2009.07.11

落陽

7月10日(土) たわいない風景

Img_001117

 冷たく冷えたビールを飲み干してファ~っと息一つ吐いて。
 なんでもない日々が繰り返される暮らしの一こま。
 ちょうど、陽が昇ってまた日が沈んで一日を終えるのと同じように。
 一日々々は同じようであって今日という日は昨日ではなく明日でもない。
 一生懸命暮らすということはどういうことなんだろうと思う。

 昨日のこと、名古屋駅からほど近い鉄道の陸橋から夕陽がきれいに見えました。
 都会の夕陽、都会の赤光、都会の斜陽・・・
 風景といっても、とるにたらない街と列車と夕陽のコラボレーション。
 けれど、日々繰り返されるからこそ感じる切なさの風景なのだろうか。

 陸橋の上でこの同じ夕陽を見つめている人がいた。
 自分と同じ時間だけ佇んでいるけれど、きっともっと前から陽の沈む風景を見続けているに違いない。
 自転車を引いて彼に近づいたら「こんばんは」と声には出さないが軽い会釈をくれる。
 知的障がい者の若い方だった。
 
 たわいない落陽の光景だけれど、こういう時間をお互い大切にしているんだなと気持ちは通じる。
 敷かれたレールのきしみ音とともに列車が通過していった。
 ぼんやりと見える列車の窓に帰宅するサラリーマンの人並みが映っていた。
 
 落日ですね。
 この街ももうすぐ夜のとばりに包まれようとしている。
 今日が終われば、また違う「明日」が日の出とともに始まるわけだ。

 たわいない風景なんだけれど、こんなふうに一生懸命日記に書けるのも幸せということなのかも知れない。
  

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2009.07.09

夏の先どり

7月9日(木) 空蝉(うつせみ)

 名古屋でニイニイ蝉の鳴き声が観測されたそうです。
 梅雨だ!梅雨だ!と言ってたら、夏のうだるような暑さもすぐそこなのです。

 そんなニュースを聞いた今日の帰り道、近所の木の葉に蝉の抜け殻がありました。
 通り過ぎてしばらくして、いやたぶん、やっぱり抜け殻だと思ったけれど、用事が待ってるから引き返すのもままならない。
 けれど、やっぱり蝉の抜け殻、「よっしゃ!夏の先どり」、街角散歩(帰宅)の醍醐味ですね。
 
 ところで、蝉の抜け殻を空蝉(うつせみ)というようですが、元来はこの世に生きてる人、またはこの世のことを言うそうです。
 実は自分は読んでいないが、「源氏物語」の中で「空蝉」と題して光源氏に迫られて上着だけを残して去った姫君の物語が書かれているそうです、って受け売り解説です。
 日本語は、いや日本語もほんとうに難しい。

 それで、さすが現代では誰も使わないし読めない(と思う)「空蝉」って言葉なんだけれど、こんな俳句もある。

 空蝉の生きて歩きぬ誰も知らず  三橋鷹女

 ちなみに季語は晩夏ってわけで、この時季とのズレはあるけれど、この世のはかなさそのもの。
 そんなことを書いていて、ふと思ったのだけれど、あの葉っぱにくっ付いていた蝉の抜け殻って、実は抜け殻なんかじゃなくて、これからまさに羽化しようとしている蝉の幼虫だったのだろうか。

 身近で蝉の一生を観察する環境もないとはいえコレでは「生物」は落第ですね。

 そういえば、名古屋市内のとある区では市会議員補選があり、やたら空虚な言辞ばかりを大声で張り上げている選挙カーが、あちらから一台、こちらから一台行き交っていました。
 
 ああ、現代の「空蝉」そのものだと思ってしまいました。
 市民生活とはおよそかけ離れ、ただ議席欲しさのための「民主主義の抜け殻」にしか見えませんでしたね。
 いや何も地方選挙だけではなくて、やれ解散だ総選挙だと右往左往する議員という「肩書き」の、なんと空虚な私利私欲、党利党略なこと。

 武家社会の領主の権力欲と何百年たっても基本構造はかわりません。
 まあ、そんな派閥と党略の駆け引きを、戦国武将の功名の歴史をみるかのごとく客観視して、我関知せずと傍観してしまう国民がいるのも、この世・・・・空蝉なんでしょうか。

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2009.07.08

「季節と暮らす365日」日本気象協会・編

7月8日(水) 石原裕次郎と気象の話題

Img119 パソコンから石原裕次郎のヒット・シングル「ブランディーグラス」をBGMで流していたら、娘がやってきて「あのね、お母さんが根暗な曲やめてって言ってるよ」
 そうか、暗い曲かぁ~、じゃぁ、ついでに歌詞も出だしを書いておこう。

 ♪これで、およしよ
 そんなに強くないのに
 酔えば酔うほどに
 淋しくなってしまう

 先日、国立競技場で石原裕次郎の23回忌法要が行われたとニュースが伝えていた。
 裕次郎のファンといえば団塊の世代の人たちが、自分たちの青春期と重なって思い入れの強い芸能人なんでしょうね・・・

 「YouTube」で検索してみると、懐かしいカラオケの映像に歌詞がついてありました。
 石原裕次郎というスターが若さとカッコよさと包容力で女性ファンを魅了した、そんな時代がたしかにあったことは間違いない。

 まあ、私はどこがカッコよいのか今でもよくわからないが、ただ、こんな懐かしい曲を聴いていると、窓の外の街灯に映し出された小雨も、たしかにロマンチックにも見えるものです。

 想像力だけで聞いてるが、それも「根暗」というイメージの一つかも知れません。
 生活の中の音楽や本やスポーツなどは、あえて人に見せるもの、聞かせるものでもないし、だから好き勝手にこだわってみるのがいい。

 そんなわけで、今日は「季節と暮らす365日」日本気象協会・編って本の紹介です。
 新聞の書籍案内で知ったこの本だが、本当は気象学の本を探していたところを、たまたま買ってしまったんです。
 一年365日のお天気や暮らしに関するショートコラムが載っています。

 気象雑学本ってところですが、ややもすると小難しい気象の話が楽しく語られているから、肩の凝らない一冊です。
 ほほ~って楽しく読むのに最適です。
 たとえば「7月8日 小暑」の頁には(今年の小暑は7日でしたが)
 
 二十四節気の小暑です。暑さが日増しに加わってくるころという意味です。
 梅雨明けも近く、日差しが日増しに強くなり夏の気配が感じられるようになってきます。
 ・・・略・・・ 小暑から立秋までが暑中で、暑中見舞いを送る期間です。
 

 こういう小さな豆知識ってのは、ふ~ん!って小さな知識への感動が楽しいものです。
 雑学というのは学問にあらずであって、自分が楽しむものですね。
 そんなお天気の話が積み重なって、季節を豊かに感じられるようになったらシメたものです。
 
 しかし、雲と傘マークの今週の天気予報です。
 こうも毎日ぐずついた天気の梅雨も少々飽きてしまったってところです。
 

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2009.07.07

七夕の再会

7月7日(火) ポン太、12歳の誕生日

 我が家で一番覚えやすい誕生日が「七夕犬」のポン太です。
 しっかりと存在感を誇示している愛犬だが、もう老犬の域に達しています。

 偶然にも高校時代の友人と再会しました。
 いやぁ~、驚いたというか、懐かしいというか、若かりし頃を思い出したというか・・・

 まだあげ初めし前髪の
 林檎のもとに見えしとき
 前にさしたる花櫛の
 花ある君と思ひけり  
 (「初恋」島崎藤村)

 学生時代というのはいろいろな思い出も多いもので、そんな若い頃の記憶は不思議と鮮明に残っているものです。
 こんな藤村の歌のような、気持ちだけは失っていなかった青春時代だった。
 甘さと苦さが同じ割合で同居していたあの頃だったような気もします。

 リベラリストを標榜し、日本の社会や政治について、何をか言わんやと尽きない議論もしたりして。
 軟派と硬派という分け方がまだ若者達に認知されてた時代でもありました。
 ベトナム戦争や相次ぐアメリカの戦争に、日本の企業が技術的加担をしていると、自己否定の論理を振りかざしたりしたのもこの頃でした。

 若すぎる恋というものは、理由のわからないまま破綻して、いつしか若者もスーツを着込んだ社会人となり、「あの頃は若かった」と懺悔に似た追憶に変えてしまうものです。

 そんな学生時代の友人と寄り道先でバッタリ再開しました。
 藤村の歌など書いて「初恋」話の期待を持たせたけれど、あはは・・・友人というのは学生時代の先輩なのです。

 昔から、精悍な硬派を自認して、日本の国家論や文化論をとうとうと話す人でした。
 まだ家庭という狭い意識の中にいた自分などは、この先輩の話す口調や論調に、ちょっとしたカルチャーショックみたいなものを感じたものです。
 学生が何ものにも臆することなく持論を展開する姿は、あの時代の特徴だったかも知れません。

 それが、いつしか歳月が流れ久しぶりに再開したら、あの頃のリベラリストが、あの頃の硬派が、あの頃の議論好きが・・・
 ちょっと頭髪も少なくなって、歳相応の「おじさん」になっていたけれど、昔のままの雰囲気がそこにありました。
 こういうのには感激しますね。

 今は古寺仏像巡りを夫婦で楽しんでいると「うんちく文化論」も聞けました。
 子どもさんも社会人になって、自分もまだまだ稼業の商売に精をだして頑張ってると。
 あの頃の雰囲気を何十年も過ぎた今も持ち続け、刹那のうんちく話を自己主張できるのも、やっぱりあの時代を生きてきた証みたいなものです。

 エネルギーに満ち溢れています。
 「学生時代のいろんな出来事、懐かしいですね」って言いましたら、「今の若い人たちは可哀想な気がするね」って。
 たしかになぁ、文学や歴史や社会や恋愛や・・・大真面目にそんな事を語れたのも、あの時代だからこそなのかも知れません。

 牽牛星(彦星)と職女(織姫)が一年に一度の再会をはたす七夕の日です。
 そんなロマンにもひけをとらない、学生時代を思い起こさせてくれた先輩との再会でしたね。
 今日は嬉しくなる日です、ガッツだ!パワーだ!あと100回七夕の日を迎えるぞ~♪ (笑)

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2009.07.06

能天気というかノーテンキ

7月6日 苦節ウン十年、やっと「ノーテンキ」という賛辞です(笑)

 NHK衛星第二放送で、恐ろしく神経質な(と思った)映画を観てしまった。
 「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」

 心を病んだ元天才的数学者の父の晩年を介護した娘キャサリンは、父親の死に苦しみながら自分も父親と同じように心を病んでしまうのではないかと悩む・・・

 物語は父親の書斎から発見された重大な数式証明のノートをめぐって、恋人との葛藤もまじえた愛と立ち直りのドラマが展開されるんだが、もうひとつ難解なんですね。
 こういう映画を見てると、ついつい「いったい何だ?」と疑問符が脳ミソ中を駆け巡ってしまう変な快感です(笑)

 観終ってダイニングテーブルでぼんやりしてたら、よほど緊張感のない顔をしていたらしく。
 「いいわね、悩みなんて何もないでしょう?」と妻が言いましたね。
 
 悩みねぇ?

 無いかも知れません・・・というのは嘘ですが、「悩みなんてないでしょう?」と言われるのは、最高の賛辞だと思ってるわけです。
 語源が不明な「ノーテンキ」という状態ってことですね。
 
 しかし、子どもの頃からちょっと神経質で、一人遊びが好きで、童話と本がお友だちのあまり社交的でない性格だったから、大人になっても人の顔色を伺いながらっていう自分の性格に苦労してきました。

 人と関わる仕事よりも、コツコツと物作りの仕事の方が性にあってると思って、なんでこんな「人間関係テンコ盛り」の仕事をしてるのか、我ながら不思議なくらいでしたね。

 まあ、それも凹んだり悩んだり苦しんだりと、一通りの感情の起伏を繰り返しながらたどりついた、「諦観の境地」という、人生はなるようになるし、ならないものはならない!って庶民哲学に到達(笑)
 
 プライドや評価や批評など、背負ったつまらない自分の荷物を捨てれば、とても気が楽になるわけです。
 そんなふうに考えていると、たしかに悩むことはあっても、人間は解決できることだけを悩むわけで、解決出来ないことは悩んでもしょうがないですね。

 だから、ダイニングテーブルの前で、ニコニコしているのは、本当にニコニコしてるから「悩みなんてないでしょう?」と言われても、そのとおりだと思うのです。
 苦節ウン十年、やっとここまで・・・「ノーテンキ」と言ってもらえる自分になった。(笑)

 自分がどうあるべきか?自分は出来が良いか悪いのか?などという悩みはとっくの昔に捨ててしまったので、残るのは雇用不安や福祉の後退など、この暮らしにくい世相というか政治によって、将来の不安感・・・そういう悩みは尽きないわけです。

 自己中心的で自分の利益しか考えないちょっと偏執狂的人物は嫌いですが、そういう人も含めた人間関係に悩むことがなくなったおかげで、しっかりと楽しいことを楽しめるようになりました。
 いや人間関係に悩みはしないが腹立たしく思うことは多々あります。

 ・・・が、人は環境の変化によって、いつでも「心の病」にとりつかれるものですから、紙一重なのかも知れません。

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2009.07.05

エコロジー雑感

7月5日(日) エコ、エコと言うけれど・・・

 自転車を走らせていたら急に「シュー」という音とともにタイヤの空気が抜けました。
 あちゃぁーパンクしてしまった。
 けれども、パンク修理は経験済みだから、慌てることもなく修理、修理。

 自転車はエコライフと言われるけれど、リスクもつきものだから、そういう事も含めてエンジョイできなければ、エコのための修行みたいになってしまうわけです。
 歩くことが移動手段だった大昔、それから自転車に変わって、ガソリンで走る自動車に変わって・・・
 自動車が排出するCO2が問題になって、今自転車が見直されていいます。
 そうなんだろうか?収入が減ってガソリンも高いし駐車場代もかかるし、節約、節約ってことで自転車通勤なども増えてるのが実態なんだと思う。
 ついでに、世の中は「エコ・ブーム」だから、ちょっと正義感みたいな満足感も得られるし・・・なんだと思う。

 本気で車中心社会から脱皮できるのか?などと考えるよりも電気自動車やハイブリット車がもてはやされ、エコ減税の対象になっています。

 電気も膨大なエネルギーを使って生み出されてるし、それよりも、そんなハイブリット車を購入して「地球に優しいエコ・カー」などと満足できるのは、高価な車を購入できる人であって、庶民は日々の暮らしの中で、たいへん真面目に「エコ・ライフ」を考えている、なんとけな気な日本人なんだろう。

 テレビ番組で「我慢しないエコ生活」という特集を放送していました。
 つまり、太陽光発電と高気密断熱の家と省エネ給湯装置とハイブリットカーと・・・
 いたるところに「エコ」を取り入れた暮らしをすれば、「我慢しないエコ生活ができる」そうだが、そんな「素晴らしい住宅環境」を取り入れるほど暮らしに余裕があるんだろうかと思ってしまいます。

 年間1万人以上の自殺者がでて、うつ病に罹る労働者も右肩上り、雇用不安と失業が蔓延しているこの社会のほうこそ、自然な社会の姿に戻さなくちゃ、エコもくそも無いと思えてなりません。

 「エコ」も商売になる!

 商魂たくましい、現代の企業体質そのものだと思うけれど、永田町界隈では「政権」という名の商売に誰もかれも忙しそうで、庶民の暮らしの「く」の字もでてきていません。

 そんなわけで、少し前に読んだ池田清彦・養老猛共著の「ほんとうの環境問題」という本に面白いことが書かれています。
 「ペットボトルのリサイクルはムダ」とか「自治体指定のゴミ袋はエコロジカルでない」、「政府は地球温暖化と称して毎年1兆円もの税金を浪費している」等々、マスコミでもけっこう取上げられた内容です。

 是非はともかくとして、この著書の池田・養老対談の中で語られてる環境について、今の世相の流れを言い当ててるように思うのです。

 『養老 この10年ほどで日本の法律は200以上も増えた。そのほとんどが極めて瑣末な法律。マジョリティ(多数派)にとってさほど都合の悪くない事柄については、きつい規制をかけられてもあんまり気にならない  ・・・略・・・
 けれども、そういうことをどんどんやっていくと、人はすべての事柄においてマジョリティになるとは限らないから、自分がマイノリティ(少数派)になる局面で、しっぺ返しを食う。それがわかっていないでどんどんと色んな決め事をしていくと、一種のファシズムにつながるよ。「私も我慢するから、あなたも我慢しましょう」という話になってきて、それは危険な話。環境問題に関してもそういう傾向が出てきている』 
  ( )は注釈です
 
 なんだかとても説得力がある主張だと思うのです。
 CO2削減もそうなんだけれど、一方でCO2を吸収する森林や緑が経済活動でどんどん破壊されてるわけで、結局そういうバランスは、商売に都合のよいものだけを「エコ運動」にしてるっていう感じなのです。

 ちょっと引用文が長過ぎたか。(笑)


 
 

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2009.07.04

猫なで声

7月4日(土) 梅雨晴間

 梅雨のあい間の晴れの一日。
 どうも、もう一つ「切れ」のない晴れ間だけれど、久しぶりの晴れ。
 沖縄旅行に行ってきた知人が、「沖縄のこの季節は本当に暑かった」が、名古屋に戻ったらドーンとした暑さがいっそう感じられたと。
 たしかに数年前の夏に家族旅行で行った沖縄は暑かったけれど「切れ」のある暑さだった。

 ところで、朝から隣家との間で猫が「ミャーミャー」鳴いていた。
 しばらく静かになったと思ったら、また鳴き出すので、裏口から出て探してみたが姿は見つからない。
 なんとも甘えるような「ミャー」という鳴き声は人間を惹き付けるものがある。

 「猫なで声」というのは「相手に甘えて媚びるような声」ということだから、もっぱら人間の発する声を猫にたとえて言う言葉です。
 「ミャー」と鳴く猫のことを指しているわけじゃないが、たしかに猫が飼い主になでられるときのしぐさや鳴き声は甘えと媚びがいっぱいに見える。
 
 この季節から秋にかけて、開け放たれた窓からいろいろな音や声が聞こえてくる。
 カラスの鳴き声、蛙の合唱、猫の鳴き声、犬の遠吠え、車の音に小学校の体育館のママさんバレーの掛け声・・・
 かって、共同住宅に住んでいたときは上階や隣室の音などは車の騒音以上に耳障りな音となって伝わってきたものだ。
 人が出す音はえてして「騒音」に聞こえるが、動物の鳴き声はうるさくても「騒音」とはまたちょっと違う。
 それでも、途絶えることなく鳴き続ける蛙や犬の声には「うるさいぐらい!」と妻はいうけれど、そういう生活音も実は聞こえてる人間の心の在り様にによって「騒音」にも「美音」にもなるわけだ。

 最近、近所の誰かが弾いてるのかピアノの曲が流れてくることが多い。
 今日も曲名は知らないクラッシックのピアノの演奏が聞こえてきた。
 さっそく、つかえずにピアノを弾き終えることのない娘に「ピアノもあれくらい弾けれれば心地よいBGMだよな」と、ちょっと自尊心にちょっかいをだしてみたら。

 「私は好きでピアノやってるからいいの」
 「それにね、あれはCDにきまってるじゃん、CDよ」

 いやはや、この負けん気は母親譲りか?
 ちょっとは「猫なで声」で話したら可愛気もあると思うけれど、「猫なで声」って親から軍資金を引き出す演技だったりする騙しのテクニックのようなものだから、やっぱり今のままでいい。(笑)

 隣との境界にある猫の通り道で鳴く「ミャーミャー」という猫の「猫撫で声」を楽しもうと思う。
 などと、「猫なで声」ですら書けなくて変わり映えのしない日記なんだなー

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2009.07.02

ドラゴンズ・ブルー

7月2日(木) 生活リズムの周期

 世の中には人の痛みには無頓着なのに自分の痛みだけは敏感な人がいる。
 そういう人にとっては人の為に行なうことも、その実自分の評価や利益のために何かを為しているにすぎない。
 物事の機軸の中心に自分がどっかり座り、他人はどこまで行っても他人のままだから、他人への批判もなんの躊躇いもなく、いとも簡単に出てくる。
 人へのほんとうの意味での愛情というものを持ち合わせてるのかと思ってしまう。
 
 「ブルー」というのは青い色。
 もう一つの意味は「憂鬱な・気の滅入る」という意味でもあり、いったい「ブルー」って、爽快な青い空のような心もちの良いものなのか、鬱屈した気分なのか・・・紙一重なのかも知れない。

 昨日と今日は残業デー、明日もだろうな。
 おまけに、この天気だから地下鉄通勤の毎日で、列車の中も一週間の真ん中の夜の時間帯に帰宅するサラリーマンにはちょっと疲れの色も見受けられる。
 みんな、しんどいんだろうな。

 それでも、昨日は帰りの地下鉄の列車の中に清々しい「青色」が広がっていた。
 中日×阪神の三連戦が名古屋ドームで行われ、昨日はブランコ選手のホームランで勝った。
 その球場からドラゴンズ・ブルーのユニフォームを着たファンの一団と遭遇して、方や残業帰りの身ながら、なんとなく「身内」の意識も芽生えて嬉しいものがあった。

 プロ野球12球団あれど、あの鮮やかな白と青のドラゴンズ・ブルーのユニフォームは、清潔感、品位、爽快感、どれをとっても1番だと思う。
 黒や黄色や赤や・・・いろんな色彩の球団ユニフォームがあるが、まさに「ドラゴンズ・ブルー」はシンプルな中にも力強さもあふれている。
 だから、自分の自転車もヘルメットも白と青のドラゴンズカラーで行こうと思ったわけだ。
 
 けれども、今日は残念だけれど浅尾投手が打たれて連勝ストップとなった。
 まだまだ、先の長いペナントレース。
 一年間の周期で優勝を目指す、なんと忍耐力の必要なスポーツなんだろうと思う。

 周期といえば、その昔の生活リズムの周期は1カ月が基本だったような気がする。
 月齢がおおむね28日周期で繰り返されるように、生活も一月単位で行事とか仕事とかを考えていた。
 思えば、いまよりも格段に「ゆったり」した暮らしだったような気がする。
 それが、最近では一週間が生活リズムで繰り返されているように思える。
 月曜日から始まって週末の土・日曜日で、延々と繰り返される周期。

 慌ただしい世相の反映で、移り変わりがめまぐるしい。
 それで、このリズムで暮らしていると、当然のことながら嫌がおうでも目先のことが何時も関心事になって、ちょっと長いスパンで物事を見ることも減ってしまう。
 季節の移ろいも「知らぬ間に・・・」である。

 知らぬ間にもう7月になっている。
 一月の生活リズムの周期が出来ていれば「知らぬ間に」ではなく、「月が変われどもまだ続く梅雨時の7月」っていう感じなのだが。

 やっぱり月の満ち欠けを確かめながら暮らせるリズムが自然なことだと思う。
 そう思うのだけれどサラリーマン残酷時代の今日、一週間の真ん中あたりの帰宅列車は、疲労感に包まれた油顔の老若男女のサラリーマン・OLの無表情な顔・顔・顔・・・

 がんばれ労働者!
 週末はもうすぐ其処までやった来ている!
 ・・・と自分も励ましながら、やっぱ週間の生活リズム周期は壊せそうにもないか。

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2009.06.30

『負けに不思議の負けなし』野村克也著

6月30日(火) 梅雨の日の通勤読書の本です~

Nomura_2 毎日予測不能な天気で、曇り空がしばらく保たれるかと思いきやポツポツと降り出して、やっぱり梅雨どきです。
 そんな天気と違って、中日ドラゴンズは連勝街道を突っ走る、7連勝。
 しかし、雨の日の地下鉄通勤も悪くないと思うのは本が読めることです。
 久しぶりにいつもと違った傾向の本をよんでいます。

 楽天の野村克也監督の著書「負けに不思議の負けなし」(上・下)朝日文庫

 ID野球のルーツとか強い組織を作る秘訣とか・・・
 なんとなく会社の管理職が読みたがりそうな内容です。
 しかし、こういう本を「何かの役にたてよう!」と思って読んでも意味ないな~って感じです。
 
 1980年代のプロ野球についてのエッセイが中心で、まだ上巻の半分ほど読んだところですが・・・
 「知将」と言われるだけのものがありますね。
 ただ、思ったよりも常識人、セオリーどおり、けれどもバランス感覚は抜群というのが感想です。

 ちょっと、面白そうな部分を引用してみます。

 投球術というのは魔法の泉に似ている。肉体には衰えが必須だが、こちらには限界がない。汲めどもつきない。ただ、厄介なことがひとつある。大方の投手は力のある、まだ若い時分にはせせら笑って見向きもしない。下り坂にさしかかって、あわてて付き合い始める。

 ふ~ん、と感心するわけだけど、これは「人の心」と「投球術」が似ているということですね。
 若い頃のガムシャラな生き方も、年齢とともに外見の衰えが出てきて、ハッと気がついた頃には、いったい自分はこの歳になるまで、何をやってきたんだろう?って嘆く。
 そんなのに似てるなぁ。

 キャッチャーを「捕手」と書く。いうまでもなく球を捕るの「捕」だが、私はもうひとつ、投手を助け、その足りないところを補う「補手」でもあると思っている。

 人と人との信頼関係やコミュニケーションの大切さを「補手」って言葉で表している。
 要は気配りの重要性って意味ですね。なるほど、なるほど。

 こうして読んで見ると、現役時代は三冠王も取り、選手兼任監督でもあり、弱小球団をたて直し、「知将」と言われる野村監督なんだけれど、思ったよりも「常識と観察の人」って気がします。
 いや、べつに「変人」だと思ってたわけではないけれど。(笑)

 野村克也監督ってどんな人なんだろう?という思いにちょっとだけ答えを出してくれる本です。
 組織論だなんて思って読むよりも野村監督人物論としてのほうがおもしろい。
 退屈しませんねぇ~♪ 梅雨のおかげです(笑)
  

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2009.06.28

扇子の風

6月28日(日) じめじめして汗ばむ梅雨の日

 夕食を終えると、突然に大粒の雨が降り出しました。
 家中、蜂の巣をつついたように「雨だぁ、窓を閉めて~」の声とともに走り出す。
 それぞれが、開けっ放しの窓を慌ててしめます。
 よくわからない梅雨時の天気ですね。

 風が止んで、湿気が多いから、閉めきった部屋の中はじめじめします。
 よほどのことがないとエアコンのスイッチを入れない我が家。
 自然が一番と思ってるけれど、こうして蒸し暑いのが梅雨時の自然な姿かもしれない。
 とはいえ、蒸し暑い。

 そろそろ、扇子を持ち歩く季節だ。
 たしか京都旅行に行ったときに買った扇子があるはずだと思い立って探してみた。
 「寿恵廣」と書かれた縁起のよい箱から取り出して扇いでみると優しい風がくる。
 毎秒1メートルの風が吹くと体感温度は1度下がるそうです。
 体感温度もさることながら、扇風機やエアコンとは違う趣(おもむき)があるのはたしか。

 カバンに一つ忍ばせて、ゆったりと風をつくりだすのもいいものだ。
 しかし、職場の机の前で扇子を片手に仕事をするほどの余裕もない。
 今は味も素っ気ない「小型卓上扇風機」が置かれているが、ブンブンと音ばかりうるさい代物で、ちょっと情緒がない。
 扇子が似合うような光景が少なくなったと思うこの頃です。

 木陰のバルコニーで、籐の椅子によりかかりながら杉本苑子の時代小説のページをめくる。
 冷たいアイスコーヒーを口に含み、ときおり扇ぐ扇子のやわらかい風が心地よさをもたらしてくれる。
 季節は初夏の香り

 そんな風景なんて・・・ないか!(笑)
  

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