ほんとうに大切なもの
12月26日(土) 今年の正月も、金虎酒造の初しぼり
名古屋市北区にある酒蔵金虎酒造さんの「初しぼり」を先輩宅に取りに行った。
今はもう退職してお母さんの介護をされている先輩にお願いしてあったからだ。
二世帯住宅を新築して、玄関を入ると二枚の引き戸がある。
洋風建築だが、この引き戸が昔風の日本家屋のあがりはなを想起させて、なんだかいいんだな。
いつもお宅訪問をして思うのは、家というものは、そこに棲む人の心もちを正直に反映している。
どんなに整頓されていようが、どんなに乱雑であろうが置いてある一冊の本や飼われているペットの表情や、部屋の動線ひとつとっても、やっぱりその人の人柄が反映されているから、そこが見どころでもある。
一年に数回会うか会わないかの先輩であるが、なんだか昔から傍にいて、いろいろと本音談義をしているような・・・錯覚なんだけれど、そういう気持ちにさせてくれるから、不思議な存在感を持ち続けている先輩だと思う。
というわけで、「ほんとうに大切なもの」というパクリのタイトルの本日のブログ日記。
こういうタイトルで日記を書くのはとてもむずかしい。
何が「ほんとう」なのか、そこの区分けが実にややこしい。
「ほんとう」があれば「嘘」も対比されるわけで、「ほんとう」という中身を語らなければならないからだ。
だから、価値観をズバリ言い表す言葉なのだろう。
大切なものはたくさんある。
それが「友人関係」であるなら、ほんとうに大切な友人っていったい何だろうかと思う。
自分にとって共感や癒しや示唆の言葉をくれる友人はとてもありがたいものだ。
けれども、そういう言葉を与えてくれる友人の「生き方や個性を大切にした暮らし」をしている姿を知ることのほうが、はるかに自分への励ましになる。
先日、職場の友人が娘さんの描いた「絵」を見せてくれた。
とても、暖かみのある絵だったが、なるほど、そういう心情を表現して暮らしているんだ!と思うと、そこに生活の真実があって、同じこの社会の中で、何かを感じ取ろうとしている姿を見つけ、なんだか「ほのぼの」した気持ちにさせられるから嬉しい。
もし、ほんとうのことがあるとしたら、人の心の中にある自分と共通するものを見つけた瞬間に、ああ!ここに「本物がある」と思う。
だから、自分に安易に共感してくれたり同情してくれる友人を自分は求めてはいない。
友人たちが、今何を思い何を考えているのか、そのことを自分自身が知らなければ、「仲間である」ことの、ほんとうの人間関係は成り立たないと思ってるからだ。
年に数回会うか会わないかの先輩が、どんなポリシーを持って生きているのか、何に価値観を見いだして生きているのか、これまでのかかわりの中で、しっかり話してくれてるから、自分にとっては「大切な友人の一人」である。
人は自分のことを知ろうとするとき、相手の心を鏡のように反映させて検証するものである。
自分のことを理解してくれる友人も大切であるが、自分がいかに生きるかを、友人の生き方の中に見つけ出すことのほうが、もっと大切である。
そういう友人に巡りあうことは、たしかに幸せなことだと思う。
自分が、そういう友人に「何か」を感じてもらえる存在になるならば、それはもっと幸せなことである。
「ほんとうに大切なこと」とは、人の心情や暮らしぶりに心をよせて、自分自身が豊かになって行くことだと思う。





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