2009.12.26

ほんとうに大切なもの

12月26日(土) 今年の正月も、金虎酒造の初しぼり

 名古屋市北区にある酒蔵金虎酒造さんの「初しぼり」を先輩宅に取りに行った。
 今はもう退職してお母さんの介護をされている先輩にお願いしてあったからだ。
 二世帯住宅を新築して、玄関を入ると二枚の引き戸がある。
 洋風建築だが、この引き戸が昔風の日本家屋のあがりはなを想起させて、なんだかいいんだな。
 いつもお宅訪問をして思うのは、家というものは、そこに棲む人の心もちを正直に反映している。

 どんなに整頓されていようが、どんなに乱雑であろうが置いてある一冊の本や飼われているペットの表情や、部屋の動線ひとつとっても、やっぱりその人の人柄が反映されているから、そこが見どころでもある。

 一年に数回会うか会わないかの先輩であるが、なんだか昔から傍にいて、いろいろと本音談義をしているような・・・錯覚なんだけれど、そういう気持ちにさせてくれるから、不思議な存在感を持ち続けている先輩だと思う。

 というわけで、「ほんとうに大切なもの」というパクリのタイトルの本日のブログ日記。
 こういうタイトルで日記を書くのはとてもむずかしい。
 何が「ほんとう」なのか、そこの区分けが実にややこしい。
 「ほんとう」があれば「嘘」も対比されるわけで、「ほんとう」という中身を語らなければならないからだ。
 だから、価値観をズバリ言い表す言葉なのだろう。
 
 大切なものはたくさんある。
 それが「友人関係」であるなら、ほんとうに大切な友人っていったい何だろうかと思う。
 自分にとって共感や癒しや示唆の言葉をくれる友人はとてもありがたいものだ。
 けれども、そういう言葉を与えてくれる友人の「生き方や個性を大切にした暮らし」をしている姿を知ることのほうが、はるかに自分への励ましになる。
 
 先日、職場の友人が娘さんの描いた「絵」を見せてくれた。
 とても、暖かみのある絵だったが、なるほど、そういう心情を表現して暮らしているんだ!と思うと、そこに生活の真実があって、同じこの社会の中で、何かを感じ取ろうとしている姿を見つけ、なんだか「ほのぼの」した気持ちにさせられるから嬉しい。

 もし、ほんとうのことがあるとしたら、人の心の中にある自分と共通するものを見つけた瞬間に、ああ!ここに「本物がある」と思う。
 だから、自分に安易に共感してくれたり同情してくれる友人を自分は求めてはいない。
 友人たちが、今何を思い何を考えているのか、そのことを自分自身が知らなければ、「仲間である」ことの、ほんとうの人間関係は成り立たないと思ってるからだ。

 年に数回会うか会わないかの先輩が、どんなポリシーを持って生きているのか、何に価値観を見いだして生きているのか、これまでのかかわりの中で、しっかり話してくれてるから、自分にとっては「大切な友人の一人」である。

 人は自分のことを知ろうとするとき、相手の心を鏡のように反映させて検証するものである。
 自分のことを理解してくれる友人も大切であるが、自分がいかに生きるかを、友人の生き方の中に見つけ出すことのほうが、もっと大切である。

 そういう友人に巡りあうことは、たしかに幸せなことだと思う。 
 自分が、そういう友人に「何か」を感じてもらえる存在になるならば、それはもっと幸せなことである。

 「ほんとうに大切なこと」とは、人の心情や暮らしぶりに心をよせて、自分自身が豊かになって行くことだと思う。
 

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2009.12.24

才能

12月25日(木) 全国的にクリスマス・イブですねぇ(笑)

 冠婚葬祭は仏教で、新年の初詣は神道で12月25日はクリスチャン、これに近所のお稲荷さんとか古木信仰とかが加わって、最後の仕上げは新興宗教あたりだったら、もう笑えてしまう。

 そんなわけで、全国的にクリスマス・イブの今日。
 仕事を終えてまだ残業をしている若い同僚の女性たちに一言。

 「おやおや、今日はクリスマス・イブなのに、予定もなく残業だとは、若いのにちょっと淋しいよなぁ~」(笑)
 こういう、ちょっかいはお手の物だが、すかさず反撃が・・・
 「明日がクリスマス本番ですよ~、スキー場でスノボーの予定がちゃんとありますからぁ~」
 「ほぉ~、でも二人でスノボーならば、ちょっと楽しいけれど君たち三人だけじゃなぁ~」
 「三人だけじゃないですよ、10人以上ですからね!」
 よしゃよしゃ、こういう反撃があるかぎり元気で若者らしくていい。
 会話というのは、そうやってキャッチボールをするものだよな。OK!

 風呂場で息子がなにやら歌を歌っている。
 どうも知らない曲と歌詞だ。実にご機嫌よろしく毎度のことである。
 私ならば「幸せってなんだっけ~、なんだっけ~♪」と明石家さんまのCMソングを口ずさむ程度なんだが、それにしても難しい歌だ。

 ときどき、ロックとかも歌ってるが・・・もう親の世代からすると詩吟にしか聞こえるのは何故?
 しかし灯台もとくらし!ここにも全国的なクリスマス・イブとは無縁な存在がいた(笑)
 ははは・・・元気ならばそれでよし。

 ところで、歌とか絵とか写真とか詩とか小説とか・・・
 芸術といわれるものの分野はたくさんあり、そんな作品の数々を創造している芸術家の才能にはやはり突出したものがある。

 なかなか、そんな素晴らしい芸術を生み出すことは自分には出来ないが。
 「才能」「素質」というものの成し得る業であるに違いないが、ごくごく普通に暮らす「凡人」とどれほどの違いがあるのだろうかと、時々思うわけだ。

 マルクスか誰か忘れたが「人は本来、画家であり音楽家であり詩人である能力をもっている。それが発揮できるか否かは、ただ、その環境や教育による違いだけである」というようなことを述べていた記憶がある。

 これは、ずいぶんと若い頃に読んだ本の中に書かれていた言葉だが、それ以来、人は元来みな芸術家なんだ!と信じてきた。、
 ただ、その「才能」が開花できるかどうかの違いだけだと。

 上手な絵も俳句も文章も写真も作れない自分が言うには、ちょっと説得力に欠けるものがあるが、たしかにそうだと思うわけだ。
 だから、心の中では何時も、自分はブリューゲルやゲーテや太宰治や土門拳や・・・そういう芸術家と同一線上にいるんだ!
 ただ、環境や教育や知識や努力やそういうものの違いが歴史上の偉大な芸術家とごくごく平凡な自分との「差」なんだろうと思っているが・・・

 そう思うと、今の自分を表現できることが「素晴らしいこと」で、そういうものを大切にして行きたいと思っている。
 これは、いろんな作品を生み出している人が言えば説得力も増すことなんだが、何もなしえていない普通の生活者でも、そんな気持ちを持つことは「人生を豊かにできる」「人生をそれぞれの芸術的表現にすることができる」
 
 個性というものは、そういうことなんじゃないかと・・・
 しかし、小心者の心がずいぶんと邪魔をするんだなぁ~ 
 

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2009.12.23

恒例「和力 暮打逃~くれのうちにげ~」

12月23日(水) やっぱり「恒例」なんです

 今日は行事がテンコ盛りだった。Img131

 久しぶりに朝早く起きてポン太のちょっと遠出の散歩を済ませて、その後妻と庄内緑地サイクリングロードを一っ走り。
 妻の自転車「GIANT ESCAPE M Classic」が予定外に早く届いたので試走を兼ねた自転車散歩だった。
 まあ、「ペダルが外れる」という有り得ないアクシデントに見舞われたが、工具で締めなおし・・・何事も他力本願じゃなくて自分で安全確認が必要だという話。

 出かけた目的はもう一つ。
 来年の「年賀状」用に2台の結婚25周年の自転車記念写真を撮ろうという意味もあったが。
 何枚も「はい、記念撮影~♪」ってやってたが、ふむ、どうもイマイチだった。

 その足で義母の入院する病院へ出かけて、順調に快復してきており、年内には退院できそうだから、ちょっと一安心だ。

 それで、今日のメイン行事はタイトルどおりの「和力公演」というわけだ。
 恒例「和力 暮打逃~くれのうちにげ~」と題した太鼓に舞いに笛、三味線、箏(こと)と、日本の民族芸能を堪能するには申し分のない演目である。

 毎年々々、師走のこの時季に観るのが「恒例」になってるので、今回で6シーズンになるかな。
 「和力」の方々も「恒例」だが、観る側も「恒例」になって、まさに「暮打逃」「暮観逃」ってことだ。
 毎年この和力公演を観て、初めて正月がやって来るという気持ちになる。
 一年の締めくくりみたいなものになって、ここまで来れば本物の「恒例」だと思う。

 太鼓に舞いに笛に三味線に箏(こと)に・・・、去年観たものとどれだけ違うのかはわからないけれど、こうして、今年も「和力公演」が観られるっていう、安心感のような幸福でもある。

 そういえば、今年の第二部の音舞語り「姥捨浦島」は笑いの要素も充分だった。
 和芸のエンタテーメントだと思う。
 毎年、題目も変わり、今年のそれは「楢山節考」と「浦島太郎」のストーリーで演じたものだったが、認知症や若者文化なども織り交ぜて、いつも思うが、このちょっと社会性がいいんだなぁ。
 
 というわけで、和力公演を堪能した帰り道に友人たちとちょっと一杯。
 そういえば、今日は朝から晩まで一日中、妻と一緒の行動だったが、日頃は「人見知り」の素振りをする割には、見知らぬ顔ぶれにもずいぶんとご機嫌だったなぁ~♪ 
 

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2009.12.21

お楽しみ卓球(ピンポン)大会でしたぁ♪

12月21日(月) いやぁ~卓球って、ほんといいですねぇ、いいですねぇ

 暮れも押し迫った本日、師走の多忙な時季を狙ったわけではないが、職場の卓球大会がありました。
 毎年恒例となった「お楽しみ卓球大会」、もう何回目になるだろうか?
 今年は、大会の企画運営、競技方法などを、若手卓球部員の方にお願いして、新しい伊吹を取り入れましたら、けっこう盛り上がりました。
 参加者数24名、これまでの最高人数かな?
 職場の10人に1人が参加してくれた割合ぐらいだろうから、都合で参加を取りやめた方を含めれば、30人弱の大会だったわけだ。
 誰が名づけたか「お楽しみ卓球大会」、楽しくピンポンをやりましょうというわけで、ズバリ勝敗よりも、どれほど楽しんでもらえれたか?
 ここんところが、大会主催者の勝敗のバロメーターというわけだ。

 前回まではオール・ダブルスの試合だったけれど、今年はちょっと組み合わせもユニーク。
 4つのチームに分かれて、チーム内でダブルスの組みを自由に3組決める。
 前半戦を2つのリーグに分かれて、3組総当りのダブルスの試合を行う。
 後半戦ではそれぞれのリーグの1位チーム同士が決勝戦。
 これも3組の総当たりダブルス戦で争い、勝利数の多いチームが優勝となる。

 若手組員じゃなくて若手部員が考えると競技方法も少し高度なものになるから面白い。
 これって、プロ野球のセ・パ両リーグのペナントレースと日本シリーズに似ているわけだ。
 いやぁ~、若者たちの発想のユニークさには脱帽。

 会場のあちこちから笑い声や歓声や奇声なども聞こえて楽しさ倍増でしたなぁ。
 20代から50代まで、歳と性別と技量を超越した、おもしろ卓球(ピンポン)ここにありって感じ。
 
 仕事を終えた平日の夜に、あたふたと会場に集まって、卓球を楽しむという、まさに「お楽しみ卓球大会」っていう名前にふさわしい。
 「今日は楽しかったわぁ~♪」
 そういう試合後の声を聞くと、今年も大成功だったと思う。

 ちなみに、私のチームは見事「優勝」、おまけに私のペアの成績も5勝1敗だから・・・、あはは、多分に「口数攻撃」の威力が功を奏したのだが(笑)

 廃部の危機から、今じゃ「楽しむスポーツクラブ」ナンバー1に右肩あがりなのだ!たら、なのだ!(笑)
 これも、存亡の危機に熱意で持続力を訴えたKさんのパワーが脈々と流れているからだと思う。
 だから、来年こそは一緒に大会を盛り上げような!

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2009.12.20

手習い

12月20日(日) 夕暮れ時は淋しい

 夕方、庄内緑地公園に自転車で出かけると、この時季は陽の落ちる時間も早いので、人の姿もまばらだ。
 自転車散歩はやはり午前中がいい、こんな夕暮れ時は北風も強まり、ちょっと寒さも増してくる。
 公園の木々も西日を背景にすると、暗くてやたら空の茜色ばかりが目立つ。
 
 今日はスケッチブックを買いに出かけた。
 ついでに12色のパステルも買ってみたが、はたして何が描けるやらと、そんな気持ちになってしまうが、何でもいいから描いてみようと思う。

 ほとんど絵の素養なんてないので、めちゃくちゃである。
 道具も技術も好き勝手にやってるだけだと思う。
 ためしに身近なパソコンを描いてみたが、どうみたって小学生のような絵でしかない。
 いや、小学生の方がまだ感受性が豊かだから、いったいこれはなんだろうかと思うくらいだ。

 「四十の手習い、五十の手習い、六十の・・・」という言葉がある。
 若いうちから作り上げてきたものとは違って歳をとってから始めることを指してそういう。
 まったく、そんなものだと思うが、何年か描いていれば、何かが出来るだろうと思うわけだ。
 「年寄りの冷や水」という言葉もあるが・・・

 考えてみれば、どんなものでも、その年齢に応じた「もの」ができるのかも知れない。
 それが、素晴らしいものかどうかは別として、経験した人生から身についたものが表われるんだとは思う。
 だから、自信など少しもないけれど何か描いてみようと思っている。
 学ぶ必要もあるだろうな。

 手習いとはそういうものだと思うし、自転車とか俳句とか絵とか・・・
 まったくこれまでの暮らしとは無縁なものを「手習い」チャレンジしてみようという気持ちがある限り、何かが出来上がるに違いないと思っている。

 そういう楽しさだと思うんだなぁ~
 

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