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2007年4月

2007.04.30

「手」の話

4月30日 とりあえず花壇作りを・・・

 早起きしましたね、休日は寝坊専科のわたしですが。
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 素人職人の私と、意外と力仕事には持続力のある助手(あはは・・・妻のことです)の二人で、花壇の改修作業が本日の予定です。

 その前に、ウッドデッキの木材の選定と費用の見積もりをホームセンターに依頼にでかけ、ついでに予想外の現在の木製フェンスをはずすためのボルト切断用金ノコの購入、花壇の底上げ用の土、培養土の購入も本日の目的というわけです。

 それで、何も無いところにブロックとレンガを積むのはやりやすいのですが、すでにある樹木や花の引越し、土の掘り返し、出来るだけ根を痛めないように気にしつつも、アクシデントはつきものです。

 樹木の根の意外な強さに驚き・・・しっかり根を張ってお天道様に向かって延びているわけだから、そんな細めの幹でも、強固な根を大地に張っているんですね。

 ブロック積みに障害が発生です。
 可哀想でしたが、根の一部を切るはめになりました。
 貧乏敷地に育ったことを嘆かないで、育って欲しい・・・ふむ、まるで子どもに言って聞かせているようだな、こりゃぁ

 糸を張り、ブロックの高さをそろえ、セメントで固定する。
 ブロックだけでは味気ないので、その上にレンガを乗せて6メートル弱の直線の花壇作りに精を出すのですが、こういう持続力の必要な作業は、妻のほうが根気が良いから感心します。

 「世の奥さんに比べれば、私ってけっこう役に立つ助手でしょ・・・」
 「はい、はい、まったくそのとうりです。」こういう作業が性に合っているんでしょうかねぇ・・・

 セメントをこねて、程よい柔らかさで作業をしていると、どうしても爪の間にセメントが入り込むし手も荒れてしまいます。

 それでも、人の手というものは器用に出来ているもんで、素人作業でもそれなりのものが出来上がるから、プロの職人さんは、もっと器用な技術をもっているんだろうと思うのですね。

 そういえば、私の亡くなった父親は「土管」や「U字溝」「側溝のふた」などのセメント製品を作る仕事をしていました。
 出来高払いの仕事でしたから、朝早くから夜遅くまで働いていましたが、その父親の指の爪の間には、いつもセメントが入り込んでいました。
 毎日々々の仕事だから、洗っても洗っても、もう爪の間から取りきれない状態だったんですが、そういう親の仕事を見ていて、出来の悪い自分は、「こういう仕事は絶対するもんか」って思ったのがまだ学校に行ってた頃です。

 歳をとって、自分が親になり、いろいろな「仕事」というものに接してきて、初めて思いましたね。
 親のセメントの残った爪と手の頑丈さを、それが自分の成長期を支えていてくれた、「親の手」だったって。

 などと、思い出話になってしまいましたが、日雇い仕事でも肉体労働でも事務仕事でも、「働く」ことの本当の意味を知るきっかけとなったことだけは、間違いない「親の手」だったですね。

 そうそう、ブロック積なんかは見よう見まねで父親から教えてもらったものなんですね。  

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2007.04.29

手作り花壇とウッドデッキ

 4月29日 GWの過ごし方

 好天のGW二日目というわけですが、世の人々は、この休日をどうして過ごしているんでしょうかねぇ

 外国旅行に出かけている方(ああ、身近にアジアの西の国に出かけた方がいます)、家族旅行を楽しんでいる方、日頃の疲れに「のんびり休暇」をとっている方、この時ばかりと大掃除に片付け整理をされている方、GWでも働いている方、さまざまなこの一週間なんでしょうね。

 ストレスの発散には、何もせずにのんびりするよりも、ちょっと日常生活と違った「何か」をするほうが、効果的だと本に書いてありました、そうかも知れませんね。

 というわけで、昨年から決めていた、このGWには花壇を作りなおし、猫の額ほどの狭い家の南側に手製のウッドデッキを作ることにしました。

 素人のやることですが、作るからには「見栄え」のするものを作りたい、ちょっと椅子をおいて戸外を眺める。そんなものが出来たら最高です。

 が、この敷地の狭さはどうにもなりません。140センチ×600センチほどの細長いウッドデッキを置いて、その前に40センチ幅の細長い花壇を作るってのが、設計です。

 すでに木製のウッドフェンスがありますから、これを上手に移動させてデッキとつなげると、出来上がるはずなのですが、素人の本格的な工具もない状態ではたしてどこまでできるやら。

 面積と形状を測り、設計図もどきのものを作って、2×4材を基本に組んでゆく・・・・という予定です。

 今日はまず、2×4材の品定めと花壇を少し高くするための材料探しで、妻とホームセンターめぐりをしました。
 材料費はケチる、でも、見栄えだけは落とさない。

 職人さんに頼めば、手間賃やら材料費やらで、けっこう費用がかかるのでしょうね。
 技術料とわりきればそれも良しですが、安く、楽しく、気持ちよく、花々が咲いてくれる花壇とちょっとくつろげるウッドデッキができたら、これは最高ですね。

 思い出すのは、現在の家を建てるにあたって、住宅専用の設計図を何枚も描いては「う~ん、間取りが・・・」「う~ん、書斎が・・・」な~んてやっていた三年前ですね。

 図書館の住宅建築コーナーの本を片っ端から借りてきて、とにかく、自分で考えた外観、間取り、動線、家具類、配線なんかにこだわってみて、ほぼ設計通りに建築士さんに図面をひいてもらって建てた・・・そんな頃です。

 こんどは、建築士と大工と外溝工事を、たかだかわずか数坪の花壇とウッドデッキですが、自力で取り組むというわけだから・・・・やっぱり素人の出来栄えかも知れない。
 な~んて思いながらも、この休みを使って、そんなふうに作業をするのも悪くは無いです。

 明日は早起きして、花壇の土を掘り起こして、ブロックとレンガを組み合わせて、小さな花壇作りに取り組む・・・そんなゴールデンウィークを過ごしている今日です。
 明日も好天に恵まれそうです。

 中日ドラゴンズ●●●・・・連敗街道、まあそういう時季もあるから・・・いいか。
 
  

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2007.04.28

一雨(いちう)

4月28日 土曜日・休日・GW

 昼過ぎに、にわかに空模様が怪しくなってきたかと思ったら、案の定ひと雨ふりだしました。
 恒例の図書館へ出かけようと思っていた矢先だったから、危ない危ない。
 それでも30分余もすると、見違えるような天気になりましたから「男ごころと春の空」・・・・
 嘘です。
 そんな「名言」「ことわざ」のたぐいなんてありません。

 ♪雨に濡れながら 佇む人がいる
   傘の花が咲く 土曜の昼下がり

 懐かしい歌、たしか三善英史という歌手だったと記憶しているが、

 ♪約束した時間だけが 身体をすりぬける
   道行く人は誰一人も 見向きもしない

 記憶だけをたよりに書いていますが、そんな「失恋の歌」に心を酔わせ、切ない女性像をイメージするのは、浅はかな男ばかりだから、やっぱり「男ごころと春の空」だったりして・・・・

 で、「春の雨」「一時の雨」っていっても、いろいろあることがわかりました。

 「一陣の雨」ひとしきり風をともなって降り去る雨
 「花雨」花の咲く季節の雨
 「紅の雨」春の日に花に降りそそぐ雨
 「桜雨」・・・・読んで字のごとく桜の花に降る雨
 「暖雨」暖かな春の雨
 「春時雨(はるしぐれ)」・・・・

 もう、たくさんありすぎるのでやめときます。
 コンピューターも必ずしも一発変換はしてくれませんから、現代の日常語としては「懐かしの言葉」なんでしょうね。

 休日は良いものです。
 どうでもよさそうな、こんな言葉を調べたりする余裕があります。
 さて、明日から、どうやってG・Wを楽しめるか!な~んて考えるのもまた愉しい。

          ・・・・・  ・・・・・  ・・・・・  ・・・・・  ・・・・・ 

    ムリをしなくても一人一人が出来る
     ことから関わっていくことで、色んな
     ものが変わっていく気配を見せる。
     それを希望と言うのじゃないかな
             (「金八先生 贈ることば」より)

 地について、現実から、出来ることを、ムリせずやってゆく・・・ってことですね。
 そうすると、変化というのが、見えてくる、その小さな変化を敏感にキャッチする。
 できそうで、なかなか出来ないのが、現代というスピード社会ですね。
 ですから「希望」を見るよりも「息苦しさ」をが見えてしまう。反省、反省。

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2007.04.27

耳休めに突入かな・・・

 4月27日 猛進の後の耳休め

 「花の金曜日・・・花金?華金?」まあどちらでもいいか、もう今時、使われない言葉だから。
 3月4月と走り続けてきた二ヶ月間なので、疲労もピークです。

 自転車で走るのは何ともないが、仕事に追われる心は走りに走り・・・あれやこれやで疲れが溜まって、今日がG・W(ゴールデンウィーク)前の大仕事でしたから、終わって、ちょっと「ほっ」としたところです。

 「身体が資本」の無産者階級などと、古い言葉を呪文のように唱えて、それでも鞭打つ「働き人」ってところかなぁ。
 
      こころよく
     我にはたらく仕事あれ
     それを仕遂げて死なむと思ふ 
          (石川啄木「我を愛する歌」)

 夢や希望やロマンを喪失した仕事はこころよくないですね、こころよく働ける仕事が一番ですね。 

    ◇    ◇    ◇    ◇

 病気で療養休暇中の友人が、職場復帰ができることになったと顔を見せてくれました。

 前向きで明るい彼女が闘病生活に入る前に言っていた「私は明るい闘病生活をするんだ」っていう言葉に、そんなに強くなれない私なんかは、とても感動したのですが、そんな彼女の笑顔をみると、ちょっと勇気がわいてくる。

 病気の治療だから、本当は大変だったろうと推し測ることができるが、元気な姿を見せてくれただけで、何か華やいだ雰囲気が広がってくる。

 天性の明るさ、華やいだ素質、そんな雰囲気を持っている彼女だから、また頑張って「明るい職場生活」を始めてくれるに違いない。

 ほんとに頑張って、よく職場に戻ってきてくれたと心から嬉しく思う、そんな気持ちですね。


 というわけで、崖っぷちのイナバウワー的な仕事がひと段落して、明日から三連休のG・W前半戦です。
 疲れた体の骨休めということですが、慌ただしい雑音、喧騒のような職場からの休息です。

 ですから、骨休めというよりも、私なんかは「耳休め」というほうが正確かも。
 あれをしなければ、これをしなければ・・・・情報過多に心が休まらないという最近ですが、なにはともあれ「仕事」を忘れてG・Wに突入です。

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2007.04.26

藤棚の下で・・・

4月26日 自転車通勤で、こんな風景


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 今日は快晴でした。
 自転車通勤の朝の休憩場所は公園の一角です。
 昨日は鳩たちと雀たちに混じってメジロが一羽飛んできて、青さが増した草土をつついていました。
 共生ですね、人間からみますと、仲良く春の日を楽しんでいるように見えますが・・・

 それで、今日はそんな光景を写真に収めようと、いつもの公園でちょっと一休みしましたが、ところが雰囲気が昨日と違うんですね。
 真っ黒なカラスが二羽「カ~カ~」と鳴いていて、鳩も雀も警戒警報ってところでしょうか、なかなか地面には降りてきません。
 鳥社会にも格差社会があるんでしょうか。断然カラスのほうがデカイし頭も良さそうというか、ズルそう~

 そんな公園に藤棚があって、薄紫の藤の花が見られます。
 良い季節です、これだから自転車通勤はやめられまへんなあ~

 それで、この藤棚をしばらく見ていて思い出したのが

 ♪薄紫の藤棚の 下で歌ったアベマリア
  澄んだ瞳が美しい 君は可愛い女学生~♪

 っていう歌なんですが、うっすらとした記憶、はて、誰が歌っていた曲なんだろうか?
 三田明だったかな?などと思い出そうと無い知恵を絞ってもわからないのですね。

 帰宅して、ネットで検索して「安達 明」という歌手の曲らしいことがわかりましたが、はてさて安達 明ってどんな歌手でしたっけ・・・

 まあ、それにしても、薄紫に咲いた藤棚のしたで、アベマリアを清々しく歌っていた彼女の瞳が、とても可愛らしく思えた、そんな彼女は「女学生」・・・・といった情景なんでしょうが。
 「女学生」って、もう死語なんでしょうかねぇ

 仕事に追われながらも、そんなこと想う今日、心にはまだ余裕があるということか!
 忙しい・・・・・

     ストレスを思いっきり解放して
     その真ん中に残っている心棒
     それが自分なんだと、しっかり
     掴んで放したらいけないよ
             (「金八先生 贈ることば」より)

  

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2007.04.25

「謝る」ってこと

4月25日 表の顔と裏の顔

 久しぶりに仕事のことでも書いてみようと思う。
 今日は30分ほど、ひたすら「謝る」ことに時間を費やした。

 電話でのやりとりでみかける仕事場の風景のひとつにこんなことがある。
 ごく普通の応対の電話を終えたと思ったら、受話器を切った途端に「○○ってこともわからんのか、まったく・・・」などと、相手をなじる言葉が飛び出す。

 慇懃無礼(いんぎんぶれい)ともちょっと違うが、表と裏の顔が飛び出す人もいる。
 心にストレスを持っているのかも知れないが、正直ではないと思う。
 正直と我慢というのは違うものである。
 
 電話というものは、「声の世界」だから、ぺロっと舌をだしていても、言葉ではわからない。
 思うんですね。
 無理難題を、理屈の通らないことを強引に言い張る人には「できない」ときっぱりと言うべきですが、それも相手とのコミュニケーションの上のこと、やんわりと怒りを抑えて「丁寧にお断りする」こともある。

 クレーマーという人もいるが、ほんとうに理解できなくて困って問い合わせる人もいる。
 クレーマーとは違って悪意は無いが押しの強い人や、本当にごく普通のことでも理解すら困難な人もいる。
 「電話」というのは、そうしたいろいろな人が架けてくるものだ。

 そうした人を混同して、一律にクレーマーとして反応していると、いつしか「愚痴」のかたまりになる。
 コミュニケーションというのは、相手の立場にたって理解するのが第一義であるから、相互の理解が深まって共通の認識に立てれれば、それがもっとも、嬉しいことだし、それでよいはずである。

 さて、そんな「愚痴」の世界ばかりを広げていると、とんでもないことになる。
 人間関係に表の顔と裏の顔があって当たり前になってしまう。
 そういうものは、どこかで綻び(ほころび)がでてしまうものだ。

 そうした、綻びが相手に伝わったときには「言葉では良いことを言って、ほんとうは馬鹿にしているんでしょう」って噛みつかれるものである。
 あたりまえである。

 上手に世渡りをして、綻びを出さなければ、誰も気がつかない・・・・と思っていると大間違い。
 お天道様はちゃんと見ているのである。
 「嫌な仕事」はどこにでもあるものだ。
 けれども、相手の立場を良く聞いて理解すれば、大抵の場合は誤解や説明不足のような、ちょっとした行き違いで済むものだから、そうすればいい。

 「謝る」ことのできない人は不幸である。
 同時に、謝らないために、必要以上に必死の「防御」を試みるから、大きなストレスとなる。
 人は失敗を重ねて育つものだから、「謝る」ことが出来ない人は「失敗」も認めることが出来ないのである。

 ・・・・というわけで、今日は仕事のトラブルの「謝罪」に時間を費やした。
 電話の「言葉」と「本音?」の言葉が大きくズレたことを察知した相手が激怒したのだ。
 相手の言うことが正論である。表と裏の顔が見えてしまったということである。
 日頃の「愚痴」が膨らんだ結果であると思っている。
 
 私は結果的に調停役を引き継いだのであるが「あんたたちはいつも腹の底では、馬鹿にしているんでしょう」と言われて、膨らんだ「愚痴」のつけが指摘されたのだと思った。

 本当の気持ちで「不愉快な思いをさせたことを謝った」のだが、信頼というものはなかなか修復しがたいものである。
 それでも、間違っていれば「謝る」ことが大切だと思う。

 ・・・・そんな話を、帰宅して「家族」と話し合ってみた。
 仕事というものは、いろいろ大変なことが多く、苦労もするものだ。

 何か世の中、弱い者同士の「たたきあい」の世界のような気もする。
 強いものが弱い者に、さらにそれより弱い者に・・・いじめの世界にも似ている。

 もっと穏やかな会話が人間関係の軸にならないものだろうかとも思う。
 たとえ、それが「誤謬」や「失敗」や「ささいなクレーム」であったとしても・・・そうでなければ、世の中は「総ヒステリー」の蔓延となり、ごく一部の人々にとって思うツボなのである。


 ものごとの大変さを語ってやるのも
 オヤジの愛情だと思っとるンです。
         (「金八先生 贈ることば」より)
 
 

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2007.04.23

旅ごころ(中山道・奈良井宿~伊那・高遠)

4月23日 古(いにしえ)の旅路に想う

 4月の21・22日の二日間、かっての職場の同僚たちと中山道・奈良井宿~伊那・高遠の一泊二日の旅に行ってきました。
 親子ほどの歳の離れた同僚でも、こうして旅の宿を同じくするというのは、職場という器があってこそというわけですから、不思議といえば不思議なものです。

 中山道というのはお江戸の日本橋から京都までの570キロほどの旧街道、比較的平たんな東海道とは異なり険しい山間部の街道であっても、大きな川に足止めされることのない街道だったから、古の旅人はこの街道をえらんだのでしょうか。

 そんな中山道の35番目の宿場町が「奈良井宿」であって、長野県塩尻市に位置します。
 旧街道の宿場町の雰囲気は、「観光」という現代の雰囲気をのぞけば、十分に遠い昔、古(いにしえ)の街道を想うことができます。

 自動車や交通機関が発達した現代だからこそ、容易に訪れることができるこうした宿場町なんですが、そんな街並みから、古(いにしえ)の古き時代を想うこころを、どれほど膨らませて想像できるのか・・・・
 宿場町や、古都を訪ねるときの想いですね。

 というわけで、ちょっと中山道「奈良井宿」の現代人の旅の一コマを写真に撮ってみました。
 
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 木曽路は険しい山間部、高低さは900メートルもある街道だから、昔の旅人は難儀なことだったろう、そんな旅の宿場町には旅籠屋があり、飯盛女がいたりして・・・街道の両脇には今も昔もこんなふうに軒並みが続いていたのでしょうね。

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 この宿場町にある中村邸は江戸時代の櫛屋中村利兵衛という人の屋敷です。
間口が狭く奥行きのある建築物。奈良井宿の典型的な町屋だそうです。
 少し暗い土間から出入り口を撮ってみました。

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 観光で訪れた宿場町ですから、土産物店も街道の両脇に並んでいます。
 木工の猫細工と活けられた花々の穏やかさがとてもよい。
 へんに気負いのない土産物店が多くて落ち着いています。

 そんな店の一軒で一冊の郷土本とでもいいましょうか「訪ねてみよう宿場町 ぶらり中山道」松山達彦著を見つけて買いました。
 中山道69の宿場が紹介されています。
 お店の方の話では、何度か足を運ばれてこの中山道の全行程を出版されたそうです。
 綿密に旧街道が現在の地図に表示されています、こういう本を見つけるととても嬉しいですね。
 自転車で輪行しながら、中山道の街道を走ってみたくなりますね。

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 宿場町の脇に立派な松ノ木と桜の絶妙なバランスがたもたれた光景です。
 見逃しがちな風景なんですが、これはこれでとても納得できるものです。

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 ちょっと歩いて、ちょっと疲れて、心地よい疲労感を癒すには、こういう喫茶店がいいですね。
 「こでまり」という名前のお店です。二階のテーブル席から街道を見下ろして、くつろぐ時間は「小さな幸せ」です。

 ・・・・というわけで、奈良井宿を堪能して、新しくできた権兵衛トンネルを抜けると長野県伊那市です。
 あまりにも有名な「高遠城址公園」の桜を満喫するのが二日目の予定です。
 
 同僚たちと宿泊するというのは愉しいものです。
 人間味というものがにじりでてきますから、知られざる良さを再発見したり、思い出話に花を咲かせたり、「同じ釜の飯」とはよく言ったものですね。

 話は尽きずに夜遅くまで、ちょっとアルコールもはいり、ちょっと眠気もはいり、心地よい時間が過ぎていきます。

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 高遠城址公園の桜はちょっと離れたところから見ると、山一面が桜に覆われているって感じですが、桜の樹のしたから見上げるのもちょっと風情があります。

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それで、先週は中央高速道路伊那インターは車の渋滞だったらしいが、高遠城址公園の桜は終盤でした、もう一週間早ければ満開の桜にお目にかかれたといことでしたが、最後の「散り行く桜」の美しさということにしておきます。

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 桜の樹の根元に散った桜の花びらが、高遠城の歴史を物語っているようで侘しさも漂っています。

 高遠の領主であった高遠頼継を降伏させた武田信玄が信州の拠点として山本勘助に築城を命じたが高遠城ですが、それも信玄の死後、織田の軍勢に攻め落とされ落城する・・・戦国の乱世がここにもある。

 そして、もうひとつの物語は「大奥」の大年寄りとなった「絵島」が遠流されたのが、この高遠の地というわけですね。
 当時の屋敷見取り図から復元された「絵島囲み屋敷」があります。
 はめ殺しの格子戸から、季節の移り変わりを眺めて過ごした28年の歳月はいかほどのものであったのだろうかと古(いにしえ)の絵島を想います。

 「堀高八尺忍返打違」が遠流の厳しさを物語っています。

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 というわけで、ちょっと「古(いにしえ)」に興味をそそる旅行でした。
 ああ、こんなふうに旅ができる友人たち、今も昔も良き友は宝ですね。


 

 

 


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2007.04.20

天女がくれた一枚の・・・

4月20日 宴会の「席」の話

 夜中ですが、ちょっとだけ書いておこうかと・・・
 4月は歓送迎会のシーズンでもあります。
 行く人来る人、職場によっては天国、地獄、悲喜こもごものサラリーマン(ウーマン)の節目の月。

 長いこと人間をやっていて、好まない人っていうか嫌いな奴っていうのはほとんどいませんでしたね。
 人間、長所もあれば短所もあるし、心情によっては喜怒哀楽の感情もでるから、そういうのが「人」だと思っていると、まあ、ほとんどの人っていうのは何があっても許せてしまう・・・損な性格か得な性格か?

 しかしながら、時として「こいつは許せん!合わない!ご遠慮願いたい」って人間も現れるのですね。
 確率にして何千万分の一ってことでしょうが。
 人の苦しみや、思いやりや、人権を大切にしない、自分の利益のためなら他人は蹴飛ばすような輩は、もっともご遠慮願いたい人なんですね。

 で、本日は歓送迎会ってわけで、そういう輩と宴席を同じくするわけですから、出来る限り「あっちの方」に座って「こっちに来るな」って、それで「喋りかけるな!」・・・了見の狭い心が沸々と湧き出てくるが、これも仕方が無い。

 宴会の席ってのは、歓送迎者来賓の席次が決まって、残りはフリーかくじ引きかってのが、まあだいたいの決め方のようですね。

 ですから、フリーならば自転車通勤の私ですから、友人に「ちょっと離れた席をとっといて」って頼んで、くじ引きならば、まあ運を天にまかせて神頼み・・・ああ、あの人物と同席だけは勘弁願いたいって。

 そういうことで、本日はくじ引きな~り~、でもって、あ奴の横の席が一つ、空いている、残っている。
 何十分の一の確率だから、「まさか」ってことは無いだろうとニコニコ顔でくじを一枚引きましたら。

 な・な・なんと、その席だけは♪ヤメテケ~レ ヤメテケレ~(って唄があった)の一枚になっているから、さ~困った。
 で、職場の友人に「お・お・お、ど・ど・どうしよう~」・・・・

 すると、「まあ、何ていうことなんでしょう!、あの地獄のような家じゃなくて席が、居心地の良い席にすっかり変わっているではありませんか」(ビフォアフターのナレーションふうに)

 友人(彼女)が、気を利かせて、私の引いた席番号紙の一枚を取り替えてくれたんですね。
 いやぁ、「天女のような、マリア様のような、え~と観音様のような」彼女にみえましたね。
 地獄に仏というかマジシャン(笑)とはこのことか!って思っいましたね。

 「なんという、くじ運の悪い人なんだろうねって思ったわ、よりによって、なんであの席を・・・もう、ほんとに・・・・」 ( くぅ~ )

 はい、私、人生でだいぶ「運」を使い果たしてしまったのかも知れません。


 明日から職場の友人たちと長野県伊那市の高遠城跡の「桜」を見に行きます。
 桜の名所ですが、桜前線はもうずいぶんと北上していますから、どうでしょう?葉桜状態なんでしょうか。

 「男はつらいよ」フーテンの寅さんの旅は春は桜前線にあわせて日本列島を北上して啖呵売をする。
 秋は紅葉前線に沿って南下する、そんな寅さんの旅商売だそうですが・・・

 わが家への土産と天女さまへの土産を買ってくるとするかなぁ~ 

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2007.04.19

ああ!!愉しき自転車生活かな・・・

4月19日  スポーツサイクル・ライフのこころ持ち

 このところ残業などで帰宅が遅い日々・・・で、ブログ書きもままならない日々ですねぇ。
 一昨日も帰りにちょっと離れたところの友人宅に寄りましたから、一日の走行距離は40キロ近くになってしまい、当然にも帰宅時間は夜というか夜中というか・・・・

 自転車通勤を始めて10ヶ月を過ぎようとしています。
 夏の酷暑の時期、秋の紅葉の季節、冬の酷寒の時刻(いや、今年は暖冬でしたね)、そして春がやってきて、街にも花々がにぎやかな姿を見せてくれています。

 もうすぐ、自転車通勤一周年を迎えようとしていますが、不思議なことに、この間、雨の日でも風の強い日でも、大汗をかく暑い日でも、自転車通勤が「辛い」と感じたことは一度もないのです。
 むしろ、仕事に追われたり、嫌な思いをしたりという日常生活を少し楽にしてくれているといった思いですね。

 自転車ダイエットも順調で、ぽっこりお腹はしっかり凹みましたし、筋力もアップ、何よりも毎年必ず一度はひいていた風邪にかからないのです。

 ああ!愉しき人生かな・・・ではなくて、ああ!愉しき自転車生活かな、ってところです。
 自転車通勤を楽しむ。
 日々の持ち物によって、リュック・バックをいろいろ考え変える、お茶や珈琲ポットを自転車に取り付けて、鍵やミラーや速度計も取り付けて、チェーンオイル・錆びとり・汚れ落とし・・・自転車を楽しむ方法には事欠かないのですね。

 手段と目的。
 通勤手段としてだけの自転車はつまらないですね、通勤手段だけならばママチャリでも十分ですし、雨降りの日なんかは自動車や公共交通機関を使おうという気持ちになるものですが、雨の日の通勤もちょっと良い。

 春夏秋冬、自転車は自然に溶け込んで、四季おりおりの街や樹々の変化が身近に感じられます。
 毎朝休憩する神社や公園の草木が少しづつ変化して行きます、ほんとうに日々少しづつなんです。
 こういう風景はトンネル列車の地下鉄では味わえないし、渋滞する自動車の運転ではゆとりもないです。

 片道14キロ、時間にして45分。
 途中で休憩して持参している暖かい珈琲を戸外で味わう・・・・贅沢でありエコでもあるってわけですね。

 宮沢賢治の有名な詩「雨ニモマケズ」ってありますが

  雨ニモマケズ 
  風ニモマケズ
  雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
  丈夫ナカラダヲモチ
  欲ハナク
  決シテ怒ラズ
  イツモシズカニワラッテイル
  一日ニ玄米四合ト
  味噌ト少シノ野菜ヲタベ
     ・
     ・

 そんなにも清貧で自然との一体感を得られるほどのものではないけれど、たしかに自転車乗りの生活は、現代人が忘れてしまった、自然を日常の中で感じることを思い出させてくれるのです。

 通勤手段ではなくて、何かしら「忘れてしまったもの」を思い出す・・・そんな、目的の充足感もあるんですね。

 ちょっと前かがみのスポーツ自転車、足と腰と腕と均衡がとれた体重バランスが知らず知らずのうちに腹式呼吸を自然と取り入れています。
 筋力がついて、足腰も丈夫になります。

 もちろん、街乗りスポーツ自転車ですから、信号は守りますし、無灯火走行はしません、携帯電話で話しながら乗ることもありません。
 自転車の地位向上も必要です。
 盗難にあっても、又新しい自転車を買えばよいなどとも思いませんから、安価なママチャリは愛着がわきませんし、なによりも重いし疲れるし乗りにくいから、お勧めはスポーツ自転車ですね。

 足腰が丈夫なうちは、自転車生活はやめられない・・・・これぞ、スポーツ自転車に「はまった」姿なんですね。

 凝り性・・・・そんな人生もありですね。

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2007.04.16

裏窓事情

4月16日 アルフレッド・ヒッチコック映画の「裏窓」ではなくて・・・

 日本でもっとも人気のる映画監督というのがアルフレッド・ヒッチコックだそうです。

 「サイコ」とか「鳥」とかいくつかのヒッチコック映画を見ましたが、映画技法やサスペンスストーリーもさることながら、心理描写っていうのが、観客の視線を釘付けにしてしまうおもしろさがありますね。

 で、先日息子がめずらしく(もないか)「間違えられた男」という作品のDVDを借りてきたので、いっしょに見ました。
 冤罪をテーマにした社会派的作品でしたから、ちょっとヒッチコック路線から脇道の映画のような気もしましたが。

 ニューユークのクラブでベース演奏をしている主人公(ヘンリーホンダ)が保険会社にお金を借りに行くところから、強盗犯人に間違えられてしまうのですね。

 映画はこの冤罪を晴らすために弁護士や妻と無罪証明に奔走するんです、拘置所や法廷での主人公の無表情な陰鬱さがリアリティをもっているのですね。
 1957年のヒッチコック作品なのですが、古さを感じさせない映画です。

 先日見た周防監督の「それでも僕はやってない」という痴漢冤罪の映画も、手法的にはこの「間違えられた男」を彷彿させるものです。

 この映画の心理描写としては、主人公の妻がその自責の思いから精神に異常をきたす、その辺の夫と妻の心のすれ違いが「恐怖」といえばそういえる。もっとも、当のヒッチコックはこの妻の精神異常という描写部分は余分だったと考えていたようですが・・・

 ヒッチコック映画について書くつもりはないのですが、もうひとつ名作と言われている「裏窓」という作品があります。

 これもニューヨークを舞台にした映画、足を骨折した主人公が、なにげなく自分の部屋の裏窓から覗き見したアパートで、「殺人」を想起させる出来事を目撃するんですね。

 夜更けに不審な大きなトランクを運び出すアパートの大男、肉きり包丁とノコギリ、花壇の臭いをしきりに嗅ぐ犬・・・・・「奥さんを殺したのでは」と主人公は思うのですね、同時に映画を見ている観客も、そのサスペンスストーリーに引き込まれていくわけです。

 ヒッチコックの映画の面白さは、人間心理を映画の手法のなかで、しっかり捉えているところでしょうか。

 ・・・・って、わけでヒッチコックの映画の話題になってしまったのですが、まあ、映画についてはたくさんの方が素晴らしい批評をされているので、そういうのを読むともっと面白みも倍増します。
 
 で、「裏窓」という話なんですが、わが家の北側に倉庫ができました。

 それで、私の部屋の裏窓からはやっぱりアパートが建っていて、映画「裏窓」のように覗きはしませんし、殺人事件もありませんが、その裏窓のちょうど半分が倉庫で視界をさえぎってしまいました。
 
 ちょっと残念なので、ただそのことを書こうと思っただけですが、話がくるんくるんと廻ってヒッチコック映画のほうに行ってしまったってことです。

 半分に視界が減った裏窓なんですが、採光というのは面白くて、倉庫の壁面が明るい色合いなので、思ったほど暗くないのですね。

 太陽光が反射すると、不思議と以前よりも明るく感じることもあるんですね。
 狭小敷地に住宅を建てるときは隣近所の家の壁が明るい色合いですと、意外と暗くないものです。

 ふむ、とりとめのない日記になったものだなぁ

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2007.04.15

春いろいろ

4月15日 庭先に春が訪れていました

 ~散る桜 残る桜も 散る桜~

 良寛和尚の辞世の句だそうです。
 用水路脇のソメイヨシノの下を自転車で走ると桜の花びらが舞っています。
 もう、桜も散り際、それでも桜の命は尽きないのですね。 
 


 三年越しで、ぼたんの花が一輪咲きました
 去年はお休みしていましたが、今年は木製フェンスの間から顔を見せてくれました。
 真っ赤な花びらが「自己主張」しています。いいぞ、その調子で・・・

Img_0119

 玄関の門柱脇に植えられていたアメリカハナミズキがどうしても花を咲かせてくれません。
 家人の花知識の不足を棚上げして、昨年、ライラック(リラ)の樹に植え替えましたら、ことしはちょっと玄関先を華やいだ雰囲気にしてくれました。

Img_0117_1

 
 春ですね。
 人も動物もこの春の香りに酔いしれているような日曜日です。
 愛犬ポン太も花の香りが気に入ったのでしょうか(でも、ときどき食用にしてるようです、美味いのか?)

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 花日記の記事はむずかしい・・・花博士になりたいという夢は夢のままで終えそうだなぁ、こりゃぁ。

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2007.04.14

春眠、暁を覚えず

4月14日 淡々と過ぎ行く週末・・・

 月に一度は大須商店街に所用で行ってます。
 アジアの国々の方々もIT・家電店に訪れる方が多いようで外国語の会話が耳に入ります。
 国際化という言葉が思い起こされますが、平和な国と国の外交が続きますように・・・

 冬の間、取り付けていた車のスタッドレスタイヤをようやく履き替えました。
 自転車通勤のおかげで車に乗る機会が極端に減って、「春先に降った黄砂がしっかりと付着して残っている」って、自動車修理屋さんに言われました。

 定期点検の合間を利用して、恒例の図書館に貸し出し本の返却をして、ちょっと調べたいものもあり数冊借りました。
 図書館にいると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

 そこからは「春眠、暁をおぼえず・・・」って、ほんとうは「春眠」っていうのは春の夜の心地よい眠りのことをさすのだが、午後から「まどろむ」ことウン時間、暁もなく夜の闇が訪れていました。

 夕食を食べてまた「春眠」、よくもまあ眠れるものだとおもうのですが、眠れるのですね。
 で、これだけでは淡々と綴る日記でしかないから、おもしろ話の一つでも・・・

 食卓の上に娘の買った「女性向けファッション雑誌」が置いてあり、痩身のモデルの写真が載っているので、さすがモデルさんっていうのは「痩身でスラりとしてかっこいいもんだね」って妻に一言。
 「写真なんて修整しているんよ」
 「・・・・・・・」

 いやはや、この手の話題には並々ならぬエネルギーを感じてしまいますね、負けました(笑)

 
 

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2007.04.13

裸になる

4月13日 乱雑な部屋で・・・

 この一ケ月ほど仕事の忙しさに追いまくられているので、それは妻も同じような状態なので、家事仕事よりも自分のバイトや趣味や勉強(?)を優先する子どもたちのわが家だから、部屋の中はやっぱり片付かないから、あちこちに物があふれているのですが、そんな家でもやっぱり自分達の棲家ですから、お気楽に風呂上りにはバスタオル一枚でウロチョロする姿が普通になっています。

 カーテンを引けば安心して闊歩できる家だから、まあ、それはそれで気を使わない良さというものだろうか、はたまた、「はしたない」っていう言葉がピッタリ来る家なのだろうか・・・・
 
 ほぼ裸同然(ちょっと言いすぎか)で闊歩するのはわが家の女性陣で、私や息子などのほうは、そんなにも大胆な格好はしない、というのも、そうした姿を見ているから、無意識に反面教材のようなもんで、すぐにパジャマに着替えてしまうということなんですね。

 風呂上りにオヤジがパンツ一枚でどかっと座り込む・・・っていった、古典的な日本の「茶の間」の風景は、ちょっと言いすぎだが、妻たちに取って代わられたというものです。

 ・・・・・などと、風呂上りのわが家の情景描写をしても何もおもしろくも無いが、ほんとうの「裸になる」っていうのは、心のうちに潜む余分な、見得っぱりや変なプライドや自己顕示欲のようなものを脱ぎ捨てていくことに他ならないのでしょうね。

 これは、難しいことでもありますね。
 「大人らしく」とか「子どもらしく」とか「男(又は女)らしく」などと、永年つちかわれてきた慣習もありますし、他人の目を気にして「格好を気にする」・・・まあ、ようするに人様に「良く見せようと」努力するもんですが、所詮は生きてきた経験と知識によって決まるだけ、たったそれだけのこと。

 ですから、上手だろうが下手だろうが、頭が良かろうが悪かろうが、いまこの瞬間を大切に生きているという事実だけで、人は十分に立派なものだと思うんですがね。
 
 人として生きている事実、その現在が何ものにも代えがたい真実ってことですね。
 それ以上に何が必要なんでしょうか?

 社長さんも、お医者さんも、文化人もスポーツ選手も政治家もごく普通のサラリーマンも日本人も外国人も金持ちも貧乏人も障害者も健常者も、み~んなその属性を取り払えば「だだの人」に過ぎないってわけです。

 でも、それでは「承服できない」「成功者としての序列が欲しい」「あの人より私のほうが勝っている」・・・・人は人よりも一歩でも勝利者になることを願っている人もいます。
 そうすると間違いなく「貧乏人や障害者や成績の劣る者」などは人生の敗者ってことになってしまう・・・・これは重い荷物を背負って、ガードを固めた考え方・生き方なんですね。

 ごく普通に、一生懸命働いて家族や友人や見知らぬ人々ともコミュニケーションを図ることができれば「生きる喜び」になり、それが一番の幸せだとおもうのですがねぇ~

   裸になった人間はそれだけ
           強くなれるンだ   (金八先生 贈ることば より)
                      
  
 

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2007.04.12

おとなの童話本

4月12日 もうすぐサン・ジョルディの日だと!

 ちょっと早めの話ですが、4月23日は「サン・ジョルディの日」ということで、「世界の本の日」だそうです・・・って中日新聞の記事です。

 それで、サン・ジョルディっていうのはスペインの騎士の名前、野獣の生贄にされた王女を救った騎士を賞賛して、この日は女性は男性に「本を贈る」、男性は「赤い薔薇」だそうです。

 これはいいですね。
 私なんか「感動ものの本」を贈られたら、最高だと思っていますね。
 なぜなら、何に感銘するかを理解してくれて、そうした本を贈ってもらえるわけだから・・・・
 残念ながら、そんな経験は一度も「ナ・イ・ト」です。(笑)

 しかし、サン・ジョルデのような魔物から王女を救い出すっていう童話の世界は大好きでしたから、小学校の図書館に並んでいた、「王女」と「魔物」と「騎士(王子)」の物語の童話本は、ほとんど読みつくして、読むたびに「白馬に乗った騎士」に自分がなっていたものです。

 現実世界から離れて空想することの楽しみは、成長過程には必要なことでしょう。
 そうやって、現実と非現実を行き交いながら、「物語」がもっている想像力を養うっていうことでしょうか・・・

 で、大人になっても、ちょっとイマイチの「ハリーポッター」や「ロードオブザリング」のような冒険物語には感心がむくものです。

 童話でも宮沢賢治や新美南吉のような日本の風土に密着した作品も面白いが、小学生というよりも中学生になって、人間の情感っていうのを意識し始めてからのほうが良さがわかるかな。

 でもって、そうした童話の世界を大人流に解釈した「本当は恐ろしいグリム童話Ⅰ・Ⅱ」桐生操著とか「罪深い姫のおとぎ話」松本侑子著っていった本などは、見つけたら読まずにいられなかった。(笑)

 あはは・・・「本当に恐ろしい童話AC後遺症」と名付けれそうです。

 最近もまたまた見つけたのが「大人のための残酷童話」倉橋由美子著、bookoffで105円。
 倉橋由美子といえば、かって、その昔に「パルタイ」とか「スミヤキストQの冒険」などの、ちょっと毒の混じった本の面白さに魅かれて読んだものでしたが、やっぱりこの本も適度な毒素がありなんともいえない面白さですね。

 とまあ、童話といえば最近では「創作童話」も全盛で子どもに読んで聞かせる親も多いんでしょうが、親自身が童話を楽しむ、いろいろな方向で・・・そういうのも「サン・ジョルディの日」にちなんでいいもんだと思うのですがね。

 そうそう、4月21・22日に名古屋・栄のオアシス21で「サン・ジョルディフェスティバル名古屋2007」が開催され、一万冊ほどの「本の市」になるそうですよ。
 面白そうですが・・・・私は行けない・残念そして無念ですたい。
   

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2007.04.10

名無し

4月10日 ブログ日記について

 桜の花びらが舞う今日このごろです。
 五条川の満開の桜を見たいと思っていましたが、もう散りはじめたのでしょうか。
 今年は近所の桜を眺め、通勤途上の桜を眺め・・・そんな春です。

 先日、よく訪問させていただいているブログ日記さんに名無しの悪辣なコメントが書き込みされているのを見ました。
 書き込んだ人は「誰だかわからないだろう」という前提で悪意をもって書き込んでいました。
 「誰だかわからない」ということは、日記の作者にとっては大変に気の重いものなのです。

 新聞の投稿欄ではあるまいに、本来、ブログ日記というものは、相互のコミュニケーションを大切にするべきものなんですが、その前提が「名無し」ということでは何のためのコメントなんだろうと思ってしまいますし、一般論としては悪意をもって書き込まれる場合が多いと思われます。
 
 「ブログ魂」という嶋田正邦さんの著書にこう書いてありました。

 『企業に対して常習的にクレームを送るクレーマーがいるように、ブログの世界にもクレーマーが存在します。そして、クレームを喜ぶブロガーがいるのも事実です。彼ら彼女らは他人を否定することで安易に優越感を得たいだけです。』

 マイナスのストロークを発するということですから、そこからは相互のコミュニケーションは生まれませんね。

 2002年にプロバイダー責任制限法という法律ができて、今年の2月からはプライバシー侵害や名誉毀損など正当な理由があれば、被害者がプロバイダー(接続業者)に対し、書き込みをした発信者の情報開示を求める権利を認めるという方向にむかっているようです。

 プロバイダー各社もコメントやトラックバック、訪問者などの解析機能を充実させており、生ログやIPアドレスなどでの解析で、ある程度、コメント発信者や訪問者の動向・状況を解析できるようになってきています。
 mixi(ミクシー)の足跡に似ています。

 まあ、どちらにしてもマイナスのストロークからは何も生まれないし、プラスのストロークからこそ相互信頼や共感や反省などが生まれるものです。

 それで、私は以前にも書きましたが、コメントやトラックバックには「公開・非公開の保留」という制限をつけさせていただいています。そして、やっぱりマイナスのストロークは即行で削除することにしていますし、プラスのストロークには正直に対応しようと思っています。

 誰しも、インターネットを通じて相互に信頼関係ができたり、交流ができたりしたいと望んでいるものですが、そうしたものが損なわれるような事態は、たかがブログ日記であったとしても嫌なものですね。

 ・・・・というわけで、ちょっと「ブログ日記」とコメントについての感想が今日の日記です。

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2007.04.09

短い、短い、会話

4月9日 見知らぬ人と・・・

 人と人の関わる社会というのが人間社会ですから、いろいろと傷ついたり、困ったり、腹立たしく思ったり、泣けてきたりと、いろいろです。

 毎日が楽しいことばかりではないから、疲れることも多いですね。
 それで、死語になってしまいましたが「ピュア」な人ほど、そんな人間関係に敏感に反応してしまうから、なおさら疲れも倍増しますね。

 言葉というのは、時として刃物より鋭い「凶器」にかわります。
 無頓着で「心のひだ」を理解しない、できない人は、そんな「凶器」を平気で突きつけるものです。
 「嫌味」や「罵り」といった言葉を聞くと、人間でありながら、動物以下の存在ではないか・・・とも思えてしまいます。
 自分の不完全さを自覚していないから、他人への攻撃がいとも簡単に出来てしまうものです。

 動物、犬や猫も「言葉」を発しますが、人間のような「毒を含んだ言葉」は持っていないから、素直ですし、そのぶん可愛らしいんですね。

 というわけで、先日職場のロビーでの会話なんですが・・・

 「ここの職場の方ですか」って尋ねられて「ハイそうですが」・・・
 「何時から、始まるのですか?」
 「○○から始まるので、すみませんもう少しお待ちください」
 「以前は、○○始まりだったんではないですか」
 「そうなんですが、事情でちょっと変わってしまったんですよ」
 「そうですか、あなた方も大変ですね、コロコロと変わってしまうと・・・」
 「いやあ、ここに来られるお客さんの方がもっと困りますよね、知らない間に時間が変わってしまってるから」
 「現場の人は大変ですね、いろんなお客さんに対応しなきゃならんから、それで上のほうは、そんなことも知らん顔でいるんでしょう。うちの会社も、いつも困るのは現場の人間で、上のモンは少しも考えない・・・」
 「どこの職場も、よく似たもんですね」
 「なんか、昔のほうが良かったなあ、年功序列がダメダって言われているが、みんなが『お互い様』っていう雰囲気があったからなあ・・・」
 「そうですね、同感ですね」
 って、短い会話のところで、始業のメロディーが・・・・

 まったく、見ず知らずの方との会話でしたが、もっと、もっと時間が有れば「話を聞けそう」でした。
 言葉はコミュニケーションの手段ですね。
 その手段を間違えると横柄で「嫌味」と「罵り」という、非コミュニケーション手段になってしまうものですね。
 
 まず、会話(コミュニケーション)の前提にあるものは・・・・金八先生はこう言ってますね。


    私を含め完全な人間なんて
    いないンだと思います。    (金八先生 贈ることば)

 不完全だからこそ、お互いの言葉の会話が必要になるんですね。
 自分は完全で相手が不完全だ、な~んて思っているから「凶器」のような言葉を突き刺すんですね。
 パワーハラスメントはさらに職場の上下関係という「鎧」を着て「言葉」の凶器を振り回す・・・ってことでしょうね。

 ちょっと、灰色の日記でした。良い本から素晴らしい「言葉の心」を探したい・・・な。

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2007.04.08

マラソン就労日記

4月8日 満開の桜の花見日和だというのに・・・

 良いお天気でしたから、多分今日が絶好の花見ごろでしたね。
 満開の桜を愛でて、戸外を散歩する余裕ができたのも、この数年ですから、ああ、とてももったいない人生を送ってきたことになる・・・

 それで、そんな花見日和の今日は、13時間に及ぶロンドンブーツじゃなくてロード・オブザ・リングじゃなくてたんなるロング&ハードな仕事をしていた一日でした。

 時間的拘束が長いってのが実に辛いものがある仕事でしたが・・・・これも仕事ですからしかたがないってことです。

 休憩や食事の時間も僅かでしたから、あとはひたすらジ~っと耐えるのみです。
 いろいろ思いましたね。

 チャップリンの「モダンタイムス」の過酷な機械労働や小林多喜二の地獄のような「蟹工船」そして、現代社会の「労働基準法」からも逸脱した職場の数々、日雇い労働者の飯場生活も劣悪なところは、同じようなものでしょう。
 
 まあ、まだ労働組合が存在して「労働法規」が守られているところはマシなんだとも思うのです。

 もう一つ思いました、「小林ハル」という人の生き方を・・・・陽が沈み夕闇が広がる時間となっても、「瞽女(ごぜ)」稼業に精を出して生きてきたこの人を思うと、自分のちっぽけな心ですが勇気がもらえますね。

 小林ハルさんについては、そのうちブログに書きたいという強い思いがあります。

 まあしかし、時間だけはたっぷりあって、忍耐する時間もたっぷりあって・・・・いろいろな人々の会話を耳にして、とにかく体力的に疲れた一日でした。

 ・・・こういう日記は、ほんと、面白くもなんとも無い日記ですね。

 そうそう、さらにトライアスロン的就労続けなきゃならない方もみえますので・・・・労働者は体が資本(なんとまあ、古い言葉だことか、真実ですがね)

 働くものは心と身体の健康がやっぱり第一ですね。

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2007.04.07

古き良き仲間たち

 4月7日 仲間たち 

 雨降りの土曜日、桜の花たちは大丈夫だろうか・・・

 10年以上も前からの友人たちと久しぶりで「宴会」を行いました。
 ・・・といっても、彼らとはいつも話し合っているわけでなく、忘れた頃に仕事場で顔を会わす程度です。
 ですから、そんなに詳しい生活ぶりなどは知るよしもないが、会って話すと、腹の底の本音でものが言いあえるから、日常の距離はあっても、お互いの心情はとてもよくわかります。

 そんな友人たちは、それぞれ障害者の施設や事業所の運営に責任をもって頑張っている方々です。

 ほんとうに、頑張っているから「障害者支援費」から「障害者自立支援法」へと、制度がめまぐるしく変わり、障害者の生活も施設の運営も、法律の「名称」ほど良くなっているわけではなく、むしろ一段と厳しさが増している現在を危惧しているし、何とか打開して行きたいとも思っているのです。

 けれども、古き良き友ということは、お互いに年々歳を重ねてきたわけで、それは障害者を支える家族にとっても高齢化がすすんでいるということなんですね。

 知的障害者の共同作業所の運営のお手伝いをさせていただいた頃から、けっこう言いたい放題にしてきた私でしたが、そんな私でも、彼らはしっかりと受け入れてくれたので、時には夜遅くまで議論をしたり、時には「疲れるなぁ」って愚痴の二つや三つを喋っても、お互いの「社会福祉」という共通する理念を深める間柄となっていましたね。

 そんな、彼らも現在の障害者のおかれている現状にはとても危機感ももっているのですね。
 「社会福祉」を実現するはずなのに、その「社会福祉」が見えなくなってきている感じだというのです。

 先日、某知事が「良い因子、悪い因子」などと、生きて生活している人をまるで優劣をつけるがごとき発言したことには怒りを感じたと話していましたね。
 それで、もっと腹立たしかったのは、その知事が「障害者のみなさんには申し訳ない」って言ったそうだが、それは、まるで障害者は悪い因子とでも思っているようなものではないかと・・・・

 社会の責任ある地位の人達の「失言」がいろいろと報じられています。
 自由であり平等と博愛の精神の自由主義の理念はどこに行ってしまったのだろうか。
 ごく普通の人々が考えることと、この人達の考えがこんなにも乖離があるなんて嘆かわしいものです。

 あの、自衛隊は「人を殺す訓練・・・」なんていう発言も、立派な肩書きを持った責任のある地位の方が発言したわけですが、「自衛隊」という職業に就いている方の家族の方々にとっても「聞きたくない言葉」だったにちがいありません。

 「失言」っていうのは、やっぱり本音というか、その人の生き方の思想がでてくるものです。
 悪意を持った人は「悪意の言葉」が、差別感情を持ったひとは「差別の言葉が」、自分の利益しか考えない人は「他人を排除し落しめる、いじめの言葉が」・・・・

 で、謝罪して訂正することも大事なことだと思いますが、心の底から自分の考え方が間違っていたと正すには勇気もいりますし、ほんとうに本音の部分で考えられるかどうかですね。
 謝罪の言葉の陰で、ぺロっと舌をだしているひともいますからね。

 というわけで、「忘年会をやろう」といって延び、「新年会をやろう」といって、延びに延びていた古き良き仲間たちと、屈託の無い「宴会」ができたことは、とても嬉しいことでしたね。

 ええ、「お好み焼き屋」さんで、美味しいお好み焼きを作りながらの「小さな宴会」でした。

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2007.04.05

勝つことと負けること

4月5日 中日ドラゴンズ絶好調・・・

 「そんな所で寝ちゃうと風邪ひくよ」とソファーで寝込んでしまった自分に妻がひとこと。
 久しぶりに8時の帰宅、これでも早めの帰宅だから「中日×巨人」のプロ野球中継が見れた。
 よくよく考えると、今シーズン初めての公式戦のTV観戦なんだな、これが。

 とにかく忙しい、ちょっとストレス、大きくため息・・・・それでも、ウッズ選手のホームランが見れたし、岩瀬投手が登板して、あれっヒット打たれたが・・・・っていうところで記憶が飛びました。
 ネットでプロ野球結果を確認しましたら、やっぱり勝っていましたね。

 というわけで、夜中に書いている日記ですが、日付は4月5日の分です。
 「勝つ」ことは何とも言えない心地よさがある、それがスポーツのひいきチームならば尚更言うことがありません。
 「フェア・プレー」っていう、同じ土俵のうえで、正面から力試しをして勝ったり負けたりするからいいんですね。
 
 「西部球団の裏金工作、十何億円」っていう記事が新聞の見出しに載ったり、「大相撲の力士八百長問題」なんてのが週刊誌に掲載されたりするのを見ると・・・・こういうのに慣れっこになってしまいます。

 世の中には「裏」と「表」があるもんだ、って。良いことばかり言ってても結局は腹の中は違うんだわな~ということになります。

 本音をだして語ることが「損をする、負ける、弱者の立場になる」っていうのが近頃の風潮かなぁ
 コミュニケーションが上手にとれないから、自分を守る、ガチガチに防衛する・・・そして満を持して責める。
 人間関係も「勝負ごと」になってしまったら、寅さんも「それを言っちゃあお終いよ~」って思っているだろうね。

 以前、どこかの宗教学者がコラムにこんなことを書いていた。詳しくはわすれたが。

 社会の中には強い者もいれば弱い者もいる。
 強いものは弱い者をたたくことによって勝利者になる。
 勝利者になるということは、強いものが弱い者を駆逐する課程なんだ。

 とまあ、そういった事だったような気がしますが。
 「いじめ」の構造の一旦をしめしているようにも思えますね。
 競争というのはそういうもんで、弱者の排除の上に成り立っているということかな。

 格差社会っていうのは勝者と敗者をはっきりと区別する社会ですから、基本的には社会的弱者はますます報われないということですね。

 仕事場にこの論理が持ち込まれますと大変です。
 もともと人間社会なんて、さまざまな個性を持った人々の集合だから、強弱・得て不得て・硬軟・・・いろいろあってナンボっていうもんですが、「人に勝つ!」な~んてもんが、職場の競争原理になれば、間違いなく、強い者が弱い者を「いじめる」課程を通じて「勝者」になるんです。

 だから、人に負けまいと必死になればなるほど、弱点を隠し、自己防衛して、何よりも弱い奴を責めることに力点が置かれるっていうもんです。

 こんな人間関係の中では、本音なんて「弱さ」の象徴みたいなもんで、下克上の戦国乱世と五十歩百歩の世界ですなぁ

 メンタルな病気になりやすいということは、こういう人間関係が土台にあって、やっぱり弱者ですね。
 けれども、そうした人々も含めて、社会は成り立っている。
 
 ・・・まあ、プロ野球の勝敗は、大相撲の勝敗は、そんな「窮屈なところ」から離れて、素直に楽しめるからいいんですね。

 中日ドラゴンズ首位独走・・・・あはは 

 

  

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メイ・アイ・ヘルプ・ユー

4月4日 寒い~

 花冷え・・・ってやつでしょうか、冬のような寒さが身にこたえるから、歳のせいでしょうか。
 あまりにも冷えると、自転車通勤にとっては風圧も加わって体感温度も下がります。
 それで、ちょっとは鍛えられているはずの足の筋力も音を上げて「足の筋がつってしまう」
 
 もう二週間以上も残業の日々が続いているので、当然帰宅時間も遅くなるのです。
 暖かいラーメンや珈琲やココアがこういうときは「みちくさ」の常等手段ですね。

    『花冷えの汁のあつきを所望かな』  高浜虚子

 ところで、今日はちょっと日本語の文字の不自由な方がみえてたので、サイン(名前)などの重要な部分以外の箇所を「代筆しましょうか」って言いましたら「お願いします」ってことになりました。

 日本語だから当然、読めないので「信頼関係」がないとそうはなりませんね。
 これが、反対の立場だったらどう思うのか?
 胡散臭い相手で怪しければ「NO」ですし、難しいところですね。

 「メイ・アイ・ヘルプ・ユー」ってことです。
 それにしても、すばらしく管理社会が行き届いている日本の書類社会です。
 ごく普通の方でも、書類を書くというものに悩まされるのは当たり前ですが、事務屋さんというのはどんな職場でも専門職だから、そこんところは「書けてあたりまえ」のように思ってしまう・・・

 心の中はもっと悩ましい。
 辛いことや苦しいことは他人にはわかりにくい。
 それでも、そんな状態を見て取ることができたなら「メイ・アイ・ヘルプ・ユー」って言葉が素直に出せたらいいんですね。
 日本人はそこんところが、なかなか素直に表現できない、自分もですが。

 以前、よく外国に仕事で出張されていた方が言ってましたね。
 「外国では、ちょっとフラついたりすると、すぐにメイ・アイ・ヘルプ・ユーって声をかけてくれる、それも見ず知らずの普通の方が・・・」って。

 では、ここまでがまえがきのような本文です。


 メイ・アイ・ヘルプ・ユー。
 お手伝いしましょうかとひとこと言えばいいんだ。
 不自由さを実体験すれば、すっと言えるようになる。
                 (金八先生 贈ることば)

 不自由さ・・・自分の心の痛みを理解できれば、「大丈夫かい」って、すっと言えるようになる。
 いや、自分も苦しんで乗り越えたんだから、あなたも苦しんで乗り越えるのが当然だ!って思う方もいます。
 世の中の全ての人が皆同じように強い心を持っているとは限らないのです。
 やっぱり、素直に「メイ・アイ・ヘルプ・ユー」って言える人になりたいものですね。

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2007.04.02

開幕ダッシュ!

4月2日 久しぶりの中日ドラゴンズ応援話

 リクルートスーツに身をつつんで今年も新人さんたちが職場に配属されてきました。
 黒いスーツ姿が新人さんの定番となったのはいつ頃からなんでしょうね。
 たしかに、あの初々しく、キリっとひきしまった黒いスーツ姿は羨ましいほどの眩しさを放っていますね。
 社会の縮図のような職場で、この先喜びや悲しみを感じて働くことになる彼ら彼女らが、本当の労苦を分かち合える友人・知人にめぐり合い成長してくれるのを望んでいます。ガンバレ新人!!ですね。

 というわけで、今日の日記は開幕三連勝と絶好調の中日ドラゴンズの話題です。
 今年の中日は連覇の予感がします・・・って、素人ファン心理ですが。
 一番の井端選手が輝いています。

 あの小さな体で気迫あふれるプレーを見るだけで、井端ファンの私はとても嬉しいんですね。
 「玄人好み」の選手といわれる井端選手、入団した頃からちょっと注目していた選手でしたから1000本安打達成には拍手を送りたいです。

 福留選手や川上憲伸選手には「華」があります。
 同じように小さな体の立浪選手にも、やっぱり「華」があります。
 井端選手はといえば、ちょっと違う「信頼感」があります。
 私流の勝手な感想ですが・・・

 落合監督が名監督であることは実証済みですが、監督就任一年目に、「井端選手のゲッツー打が今日の最大の収穫だった」って記者団にコメントしたことがあるんですが、あれは「野球をプレーを自分の頭で考える大切さ」っていうところに着目した発言でしたね。

 で、その状況に応じた野球・プレーをできるのが井端選手なんだと、落合監督も確信したんでしょうね。

 ファン心理はいろいろです。
 福留選手やウッズ選手の活躍を勝利の条件に挙げる方もみえるでしょうし、川上投手や朝倉投手の出来に期待する方もみえます。

 私は何故か井端選手が試合の状況に応じたバッティングといぶし銀のような守備をフル出場して見せてくれることが連覇の条件に思えてなりません。

 プロ野球という世界の本当の厳しさなんて、私などのようなファンにはわかりませんが、落合監督の「みんなが自分の立場と仕事を理解してよくやってくれた」っていう試合後の談話が多いのは、なんとなく理解できます。

 持って生まれた素質や体力などはそれぞれですが、「試合」の中で何が必要なことかを理解できる選手が一人でも多く育つことが、チームを強くする。
 だから、選手がそのことを自覚できるように指導するのが監督やコーチなんでしょうね。

 そう考えるとプロ野球も職場も世界は違えども同じように見えてきます。
 指導者あるいは管理職の懐の深さと育てることの大切さを知っているか否かで結果はずいぶんと変わってくるんでしょうね。

 指導者・管理者が小さければ、その器のなかに選手や働く人を押し込めてしまうってわけです。

 口は悪いが奥の深い楽天の野村監督や選手の個性の発揮にずば抜けた能力を持っている中日の落合監督の度量の広さは、苦労して積み重ねてきた「プロの野球人」の姿が見えると・・・・まあ、そんなふうに思いますね。

 それで、井端選手の逸話が中日新聞のスポーツ面に載っていました。
 「1997年のドラフト5位で指名され、入団発表ではこう言っている。『目立たなくてもいいから、渋い働きをしたい』・・・・」、なるほどと頷きたくなる井端選手ですね。

 連覇にむけてがんばれドラゴンズ!! 

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花舞小枝

4月1日 桜と散髪と映画と休養・・・

 少しうす曇りの日曜日でした。
 桜もそろそろ満開となり、あちこちのブログでも「桜」が主役の日本の春ですね。

 今年こそ五条川の桜の名所を訪れたいと密かに心に決めているのですが、そんな余裕があるのかないのか、忙しさは右肩上りになりそうです。 
 
 見ごろの桜は近所にもあるもので、小学校の校庭の桜も見事なもんです。
 めいっぱい開花した花たちを、細い小枝が風にあおられて、揺れ動きながらもしっかり支えています。
 満開の桜の幹から延びた小枝は花見客からは脇役ですが、しっかりとふんばっているんですね。

Sakura_0087

 ・・・・というわけで、校庭の桜を眺めながら2ヶ月ぶりの散髪にいきました。
 いつもは夏からですが、少し早い時期の今日思い切って短髪にしました、スポーツ刈りよりちょっと長めです。

 こういう髪型にしたのは、現場の仕事につくようになってからで、見た目だけでも「事務仕事」っていう雰囲気を変えたかったからなんですね。

 これに口髭でもはやしたら、ちょっと別人ぽくなるんですが・・・・
 洗髪は圧倒的に楽ですから、ものぐさ人間にはもってこいです。
 濃いめのサングラスでもかけたら「菅原文太」って、勝手におもっているのは自分だけ。

 妻に言わせると「お猿さんぽい・・・」、娘は「あるある探検隊の右側の・・・人みたい」?
 要は気分転換だけなんですがね。
 中身の変化を加速させるために、まずは「容姿・外見」から・・・???

 パソコンテレビGyao(ギャオ)で「世界で一番醜い女」っていう映画をやっていました。
 生まれながらにして「醜女」と言われ続けてきた女性が、特殊な医薬品によって整形し「超美人」に変身する。
 そして、幼少期から自分に酷いしうちをした人々を次々と殺していく、「人の美しさは心にある」って言いながら・・・
 1999年のスペイン映画です、スリラー・コメディと言われていますが、ちょっと奥が浅い作品かなぁ。

 「容姿」ということでは、かって上映された映画で、あえてモノクロ映画として製作された「エレファントマン」のほうが、迫力と衝撃と心をうたれるものがありましたね。

 今日はこのへんで・・・・
  

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