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2005年7月

2005.07.26

追っかけ太鼓

 台風7号が早々と関東地方に上陸し、ちょっと心配されたが、青森県の五所川原市で「全国高等学校総合文化祭」が開催される予定である。

 娘の太鼓のクラブの全国大会というわけで、飛行機も無事飛びそうで明日セントレアから出発である。
 昨年の大会は徳島市での開催であったが、これも台風のコースと重なり悪天候で大変だった。
 元来、雷神に太鼓はつきものだし、雨乞い太鼓も稲作文化のこの国のことだから、太鼓と台風(雨)は切っても切れない縁であるからしかたないかもしれない。
 二日後には、試験勉強に四苦八苦の息子を一人残して親二人も、いざ青森へと追っかけ太鼓の始まりである。

 民族芸能としての太鼓について、やはり、ここは一つ少しかじってみようと「入門 日本の太鼓」(平凡社新書)を読んでみたが、けっこう奥が深いもので、もうひとつ理解できない。

 日本の太鼓には大木から作る「刳り抜き胴」の太鼓とあわせ木による「桶胴」のタイプがあることや牛革・馬皮の素材に鋲とめや締め太鼓もあり、バチも円形や変形のものがあるという。
 打法もさまざまで打ち込みや打ちはやしなどいろいろあるらしい。

 たしかに太鼓は祭りごと、神事としての起源があり、日本の各地にはそうした民族行事が存在し呪具としての色彩がこいものである。

 どうも、太鼓音楽としての発展はそうした民族芸能を基盤にして、戦後に誕生したらしい。
 あの、人力車スタイルの衣装などは、映画「無法松の一生」の影響があるらしいし、万博会場でも披露されている創作太鼓などのジャンルも戦後の太鼓の歴史のなかで形成されたという話である。

 太鼓のリズムにのってテンポよく空気を伝わって響いてくる音は、なにかしら神秘的で心に残るものがあるが、あの爽快感はやはり日本が稲作の農耕民族であるという土壌に根ざしたものが故なのだろう。

 ・・・・などと、うんちくをたれているよりも、実際に「刳り抜き胴」の地響きのするような大太鼓を思いっきり打ち込むことの方が、ほんとうは何倍も気持ちがよいに違いない・・・。

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2005.07.24

ぶらり散歩で大鳥居(中村区)

akatorii0724 地下鉄中村公園駅を上がった豊国神社参道にかかる「大赤鳥居」。
 何度も見ているものだが、参道のベンチに腰をかけて改めて見上げると確かに大きい。
 日本一の大きさの鳥居だそうな。
 昭和4年に、この地域が名古屋に合併されたのを記念に建立されたそうだから、もう76年も建っているわけだ。
 当時の写真を見ると、今のようにビルはなく、平屋の民家と田畑のなかにそびえ立っているという感じである。
 この鳥居の西にあった「BEST電気」が閉店し、あとに「三洋堂書店」がオープンしたと息子が言っていたので、ぶらりと出かけてみたというわけである。
 この界隈もよくみるとなかなか風情がある。
 裸足しに下駄履きのおじいさんがゆったりと歩いている。
 ママチャリに乗った母娘が参道を走っている。
 参道脇の歩道も整備され、ところどころに木製のベンチが置かれて、冷たい飲み物でのどを潤しながらの一服もよし。
 暑さも少し和らいだ昼中の平和な一コマである。

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2005.07.23

青田

aota2P1000851 カラ梅雨もようで水不足が心配された頃は田んぼの水も少なく大丈夫かともおもわれたが、稲も順調に成長し、青田が目を潤してくれている。
 用水も完備された現代だが、その昔は白土三平の漫画「忍者武芸帖」に出てきたような、日照りのとき村の百姓の間で生死をかけた水路をめぐる争いごとが繰り広げられたことも、なんとなく解るような気もする。
 青田にまつわる話としては、昔貧しい農家が稲が育つのを見越して米問屋に売るのを「青田売り」といい、就職シーズンを前に採用決定するのを「青田買い」といったそうで、どちらもちょっと寂しい話である。
 いずれにしても、この暑さを越えた秋の実りの頃まですくすくと育って欲しいと願っている。

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2005.07.22

悩む

 若い頃も少し歳を重ねた現在も「悩み」というものは、形や内容をかえて在るものだ。
 石川啄木の「我を愛する歌」という中に次のような歌がある

   友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
   花を買い来て
   妻としたしむ

 これは自分の若かりし頃に、挫折や失敗を何度も繰り返したときに、いつも思い出される歌であった。
 痛烈な打撃を受けるような失敗や挫折などに遭遇すると、なんと自分は本当につまらない奴なんだろうと落ちこんでしまったとき。
 そんなこととは無関係に咲く花を買い、平凡な家庭の日常に安らぎを求める。
 まあ、そんな心境であったと言える。
 
 悩みなんていうものは、自然の流れに抗する無駄な心の葛藤だと。
 苦しみや、不安や、様々な耐え切れない感情というものは、その難問題を「いかに解決するか」ということの副産物にすぎない、つまらないものだと気が付いたのは、40歳を過ぎたころだった。
 
 人を相手にする職業がゆえの、不快な人間関係の連続であった日々。
 この、自分を含めた人間社会のつまらなさに、もうこんな職業は「うんざりだ」と毎日思っていた。
 そんなときに、職場の嘱託医であった精神科のG医師に雑談の中で「こんな、疲れる人間相手の職業はもう辞めたいと思うことがあるが、こうした悩みを解決する何か治療法はあるのでしょうか」と聞いてみた。
 G先生が言われるには「あなた方はまだ人事異動という方法があるではないですか、我々精神科医は、医者という職業柄、づーと同じことを続けていくんですよ」と。
 実は、そんな話の最後に、「自分の尊敬する先生からこんな言葉を教えてもらったんですよ」と言って話してもらったのが、「人生には『諦観』ということも必要なんですよ、人は余分な抵抗をするときに苦しむんですよ」といった内容であった。

 「諦観」・・・辞書で引くとこうである。
 (1)全体を見通して、事の本質を見きわめること。「時代を諦観する」
 (2)悟りあきらめること。超然とした態度をとること。

 悩みというものを解きほぐしていくと、解決すべき「問題点」がでてくる。
 要するに問題点を解決するように努めればよし、解決できなければ、それは、その段階での己の力不足か、はたまた、解決できるだけの状況が出来上がっていないのだ、ということ・・・・ただそれだけのこと。
 ことの本質に迫ることが大切であって、流れに必死で余分な抵抗をするところに「あがき」としての「つまらない悩み」というものがある。

 楽しく「悩む」ことができれば最高である。

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2005.07.18

「涼」を求めて

 日中、午後3時の外気温を見たら39度であった。
 まだ、梅雨明け宣言は出ていないのに、名古屋の夏は本当に暑い。(注:「掲示版」で知りましたが今日梅雨明け宣言がでたとのことでした)
 高温多湿の日本の夏を過ごすための知恵はいくつかあるが、クーラーを入れれば涼しさは得られる。
 しかし、それでは涼を楽しむことにはならないので(やせ我慢)いくつか試してみた。
 打ち水
 気化熱で涼しさを得る方法だが、いかんせん土が無く、コンクリートの上では10分もすれば、完全に蒸発してしまう。
 愛知万博などで打ち水大作戦などと言ってるがはたしてどれほどの効果があるのか。
 部屋に風を通す
 我が家の窓を全て全開にしてみたが、これはけっこういける。
 風さえあれば、家の中は木陰の涼しさがある。
 ただし、東西南北の全てに開放できる窓がある場合に限られる。
 風ってのは、微妙に通り道がかわるもので、南から入ったと思ったら、こんどは東からというふうである。
 行水
 昔のように、庭で行水なんていうのは現代では皆無である。
 しかたないので、フロ場で残り湯とシャワー・・・これもなかなかいける。
 フロ場の窓も大きめにしたので、明るく、楽しく涼を得られる。
 ポン太も久しぶりに洗濯(?)されてきれいになった。
 よしず・すだれ
tatesu0718 太陽の照り返しによる暑さは相当なもので、ほとんどコンクリートとアスファルトの地表ばかりの都市部においては、すだれやよしずは効果がある。
 しかし、なんとなく、あのぶらんと垂れ下がったすだれは、古風な民家以外は似合わない。
 そこで、我が家は通信販売で「たてす」というのを昨年買った、いわゆる「よしず」の洋風版で、縦270cm×横200cmと少し大きめのものである。(写真)
 洋風っぽい外観にはけっこうマッチする。
 今は2階の子ども部屋の窓(ベランダ)に立てかけてあるが、ベランダの照り返しがおさえられ確実に涼しい。
 通販の購入品はいまいちの物も多いが、これは「正解」であった。
 カキ氷 
 息子がめずらしく暑いので「カキ氷」を食べに行こうかと。
 部活のいない娘を除いて親子3人ででかける。
 以前、住んでいた家の一軒おいた隣が「お好み焼き屋」で、昔から夏はちょっとカキ氷で親子でよく食べにいった店。
 体の内からじ~んと冷える感覚は、子どもも大人も夏の涼を感じる王様かもしれない。

 ほんとうに、暑い一日であった。

 
 

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2005.07.16

プロレス懐古譚

 先日、「破壊王」の異名をとったプロレスラー橋本真也が亡くなった。
 まだ40才ちょっとで若く、小川直也との死闘は記憶に新しいところで、寂しいことである。
 最近はK-1やプライドといった格闘技に押され気味で、プロレス団体もいくつかに別れてしまい、かっての夜8時台に中継されていたテレビ放送もなくなってしまったのが、プロレスファンとしては残念なことであるが・・
 力道山という「英雄」が空手チョップで外国人選手をなぎ倒していた時代、父親が無類のプロレスファンで、小学生の自分も手に汗握ってテレビを見ていたものだ。
 大巨人、アンドレ・ザ・ジャイアントがモンスター・ロシモフという名前で国際プロレスのリングに登場していた頃からのファンであった。
 力道山が暴漢にナイフで刺されて死んだニュースは信じられない事で、プロレスラーがナイフごときで死ぬはずは無いと思い込んでいたのも思い出である。
 日本の(いや、自分の)プロレス史をみると、アントニオ猪木の新日本プロレスとジャイアント馬場の全日本プロレスという二大団体が拮抗していた頃が一番華やかであったと思われる。
 「週間プロレス」「ゴング」などのプロレス雑誌も刊行され、中京スポーツなどは、プロレス専門新聞のごときであった。
 最近でも、「プロレス話」の単行本や文庫本がいくつかでているが、当時は、プロレスに関する本はほとんど読みつくしたほどの熱狂的なファンであった。
 そんなわけだから、まだ就職して間もない頃であったが、職場で「プロレス同好会」なんていうクラブをつくったら20人ほどの人が参加してくれた。
 もちろん、実際にプロレスをやれるわけではなく、雑誌と新聞の回覧と「愛知県体育館」で行われる、新日本プロレスの試合観戦がおもな活動(宴会も)であった。
 プロレスの醍醐味はその人間ばなれした肉体と鍛え抜かれた技であるのは間違いない。
 巨漢レスラーでは古くはヘイスタック・カルホーンやアンドレザ・ジャイアント、マクガイヤー・ブラザースなどが記憶の中に生きている。
 技といえば、鉄の爪フリッツホン・エリックのアイアンクロウやブルーノ・サンマルチノの怪力、ゴッチのバックドロップに頭突きのボボ・ブラジルなどなど・・・
 少し古いレスラーを中心に列挙してみたが、つまり、こうした日常から、かけはなれたリング上での格闘が単純におもしろいものであった。
 しかし、そんな時代から、アントニオ猪木の時代へと移り変わると、プロレスの見方も少し変わってきて、もはや強靭な肉体と技だけでは物足らなくなる。
 こんどは、プロレス本来の「技をかけさせて、技を受ける」この格闘技の試合の流れを楽しむというふうに変わってくる。
 異種格闘技とか遺恨試合とか、団体内の派閥とか、戦いの「意味づけ」があてこそ、試合のボルテージも上がってくるというふうになるのである。
 長州力が「藤波のかませ犬ではない」と造反し、維新軍を作ったり、アニメのヒーロー「タイガーマスク」が登場したのもこの頃。
 実に楽しいストーリーが展開され、この先の試合の流れを先読みするという楽しみがあった。
 
 最近の格闘技はK-1やプライドなどがよりスポーツとしての体裁を整えてきている。
 ルールがわかりやすい分だけ勝負がはっきりしているので、楽しみやすいといえるだろう。
 ボブサップの強さと弱さもわかりやすいし、フョードルやグレーシーの強さもわかりやすい。
 プロレスの「凄み」とはまたちがったものであるが、「ガチンコ」と「ショープロレス」の違いともいいきれない。
 プロレスにはその独特の楽しみ方があるに違いないと今でも思っている。
 
 ネットで見つけたちょっと面白いサイトを紹介します。古きよき時代のプロレスファンはきっと楽しくなるに違いないサイトです。
 ミック博士の昭和プロレス・ファイル

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2005.07.12

低反発素材の枕

 たいした話ではないんだけれど、東急ハンズで「テンピュール」の低反発素材の枕を買ってしまった。
 少し前から妻が使っており、使い心地は悪くないという評価であった。
 例の押すとふにゃーとへこむみ、ゆっくりと元に戻るという代物である。
 これが、けっこういい値段で、たかが枕なんだけど、なかなかの枕である。
 アメリカの航空宇宙局(NASA)がスペースシャトル計画の一環として開発されたものらしく、頭の形状ライン通りに変化し、体圧を分散するという。
 枕といえば、子どもの頃はそば殻枕が定番であった。
 その後、スポンジふうのものや、通風性がよいというわけのわからない物を詰め込んだ枕などを、これまで使ってきたが、どうもしっくりいかない。
 詰め物を変えたり、頭の部分がへこんだものにしたり、いろいろ使ってみたが一長一短というところ。
 枕が硬く高すぎて頚椎を軽く痛めたこともある。
 枕が変わると眠れないという人もいるが、眠れるんだが、どうも首の周辺がしっくり来ない。
 翌朝に首が凝っているということもある。
 その点、この「テンピュール」製の枕は頚椎への余分な負担が少なくて、頭を乗せると、ふわーと固定してくれるような感じなのだ。
 値段が高いのが唯一の欠点だが、これで、楽しい夢でもみられたら申し分ないだろう。
 
 

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2005.07.09

「雨降りの日」に想う

 「雨降りの日が好きか」と聞かれれば、即座に「嫌いだ」と返答する。
 よほどの人を除いて十中八九の人は「雨の日」を好きになれないだろう。
 愛犬も同感らしく、雨音を聞くと散歩に尻込みして外に出たがらない。

 小学生の頃、友達のいない自分は家の中で遊ぶことが多かったが、それでも雨の日は嫌だった。
 雨降りの日、今ではほとんど見かけない杉板の雨戸の小さな節から差し込む光が、針穴写真機のように、雨模様の戸外を逆さに映し出すのを発見して驚いたのも懐かしい想い出。

 日本の演歌やポップスにも「雨」を歌ったものが多い。
 梅雨という季節をもち、雨水に恵まれた風土のこの国らしくうまく捉えている。
 悲恋の歌が多く、雨に遮られた情景は悲しい恋物語には妙に心に響くものである。

 雨の日について書かれているいくつかの小説の中で、「党生活者」という小林多喜二の作品は、血気盛んな、高校生の頃読んだものである。
 小林多喜二という作家は戦前の日本で、共産党が非合法化され、党活動をするだけで逮捕された時代に、反戦と民衆運動に生活をかけ、その主張を小説として発表し大衆の支持を得ていた作家として有名である。
 その死は、特高警察による拷問の末の虐殺であり、遺族のもとに返された遺体にはどす黒く腫れ上がった手足が、その惨たらしい拷問のすさまじさを物語っていた。
 そんな、小林多喜二は小説の中で、雨の日はよい、雨の日は外に出ても傘にかくれて、人に顔を見られることもない、といった感想をもらし書いている。
 特高警察に追われ、「地下活動」の生活を余儀なくされたとはいえ、それほどまでに、「雨の日」が良いと言った小林多喜二の自己犠牲の精神は驚愕ものであった。
 おそらく、今日ではスパイ映画の世界でしかお目にかかれないのだろうが、戦前の共産党の党活動の中では、反戦と大衆運動を担うには、自然や季節の変化も、活動条件の一つとして考えざるをえないという厳しい状況だったのだろう。
 本当は、晴れた日に人の目を気にすることなく、街の中をゆっくりと歩きたかったのではなかったのか。
 自己犠牲という精神は、不屈の思想があればあるほど、そんな風に季節や気候もとらえるのかと、多感な青春期の自分には、考えさせられるものだった。

 ちょっと、雨降りの一日であったので書き記してみた。

 

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2005.07.07

七夕誕生日

 今日は誕生日です。
 家族は皆今日が誕生日であることを忘れてはいません。
 なんだかんだと言いながら、けっこう愛されているものです。
 「癒し系」なのかも知れませんが、それは他人がかってに思うもの。
 国会で「郵政民営化法案」が可決されて、そのドサクサに紛れて、障害者自立支援法という障害者負担が拡大する法律が、障害者団体の反対があても、通過しそうな雲行き・・・・・誕生日を迎える今日の政治情勢なんです。
 が、そんなことには無頓着に、静かに暮らしています。
 食いっぱぐれることもないですが、刺激も少ないのです。

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2005.07.03

終の棲み家 (続・家うんちく物語)

 空つゆ模様から一転して曇り空と雨空の一日となった。
 水源地のダムも多少水量もふえているというので恵みの雨なんだろう。
 日本の四季は折々の変化が目を楽ませてくれるが、生活するには、やはり寒さと暑さ、湿気と乾燥などを吸収してくれる棲み家があってこそのもの。
 

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2005.07.01

「歯医者なんか怖くない」

 三年ほど前に職場の友人から紹介されて読んだ本がこの「歯医者なんか怖くない」葵ひかる著(健友館刊)である。
 著者の葵ひかるさんとは職場の同僚であったこともあり、感想をと思いつつ伝える機会も無く、三年すぎたという訳。
 最近、ふたたび書棚から取り出して読んでみた。
 「闘病日記」のかたちで綴られた内容は、著者が幼少時に歯科医院にかかった頃のイヤな経験から「もう二度と歯医者なんか来るもんか」と頑固な姿勢をとり続け、その結果虫歯だらけになってしまったこと。
 その間、自立神経失調症や不安神経症に罹り、そのことも、ますます歯医者に通うことを遠ざける要因となった。

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