ランニングハイと自傷行為
8月13日 世の中はお盆休みなり~、ふん仕事だわい。
さすがにお盆です。
自動車がめっきり少ないし、ましてやトラックなどは普段の半分以下の通勤道路事情ですね。
こういう日は快適です。
自転車通勤の快適さにプラスαというわけで、朝から休憩場所の神社の樹に咲いている花の写真なんぞを撮ったりして、優雅な出勤風景ということです。
なんの花だ?知らん・・・ちょっと和みの朝というわけだ。
ところで、ジョギングの世界に「ランニングハイ」と言われる快感現象があると言われています。
エンドルフィンという脳内物質が、まるで麻薬のように作用して、カ・イ・カ・ン・・・となるのですね。
一種の脳内のモルヒネのようなもので、危険状態を回避させる作用があるというのです。
それで、これはマラソンとか自転車サイクリングなどでも同様らしいのです。
たしかに、走り始めて20分もすると、爽快な気分、自転車と一体感になって、飛んでいるとまではいかないにしても、疾風のような心地よさがやってくるのですね。
この快感に酔いしれるという状態が、ランニングハイ状態というわけです。
ある種の麻薬作用のようなものですから、ストレスが溜まると、このランニングハイ現象を過剰に求める要求が体の中から沸いてくるものです。
そうすると、必要以上に、無理してペダルを回す、限界点を見極めようとするがごとき走法になるのですね。
場合によっては、スポーツ自転車族が入り込む自傷行為に似ているところもあります。
まあ、私なんか上級者向けのようなロードレースや無理なアップダウンを求めることはあまりありませんが・・・
このランニングハイに似た現象として、人はいろいろな行為を行うものだとも思うんですね。
たとえば、格闘技やハードなスポーツに取り組み、限界点付近にくると・・・脳内モルヒネ物質が分泌され、充足感や満足感を覚えるような錯覚も、一種のランニングハイ現象だと思う。
自分の知識や能力を100パーセント開花させようとエンドレスの努力というか「のめり込み」というか、スキルアップに充足感をもとめる・・・これもある種のランニングハイ現象の一種だと思うのですね。
これが、常態化すると、自虐的な自傷行為のような、限界点へと自分を追い込み、それによって得られる「快感」を忘れられなくなるというわけ。
人間、ほどほどが調度よい、いい加減が、良い加減どころ・・・というもの。
自傷行為といっても、現代の若者たちのリストカットは「死ぬ気のない病める充足感」でありSOSの一つでもあるんだと思うのですね。
若者だけでなく、一心不乱に仕事に没頭し、骨身を削って働き、病気寸前のところでも「快感・爽快感」というものは生まれるわけですね。
ワーカーホリックというものもランニングハイの一種という側面もあるし、ゲームなどの趣味や興味にとことん「オタク化」するのもランニングハイ現象を求める行為なのかも知れないと思うのですね。
「免許・資格取得症候群」とでも呼ぶべき、スキルアップ人間も「快感」を忘れられない人々の一人でしょう。
「自己否定や大げさな卑下」などもある種、同じ状態だと思うのですね。
・・・というわけで、ランニングハイもスポーツや文化の中で「適度な充足感」と思われる程度がちょうど良いというわけで、その満足感が得られないために、これでもか、これでもかと自分を責め、自分で気がつかないところで、結果的に自分をいじめる・・・自傷行為というものは、そういうものだと思っています。
もちろん、忘れてはならないのが、そうした生きること、生活すること、学ぶことなどが「楽しいこと」でなくなってしまっている、現在の病的な社会状況というものに、本当は一番の問題があるということなんですがね。
・・・・というわけで、本日は、ちょっと思う「ランニングハイと自傷行為」の話でした。
ふむ、こんなブログを毎日書き続けているのも、ひょっとしたら・・・・
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