなくて、都市の発する光が白い雲を浮き立たせているのです。
 不自然な暗いはずの夜空の白い雲というわけです、不夜城のような日本の都市部なんですね。
 
 ・・・というわけで、実は二ヶ月の前に予約していた、ト○タ自動車の「エンジントラブルが発生する可能性があるので、修理します」という連絡の修理納車のために、今日は朝から時間休暇をとって車を修理工場に搬入しました。

 「サービスキャンペーン」と銘打ってありますが、サービスなのかリコールなのか不明なんです。
 「このまま乗り続けるとどうでしょう?」って聞きましたら、乗っていても差し支えないが、トラブルの可能性もあるとの返事でしたから、それを聞いたら乗り通続けるわけにはいかないでしょう、まったく。

 一昨年だったとおもいますが、同様のエンジンプログラムの書き換えって案内もありましたが、今回は部品も一部交換するというのですね。

 安心と安全に最大限の配慮をするのが、命にかかわる自動車産業の使命だとおもうのですが、一昔前に比べたら格段に性能が向上したとはいえ、「もの」作りにたいする意識が低下しているのだろうか?って思えてしまいますね。

 資本の論理は競争の原理に基づくものですから、効率化とスピードアップは会社の生き残りの術だとしても、安心と安全を忘れた「もの」つくりは、歪んだ社会を生み出すこともあります。

 もう忘れ去られようとしている「耐震構造偽造建築」によって、倒壊のおそれのある建物が平気で作られる、っていうのも「もの」作りの原点から「利益」優先に大きくゆらいだ結果です。

 産業ばかりかというとそうでもない、我が家に隣接する地域の大型スーパーに買い物に行きましたら、ものの見事に「閉鎖」されていました。

 近くには大規模なマンションも建ち並んでいるのに、日常の買い物はどうするんだろう?と他人事とはいえ心配してしまいます。

 若くて自動車などに乗れる方なら、ちょっと離れたスーパーにも行けるでしょうが、お年寄りだったら困るでしょうね。

 規制緩和ということが、何か素晴らしいかのごとく言われ、大型店舗が近郊に進出して、小さな小売店を軒並みになぎ倒して、地域の商店街も閑散とする光景が見られたと思ったら、勝手に大型ショッピングセンターが撤退してゆく・・・日本中のどこでも見られる風景になってしまいました。

 地域の商店街や小売店が地域社会の中で健全な消費生活を供給していたから、お年寄りや子どもたちも安心して買い物をすることができたのですね。

 これも商業という「ものの流通」の地域社会を「消費生活中心」から「商業利益」第一主義というのにとって変わってしまった結果なんでしょうね。

 「もの」作りというしくみが、生活する人々が潤うという観点から、企業・商業の利益にその目的がシフトし過ぎた結果がこれであると思います。

 世の中、便利になったとはいえ、道行く人は携帯電話を打ちながら歩く、自転車乗りも携帯電話を見ながら走る・・・なにを、そんなに急いで情報に接しなければならないのでしょうか。

 そこで、思い起こすのがイギリスの産業革命時の「機械打ち壊し運動」であるし、チャップリンの「モダンタイムス」における、歯車に挟まれたチャップリンの機械への挑戦です。

 文明が進化しても、その進化のスピードは人々の生活を軸にして成り立っていないから、「利益」という資本の論理によって、絶え間なく前へ前へと押し出されて、流されて行くってもんです。
 だから、文明というか文化っていうのが、必ずしも進歩しているとは限らないわけです。

 自家用車が生活の足になっている方もいますから、自動車所持制限をしろ!な~んてヤボなことは言いませんが、もうすこし自動車優先から自動車と公共交通機関、自転車、歩行者との共生は考えられてもいいんではないでしょうか。

 もう少し、地球温暖化に配慮して、都市部の光源を減らす規制をしてもいいのではないでしょうか。
 もう少し、ゆるやかな社会と産業と流通が図られてもいいのではないのでしょうか。

 情報化社会は利便性を提供してくれましたが、毎日毎時間、何十回も携帯メールをし続ける必要があるのでしょうか。

 「情報依存症」の時代ですね。

 ちょっと「メール」が入らないと、社会から人間関係から孤立してしまうのではないかと思う不安。
 人間社会の為に生み出された、さまざまな「もの」が、人間生活を不安定にさせる要因となっているならば、思い切って、余計な情報をシャットアウトするというのも・・・・いい方法かも知れませんね。

 またしても、ちょっとマジ・ブログになってしまった今日です。  

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2007.09.17

グッドエイジング(良い歳を重ねる)の日

9月15日 敬老の日です

 「いい年を重ねて生きる」ことをグッドエイジングというそうです。

 妻の祖母が今年で100歳を迎え、なにやら役所の方からお祝いをいただいたそうですが、世間と同様に「老・老介護生活」を続けてきましたが、ちょっと認知症の傾向も出始めて、在宅介護も困難になって、今では介護施設でお世話になっています。

 100歳と一口に言っても、明治40年(1907年)の生まれということで、この時代には、義務教育は6年制、普通選挙権もなく、その4年前に「日露戦争」が開戦された頃なんですね。

 それから、第一次世界大戦、太平洋戦争と二つの戦争を生き延びて現在にいたるわけですから、まさに激動の20世紀そのものを生きてきたといことです。
 しかも、家=家父長制度と男尊女卑が当たり前の時代だったから、女性が自立して生きることが普通のこととされている現代とは比較にならない・・・そんな時代が半世紀以上も続いたのですね。

 ほんの、近代史のさわりのさわりを書いたのですが、そういう時代を生きてきたお年よりの生活が、歳を重ねた結果としての現在、「幸せ」な人生であったのか?「幸せな」現在であるのか?・・・どうなんだろうと思います。

 介護保険制度になって、金持ちから貧乏人まで、その利用度によって、お金がかかるのが現在です。
 考えようによっては、老後も「金しだい」という、何か悲しいものを感じてしまいますね。

 敬老のお祝い、それはそれで喜ばしいことですが、介護が医療が必要になったときに、金持ちも貧乏人も、とにかく「お金」を心配しなくてすむような、社会にならないものだろうかと一番思いますね。

 そんなわけで、「敬老」という言葉が、なにか空々しく感じている今日です。

 高齢者人口が増加して、年金も生活も、支えるのは現役の国民、そんな高齢化社会のために、消費税を上げる必要がある!って、これ、麻生・福田次期総裁候補と言われているお二人も主張していますが・・・

 「高齢化社会のために」、3%、5%と消費税が導入され、税率アップされたときの「理由」でした、覚えています、毎度都合のいい理由にされます。

 単純に一人年間○十万円という税金が召し上げられているという計算になるし、消費税って貧乏人も金持ちも等しく納税する(させられる)しくみだから、こんなに不平等な税金は他にないです。
 ここんところが、消費税のもっとも嫌いなところですね。

 税金は金持ちはその財の社会への還元を考え、貧乏人は貧困化しないように低くする・・・自由・平等・博愛の自由と民主主義のイロハだとおもうんですがねぇ。

 いかんいかん、また理屈っぽくなってしまいましたが、話を戻すと「敬老」って言われているが、「高齢化社会、若者が高齢者を支える」な~んて言い方を聞いていると、なにやら、お年寄りは「国家財政を悪化させる元凶」とばかしに聞こえてしまうんですね、「お荷物」だって。

 たしかに、お年寄り人口が構成比としては増えますが、お年寄りから子どもまで、国家として、きちんと社会保障をする、ってのが国の政治じゃないかと。
 どれほど、先進国だ!って言われても、歳を重ねたお年寄りが大切にされる国は、非先進国にもたくさんあるはずです。
  
 昔話というか民話というか「姥捨て山」という物語があります。
 ある村では一定の年齢になった年寄りを山に捨てに行く、その日がくると、孝行息子は年老いた母親を背負い、泣く泣く山に捨てに行くのですが、背負われた母親は道々ポキン、ポキンと枝を折るんですね。

 で、息子は母親に「何故、枝を折るんですか」って聞くと「お前が帰りの夜道に迷わないように折っているんだよ」って答える。

 息子は、そんな母親を山に捨てることなどできずに、連れ帰って、家に匿うんですね。
 この話、その続きがどうなったか思いだせません、難題難問に母親が知恵を息子に与えた・・・それからの結末は忘れてしまいましたが。

 私がまだ小さい頃に読んだ話ですから、「何故、母親を捨てなければならないのか」それが解らなくて、ず~っとわからなかったのですが、村の規則、口減らし=そういう時代の「法律」だったと後に理解しました。

 言葉や名前は変わっても、現代版の「姥捨て山」はあるんですね。

 山にこそ捨てないが、生存権を危うくする「村の定め」=法律っていうのは、「消費税アップ」であり「介護保険法」であり「障害者自立支援法」であり「年金未払いと制度改定」であり・・・・巧妙に美しく飾られた「法律」のもとで、自ら命を絶った人が、ギリギリの生活を余儀なくされている人々が大勢いるんですね。

 「敬老の日」だから、ちょっと考えてみました。

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2007.09.16

気分の模様替え

9月16日 ちょっと改造、少し気分転換

 雨が降ったり、止んだりの日曜日でした。
 自転車散歩もこの天気じゃねぇ
 こういう日は、予定通りの「カ・タ・ヅ・ケ」をコツコツとおこなう日です。

 思えば、「掃除だ、片付けだ」ってよく書いているブログですから、よほど汚れきった家かよほど「片付け下手」の一家かどちらかにちがいないが、両方でしょうね。

 何故こんなにも、あちらこちらに物が散乱するのか・・・片付けないから!
 いや、最近思うのですね、「捨てられない症候群」じゃないかって。

 娘の部屋はもう着られなくなった服が捨てられずに溜まっています。
 溜まっているのに、次々と増えていく衣類は当然のごとくクローゼットから部屋にはみ出す。
 
 息子の部屋も読み終えて、もう読むこともない本が本棚からはみ出してクローゼットの中にも進出していますし。
 子どものことばかり言えない私も、古いパソコン用品や本が・・・・

 毎日々々、生活は変化し、時間と月日の流れの中で、必要なものと不要なものが蓄積されていきます。
 時として、思い切って「捨てるものを捨てる」ことも必要ですね。

 「余分なもの」を捨てることは出来ても、「余分か余分でないかわからないもの」これは捨てられないものです。
 だから、思い切って捨てるということも必要ですね。
 
 というわけで、今日は不用品の処分デーというわけです。
 不燃系の大物を大量に処分しました。

 それで、私の部屋にある、かって一世を風靡したワードプロセッサ「RUPO」や古いパソコン「WIN98系ノートPC」、関連機器も処分することにして、セッセと片付けていましたら、部屋そのものを、ちょっと模様替えしてみたくなりました。

 ゴチャゴチャと増殖し続ける「物」を収納しようと、収納用品を購入する、するとまた、その収納用品に収納できなくなって、「物」が溢れてくる・・・・永遠のイタチゴッコって状態におちいるんですね。

 一つを片付けていると、あちら、こちらと次々に手を出してしまい、この日記を書いている今は、中途半端な「物」に溢れた部屋のパソコンの前というわけです。

 連休の中日、まだ明日があるから、明日になればもう少し「シンプルな書斎?」に模様替えされていることでしょう。

 やりだすと止まらない性格が起因して、夜中であろうがなかろうが、気が済むまで突入してしまう性格が災いしているんですね。

 こんな部屋でも、ユーミンや中島みゆきの曲をBGMに流していると、妙に落ち着いてくるものです。
 こんな時間だが、もうちょっと、書斎改造に時間を費やして終えようかなぁ・・・

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2007.09.15

ポン太、動物病院に行く

9月15日 ポン太の腹の中に・・・

 どうやら愛犬ポン太の腹の中に虫が住み込んでいるらしい。
 「ウンチの中に回虫のようなものがいるみたい」と妻が言ってたので、今日は午前中に動物病院に直行でした。
 人間も病気になれば、犬も病気持ちにもなるってわけです。
 
 動物病院に行くとも知らないポン太、喜んで自動車に飛び乗ります。
 車に乗って、ちょっと開けた窓の隙間から鼻先を出して、流れる街の風の香りを嗅ぐのが大好きなんです。

 「今から動物病院に直行して、恐~い(?)ドクターに診てもらうからな、ヒィッ、ヒィッ、ヒィッ・・・」人間語がわからないことをいいことに、ちょっと意地悪を言ってみます。

 まあ、病院に着けば、四足でふんばって院内には入ろうとしないのは目に見えていますから、それまでの間は「ゆっくりと秋の街の香りを楽しむがいい、フッ、フッ、フッ」って、マルキド・サド侯爵のような私です。(笑)
 しかし、いつも行く義母宅とは道が違うのに気がついた様子のポン太、ちょっとソワソワってところです。

 動物病院っていうのは、犬、猫その他の生き物の臭いが染み付いているから、到着したら、ここが「好ましくない処」っていうのはすぐに察知しますね。

 なかなか入ろうとしない。
 四足で踏ん張って抵抗するが、ツルツルのタイルが滑るので、そのまま診察室に滑り込みでしたね。
 で、診察台に乗せるともうおとなしい。
 高いところが苦手だから、見知らぬ病院の人も恐いが、この高さも恐いっていうことです。

 おとなしく、お尻から検便させられて、「やっぱり、○○虫がいますね。便に長い虫の切れたのが出てきたんですね」
 異国言葉を聞いているようなポン太ですから、この次に何が起こるか知るわけもないです。

 「体に着いた蚤を食べて、それがお腹の中で○○虫として湧いてくるんですね」
 「蚤とり薬のフロントラインしっかりつけてやってくださいね」って。

 そういえば、このところちょっとフロントラインつけ忘れていましたから、後ろ足でカキカキ、口でカクカク蚤退治をよくしていました。
 
 昔、小学校の頃にギョウ虫検査ってのがあって、朝方検査して、肛門あたりでギョウ虫の卵が発見されると、クラスの何人かは薬を飲まされた。

 野菜栽培に人糞が肥料として使われ、青野菜などに虫の卵が付着されており、生で食べると・・・ハイ!ギョウ虫(回虫?)持ちってことになる。

 腸の中に居座って長さは何メートルもある虫の写真を見たことがあります・・・・そんな時代を経験している世代は戦後生まれの世代。
 もう、今日は衛生面もしっかりしているので、こんなギョウ虫にギョ!(駄じゃれです)なんてこともないですね。

 そんな、昔の不衛生な生活と同じようなことが、犬の世界にはまだ残っているということです。

 さて、一通り検査と結果がでて、ここからが、人間様も嫌いな・・・・駐車じゃなくて注射です。

 「しっかり首を押さえてくださいね!」
 肩越しに注射針が刺されました、途端に

 「ギャオウンギャウン」暴れはしませんでしたが大鳴きしました。
 久しぶりの悲鳴のような鳴き声に、驚いたのは飼い主のほうです。
 「そんなに痛い注射じゃありませんからね」って看護士さん。

 「あのねぇ、注射ってのは人間でも痛いもんですよ、痛いもの」って注射嫌いの私は心の中では思いましたがね。

 「よしよし、大丈夫だからな、よしよし・・・」な~んて言ってもポン太には異人の言葉ですからね、注射の跡をもんでやってたらちょっと落ち着きを取り戻しました。

 治療費を払って診察台から抱き降ろしてやると、一目散で車に飛び乗る・・・
 ちょうど、他の犬が来たところでしたが、「わき目もふらない」ってこういうことです。

 そんなわけで、無事診察治療は終了、心もち今日は一日静かにしているポン太です。

 フッ、フッ、フッ・・・実は来週も、また診察と注射が待っているのだ!ってサド侯爵のつぶやき(笑) 
 なんてこと、知りもしないポン太がのんびりと玄関で寝そべっています。
 

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2007.09.14

プロ野球「中日×阪神」私的解説

9月14日 直球勝負の醍醐味・・・プロだなぁ!

 今日から中日×阪神の3連戦、ペナントを決める天王山に間違いありません。

 どちらかが、いや1.5ゲーム差ですから、中日がもし、万が一3連敗すれば、優勝の目はぐ~んと低くなるということですね。
 だから、初戦の今日は是が非でも勝ちたい!、ってことはスポーツ新聞にも書いてありますね・・・

 8回表、中日の主砲ウッズ選手のホームランで1点勝ち越しましたから、好投の久本投手の後のセットアッパー岡本投手から岩瀬投手へと勝利の方程式だ・・・ふむ、これもスポーツ新聞の慣用用語ですね。

 しかし、岡本投手がつかまって、金本選手に左中間にうまく落とされてタイムリーヒットで同点にされちゃいました。

 阪神、藤川投手がまだ控えていますからね~
 負けられない試合は攻めるという鉄則。
 9回から只今セーブ王の藤川投手が登板します。

 なかなか、打てないピッチャーだから、ちょっと当たってない竜打線には、藤川の「フ」と聞いて嫌~な雰囲気になるものです。
 9回表、代打の職人立浪選手の三遊間ヒットを足がかりに、2死2・3塁・・・ウッズ選手の登場です。

 ここからが、これがプロ野球!といえる醍醐味のある勝負でしたね。
 藤川投手は150キロを越えるストレート勝負にでました。
 ウッズ選手に対して、全てストレート勝負です。
 バットと球の一瞬のぶつかりあい勝負です。

 思いましたね、変化球を投げれば、おそらく三振を取れたでしょう。
 しかし、それでも速球を投げ込んだ藤川投手です。

 結果的にはセンター前にタイムリーヒットを打たれて、この日の勝負は決まりましたが、このストレート勝負に、プロ野球の醍醐味と凄みの瞬間がありましたね。
 もし、速球勝負でウッズ選手を三振に仕留めれば、藤川投手の「凄みと価値」はさらに増します。

 セリーグを代表するクローザーの一人、藤川投手です。
 ストレートで真っ向勝負しなければ、仮に変化球で打ち取っても、彼の価値は「そうか打ち取ったか」で終わります。

 だから、ストレート勝負しか選択の余地はなかったし、ウッズ選手に対して、直球とわかっていても、投げられる投手は、そんなにいないということなんですね。
 ここに、プロのピッチャーの凄みがあります、勝敗を意識した上で、投げるストレート勝負球なのですね。

 藤川投手というのは、「たいしたピッチャーだ!」、度胸というだけではなくて、何がプロ野球ファンを喜ばせ、何が投手藤川の価値を高めるのか・・・よく解っているピッチャーだと関心しましたね。

 打ったウッズ選手よりも打たれた藤川投手のほうが「大物」だと、野球を見ていたファンは思ったでしょうね。
 ですから、広島が大量リードを守れずに巨人に同点にされ、延長戦になってどんな結果が出ても(広島、サヨナラ負けしたようですが)他球団の動向なんて問題ではない、いや、この中日×阪神の結果も、藤川VSウッズのストレート勝負対決の醍醐味からみると、どうでも良くなってしまうものです。

 プロの選手というのは、そんな凡人の勝敗を越えた「勝負」という世界で生きているのだと、惚れ惚れする内容でしたね。
 まあ、本日の天王山は中日がウッズ選手の活躍で初戦をものにしたが、こういう試合をしている限り、プロ野球は安泰ですね。

 というわけで、明日から三連休に突入します。
 「三連休もあるのだけれど、どうしよう・・・」って妻に言いますと。
 「片付け、片付け、片付け」って、ストレートで真っ向勝負の返事です。

 迫力ある「片付け三連投」のようだから、クリーンヒットを打つのも、こりゃぁ難しそうです(笑)
   

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2007.09.13

卓球が上手くなる方法?

9月13日 卓球練習日

 今日は職場の卓球練習日でありました。

 考えてみればもう何十年と「卓球」をやっているのですが、実力は下り坂を転げ落ちるようなものです。

 ただ、「昔とった杵柄」のようなもので、学生時代にスパルタしごきに耐え抜いた経歴が蓄積されていて、それが不思議とこの歳になっても生きているというわけです。

 でも、かってライバルのような仲間たちに比べると、格段に腕は落ち、口の数でしか勝てない(笑)

 運動の身体能力はけっして高くない自分ですが、野球の球より、サッカーより、バレーボールより、ゴルフより・・・あらゆる球技の中で最も軽い球というのが、ピンポン球というわけです。
 この軽さがパワー不足の身体的特徴をカバーしているのじゃないか、ってそう思える最近ですね。
 
 ラケットも軽い、球も軽い、コート(卓球台)も狭い、とあらゆる点で技巧的にできているのが卓球のような気がするんですね。
 もちろん、パワー卓球というスピードとパワーを生かした現代の卓球はスゴイと思うのですが、それとは違った、職場の街の卓球というかピンポンというか、このスポーツは誰でも、ある程度の上達が可能になるスポーツだと思うのです。

 40歳からはじめても、50歳から、60歳から・・・と、年齢に応じた卓球、「球技」の上達が見られるのも卓球というスポーツの特徴なんではないかと思いますね。
 それで、どうしたら上手くなれるのか?って思うのですが、これは、スポーツに共通した練習量とコーチの技量、そしてスポーツする人の知・体・徳の三拍子。

 技術も大切だし、体力作りも大切だし、なによりも心がもっと大切だと思いますね。
 個人競技でありながら、相手があり、チームという組織があって初めて成り立つスポーツです。

 上手くなるというのは、楽しくスポーツすることと同義語だと最近思っています。
 楽しくスポーツできるのは「勝ったとき」な~んてのは、まだまだですね。
 「負けたとき」の悔しさという楽しみ方、見知らぬ強敵と対戦できた喜び、一進一退の攻防・・・・
 そういう練習の、あるいは試合のいろいろな局面を楽しめるようになってこそのスポーツですね。

 スポーツは肉体の勝負でもあると同時に思考の勝負でもありますね。
 プロレスラーは単に肉体の強靭さを試合で見せているだけと思ったら大間違いで、試合運び、技の出しどころ、技の受けどころ、観客の雰囲気と流れなど、あらゆる局面を考えて、試合を運んでいるものです。

 上手い選手というのは、そういう「場」の空気を読み取って、勝機をつかむものですね。

 卓球というスポーツは技術と体力を基本としていますが、とてもメンタルなスポーツだと思うのですね。
 このメンタルという部分が大きい。考える力、思考する力といえるのでしょうか!
 たとえ、職場卓球でも街の卓球クラブでもそう思いますね。

 卓球上達法な~んていうのは無いに等しいですね。
 あるとしたら「練習」というスポーツに共通する方法ですが、楽しく持続することが「生涯スポーツ」といわれる卓球の上達法の肝心かなめなのかも知れませんね。

 もう少しゆとりがあったら、もっと楽しい卓球が出来るのだがな~

 本日の「金八先生 贈ることば」、核心をついていますね。

 どんな状況の中でも、自分の頭で考え
 自分から動き、活路を切り開いていける子を
 今こそ育て上げる時代だとは思わないか。
 
      
 安倍総理大臣の辞任のニュースが流れ、与党に投票した人も野党に投票した人もみな一斉に「総評論家」になって「参議院選挙後に辞めるべきだった」「所詮、おぼっちゃん政治家だからな」「次は○○だろうな」・・・・
 いろいろな、意見が出されて、それはそれで言論の自由だし、国民が政治を云々するのは大賛成です。
 ・・・が、それが流行り言葉のように右から左へと抜け去って、数週間もすると、外国に自衛隊が派遣されている事実や郵政民営化で地域によっては郵便局がなくなること、所得格差が拡大し、社会的弱者が切り捨てられていってること・・・・・・すっかり忘れ去られてしまうのも自分の頭で考えないってことと同じことでしょうね。
  

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2007.09.12

メンテナンス

9月12日 自転車のボルト(ネジ)が吹っ飛んだ話

 昨日は久しぶりに大雨に降られての帰宅となりました。
 予想は想定の範疇内でしたから、レインコートはしっかり準備していましたね。
 ちょっと、疲れがピークにきていたので、こういう雨の日こそ「寄り道喫茶」もいいもんだ。

 ・・・ってわけで、喫茶店に入ったわけだが、傘立てはあってもコート掛けなんてないのが普通です。
 ビショ濡れの客は歓迎されないのも常識、そこは高価で軽量のレインコートの威力発揮というわけで、パンパンとはたけば、雫もはじけるってわけさ・・・

 大きなガラス窓から、雨の夕闇を眺めながら、珈琲を飲むひと時も疲れを癒してくれます。

 で、・・・ここまでは、予定通りの帰宅風景です。
 ゆったりと走る自転車の速度っていうのは、だいたい時速10キロほどです。
 これくらいならば雨天時にも安全安心・・・♪ラララララン
 雨の日の自転車も、走り方によっては楽しいひと時なんですね。

 が、次の瞬間「パキン・・・ガクン」
 「まあなんということなんでしょう?匠によって作られた自転車が壊れてしまい、大きく変貌したではありませんか!」(ビフォー・アフターのナレーションふうに)
 ルイガノのシートポストに固定されているサドルがガクガクになってしまいました。
 固定するボルトのネジが折れて吹っ飛んでしまったという訳なんです。

 「直径8ミリもあるボルトが折れる」って、シンジラレナ~イデース~、恐る恐るさらにゆっくりと帰宅しましたわさ

 ふう~ やっと本日の日記にたどりついた。
 体の疲労も自転車も、ちょっとメンテナンスが必要でしたので、今日は昼寝と自転車修理のために休暇をとりました。
 もう秋だというのに「夏季休暇」という矛盾した休暇制度ですが、勤労者は休めるならば理屈は問わないってわけです。

 しかし、水曜日というのはスポーツ自転車専門店が軒並みに休業日なんですね。
 業界で休業日が決まっているのでしょうかね。
 しかたがないので、ホームセンターでボルトを購入しましたが、ルイガノには合わない、元来が外国製の自転車、おまけにスポーツ車だから、合わないに決まっているんですね。

 そこは応急処置ということで、やむを得ずホームセンターで買ったボルトでなんとか修理は終えたものの、やっぱりきちんとは収まらないので、専門店で・・・取り寄せになるだろうなぁ

 サドルのないルイガノ【写真】 ・・・立ち乗りでこぐしかありません・・・って、そりゃあ無理だわい。
 疲れたらお尻にシートポストが刺さってしまうわいな(笑)

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虹の色

9月10日 虹がでていた

 一昨日の日記を今日書いています。
 夕方、久しぶりの職場の卓球クラブの「飲み会」でした。
 で、会場に向かう途中に「あれ!虹がでている」って・・・
 虹は七色と決まっているから本当に七色あるんだろうかと数えてみましたが五色までしか解らない。
 望遠のレンズならば、しっかりと撮れただろうかね。
 うす曇りの空でしたから、こんなもんでしょう。

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2007.09.10

乗鞍高原を走る!走る!

9月9日 乗鞍高原サイクリング日記

 今日は10日、毎月10日は交通安全の日です。
 出勤時間帯には黄色い帽子のおじさんやタスキ掛けのおばさんが交差点に立ちます。
 交通事故をなくす運動の一環ですが、小学生の集団登校の安全を願って、大変な苦労でしょう。

 というわけで、本日は昨日、日曜日に行った「乗鞍高原サイクリング」の話です。
 一日遅れの記事ですが、疲労困ぱい、惰眠の寸前、爆睡の寸前なので、一気書きといきます。

 長野県の雄大な自然に囲まれた高原を自転車に乗ってゆったりポタリング。
 乗鞍岳の中腹にある「乗鞍高原」は標高1500メートルはあるとおもわれますが、こんな高原のサイクリングは日常では味わえない非日常ということです。 
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 それで、乗鞍高原といえば名古屋から200キロ近くはあるので、往復ならば400キロほどです。
 この400キロは、たった20キロそこそこの自転車サイクリングのために費やした距離なので、よほどドライブが大好き、車が大好き人間は別としたら、たった20キロの自転車乗りのために20倍ちかくもの距離を自転車を積んだ自動車で移動をするというわけですから、これは、まったく理にかなってないのですね。

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 理にかなわないことに時間を費やし、それでも、自転車サイクリングが楽しいっていうのは、ごく普通の感覚からすれば「オタクの世界」というものです。
 
 オタク・非日常・好きもの・はみだし者・・・いろいろと言い方はあるが、ちょっと世間様とは違う行動様式ってことですね。
 まあ、それでも、その20キロ弱ほどの道程が、白樺とススキと秋空の自然空間を自転車で走らせる快感ですから、何ものにも代えがたいというのも心理です。

 蛇行と休憩ばかりの昇り坂の向こうに、爽快な下り坂が待っているという思いが、辛く苦しい昇り坂を越えさせるというものです。
 いつまでも、いつまでも、この道が下り坂ばかりならば、きっとひと時の快感であっても心は満たされない。
 平たんな道があり、辛く苦しい昇り坂があて、やがてやって来る下り坂・・・それがいい。

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 ・・・白樺の木立に続くサイクリングロード、上高地乗鞍スーパー林道は緩やかなようであってもキツイ。
 そういえば、この乗鞍高原から乗鞍岳山頂を目指す、乗鞍ロードレースがあるという。
 昇り坂の連続、坂・坂・坂ばかりの苦行のようばコースだと聞いたが、それでも、沿道からの声援に「勇気と元気がもらえる」そうです。
 快感脳内物質を大量に放出してランニング・ハイの麻痺状態がここち良いのでしょうね。 

 こういうロードレースの出られたら最高なんでしょうが、体力は続かないだろうなぁ・・・
 それにしても、眠さ百倍、上と下の瞼がくっつきそうです。
  

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2007.09.08

ふるさと全国県人会まつり

9月8日 下駄を買おうと思ってみたが・・・

 「ちょっくら、下駄でも見てくるわ~、大分の日田市が有名らしいから」
 「あるかしら?安いのがあったら2足ぶんね~」
 ってなわけで、名古屋市中区栄で開催されていた「ふるさと全国県人会まつり」を見に行ってきたってわけ。
 遠く故郷から、この名古屋の地に移り暮らしている方々にとっては懐かしさがこみ上げる企画です。
 私も生まれたのが長野県ですから、こういう催しでは「信州」という言葉が心を動かしますね。

 こんなステージの光景

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 「もちの木広場」には所狭しとテントが並び、お国自慢のキャラクターや産地名品も数は少ないがありましたね。
 南信州「駒ケ根」のパンフレットをもったPRのお嬢さんが笑顔で説明してみえました。
 駒ケ岳の千畳敷カールから見下ろす雲海とお花畑は最高に美しい、このお嬢さんのように・・・というわけで、「写真撮ってもいいですか?」ってお聞きしましたら、笑顔のポーズをしてくれました・・・やっぱ長野は信州美人です。

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 いつも気の置けない仲間たちの「宴会」というと、女子大小路にある「山形の郷土料理」の美味しい店「山形」。
 実はこの催しの開催を教えていただいたのもこのお店のお姉さんでした。
 「花笠音頭を踊るんだわね」って聞いていたのでサブステージに行きましたら、ドンピシャで踊りを見ることが出来ました。
 東北の郷里から、皆さん名古屋の地にいらっしゃって、それで、とても故郷「山形」を愛している、そんな思いが伝わってくるものです。

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 もう一枚、秋田県の正月には欠かせない「なまはげ」姿も・・・
 皆さん記念写真を撮ってみえましたから、便乗して私も一枚カシャリ。
 夏のシーズンに2回ほど行った東北の旅、東北地方っていうのは四季折々の見どころ満載ですから、これからの秋の紅葉シーズンもいいだろうなぁ・・・東北地方って、何故か魅力が多い地方です。
 で、「なまはげ」のアップです、迫力のある顔で「悪い子はおらんかな~」って言われたら、幼児は間違いなく泣き出すでしょうね。
 
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 大分県は「一村一品」町おこしの元祖だと、ブログ友達の「小さな幸せ」さんに教えていただきました。
 それに日田市は「名産の下駄」も有名だとも教えていただきましたので、大分のテントを探しましたね。
 ありました。「元祖 一村一品」大分県って大書された文字が主張があってちょっと良いです。
 ・・・が、お目当ての日田市の下駄はありませんでしたね。残念!
 そのかわり、「天領の水」の試飲をさせていただきました。
 うん、まろやかです。
 水が美味しいというのは、山河のバランスがいいということですから住みやすい町なんでしょうね。

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 名古屋の木曽川から取り込む水道水も、けっこう美味しいです。バランスの悪い都会のわりにはねぇ~
 他の土地に行って、そこに住んで、こういうイベントがあったら、こんどは「愛知・名古屋」って文字に、郷愁を感じるものなんでしょうね。

 しかしな~ 下駄が・・・ 


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2007.09.07

記事にならない記事

9月7日 飼い犬に噛まれるって・・・

 久しぶりに会う友人宅に寄って自転車帰宅しました。
 暗い歩道は、ライトを点けていても段差ありポールありで危なくてかないません。
 で、その友人が「やっぱり○○さん痩せたね」って。
 ダイエッターではないから、せっかくなら「ポッコリ腹が凹んだネ」と言って欲しかったなぁ(笑)

 帰宅しましたら、どうもおばあさん(義母)が親戚の犬に噛まれたという話でした。
 もともと、餌を食べているときは、人格ではなくて犬格が豹変することがしばしばだったから気をつけていたが、ついうっかり手を出してガブリと噛まれたそうでした。
 ノラ犬でも飼い犬でも、猫も同じですが、雑菌をもっている可能性があるから、破傷風にもなりかねません。
 さっそく、医者に診てもらい化膿止めの薬をもらったということでした。

 犬が人間を噛んでもニュースにならないが、人間が犬を噛めば大ニュースです。
 生き物の性格によるものか、それとも育て方によるものか解りませんが、我が家のポン太は何をしても噛みません。
 餌の途中で取り上げても、ぼ~っとしている、これって飼い主に、というか、私に似てるなぁ

 甘噛みという、犬のコミュニケーション法は時々します。
 けっして強く噛まなくて、いわば噛んだふりをしてジャレるという遊びですね。
 
 今日も玄関でのっそりと寝ています。
 「邪魔だぞ~」って言っても知らぬ存ぜぬを決め込んでいます。
 愛嬌のある犬ってのも可愛いものだが、のっそりと我が道を行くっていう姿も可愛いものです。

 ブログ記事にするために、試しに犬の耳を噛んでやった(甘噛み)が知らん顔です。
 ちょっとは嫌がる素振りを見せろよ!ってんで、口の中に指を突っ込んで見たが「ふん」ってな態度。
 気性が激しいわけでもなく、無駄吠えもしないし、散歩が遅くなってもじっと我慢しています。

 「すぐ切れる」人間と違って、「切れない」「忍耐強い」穏やかな犬ですね。
 幼犬のころは、それでも遊び足らないせいか、よく靴や草履などを食いちぎってくれたり、柱もかじったり・・・
 そんな犬も歳をとって、穏やかになる。

 人間も歳を重ねてまるくなる、ど~んと構えて、ゆらぎながら倒れない・・・そんな人間になりたいものだと思うと、おお、我が家のポン太は理想的な成長をしているではないか!って見えてくるのですね。

 人も動物も育ち成長する過程は同じですね。
  
 
 

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ニアミス天気予報

8月6日 台風の進路、名古屋とはニアミス、でも風が・・・

 ニアミスって「航空機同士の異常接近」「至近弾・目標をわずかにはずした砲爆撃」なんていう辞書用語の説明ですが、「ニア=近い」と「ミス=失敗」が組み合わされて「限りなく失敗に近いこと」というわけです。
 
 朝、出掛けに恒例の「今日の天気はどう?」って妻に聞きましたら
 「雨のち曇りだって・・・」
 朝方は曇っていましたから自転車でGO!
 台風が近づいているわけですから、日中にはポツ・ポツと降りだしたりしていましたがねェ
 
 職場の皆さんの話では、もっぱら今日の天気は「曇りのち雨」というのが公式見解(職場の)
 そこは、カミさん天気予報士の言葉を限りなく信頼している(・・・というか、単に天気予報ニュースを見なかっただけなのですが)私ですから、「今日は雨のち曇りのはず・・・って聞いている」と強弁です。
 
 まあ、しかし台風が接近してるし、降雨確率も午前50%午後60%ですしねぇ、どうみても分が悪い。
 帰宅時間には雨が降り出して、自転車は駐輪場に宿泊せねばならないか・・・と心に思いつつ、
 「いやぁ、今日は雨のち曇りだから大丈夫・・・ってカミさんが、カミさんが言ってたから」
 職場の呆れ顔をよそに、妻を信頼する、実に素晴らしい夫ではありませんか、って。(笑)

 しかし、ニアミスってこともあるし、「雨ときどき曇り」だったのを妻が聞き間違えた可能性もありますし、これは「ミス」そのものですが。
 終業にあわせて、雨がまだ降り始めていないのを確認しまして、すっ飛んで自転車帰宅しました。
 自宅の目前でポツリ・ポツリ降り始めました。
 おお、ニアミス天気予報だ!

 なんていう話は日記ネタには最高です。
 で、もっとニアミスとなったのは仕事で訪問先に出かけましたが、所在地のビルの階をちょっと間違えて覚えていたところからでした。

 目的の階と思って訪れた入り口から、な・ななんと、恐そ~なお兄さん方が出ていらっしゃったではありませんか(ん、何で丁寧語なんだろう?)、最初は土建業のおっさんか?とも思ったので、部屋の中を覗こうとしましたら、「なんだこいつは!」って四川じゃなくて視線に「あれ、階まちがえたか、○○○事務所か!」

 階をひとつ間違えて、とんだニアミスってところでしたね。
 同行して路上で車を停車していた同僚が「黒服の若い衆が最敬礼してた・・・」って話でした。

 「知らぬが仏・・・」ってことかな、間違えて部屋に入って「こんにちは~」なんて言ってたりして。

 本日のニアミス話をふたつほど書いていると、北側の少し開けた窓から強い風がブラインドウをガサガサ揺らしています。

 妻に「あれ、今日って雨のち曇りだったよね~」って聞きましたら、「たしかにニュースではそう言ってたから、おかしいかな?とも思ってたけどね・・・」だって。 

 やれやれ・・・・。
  
 
 
 

 

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2007.09.05

♪あれ○ムシが鳴いている・・

9月5日 虫の音に秋を想う夜中かな

 「お父さん、寝ちゃってダメじゃない、起きない・・・」と
 うたた寝をしてしまい娘に起こされてしまいました。

 またしても、親の権威っていうものが磨り減っていく今日この頃というわけです。
 まあ、親の権威なんて、たかが知れているし、子どもはそうやって、親の「偉くない姿」を少しずつ感じ、少しずつ親を乗り越えて自立に向かって行くということでしょうか。
 
 そっと、戸外に出ると虫の音が聞こえてくる・・・秋ですね。
 マツムシ・スズムシ・コウロギと、虫の音の正体は誰だろうか?

 ・・・てな、風情を感じる余裕もなく、本日は午後から印刷機と格闘する肉体労働者でした。
 たち続ける仕事は足に来る、自転車で鍛えているはずだが、歳には勝てないな~って実感ですね。
 いや、毎日肉体を駆使して頑張っている労働者の方に比べれば「甘い」か・・・

 久しぶり(でもないな!)に職場、怒声が飛んでいました。
 怒鳴る、威嚇する、威力を見せつける、こうした言葉による威圧感でもって相手をねじ伏せるという方法はいろいろな世界にも多いこと。

 客商売であれば、嫌味や文句などのクレーマーは必ずいるものだから、そういった輩との掛け合いは必至ですね。
 本日の「怒声」の主は、はたで聞いていた限りでは、「日頃の不満を怒声でウップン晴らししよう」というのが本音の人らしい。
 相手をさせられる側は気分はよくないが、こんなのは「可愛いもん」の部類かも知れませんね。

 言葉というものは暴力になるし、凶器にもなるが、日本という国は「言葉の暴力」に対しては非常に曖昧な国だと思うのですがね。

 社会の矛盾が広がって、「いじめ」の構造が見えてきたような気がします。

 職場の組織でも、いっこうに業績の上がらない事態に、上司が中間管理職をいじめる、いじめられた中間管理職はその「行き場のないストレス」を部下を叱責するという名目で、いじめる。
 それで、部下は同僚の中の比較的、上手く出来ない村八分的な四面楚歌の同僚を探し出していじめる。
 パワーハラスメントの構造ですね。

 いじめられた同僚は家庭に帰って、妻がしっかりと家事や子育てをしていない!と怒る。
 妻もこの腹立たしい夫からの攻撃を、しつけと称して子どもに向ける、子どもは口うるさくうんざりした家庭のウップンを学校で弱い者いじめとして行う・・・

 まあ、こういう社会全体が「弱い者いじめ」の構造を形成しているんではないかと、それで、そういう社会ではスケープゴートを必要とするから、つまり「生贄(いけにえ)」に誰かがされる。
 
 格差社会というものの本質は「弱い者いじめ」を基盤にしてなりたっている。
 「いじめ」なんていうのが、子ども達の学校での出来事なんだ、なんて思っていたら大間違いないんですね。

 対話とコミュニケーションによる人間関係が崩壊しはじめている。
 国会議員の相次ぐ、不正問題なんか、己の利益のためなら、人にさえ知られなければ何でもありっていうことで、民主主義も政治ロマンも国民のためにってのも、まったく感じられないからなげかわしい。
 議員という「自営業者」が税金という収入をいかにあげるか競っているようにも見える。

 怒声・・・親の言葉の暴力にさらされて育った子は、それが人を脅す有効な力だと思い込んでいるし、家庭内の暴力が常態だった子どもは、おとなになっても、暴力による人の支配が可能だと思い込んでしまう。

 生育歴、家庭環境はとても大切なものだと痛感する本日ですね~。
 秋の夜の日本的情緒を書いてみようかと思っていたが、ちがった日記になっちまったな。    

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2007.09.04

即席ラーメンの話

9月4日 トノサマラーメンを知ってる世代・・・

 プロ野球セ・リーグの天王山といわれている中日×巨人戦・・・まず中日先手の一勝です。
 しかし、今年から行われるクライマックス・シリーズっていうのはどうもなじめないですね。
 年間勝率第1位のチームがセ・リーグの覇者として日本シリーズにのぞめば充分なのに・・・

 と言いつつ、ブログのネタも今ひとつリズムが悪いから、気合もいまひとつ。
 
 どこの家庭(庶民と言い換えた方がよいのかな)にも即席めんの一つや二つは常備されているでしょうね。
 9月は防災の日もあり、いざという時の保存食には手頃です。

 我が家にも「○清」のチキンラーメンや「出前一丁」、「即席焼きそば麺」などが買い置きされてあります。
 スーパーで「♪保存食~」って買うのは私なんですが、保存食のはずが、あれれという間に無くなっている。
 たまに食べる「即席めん」というのは、美味いものです。
 添加物とかいろいろ問題もありそうな気もしますが、ちょっと軽く腹に入れるには手頃です。

 日本初の「即席めん」といえば「チキンラーメン」
 「♪すぐ美味しい、すごく美味しい~」な~んていうCMやカップヌードルの宣伝CMも毎日必ず目にするCMです。

 ところで、私が初めて食べた「即席めん」っていうと「トノサマラーメン」という名前を思い起こします。
 愛知県春日井市にあった松永食品という会社の製品で、当時はチキンラーメンのほうがメジャーで、この「トノサマラーメン」っていうのは、地域限定の商品で値段も安かったのですね。

 裕福でなかった私の家では、一斗缶に何十個も入った「トノサマラーメン」がクラブ活動を終えて帰宅した中学生の私の空腹を満たしてくれたものです。

 味・・・チキンラーメンと遜色なかったような気がしますが、この松永食品は「安売り価格」を販売戦略にしていたが、その後倒産したようです。
 それに、何よりもこの地方のローカル即席めんでしたから全国区までには至らなかった?

 戦後の高度経済成長期といわれる、スピード社会にあって、手頃に食べられる「即席めん」は時代の産物だったのかも知れません。

 最近では即席めんも高級志向品も出てきて、レトルトパックに入った具と生めんに近い食感のものが売られていたりします。

 そんな中では「チキンラーメン」はとてもシンプルな即席ラーメンですが、チキンというから鶏がらスープなんでしょうね。
 鶏肉嫌いの私ですが、この「チキンラーメン」は食べられますね。
 そして、この即席めんが売られてから、来年で60周年になるそうですから歴史を感じますね。
 団塊の世代以降の日本人の「食文化」の一つとさえなっているんでしょうね。
 
 そして、それは「セレブな食生活」とは無縁な「庶民」の食文化として定着して現在に至るのです。
 
 ファーストフード店も今や手頃で簡単な「食生活品」として、若者をはじめ多くの人に「食事」として定着している日本ですが、元々はアメリカのスラム社会の食救済の一つだった、低所得層の低価格な食文化(?)として、政策的に持ち込まれたといわれています。

 まあ、日本では若者が手頃に食べられる「食」として、いや最近ではおじさんおばさんもファーストフード店で「食事」っていうのが不思議でもなくなったですね。

 「即席めん」っていうのも、実は高度経済成長期という60年代以降の、共働き低所得者層への政策的「食文化」だったのではないだろうか、な~んて思っているのですね。

 そういえば、かって生活にこまっている家庭を訪問したおり、生活費が入るまでの一週間を「インスタントラーメンで過ごすんだ」って言ってた方もいました。

 塩分と脂肪分が多く、けっしてバランスのよい食品とはいえない「即席めん」、野菜や卵やハムなどを乗せて作ればまだましなのですが、それでも、やっぱり「安価で安易な食品」であることは間違いない。

 日本の食文化そのものが、時代の変遷の中で二極化の方向に分岐しはじめているのでしょうかね?
 たまに食べる「即席めん」は美味しいのですが・・・・  

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2007.09.03

鶏の三歩に猫の三日・・・?

9月3日 秋だ!秋だ!秋だ!

 秋だ!って思いましたね。
 何故かって言いますと、田のまだ青い稲に実がつき始めたのです。
 朝夕の風も、秋だ!って、爽快な自転車通勤日和ですから。

 そんな秋を迎えたのに、仕事は益々増える傾向にあります。
 忙しいちゅうことです。
 それで、あんまり、あれやこれやと絡まった糸のような仕事が続くと、忘れっぽくなるんですね。
 「・・・ぽくなる」ならば、まだマシということですが、完全に失念してしまうから困ったもんです。
 
 「鶏頭仲間」という言葉が職場で聞かれます。
 何のことなんやろ?と思っていましたが、先日、解説していただきました。
 鶏は三歩も歩けば忘れてしまう、つまり忘れっぽい人のことを指しているんだと。
 で、ついでに「鶏の三歩に猫の三秒」とも聞きました。
 鶏も猫も脳みそが小さく、神経が細いから、どちらも、物事の途中で忘れてしまうことなのか?

 ・・・と思いまして、「鶏は三歩も歩けば忘れてしまう」とか「猫は三秒もすれば忘れてしまう」っていうのを「ことわざ辞典」で調べましたが、載っていません。
 「鶏は三歩も歩けば・・・・」っていうのはインターネットで検索するとありますし、「鳥頭」っていうのも出てきます。
 じゃぁ「猫」はというと「猫は三秒・・・」なんていうのは、探せども無いんですね。
 「猫の額ほどの」っていういいまわしがあるほどだから、あの小さな頭のなかの脳みそは、たしかに犬よりも確実に小さい、三秒で忘れてもおかしくない容量ですが・・・

 「猫は三年飼っても三日で忘れる」っていうのがありました。
 これは「犬は三日飼っても三年覚えている」っていうのとの対比で使われるんです。
 忘れっぽさというよりも、犬は飼い主への恩情が深く、猫はまったくの薄情もの(?)だという例えですが。
 恩をすぐ忘れるという、忘れっぽいという点では同じことかな。

 鶏も犬も猫もほんとうのところはどうなんでしょうね。
 公園の鳩などたしかにパンくずをつついて、また別の地面をつつく、パンの存在をすぐ忘れているところを見ると、さもあらんってことか。

 犬はどうか、犬は人につくというから、忠犬「ハチ公」のように主人を待つ銅像にまでなる。
 猫は家につくといわれ、いつまでも主人がいなくなった空き家にも居ついてしまうというが・・・

 我が家のポン太は家にも人にもついて、おまけにいつも「寝つい」てばかり(笑)

 忘れることは良いことだと思っています。
 特に、失敗や都合の悪いことは、できるだけ迅速に「忘れる」ことが望ましいとおもうんですね。
 人生、失敗や都合の悪いことのほうが、成功やラッキーな事より間違いなく多いから。
 そういう都合の悪いことは忘れてしまえばいい。

 人間、失敗は成功の元とか、七転び八起きって言葉もあるし、忘却こそ最大の美徳なりってことです。
 ただ、失敗した原因と対処だけはきっちりやっておいて、それから忘れる!・・・・これですね。

 ・・・で思うのは、アホな管理職は「原因と対処には無能力」で「結果だけには異常にこだわる」、だからこそ、そういう職場の対処法は「忘れっぽくなること」これが最善策というものですね。
 考えすぎないというやつですが、考えないと思うと考える・・・これも正直な心ですがね。

 しかし、鶏の三歩に猫の三日、そして犬の恩情・・・動物諸君!お主らなかなかやるじゃないか。
 動物達もなかなかの処世術に長けているなと思う本日のブログです。

 

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2007.09.02

犬の暮らし

9月2日 犬と人間の距離感の話

 日曜日、ちょっと曇り空。
 9月の下旬に一泊サイクリングをすることとなったので「渥美半島サイクリングコース」か「蒲郡サイクリングコース」のどちらかに行こうかなと思っている。
 「一般道を走らない全コースがサイクリングロードがいい」という妻・・・
 そんなに整備された100%のサイクリングロードなんかありはしないんだがな~。
 要求の高さは世界陸上リレーで完全勝利した米国チームよりも難しいってもんだ(笑)

 で、そんな妻とホームセンターに行った帰り道、「アニマル・セレモニーホール」なる動物斎場がオープンしていました。
 動物も命に限りがあるから、動物専門の斎場も出来る時代なんですね。
 葬儀から出棺・火葬まで会員制でやってくれるのでしょうね。

 お年寄りの一人暮らしの方が犬や猫を飼うことが多くなってきています。
 ある種のアニマル・セラピーとして、孤独な生活に活気をあたえてくれるものです。
 本来は地域や友人や身内が、お年寄りの「心のケアー」をするべきものですが、中途半端な介護保険と地域福祉というものが、「お年寄りの孤独感」を本当はどれほど癒しているのだろうかとも思うのですね。

 何かわかりませんが、どこかが少し違っている・・・そんな気がするのですが。
 それに比べれば、ペット禁止の公営住宅でも、室内で犬や猫を飼っている家庭も多い。
 規則では禁止ですが、犬や猫などの身内同然のペットが、一人暮らしのお年寄りの「話し相手」になっているのが現状だから。
 異論はあるでしょうが、あえて規則を破っても、ペットを世話し可愛がり一緒に暮らすという気持ちもわからないでもない。

 我が家の愛犬も、生まれて3カ月で親犬と離され我が家の一員となったのだが、それ以来、家族同然の生活になっています。
 親犬の記憶もないでしょうから、我が家の人間が「親犬」代わりなんでしょう。
 もちろん、室内犬ではないので、玄関が棲家というわけです。
 ところが、先日の突然の豪雨と雷鳴にすっかり怯えてしまって、このところは玄関から上がったフローリングで横になっていることが多いのですね。

 少しでも、家族の人間と近くに居たいという心情なんでしょうね。
 それで、玄関のあがりはなに犬用の居場所をつくりましたが、時々「ウッ、ウッ・・・」って寝言をいうんです。
 鳴き方はちょっともの悲しいから、見に行くとぐっすりと安心しきっている。夢でも見ているのでしょうが、どんな夢なのか覗いてみたいですね。

 SECOM(セコム)のCMで「番犬編」っていうのがありますが、「誰・・誰・・誰・・」って、「犬に成った人間の男という設定で、番犬の不安というか過敏な心情をあらわしているというCMです。
 この犬の心情というのが、けっこうよく出来ているCMだと思います。

 我が家のポン太も玄関前を人が通り過ぎると耳をピクンとさせるし、ピンポンが押されれば「ワン」と吠えるのですね。
 たまに鎖を外して、敷地内の放し飼いをさせても、すぐに玄関に入ってくるんですね。
 犬も「一人」じゃなくて一匹で放置されると不安になる、家族の姿がそばにあれば安心して居眠りもできる・・・どうやら、そうゆう事らしい。

 こうしてみると、ペットというのは、限りなく人間の生活に近いものですが、会話は成り立たないから、雰囲気でお互いの距離感をおしはかって、家族内での自分の位置と場所を確立してゆくようです。

 ペットといえども人間と動物の違いはあるので人間とは違った病気や病原菌も持っている。
 人間への病原菌の感染もあるから、同じ箸で食べ物を与えたり、同じ布団の中で一緒に寝るということは、やっぱりちょっと違うとも思うのですね。
 
 「アニマル・セレモニーホール」・・・葬式には黒い喪服で参列かな?、それで通夜もやって、告別式なんかも、親戚に案内状をだすのでしょうか?、霊柩車ってどんなものか・・・」よぶんな事を想像してしまう私です。
 
 ペットと人間は、ほどほどの距離を保つ、それは出来るだけ動物としての自然な姿を残すように心がけることではないか・・・そんな気がした本日です。

 庭先の「私の薔薇」(笑)が咲いた、まだ蕾もあるから・・・楽しみです。
 そうそう、メダカも夏の暑さを乗り切って、ずいぶんと大きく成長しましたね。

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大須散歩・名古屋弁と那古野山古墳跡

9月1日 久しぶりに大須の商店街を歩く

 世界陸上、男子4×100リレーを見終えて書くブログ日記です。
 日本チーム日本新記録で5位入賞、朝原選手の力走を見ていると「頑張ってる!」ってそんな気持ちになりますね。

 短距離走の選手には憧れと尊敬の入り混じった思いがつよいですね。
 小学校の頃、50メートルを15秒台という遅速記録を計ったのが生まれこのかた後にも先にも唯一の記録だった私でしたから、とにかく運動会なんて大嫌いでしたね。

 走れないならというわけではないが、それからは、何故か「お相撲さん」が将来なりたいの夢のスポーツ選手だった、ガリガリに痩せていたのに、いまだに何故「相撲」だったのかわからない。

 現在のように、子どもの頃から英才教育でスポーツ選手を目指すという余裕など無い時代だったから、あれになりたい、これになりたい、と夢だけは勝手に膨らませられる、自由な時代だったからかも知れないが・・・
 ですから、早く走る、颯爽と走る、スピード感・・・・生まれ変わってスポーツ選手になれるならば、トラック競技の選手ってのが本音ですね、マラソンではなくて、短距離選手。

 さて、そんな感想はさておいて、今日は自転車で月一度の中区・大須に所用で出かけました。
 「所用」が何かって・・・これは、また別の機会に書くつもりですが。

 で、久しぶりの大須商店街でしたから、ブラブラとちょっと散策というわけです。
 商店街のアーケードの天井から、名古屋弁が垂れ下がっていましたね。
 名古屋では一番のパソコン家電関係の街、古着や若者向けの衣類の街、それでもってちょっと遊び心を持っている街だから、こういう「名古屋弁」の垂れ幕もおもしろいものです。
 
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 大須観音 「久しぶりだね どこに行んだね」 「お宮参りなんだわね」

 ついでに、もう一枚。

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 たしかに、普段着で気軽にウインドウショッピングも悪くは無い、そんな大須界隈ですね。

 それで、何か興味をそそるものは無いかと、大須演芸場の前を通り、今日の出演芸人さんは・・・・ふむ、あまり名前の知らない芸人さんです(がんばって、一流の売れっ子の芸人目指してちょう)などと思いながら、ぶらり散策です。

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 しばらく歩くと、この近くの一角に「こんもりとした山」と古木がありました。
 「那古野山古墳跡」です。(自宅に帰って調べましたら)
 このあたりは、「浪越公園」という名前で、県下で初めて開園された公園だそうです。

 当時の大須界隈といえば、大須観音を中心に芝居や料亭などが建ち並ぶ名古屋随一の盛り場でしたから、この公園にも、粋な着物姿の芸子さんや旦那衆といった人々が、ひと時の享楽を楽しんだ場所だったのでしょうか。

 でも、今はひっそりとビルの谷間に忘れられたかのように、その昔のなごりの姿を残していました。
 
 秋の空です。

 「那古野山古墳跡」に植えられている「サルスベリ」の花が夏の終わりの秋色の空に咲いていました。  
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