2017.10.15

歩く

10月15日(日) 三日坊主でいいじゃない

夕食のヒレカツとキャベツのサラダとスープをゆっくり食べ終わる頃に窓の外の雨もほとんど降りやんだ。

「糖尿病なので歩こうか!」と、いや正確には「糖尿病予備軍なので」だが、すこし秋も暮れかけた戸外歩きをする。3キロほど。

昨日も同じように「さあ糖尿病なので・・・」とカミさんと連れだって5キロほどの道を歩いた。
キンモクセイの甘い香りがしてくるが暗くて花の香の所在がわからない。
昼間なら気にもならない工場に灯がともり、工場の中の機械類や車などが目にはいる。

先週は所用もあって2時間半ほどの距離を歩いている。
もっとも休憩なしに歩き詰めると、さすがに足も痛くなったが・・・

自転車一辺倒の暮らしに「敬老パス」のおかげで、地下鉄、JR、名鉄、あおなみ線と電車に乗る機会も増えた。
列車だけでなく市バスも一時間に1~2本と少ない時刻表にあわせて利用するようになった。

昼間の利用者はお年寄りが多い。「敬老パス」を改札にタッチするとランプが点く。
少し気恥ずかしさがあったが近頃ではやっと慣れた。
そして「歩く」ことも以前よりは増えた・・・「糖尿病だから」というのが口癖になっている昨日今日である。(笑)

明日も歩けば三日目になるが、あいにく雨模様となりそうで、そのまま休憩になるのか・・・。
カミさんに「三日坊主どころか二日坊主だなぁ~」と言えば、「三日坊主でいいじゃない、三日で休んで、また始めて、また三日坊主でも」と。

ほどほどに力を抜いて、焦りもせず、ストイックにもならず、そうして知らぬ間にじわじわと「糖尿病対策」になればいいってことか。

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2017.10.10

生活習慣病

10月10日(火) 糖尿病検査と注射

7月に受けた人間ドックで「糖尿病の疑い」の結果がでて、10月初旬に再検査をした。
糖分たっぷりの飲み物を飲み、一定時間経過後の血液検査で、4回もの採血をした。
つまり4回も注射を打たれ「ちょっとチクッとしますからね~」と優しく針を刺してくれたが、どうみても注射は痛い。

ブスリと腕に刺す瞬間は見ないことにしてるが、「私はしっかり見るわ」と妻が言う。
もっとも、そういう気丈な患者には看護師さんも緊張するらしいというが、本当か。

血糖値の数値が良くない結果がでてから、足がしびれるような気が、眼圧が上がって視力異常が出た気が、食後の気怠さが半端ない・・・と。
あれもこれも「糖尿病」の症状だと言い続けていたら「まったくもう、暗示にかかりやすいんだから~」と笑われる。

自分の体の症状についてはほとんど自信もなければ自覚に乏しい。
それをして「暗示にかかりやすい」ということらしい。
若い頃献血をした時、なぜかふと針が血管を突き破り全身大量出血して失血死するんじゃないかと妄想した挙句、くらくらとめまいがしたことがあるが、あれからどうもトラウマのようだ。

暗示にかかり易いから「癌の告知はされない方が身のためだ」と本気で思っている。
もっとも「暗示」といっても政治とか宗教とかそうしたものの「暗示」には滅法強い自信はある。

さて、その再検査の結果を聞くために今日は通院をした。
血糖値は標準より高い。血糖値を下げるための肝臓からのインスリンはそれなりに分泌されているが、血糖値が下がるのが緩やか。
肝臓も一生懸命頑張って仕事をしているが、いかんせん緩やか。

つまり100%の糖尿病予備軍には違いないが服薬治療するほどではないらしい。
血糖値が上がらないように食事量と摂り方の改善が必要、筋力を増やす運動も必要、年に数回は血液検査をすべし。

「糖尿病の要観察者」ということになるが、高血圧、糖尿病といった成人病とは無縁な人生だっただけに、いやはやなんとも。
そういえばこの春から夏にかけて自転車に乗ることも減り、やはり運動量そのものが落ちてきたから・・・ここは一念発起して!!清く正しい一票とともに、清く正しく健全な生活習慣を作らねば。(笑)

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2017.10.04

あ~ぁ壊滅!

10月4日(水) 月見上げれば十五夜の輝き

今日は十五夜だったわねぇ~運転してて見られなかったわぁ~と妻。
月を見上げて何かを思うなど、暮らしの中から遠のいた。
ススキと月見団子も。

気が滅入ってしまう。あ~ぁ、とため息が漏れてくる。
20匹以上が泳いでいためだかの稚魚が3匹まで激減した。

数ミリほどだから鉢底に横たえてしまったのだろう見当たらない。そればかりか成魚も今朝5匹までになって、壊滅的なめだかの生育状態になってしまった。

きっと孫に話したら「めだかさんお空に行ったんだよね」と言うだろう。
今夜の十五夜はとてもきれいだから、丸い月でゆったり泳いで遊んでるのだろうか。

一昨日は激しい雨が降り、急激に気温も低下した。
厳しい環境下で体調も壊したのか、それとも飼育方法にどこか間違いがあったのか・・・

「自然淘汰、サバイバルに生き残らなければ・・・、我が家のアロエは大雪にも耐えて今があるのよ。めだかも強くなけりゃだめよ」
いやはやごもっとも!などと滅法強気な妻だが、そのくせ自分の仕事では弱音を吐いている。

ホームセンターやペットショップで売られているめだかだから、清流の川底などで強く生き抜いていためだかとは違うのか・・・

成魚も稚魚も強いのから弱いものまで、個体の違いはあろうが全部来春まで生かそうと。
一匹たりとも死なせるまいと、意気込んだはずがこの様なので、めだかも産卵して自然に死ぬのは致し方ないとしても、やっぱり、あ~ぁ!なのである。

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2017.10.01

自転車専用レーン

10月1日(日) シンプルで安上がりで、なかなかベターだと思う!

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今日は用事で区役所まで行く、もちろん自転車で。
役所の「日曜窓口」の日だったので、普段は窓口も混むが、ほとんど待ち時間がなかった。

本来は平日に来れない市民のための「窓口」だから、平日に行ける自分などは「おまけのサービス」のようなものだ。
経済の活性化?あらゆるものが24時間365日の不夜城と化す傾向にある。

しかし、そこで働く人は健康で文化的に暮らす環境から、家族生活もバラバラの時間になり、「一家団らん」も遠のき、健康的でいられるのか・・・。
便利さを追い求めるのはいいが、結局自分の首をしめることにならないだろうか?

そんな訳で区役所を後に、少し遠回りをして自転車を走らせていたら、自転車専用レーンを発見した。
これはいい、シンプルな自転車専用レーン。以前はなかったのでいつ作られたのかと思う。

市内の伏見あたりある幹線道路の「自転車道」は柵に囲まれた立派なものだし、高架が走る江川線道路の「自転車道」は歩道を整備し、そこにを「自転車道」としている。

こうした歩道上の「自転車道」や車道に鉄柵で分離した「自転車道」はものすごく立派で費用もかかっていそうだが、この写真の自転車専用レーンは車道にペンキで記しただけのものなので、経費の節約になっている。

自転車レーンは多大な税金をつぎ込み立派でなくとも、公道をペンキで表示し、車と自転車をすみ分けシェアするという、至ってシンプルなものでいいと思う。
自転車マークと矢印で右側通行の違反自転車との接触もなさそうだ。
車の違法駐車の防止にも役に立ちそうだ(事実、この先のレーンのないところでは車が違法駐車していた)。

ただ残念なのはレーン自体が数百メートルで終わってしまうことだ。
この道が比較的車道幅があるために設置したという意図はわかるが、市街地であっても、こうした公道の自転車と車の「すみ分け」の発想が基本じゃないかと思う。
費用(税金)をかけない自転車の走る道(レーン)ならば、もっと増やすこともできるのではと思うのだなぁ。

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2017.09.29

推理小説

9月29日(金) 松本清張「黒い画集」

図書館で貸出延長していた松本清張の「黒い画集」を読み終えた。

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昭和30年代に発表された推理小説の古典とでもいうか・・・
7作品700ページの文庫本で読み応えがあった(時間的にだが)

これまで推理小説というジャンルはほとんど読んでこなかったが、謎解き小説のおもしろさはたしかにある。
全編ほとんどが殺人事件であり、おもしろいのはその動機が男と女の愛憎で、今日的に言えば「不倫」がその動機付けであり、今も昔もそこらあたりに潜むのは暗いイメージであり、あるいは反社会的な行為の背景にある満たされない生活からくる情念のようなもの。

肯定はしないけど、人はそこまで思い込むことが出来る!というあたりは、情感として理解できてしまうので・・・これはヤバイ(笑)

一人の作家にとりかかると、その作家の作品を出来るだけ読もうとしてしまうのは性癖なのかも知れない。
たくさん読むと、つまらないと思うものにも遭遇するが、その作家の世界観のようなものが見えてくる。

代表作や知られた作品だけでは、何かしら「まだ知らない部分」があるのではと思えてくる。
そうしたものがあればあるほど、もう少し読んでみようかとなる。なければ、まあこの数冊でお終いだな、となる。

小説を読みながら、この作家が何を世に問うているのか?と、そういうことも考えてしまうので、ある意味「不純」な小説の読み方なのかも知れないと思う。

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2017.09.25

彼岸花三景

9月25日(月) そうだ彼岸花を見に行こう!

こういう書き出しだけど「嘘」です。急に思いついたような言い方だが、今週の予定と天気をみると今日しかないだろう!というわけで、自転車で庄内緑地公園へ向かった。

■自生する彼岸花(一景)

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用水脇や堤防にしっかりと紅い彼岸花が咲いていた。新名西橋の堤防道にも咲いていて、吊り橋の赤いロープとのコラボが面白かった。
数年前はもっともっとあちこちに咲いていたが数も減った気がする。

少し前に一面彼岸花の写真が新聞に載っていた。
実物は壮観なんだろうと思うが、自生する僅かな彼岸花もいいものだと。
つまりなんだねぇ~貧乏性の自分には、そこらに自生する彼岸花が似合ってる。(笑)

■曼殊沙華という名前(二景)

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本当は僕は彼岸花とよぶよりも曼殊沙華という名前のほうが好きだ。
死人花とか捨て子花とか幽霊花とか、ちょっと可哀想な別名もあるらしい。

つげ義春の漫画に「紅い花」という作品がある。高校生の頃に好んで読んでいたつげ義春。
その赤い花は彼岸花ではないけれど、そういう暗いイメージが彼岸花を見るたびに思い出す、暗さや妖艶さや貧しさや・・・曼殊沙華。

とはいうもの、青い秋空の下に咲く彼岸花は、頭の中のイメージとは違ってけっこう咲き乱れているものだ。

■5歳の記憶にある彼岸花(三景)

信州の田舎から出てきた数年後の5歳の頃の記憶。母が墓の前で泣いていた。あれは母方の祖父母の墓まいりだったと思う。

きっと暫くぶりの故郷への墓参りだったのだろう、その日の夕方小さな店の座敷で知らないおじさんに買ってもらったブリキの自動車で遊んでいた自分を覚えている。

しばらく墓の前で泣いていた母。まだ小さい自分は何故そこに自分がいて、母が泣いていたのかわからなくて、ただその辺をうろうろしていた。そこに彼岸花が咲いていた。

それは遠い記憶なのであとから彼岸花が追加されたのかもしれないし、彼岸花という名前ももちろん知らなかった。

墓の前で母が泣いていた=彼岸花。ある種の暗いイメージであるとともに、どことなく「優しさ」もあわせ持った5歳の頃の記憶にある彼岸花。
いやはや歳を重ねると昔を思い出すことも多くなるわい(笑)

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2017.09.23

虚しさ

9月23日(土)秋分の日

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今年3回目のホテイアオイの花が咲いた。
となりの睡蓮鉢ではメダカがご機嫌だ。稚魚が知らぬ間に20匹ほどに増えて、すくすくと育っている。
稚魚も個体差があり発育も早いものも遅いものもさまざまいる。

北窓を開け放つとうっすら粉塵が窓ぎわにめだつ。
このところ建築用の重機が幾つも「くい打ち」をしていたから。
電柱のようなコンクリート棒を打ち込むのかと思いきや、掘削してコンクリートを流し込む工法のようだ。
重機の機械音が響くたびに、なんだか地球という星が悲鳴を上げているような気になる。

作業は朝の8時から始まる。黄色い工事ヘルメットの作業員が黙々と働く。重機を操作しながら複雑な手順を小気味よくこなす。
昼時には駐車した車両のなかできっちりと一時間の休憩をとり、また黙々と作業にとりかかる。
そういう姿を窓越しから眺め、働くことの意味をいろいろ考える。
人の働く姿ほど美しいものはないと思えてくる。

今日は3時間ほどの「話し合い」を4人で行った。
プライバシーもあり詳細は言えないが、人はいろんなところで傷ついている。
その傷ついた姿はとても重苦しいが、ほんの少し自分の背負う荷を人と分かち合えば、ずいぶん違ってくるが・・・

人はそれほど強くはないと思う。強くなくていいじゃないかと。だから弱い部分を持って、人に頼ればいい。そうすれば自ずと信頼も生まれる。
みんなで「弱さ」を共有して、弱い自分に正直になれば、きっと「楽になれる」・・・

と、自分などは思っているが、なかなか難しいものである。
議論というのは嬉しくなることもあれば虚しくなることもあるものだ。

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2017.09.21

自転車の保険

9月21日(木) 名古屋市で自転車保険の義務化

高齢の義母から自転車保険に加入しないとダメらしいと連絡が入る。

この10月1日から市の条例で自転車に乗る人は損害賠償保険に加入することが義務化された。
近年、自転車の交通事故が増え、損害賠償額も大きなものになるケースがあり、まあそういう危惧から、保険加入を義務化する条例らしい。

この話は以前から聞き知っていた。ちなみに私自身は加入していないし自動車の保険の特約事項にもないが、幸いにも妻の加入する自動車保険の人身保険特約が自転車事故保険を対象としており、家族も対象になっているので問題なし。

自動車を運転しない義母は「はてさてどうしたものか?」というわけだ。
ちなみに市外在住者であっても市内で自転車に乗る場合はこの条令が適用されるという。
ただし・・・、ただしこの条例では「罰則規程」はないので、義務化というが罰則のない義務化という、ちょっと不思議な関係にある。

もっとも日頃自転車をよく利用する義母や我が家のように気にかけている人にとっては、「健全な市民生活」を忠実に守ろうと気にするが、全般的には認知度は低いだろう。
「今度、名古屋市は自転車保険義務化の条例ができたので・・・ほれ、これですよ!ついてはおばあさん安い保険がありますから~ひひひ」なんて「自転車保険詐欺」など発生しなければいいが。

自動車に自賠責保険が強制されているように、軽車両の自転車も保険に加入することは不思議ではないとは思う。条例ではヘルメット着用や安全運転注意なども努力義務としている。

こういう自転車の安全にかかわる条例は、それなりに意義あることと思う。
が、相も変らぬ右側走行やスマホ片手にや猛スピードの歩道走行など、条例の趣旨を生かす自転車ライフが遅々として進まない現状。

実際の危険運転の防止にあわせて、道路の自動車と自転車のシェアという概念すら少ない道路交通政策、自転車レーンの設置(あの歩道にラインを引いて自転車を!じゃなくて)など、文字通り「自転車先進都市」名古屋への抜本的な議論が必要じゃないかと思うのだけれど・・・

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2017.09.20

近頃おもしろかった記事

9月20日(水) 本能寺の変

ボランティアの会議で午前中は慌てて出かける。日常の時間のリズムとは違うので、けっこう疲れたりするが、真面目に向き合う人の輪のなかで、これも日頃とは違う脳の使い方となる。

「恋々としがみつく・・・」社会的な地位や功績など、他者の評価を得てきた人ほど「去りぎわ」が難しいと思う。
「自分が自分が」と自分のことだけで精一杯になってしまうと見えるものも見えなくなる。

そういう立場にない自分は来いと言われれば行き、来なくて良いとなれば、また元の場所にもどるだけだけれど。

などと思うと、あの織田信長という人物は「自らを去る」などということは意識のなかにこれっぽっちもなかったのだろうな、権力者の常として。
今日の新聞に室町時代の水墨画家「雪舟」の作品が何十年ぶりかに再発見という記事があった。よく知らない画家で、そこにはあまり興味もないが、時代を超えて作品が残っているということのほうに興味を持つ。

発見といえば、こちらの方が興味深い話題で、本能寺の変ののちに明智光秀の書状が見つかったという記事。
信長に反旗を翻した光秀の「動機」については「権力欲説」「信長への私怨説」「足利義昭との密通説」、説はいろいろあるが、義昭との内通説を補完する書状なのか・・・

もっとも、歴史は英雄で語りつくせない。英雄史観の背景には、その時代々々には名もなく貧しい庶民の暮らしがある。

ただ、歴史を知り得るには「貴重な資料」なのだと思うと、たとえば「信長公記」のように、その権力を得た側が作り上げる英雄や史実というものがあるが、知られざる真実というものが掘り起こされるのは、現代から遡及しても価値があると・・・

昭和史、戦争の歴史、まだまだ隠された事実があると思うと、文書や文字による歴史的資料は探しても探したりないことはないと思う。

人は忘れやすい生き物で、白いものも黒いと言い続ければ黒くなるとは、かのヒットラーの言葉だし、自分の経験した事柄であっても記憶がおぼろげになるのであって、事実を事実として知ること、残すことの大切さだと思うのであります。

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2017.09.18

台風去りて

9月18日(月) 松本清張の短編集を読む台風の日

久しぶりに暴風の強い台風だった。通風孔からゴォーと風の音が聞こえるたびに、十数匹まで増殖した、めだかは生きてるかと窓から鉢を確認する。

「めだか、めだか」と毎日言ってると「何がそんなに・・・」と妻が言う。
あることに執念を持つ、別な言い方では「拘り」。そういう種族は概ね「変人」と言っていい。
「変人」というのも人を表す「属性」の一つである。

芸術というのも一つの属性に違いはないが、そうした「属性」を取り払ったときに残るのが人間の「本性」で、それが豊かなものかどうか?
「肩書」ほど人の本性を見誤らせるものはないが、それでも人はいろんな属性を好み、時には没頭し、命を懸け、人生をかける・・・

というわけで、台風を前後した二日間。松本清張の短編集を読む日々となった。

Img20170918_04410年ほど前に発行の文庫本なので赤茶けて活字が小さい。最近は小さい活字が読み辛くなった。

12編ほどの短編が収録されてる。その多くが学芸を職業とする・・・つまり学問と芸術を「生きる」主人公の物語といえる。

民俗学、考古学、詩歌、絵画、そうしたものに生活の全てをかける人が、現実社会から疎外され、あるいは受け入れられない「才能」に苦悩するという、いわば「不幸」を登場人物から知る。

現実から乖離する暮らしを支える「女性」が彼らを、かろうじて「実生活」に引き戻すあたりは、なんとも男女参画共同社会の今日からすると古い時代背景があるが。

学問・芸術はいつの時代も暮らしとの浸透性が少ないものであるが、そういう学芸という属性を引き剥がされて残る人間性がどんなものか?あまりにも薄っぺらなものだけが残るとしたら、はたして学芸そのものに、「人間」に迫る「才能」が本当にあるのだろうか。

・・・と、まあそんなことを思いながら、雨と風の台風の日を過ごしていた。
めだかは、成魚も稚魚も流されることなく台風一過のちょっと暑さの戻った秋晴れの空の下で元気に泳いでいた。
めだかはめだかであって、修飾はなくてもいいじゃないか。

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2017.09.15

竹とシュロ

9月15日(金) あれやこれやの暮らしの一コマ

「日程が違うのでは?」とメールが入る。
そんなはずじゃないと確認すると「9月23日(日曜日)」とある、あっちゃ~!土曜日だった。
予定変更の連絡を慌てて数件入れる。
日付けや曜日の感覚もズレが生じる退職後の人生なりぃ~(笑)

週末には台風が日本列島を縦断するという。家の窓側に張ってあるシェードを外す。もう真夏の強い日差しもなくなって、そろそろ遅れ気味な「秋支度」という季節感。

台風といえば、めだかの雨風対策用に、京都産のなんとか竹四本とシュロで編んだ紐をホームセンターで購入。合わせて1000円もしないので小遣いの範囲。

Img_000130センチと40センチほどに竹を切り、シュロの紐でつないで・・・睡蓮鉢の竹蓋の完成。

重さもあるので少々の風と雨ならは防げるだろう。
屋内に退避させればよいが、なかなかの重量で寄る年波の腰痛が怖い。(笑)

重量といえば、孫の三歳児検診があるので来て欲しいと。
来いと言われればホイホイと返答する退職後のわが身。

大ちびちゃんと小ちびちゃん。三か月の小ちびちゃんも重くなった、抱いてて寝ると途端に重くなるのは何故だろうなあ~(全身の力が抜けるからか)

で、大ちびちゃんが帰りがけに「おじいちゃん名古屋に帰ってダメ~」と大泣きして何度も連れ戻そうとする。「良かったねぇ~」と娘が笑いながら言う。
そういう世界を経験できる幸せなのだろう。もっとも3歳児の記憶には残らないだろうが(笑)

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2017.09.13

堤防道には秋の風が・・・

9月13日(水) 行ってみたらコスモスの季節だった

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夏草が背丈ほど伸び、庄内川の堤防道をおおう程だったが、普段なら見えない川面が見えるのは、昨日の雨で増水しているからだろう。

堤防道を自転車で走ると秋の風が心地よい。ビルの合間のアスファルト道では、この風は感じることができない。

自転車はある種の瞑想の時間のような気もする。日常のリズムからたしかに切り離された時間。
人はときどき「人社会」からほんの少しかけ離れた時間も必要だと、一人サドルの上で沈思黙考すると、子どもの頃や仕事に追われていた頃や・・・特に今思考する必要もないあれこれが、流れるように思い出されるのも、それも必要なことかも。

都会の街中ではやはり得られないのだと思う庄内川の堤防道。一本のヒコーキ雲がどんどんと伸びて、秋の空に映えていた。

庄内緑地公園のコスモスが風に揺れていた。繊細な見かけよりもずっと強い花。
その向こうには季節を終え枯れた向日葵が寂しそうにうつむいている。
やはり季節の変わり目なのだと。あの伸びた夏草ももうすぐ刈り取られ、曼殊沙華の紅い花も咲き始めるだろう。

自転車がパンクしたと思った昨日。よくよく調べるとタイヤチューブの仏式バルブのネジが緩み空気抜けしていただけだった。
自転車もしばらく乗っていないとバランス感覚が悪くなる。

ドカッとサドルに腰をおろして、やや大股で膝を曲げてペダルをこぐ・・・あのママチャリスタイルでは乗れないし、逆に危ないので、ペダルとサドルとハンドルに体重を分散して、しっかりと顎をあげて前方を見る。

自転車に乗ることが「老い」に抗しているようにも見え、可笑しく思える。
20キロほど走った。途中で缶コーヒーを買い、しばしベンチでぼんやりとする。
「意味」を求めれば答えもなく、「暇人」といえば言えなくもない20キロ。
何も求めないところに穏やかな自転車ライフがある。

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2017.09.12

今日の出来事

9月12日(火) 雨のち曇りのち晴れ、湿度高し・・・

雨降りなので自宅裏の工事は一休み、窓から眺めると掘り起こされた土に重機のキャタピラー跡が残り水溜りになっている。
何気ない土模様だが、普段はコンクリートばかりで「土」の顔が見えたような気がした。

朝方はけっこう激しく降った。三つほどある睡蓮鉢の一つは満杯の水が溢れている。
幸いにも「めだか鉢」はすだれを掛けてあり余裕があったので大丈夫だった。

稚魚が5匹いるが大雨だと流されそうだ。ビニールシートをかけてみたが、どことなく風情がないし、真っ暗な鉢の中ではめだかも辛かろう。
情緒ある秋のめだかの演出にあれこれ無い知恵をしぼるが・・・知恵も出ない。

夏の暑さ対策はなんとなく分かった。大雨ましてや台風時の対策は試行錯誤中である。そうして、数か月も過ぎれば雪や凍てつく水温の対策も必要になるだろう。
「めだかと暮らす」とはこういうことだと肌身で実感する。

雨あがり。ビニールシートを外すと、黒と赤のめだかたちが元気に泳ぎだした。
めだかが元気だと、その元気さに共振するわが心ってわけだ。
・・・またまためだかの話題で恐縮だが、なんとしても来年の春先まで成魚9匹と稚魚5匹を死なすわけにはいかないと、けっこう本気モードなのである。

というわけで、雨対策のよい方法はないか?と「100均の店」で物色しようと自転車を出したら、なんともまあ前輪がパンクしていた。やれやれ明日はパンク修理しなければ。

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2017.09.09

めだかと蛙と本の秋

9月9日(土) 生き物と一緒に暮らしているという安らぎ

まずは蛙の話から。めだか鉢に蛙が入り込み、これで2度目になる。
水草の鉢は他にあるが、好んでめだかの棲む鉢ばかり入り込む。

蛙はめだかを捕食するのか?昆虫などを餌にするのが常だが、どうも喰うらしい。
数匹の成魚の失踪の原因は、この蛙かもしれない。捕まえようとするとぴょんぴょん逃げる。

タイヤの下で一休みし、またぴょんぴょんと跳ねる。蛙の冒険もよいがめだか鉢はご遠慮願いたいと、田んぼに逃がしてやった。
余談だけど水上勉の小説「ブンナよ木から降りてこい」が思い出される。

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【蛙の眼のなんとも言えぬ可愛さ (笑)】

さて、そのめだかだが、このひと夏で成魚は四匹まで激減し、数ミリだった稚魚は一匹を除いて全滅してしまった。
生存しにくい生物は多産だと事実を持って知った。たかだかめだかといえど生きるというのはしんどいものである。

めだかの産卵期は春から初秋の頃のようだ。秋にしっかり栄養を蓄えて冬はじっと水底で動かず冬を越す。
4匹の性別不明の個体から、新たに数匹稚魚が生まれた。鉢も大きくしたのでもう少し個体数も増やして、成魚、稚魚とも秋の風情を親しんで越冬して欲しいとの思いだ。

先日、黒めだかを5匹買った。あわせて600円であった。もっか9匹である。稚魚が4匹ほど泳いでいる。
最近はめだかと格闘しているといっても不思議じゃない。(笑)

犬も猫も蛙もめだかも生き物が好きだ。生き物が暮らしやすい環境は人も暮らしやすい環境だと思うと、子どもの頃に蟻と遊び蛇や蛙や鳩や・・・そうした生き物が身近な環境から、大人になり多忙になって「世話ができない」暮らしとなり、身の回りの生き物は「人間ばかり」になって、どことなく窒息しそうな現代社会。
なんとまあ、バランスの欠いた生活環境ではないかと・・・

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【めだかが元気、自分も元気!ながめるだけで元気に!】

使い古された言葉だけど、どことなく季節の味わいの残る言葉「読書の秋」。
恒例の図書館通いの日。松本清張の文庫本を四冊と新刊本一冊を衝動借りした(買いではない、笑)

ここ何年かは本は借りるものか古本屋で100円均一がほとんどになった。
小説もペーパーからWEBで読む時代になり、本が売れないのはそんなところにも一因があるのか。
活字とくに「ぐだぐだ」と字ずらが並ぶ本ってのは、超スピード社会では「めんどくさい」のだろう・・・論理的に考えるよりも感覚的・視覚的に入るものが好まれるのも一理あるかな。

良い文章に出会って「ハッとする」ことや、知らない世界に入って四苦八苦しながら読み進めることの面白さが本の醍醐味だとしたら、これって実は人間が日常生活のなかでの喜怒哀楽の心の動き方や理屈っぽく考えたりするのと同じ構造のもの。

つまり、人の思考は文字を介在して頭の中で再構成する・・・想像力なんてものは、思い付きや直感とか感性などという「不確かな力」が原動力とは思えない。文章が読めなくなるというのは、文字が苦手になるのじゃなくて、頭の方が文章のリズムに合わなくなるってことか。

思考力が低下しているときは、その低下に応じた表現しかできない。
どこかで人知れずコツコツと「豊かさ」を学んでいる人、誰に伝えるわけでもなく、コツコツと頭の体操を続けている人。
そういう人が何気なく話す言葉の端々から豊かさが滲み出る・・・人間味。

なかなかなれないけど、そんな人もいる。だから、そんな思いを持って、たいして「役にもたたない」小説などを読み耽る秋!

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【なんでもよいから活字を読め!先輩の矜持だったなぁ】

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2017.09.07

神々の国

9月7日(木) 気晴らし読書

この夏はまともに読書ということも少なかった。

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子どもむけの絵本を読み聞かせ・・・、というよりも、適当に登場人物などを作って、話も超短縮して孫に読むと、意外と「受ける」のもわかったが、それにしても今年は活字から遠のいた夏だった。

前回の8月、図書館で借りた四冊のうちの2冊がこの聖書物語(旧約・新約)。

アダムとイブから始まる人間と神の物語が旧約ならば、新約はイエス・キリストの生誕から始まる物語だ。

気晴らしでほどほどに読んでいたが、挿絵の宗教画がおもしろい。古典の文書に沿って忠実に描いたのだろうが、そのエネルギーには「聖書」には縁遠い僕など、やはり面白いのである。

神々の国の歴史という「文化」としては、物語性のおもしろさ。人間が創り出す人間に似た「神」の姿を想像する楽しさといったら、キリスト教関係者に失礼だろうか。

まあ、日本に根付いた信仰心が、自然界に生きとし生けるあらゆる生命を根源としているとするならば、その自然観の違いが、その違和感としてあるのだろうが・・・

ほどほどに気晴らしに読む「神々の国」の物語としては、おもしろかった。
さて「読書の秋」もやってきたので、さしずめ松本清張の続きから始めようか・・・よく知られているがまだ読んだことの無い作品たち、こういうものの中からお宝発見と行きたいなぁ。

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