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2007.07.10

ふたたび「犬の話」

7月10日 雨また雨、そして雨の一日

 雨降り、小雨になったかと思うとまた少し強い雨脚の繰り返しの一日でした。
 自転車通勤は断念、そのかわり通勤読書は順調な日です。

 「犬の話」(角川文庫)もう一つ、気に入ったのがありました。
 遠藤周作「別離」という話です。
 この本、犬にまつわる短い章から成っているので、通勤の短時間で一話完了できるところがよい。

 「海と毒薬」などキリストを題材にした文学が多い遠藤周作だが、幼年期に過ごした満州で両親の不和に悩み、その少年の心を慰めてくれたのが「クロ」という飼い犬だったという。

 わずか4ページそこそこのエッセイにすぎないのですが、イエスを見捨てた弟子達への眼差しと重ねあわされた飼い犬「クロ」との別れ話しなんですね。

 なぜか自分でもよくわかりませんが、飼い犬と人間の愛情の深さっていうのは、「別れ」の中に真実があるような気がします。

 わが家の愛犬「ポン太」もいずれ年老いて老犬となり死んでゆくのでしょうが、今は元気だからそんなことは考えもしませんが、人も動物もこの先には確実に「死」が待っているんですね、あたり前ですが。

 まだ自分が幼い頃、兄たちがどこからか拾ってきて「飼い犬」となった犬が何匹かいました。
 「ポチ」にはじまり「コロ」「エス」と名前はいくつか変わったが、いずれも雑種で記憶の底のほうでは、のんびりとした番犬のように飼われていた想い出なんですね。

 どんなに、可愛かったのかはぼんやりとした記憶なんですが、犬との別れの情景は今でも記憶に残っている。

 「コロ」と名づけられた犬は、とても穏やかな犬だったが、或る日、小学校から帰って来るといなくなっていたのです。
 当時は野犬も多く、保健所の野犬狩りもひんぱんだった。

 放し飼いにされていた「コロ」は、そんな保健所の野犬狩りで捕獲されたという。
 「保健所の人に捕獲されて、おとなしく連れられていった」と近所の人が話していたそうだが、捕獲された野犬が処分される運命にあるものだと知ったのは、もう少し自分が成長してからだったのですね。

 「抵抗もせずに、おとなしく引かれて行った・・・」という情景がなんともいたたまれない思いとして今でも残っています。

 もう一匹の「エス」という名前の犬も兄がどこからか拾ってきた犬であった。
 中学生になっていた自分でしたから、時々「ご飯と味噌汁と魚の骨」程度の質素な餌をあたえることもあった。

 この犬との別れは夏休み、一週間ほど行方不明になっていた「エス」がフラフラしながら家に向かって帰ってくるなり、バタンと横になって、そのまま息を引き取ったんです。

 目の前で、荒い呼吸がだんだんと減って、最後には「何も反応しなくなる瞬間」まで見届けたのですね。
 どんな親戚の人々の葬儀よりも、「死ぬ」ということの事実と実感を「エス」という犬を通して初めて知ったのですね。

 命ある生き物の「死」や飼い主との別離による「おそらくは生きてゆけないだろうという事実」、そうしたことを経験して、今わが家には、今10歳になる飼い犬「ポン太」がいるわけです。


 気まぐれな雨が、夜のポン太の散歩にでかけようとした途端に大粒にかわりました。
 雨が嫌いな犬です。

 雨だけでなく水に濡れるのが嫌いなポン太ですから、「おおい、散歩にいくぞ~」って声をかけても、ちっともその気になりません。

 仰向けになって腹を出して「今日は雨降りだから散歩はもういい・・・・」って言ってるように聞こえます。

 この犬もいずれは「死」に向かい合う時が来るのだろうが、静かで穏やかな、そんな最後に「それじゃあ、一足先に天国に行って待ってます」っていう眼差しの最期であって欲しいと願っている自分です。

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