2018.01.15

つれづれに古典小説・森鴎外

1月15日(月) 図書館返却の凡ミスの日

しまった!月曜の休館日だったと気づいたのは家を出てからで、ときどきある凡ミス。

新年から松本清張の初期短編集の文庫本を4冊ほど読んでるが、もう10数人が殺されている。
「殺人」など続いていると気が滅入るものだが、なんというか人間の持つ「業」の深さややりきれない「哀れな情」などが淡々と語られている。
推理小説の類はそれほど読んではいない。
推理小説といえば、犯人捜しやトリックの巧妙さも面白いが、清張自身が言ってる「その動機」の追究が、人の生き様や暮らしを浮き彫りにしている、そこがおもしろい。

さて、その松本清張の文庫を読んでいて、森鴎外の「高瀬舟」の話がでていた。
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はてさてどんな内容だったかと思い出そうとしても記憶の片隅にもない。題名は覚えているが・・・

という動機に基づいて図書館に向かった結果が休館日だったのである。
こういう古典の名作ならばBOOKOFFの100円棚にあるだろうと目星をつけて購入。
読書なんて、思い立ったが吉日、流れの赴くままに・・・

江戸時代、京都の罪人が遠島を言い渡され、高瀬川を小舟に乗せられて行く。
この小舟には町奉行の同心が護送のため乗船する。その罪人と交わす話のなかに、命の無常というか理不尽さを思うのが「高瀬舟」。

教科書に一部が載ってたような気もするが、古典の名作には時代を超えても失われない本質みたいなものがある。わずか数頁の短編だけど。

ついでに「山椒大夫」も読んだ。中学か高校の頃からずいぶん時が経ち、ちょっと懐かしい気持ちになる。
これは小学校の頃「安寿と厨子王」という絵本で読んで、盲目の老いた母が『安寿恋しや ほうやほれ。厨子王恋しや ほうれほれ。』と歌いながら鳥を追う絵に、ひどく哀しくなった想い出がある。

そんな純粋無垢な子どもの頃もあったが、いま再び読み返してみても、優しさと哀しさと仏教心が見事に表現されていると感心もする。
時が流れるように、一冊の本から無造作に他にうつり、気ままに読む面白さは格別のものがある。
さて残りも読んでしまおう。

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2018.01.12

読書グッズ

1月12日(金) なるほど便利な読書の友

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氷点下・・・玄関先の睡蓮鉢の水が凍っていた。
ホテイアオイが可哀想にコチコチになって寒い冬をしのいでいる。

めだかの越冬は鉢にプチプチを巻き、アクリルの二重蓋を載せ、さらに鉢全体に温室のようにビニールハウス状態。
凍ることはない。蓋をあけて覗くと底のほうに数匹じっとして身動きしない。
いくぶん痩せてきたようだが、あと数か月も辛抱すれば春になる。

そんな寒い中自転車を走らせ名古屋駅ビルの東急ハンズに行く。
読書用の便利グッズを買う。以前から目星をつけていたから衝動買いではない。

仰向けになって文庫本を読むことが多い。
疲れてくると右手に持ったり、左手に持ったり・・・持つ指が邪魔になったりする。

というわけで、写真のように親指につけ、片手で開ける優れものグッズを買った。
なんてこともないプラスチックが350円、しかしよく考えられたものだ。
読書グッズはいろいろ目にとまる。

定番のブックカバーや栞(しおり)や目薬や読書スタンドなどなど・・・
これも人生を楽しくするアイテムだが、普段は裸眼で差支えないけど、そろそろ老眼鏡とか拡大鏡メガネが必要になるのかなぁ~ (笑)

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2018.01.11

戌年なので

1月11日(木) 兄弟、子ども、孫・・・

すっかり明けてしまったが戌年!
で戌年は商売繁盛とか子宝・安産とか「吉」な年という話があるようだ。

正月に兄弟らとの新年会があって、一つ歳を重ねるごとに孫の数が増えて、集まった兄宅も小さな孫らが走り回るり賑やかなものだった。

自分の親の世代はもう亡くなって、兄弟とその子ども、そして孫たちが「新年会」の中心になっている。
改めて時の経過、時代の移り変わりが身に沁みると同時に、歳を重ねる自分も確認できる。

男ばかりの兄弟4人、その配偶者が3人、それぞれの子どもらが10人、その子どもの配偶者が7人、さて孫の人数となると15人。
めでたい話ではこの春に16人目の孫が生まれる予定だというので、合わせて39人となる。
ふむ、人数に間違いはないだろうか、ちょっと怪しいか?・・・そもそもハシャギまわる孫の名前も全部覚えられないのが現状だ。

もっとも全員が「新年会」に集まったわけではないが、二間を通した兄宅の部屋が処せましとなった。
正月ぐらいしか見られない景色といえようし、家族が拡散して「一同会する」のもこの先はどうなるかも知れない。

兄弟に子どもがいるだけの頃は「新年会」の話の中心は兄弟であったが、その子らが家庭を持ち、それなりの歳になると、話題の中心も、その子どもらの世代に移る。
親族も世代交代が始まり、「親族」という括りでは収まらない、それぞれの暮らしが出来て行く。

40人近い子や孫やが暮らすとなれば、いろんな考え方や生き方があり、その多様性は「親族」の枠にはおさまらない。多様性万歳なのである。
みんな元気に過ごし、暮らして行ければよいのである。

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2018.01.04

走り始め

1月4日(木) 今年も自転車ライフを楽しもうと思う

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【ブログで何度も登場する風景、変わらない穏やかさ】


今年の走り始めは昨日だった。空は青く風は冷たく、このヒンヤリ感が冬の良さかと思う。
冬場は意外と自転車を走らせると気持ちがいいもの。

いつもの風景が広がる。いや、いつもより流れる庄内川の水面が青い。
庄内川にそって枇杷島橋から庄内緑地公園、そこからサイクリングコースを走らせる。

ホームグラウンドと自認し、費用のかからないエコで心のリフレッシュには最適な道。
もう10年以上は続く自転車散歩道。

春には春の花々が、夏には夏のうだるような暑さが、秋にはもの憂う落葉が、そして冬は・・・
冬はちょっと淋しく人出も少なくなるが、缶コーヒーの一本でも口にすっれば極上のひと時。

ときどき出会う自転車乗りの方と交わす会釈もいい。
正月だから「おめでとうございます」と心で呟き、顔は会釈。
さて、あと何年この道を走り続けられるだろうか・・・

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【定番の自転車散歩道、往復で18キロぐらいかな】

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2018.01.02

迎春 2018年

1月2日(火) 笑門来福

「あけ・おめ~」って言うんだよと妻が孫に言う。娘の夫の実家に行ったときの「おさらい」のようだ。
新しい年を迎えて、変わり映えのしない日常も、正月気分は心地よい。

近くの神社の御神籤を引くだけに元旦早々からでかける。「中吉だった」と娘がいい、他もほどほどに良い一年らしい。
自分はといえば神社までの運転手、困った時の神頼みこそ「神の道」と心得る。

妻と娘は年末ジャンボ宝くじも外れたようだから、100円ほどの御神籤に一年を託すほうが、よっぽど確率の良い「運」である。

「だからねぇ~、年末ジャンボのくじ代をワタシに預けてくれれば、どうせ外れるのだから・・・」という世の現実は「夢がない!」というお叱り。
そういう自分も年末宝くじのプチを頼んで買ってもらい、みごとに300円ゲットし2700円をドブに捨てた。

講釈を語るほどに論理的一貫性はない。当るはずもない!と言いながら、もし当たったら!とほくそ笑むいい加減さである。

ほどほどに、適当に、いい加減に!良きことも悪きことも、ぜ~んぶ現実ならば、ぜ~んぶ引き受けて、楽しく笑いながら泣き嘆くのも、とっても人間味があってよいと思うお正月。
今年のブログも笑える記事が書ければいいが・・・気力と知力が寝たがっているからなぁ~(笑) 

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2017.12.27

何気なく手にした一冊

12月27日(水) 「母 住井すゑ」増田れい子著

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住井すゑの「橋のない川」を読んだのは高校一年のときで、その後に映画化されたのを観に行ったが、もうずいぶん昔のことなので内容も曖昧になっている。

「橋のない川」は被差別部落を扱った小説で当時の思いとしては差別への憤りをヒューマニズムの思いから読んでいた記憶である。

その住井すゑの娘さんが著書の増田れい子さんになる。
母との暮らしのなかで住井すゑという作家が何を大切にし、どう生きていたのかがとてもよく分かる、いわば回想録とでもいう本。
人の人生、エピソードを通して、その人の生き方が伝わる。

図書館で何気なく手に取り読んだ一冊だったが、さすがに「橋のない川」の作者だと納得できる部分が多い。

人間が持つ差別的感情、その心の襞(ひだ)にまつわる話が、知的障害児の施設職員をしている方との対談として書かれているので、少々長くなるが紹介すると。

『住井 日本人は、どこかでひとを差別しないといられないないんですね。差別することによって、自分に加えられている差別をがまんしてる。そこが悲劇です。差別構造のなかにいるから差別に苦しむのです。だからこの構造をやめなければならないんです』

続けて幼い時の体験をこうも語っている。

『住井 幼いときに被差別部落に入って行きました。経済的に圧迫され排除され、いじめられているわけですから、そこは貧しい暮らしです。こども心にもふつうのまちとは違うとわかりますよね。すると小さな紙切れがコロコロと転がったんです。ところが、私の目には、何かワケのわからないものが、紙切れをコロがしている、とうつった。被差別部落だからそういうふうに紙がころがるんだ、と思ってしまったんです。・・・』

人間社会が不平等をつくり上げ、それが人の差別の心を生み出すという、こうしたものは現代の貧困や格差や差別のもとで生み出されることに通じている。
古い話ではなく、病める現代人に共通のことだと思う。

それらを学んだり観察したり関わったりしながら心に留める。
人の心の襞(ひだ)にとても敏感であるがゆえに、差別的感情に憤りを覚え、そうしたものが住井すゑの「橋のない川」の作品となっているのがよく分かる。

これはこの本の中で紹介されてる一つの話ですが、全体としては住井すゑという作家の「暮らし方」がいかに家族にも人にも愛情豊だったかを知ることができる。

年の暮れ。嬉しい一冊に出会うと自分自身が清々しくなる気がするのだなぁ。

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2017.12.25

師走の遠州森町サイクリング

12月25日(月) 坂道にアップアップ・・・

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【坂道、坂道、押して、歩いて…】

気のせいかTVの「こころ旅」の火野正平さんが自転車のお手紙を読み、旅の出発地点が少し小高い場所になって、走る距離も13キロ前後になったように思うが、朝の自転車風景はそれだけで心が和むものです。
 
23日の土曜日、遠州森町駅から小國神社へと6名で自転車を走らせた。
遠州、つまり静岡県なんですね。「お茶の香りの~」静岡県ってわけで、これまでで最も寒い時期のはずが、暖かく風もなく自転車日和でした。

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【レトロな風情の残る駅です】

遠州の小京都と言われ、けっこう暖かく雪も降らないと、駅の案内の方に教えていただいた。
ここから持参した自転車とレンタル自転車に乗って地図上では5キロほど先の小國神社へと向かいます。

余裕しゃくしゃく、教えていただいた道をのんびりと・・・
のんびりと走る予定が道を間違えたのか、とても自転車では辛い上り道。一つ上り、一つ下りと3つほど繰り返すうちに、もう自転車は押すもの引っ張るもの状態になりました。

監督さんがいてアシスタントさんがいてサポートカーが欲しいぐらいだったですが、こういう経験も、それなりに楽しいサイクリングだったような気もします。
もっとも10年前に比べると体力的には落ちているので、「なんだ坂、こんな阪・・・」などと踏み込むペダルもちょっと弱々しいのが現実です。

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【小國神社、ちょうど結婚写真を撮ってましたよ】

小國神社境内の茶店でうどんをすすり甘いぜんざいなどを口にしたころには、次に予定している、あの清水次郎長の子分「森の石松」の墓のある大洞院まで、誰しも走る気力が萎えてしまいました。

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【大洞寺の石松の墓まえ】

比較的なだらかな下り坂道を元の遠州森駅まで戻り、な・な・なんと車で行こうという、およそサイクリングと言い難い(笑)結論に一致をみました。
まあ、名古屋のある濃尾平野がいかに平たんな地であるか、いかに自転車が楽に走りやすい地方であるかと改めて思い返したわけです。

今年を振り返ると台風や雨や行事などで何度となく中止・延期があった友人らとのサイクリングでしたが、暮れの押しせまった最後の最後に、元気な笑顔が見られたのはとても良かったです。

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2017.12.22

一陽来復のとき

12月22日(金) 冬至

「一陽来復」と聞きなれない言葉だが、陰から陽にかえる、悪いことが続いたあとに幸運がやってくる、新年がやってくる・・・そういった意味で「冬至」を指すようだ。

風呂の湯ぶねに「ゆず」の実がはいり、少しこすり合わせるといい香りがする。食卓に「かぼちゃ」が出され、「冬至」だからと妻が言う。

二十四節気のひとつ「冬至」。この頃を過ぎれば日照時間がながくなる。
夕方の4時も過ぎれば暮れ始めたのが、少しづつ長くなる。
太陽の日差しが延びて、ちょっとだけ得するような冬の日々だ。

ゆず湯で体を温め、かぼちゃでビタミンAを補い、風邪を引きそうな寒さが増すこの季節に、なんともまあご先祖様の時代は「知恵」者揃いだったことか。

毎年のスケジュールのように師走がやってきて、もうすぐ年も改まる。
ごくごく普通の日常は、とりたてて変わり映えのしない平凡なものだ。
先日、「人生ってなんだろうね」という話になり、「後悔しない人生でありたい」という人もいれば、「人生なんてたかだか自分事でしかないものだ」という人も在り。

ふりかえれば「後悔ばかりのこれまで」だし「自分という存在すら達観視できない」と、幾つになっても暗中模索のような日々なのである。
ただただ「粋な人生でありたい」と思うのだが、はてさて何が「粋」なのか。
悠々自適な暮らしなのか、旅に出て世を見極めることなのか、芸術家然として文化を享受するくらしなのか・・・

といった、諸々の暮らしよりも、ごくごく普通の生活のなかで、季節や人間を含めた生き物とともに、その一日々々を新鮮に生きられたら、変わり映えのしない生活に新鮮な事象や充足感を持つことが出来れば・・・というのが「粋」なことだと思う今日この頃である。

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2017.12.19

暖色

12月19日(火) 忘年会など・・・

日増しに寒さが強まり、玄関先のメダカなど鉢底に隠れて死んだふりをしている。
12月だから寒いのは当然として、戸外の気温が下がれば下がるほど、暖かな電球色の窓辺の色合いが、いっそう暖かく感じられる。

そんな昨日は忘年会だった。忘年会も一つか二つほどになって、それほど酒も飲めない身としては、過ってのうんざりするほど忘年会漬けになった師走から解放される解放感、と同時に無ければないで一抹の寂しさといって心境でもある。

社会との関係が減れば忘年会も少なくなるのは時世というものだろうなぁ。
寒い戸外の暗い路地を15分ほど歩き、自宅に戻って、風呂に入る。
しばし追い炊きなどすると、湯けむりで浴室がかすむ。二つの電球色のオレンジ色のライトもぼんやりとして、いっそう暖かさが身に沁みる。

・・・師走のなんてこともない日の風景である。

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2017.12.17

散髪

12月17日(日) 師走ですねぇ~

今年も残すところ半月、いつものように今月はクリスハートの「クリスマスソング」を好んで聞いている。
しかし、あっという間に一年が過ぎてしまうので、師走を迎え、一つ区切る「リセット感」っていうところか。

散髪に理容店に行った。そろそろ混み始めるかと思ったが、来週あたりが正月用の散髪のピークらしい。

髪を切りながら、この近所の話題などを話す。
一人暮らしで生活に困っている方の話など、理容店は近所の情報源である。
ついつい、そういう場合のケースワークはどうだろうと、福祉職場の経験が頭をよぎるが、余計な口出しは不要なことだと思う。
いろんな社会問題は現場で関係者が考えるべきだろう。

夏の短い髪形をこの冬場も続けることにした。あの高倉健ほどの短さだが、高倉健とは似ても似つかない。(笑)
散髪は面倒である。いっそ丸坊主ならばと思うが、髪がなくなって悩んでる方もいるから、贅沢な悩みだと店主に諭される。そんなものか!

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2017.12.13

寒波

12月13日(水) ほんの少しの違いでも・・・

気温が5度を下回る。日中は少し上がるけど朝晩は5度以下になると骨身に堪える。
子どもは平気だ。
孫守で出かけ近所の遊園地の滑り台がお気に入りで寒風もなんのそのである。
ダウンジャケットの下は薄着がよいと言う。
薄着すると体温の温もりが空気層を暖めるそうだ。という情報を信じて長袖Tシャツ一枚にしたら、案外「正解」であった。
気温5度前後の攻防は自転車にも当てはまる。5度以上が快適な自転車ライフだ。
ダウンジャケットの下の毛糸のベストを一枚脱ぐのも上着一枚の攻防。
微妙なところであるが、その「微妙」な暮らしを楽しむのも冬を過ごす一考といえる。
もっと微妙な話だが、サドルを5ミリ下げた。
目いっぱい高いサドル位置なので足が地面に着かないのが普通の位置。たった5ミリでもすいぶんと感覚が変わるのである。
ふむ、歳とともに体が縮小したのか(笑)という、他愛のない話であるというか、自転車に乗るにも寒い季節なので身体硬直して、転倒の予防の5ミリである。

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2017.12.06

風邪の連鎖

12月6日(水) 胃腸風邪が吹き荒れた話

吐き気、下痢、微熱とここ数日の症状も回復傾向だが、インフルエンザではなく胃腸風邪のようで、今日は妻も長男もそろって寝込んだ。
風邪菌が空中浮揚し一家を席捲したというところか。

話は数日さかのぼるが、孫の上の子が風邪をひいて下痢と嘔吐したと言ってたら、その後には下の孫もどうやら同じ症状に見舞われたという。
そんな乳幼児の風邪もあり「緊急避難的里帰り」となったものの、娘が風邪をひき、ついでに娘婿も風邪をひき、どうやら娘一家全員が同じ症状を発症したことになる。

そして、我が家も前述のように次々と全員ダウンとなった。
整理すると、上の孫(3歳)がスーパーかどこかで風邪をもらったらしい⇒下の孫(6か月)⇒娘⇒娘婿⇒自分⇒妻⇒息子。

発症の時系列はこうだが、誰から誰へとは言い切れない。
症状もほぼ全員同じで吐き気(もしくは嘔吐)、下痢、微熱、。
全員が全員ほぼ一週間ほどの間に胃腸風邪に罹る、微妙に数日の間隔で、というのも笑ってしまう。

まあ、孫という存在がそうさせたのか、大人だったら「風邪うつさないでよ!」ってなことになるが、孫ではなぁ~。
あっという間に風邪をひき、あっという間に回復傾向である。

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2017.11.29

自転車は気力と体力のバロメーター

11月29日(水) 晩秋のそぶえ町の銀杏を見に行った話

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【山門とイチョウ】


二日遅れの日記だが、27日の月曜日に愛知県稲沢市「そぶえ町の銀杏」を見に行った。
これはもう自分の風物詩のようなもので、観衆なき体力測定とでもいえるか(笑)

名古屋市中村区から「旧尾張サイクリングロード」(今は市への水道みち)という直線道路が15キロほど続いている。
この道から見える田園風景、遠く養老山脈などの山並み、こうした風景が元気になる源ってわけだ。

一本道を時速15キロほどで走る。ここ数年は一人で走ることが定番になったのは、みなさん勤め人だから。
銀杏の見ごろも終わり頃だった。それでも日光に照らされると、まだまだ輝いていた。
よい雰囲気だった。

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【木曽川と自転車】


ぐるりと一回りし、恒例の200円「とん汁」で暖まり、少し先の木曽川まで行く。
こういう大河を見ると、木曽・揖斐・長良川と豊富な水系に恵まれた濃尾平野だと、今更ながら感慨もひとしおだ。

GPSは自転車旅の友達だが適当な道を探して適当に走る。用水脇のあぜ道あり、公道あり、「適当」という楽しさなのかも知れない。

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【自撮り:あえて縮小してあります(笑)】


半年ぶりの「元気だ証明」の自撮りフォト、こういうのを撮ってる限り元気である。
最近は自転車乗る機会も減ったが走行距離は46.1キロとなり、今年の最長距離。
歳を重ねるなかで、気力と体力のバロメーターのような数値であり、自分にとっての意味ある数値だった。

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2017.11.26

もみじ狩り

11月26日(日) ちょっと京都の南禅寺、毘沙門堂、疏水路ハイキング

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一日の寒暖の差も大きくなり、紅葉の見ごろは今でしょうか。
久しぶりに真っ赤な紅葉を堪能したのは昨日の土曜日のこと。
友人ら8名で名神高速道路に乗り、京都の「紅葉狩り」でした。

琵琶湖の大津から京阪電鉄・京都地下鉄に乗り南禅寺へ。
紅葉の見ごろ一番の週末は人出も多いが、紅葉のにぎわいのほうが勝ります。
「紅葉狩り」昔の宮廷貴族が野や山に出かけ、少しだけ赤い紅葉を持ち帰る、そんなところから「狩」となったという、なんともまあ優雅なことじゃありませんか。

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【南禅寺の紅葉】

お寺の紅葉というのはちょっと落ち着きがあっていいです。
ここから京都疏水路脇の小径を山科方面にハイキングです。
この京都疏水路は琵琶湖から京都市内へ供給される水の水路のようです。

深まりゆく秋の赤や黄や緑のグラデーションを楽しみながら歩きます。
日頃は「歩く」ことも少ないから疲れるはずですが・・・疲れも忘れるものです。

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【疏水路脇の紅葉も、閑静にして風情あり】

どれぐらい歩いたのか、一時間、二時間・・・忘れましたが、少し町並みが見えたところに毘沙門堂があります。
天台宗の古いお寺のようですが、ここの紅葉も見ごろでした。
誰かが「外国の方は紅く紅葉するのが珍しいようだ」と言ってました。
たしかに「まっ赤に色づいた紅葉」は陽にあたると、もう「燃えるよう」ですね。

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【毘沙門堂ののぞき見紅葉、拝観料けちって】

すっかり腹をすかした欠食児童のように遅めの昼食を摂り、満たされたところで京阪電鉄山科駅からふたたび大津港へと戻ります。
日も暮れ始めた大津港には遊覧船が走っていました。
自転車で走る京都もいいし、こうしててくてく歩くハイキング京都も気の置けない仲間と過ごす一日、のんびり過ごす一日がとても楽しいものでした。

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【琵琶湖・大津港の夕暮れ時】








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2017.11.23

ジョージ・オーウェルの本

11月23日(木)「1984年」「動物農場」

ジョージ・オーウェルの小説2冊を読み終えた。

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図書館の書棚から一冊、もう一冊は取り寄せしたが、なぜジョージ・オーウェルを読もうとしたのか、自分でも動機がよく分からない。

「1984年」は発行当時から30数年の後の1984年というから未来小説であった。
独裁体制下の全体主義国家における「反逆者」の洗脳の恐怖が描かれている。

他方「動物農場」は一種の寓話物語で、人間の営む農場から動物たちが人間を追い出し動物たち自身で農場という「楽園」を作って行くが、そこが自身の楽園になりえたのか・・・

一つの政治権力が創り出す世界。

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当時としてはスターリン体制下のソ連を想起させるものであろうが、この二作品は同じモチーフの異なる作品といえる。

政治権力が生み出す権力の構造と人間(動物)支配の物語は、今日のそうした独裁国家のとる政治手法と基本的には同じものといえるが、はたして「独裁国家」にのみ共通するものかといえば、そうとだけは言えまい。

「平和の名のもとに軍事体制の拡大」「繁栄を吹聴する裏で差別社会の拡大」「民主主義の仮面をかぶった独裁」、そうしたおかしなことをまことしやかな社会と描くには「嘘」と「監視」がつきものである。

実に読後感の悪さが残る本であるのは、小説の世界を微妙に現実社会と対比させてしまう自分のほうに根拠がある。

政治権力のおぞましさ、嘘と虚構を体制維持の方法とし暴力で洗脳する。
マインドコントロールの方法は知らず知らずに自分自身をその圧政の側の信望者と化して行く恐ろしさであり、何も他人から無理強いされているばかりではない・・・自発的にその「虚」を「真実」と思いこむところに恐怖がある。
本当のことを見抜く力を自分は養えるのか、という不安でもある。

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