2018.05.19

借りる本、買う本

5月18日(金)「君たちはどう生きるか」(原作:吉野源三郎)
図書館に本の返却に行く。
二週間で6冊が借りられるが、最近は妻から「軽めな本」をと所望されアガサクリスティーの推理本をも含めて借りている。
今日は浅田次郎本の在庫を見ながら、少し軌道修正して吉川英治の「新・水滸伝」を借りる。
しかし活字を追うというのは歳とともに「厄介な」作業になるもので、集中力とかモチベーションとか・・・、ちょっとだけ「努力」という気持ちも必要になるが、我慢して読んでいて、突然パッと何か本質めいたものが見えることもあり、そういう時は嬉しくなる。
まあ、図書館で借りる本は無料なのでありがたいとはいえ、最近の人気本はほとんど見当たらないが、古くても新しくても、その本質のようなものは時代が変わっても、それほど大きな違いはないように思われる。
今年になってこの半年ほどで書店で購入した本は数冊だけで、それも娘との待ち合わせ時間の合間に新聞記事や広告などで知り買った本ぐらい。
そのうちの一冊が「君たちはどう生きるか」(原作:吉野源三郎)であり、200万部ほど売れているベストセラー。

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店頭の目立つところに平積みされていた。
何がそれほど多くの人を読ませているのか、読んでいる世代は若者だろうか、というのが率直な思いであった。
漫画半分、活字半分の内容で、タイトルの真面目さが今流ではないが、それもそのはずで原作は80年ほど前に出版され、時代背景としては日中戦争が始まり軍部の暴走が始まろうとするころの話である。
主人公コペル君と叔父さんが交わすノートのやり取り、自分を、友だちを、社会をどう見るのかという、そんな内容の作品であり、コペル君は浦川君という「貧しく」「いじめを受ける友だち」との関りを通して、いろいろ気付いて行く。
そんな成長の足跡をしっかりと「ノート」の中でいっしょに考えて示唆してくれるのが叔父さんというわけだ。

人生の半分以上が過ぎた世代、シニア世代にとって「君たちはどう生きるのか」という問いかけがどういう意味を持つのか・・・
今さら「どう生きるのか」と自問するよりも、過ぎてきた経験値や知識の多さをよりどころに、分かったような自己解釈を処世術の糧とすることのほうが一般的である。
そういう「老い」とともに頭をもたげる「思い込みの解釈で人生を説く」けれど、ほんとうは確信を得られない世代にとって、新鮮な「疑問」永遠の「疑問」なのが「どう生きるのか?」ということだと思う。
漫画という装丁が「読みやすさ」を求める若者や、けっこう真剣に生きることに悩む若者世代に読まれ、何十年と人間をやってきても「どう生きるのか」のう問いに答を出しあぐねているシニア世代にも、やはり「覗いてみたい真実」のような魅力になって、200万部も売れているのだろうか。
友人のOさんは原書を図書館に取り寄せているという。私より先輩世代のTさんはいち早く読んだと言っていたのでけっこう知る人は知る本のようだ。
あれこれ解釈することや知識を競うよりも、社会や人との関りのなかで、何をどう考え、いかに真実を求めて行くのか。

「つまらぬ知識」や「頑固な思い込み」「独りよがりの自己プライド」などが邪魔をして、「新鮮な気付き」という感覚も薄くなりがちである。
物事を広い視野でよく考えて自分の道を見つけなさい!と、残りの人生も多くはない自分に言い聞かせる今日である。
老いも若きも、考えさせられる一冊にちがいない。

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2018.05.17

椅子の再生

5月17日(木) あじさいの季節もやってきた・・・

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近所の方や掃除用品レンタルの方に「きれいなお花が咲いてますね」と声をかけられ、「花は妻が選び植えて、自分はもっぱら散水係なんですよ~」と返答している。
その花の一つがこのあじさいで、少しずつ花が開いてきたって・・・「ガク」なんだけど。

10年以上前から戸外に放置されていた「椅子」の木製部分が朽ち果てて、いつ粗大ごみに出そうかと思っていたところで、もったいないから作ってよ!とリクエストがあり、ホームセンターで木材を購入し、「再生」を試みる。

木と鉄でできた椅子の鉄部分は錆びついて、ボルトが外れない。

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しかたなく鉄鋸で切断してみたが、これが案外やっかいな作業となった。
木材、ボルト、工作時間など手間ひまをかんがえると、新しい椅子を買った方が簡単だし、お洒落な椅子もあるということだが・・・

一年365日、何をして生きて行くのか。
暇を埋めるように「何か」を探して生きて行くのは本末転倒なことだと思う。
生活というのはとても実利的なもので、家事でも掃除でもやることには事欠かない。

椅子一つ再生するのに二日ほど要したが、まだ鉄錆をどうするかが残っている。
「もったいない」という立派な精神とはちょっと違う。ただ生活を実感する暮らしの作業というだけだ。

「暇だよねぇ~」と言われそうだが暇ではない。
暇なんて誰しもあるもので、どんなに有意義で文化的な時間であっても、充足感がともなわなければ、やっぱり暇な時間の潰しでしかない・・・



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2018.05.15

タニシのお掃除屋さん

5月15日(火) めだか日誌 (絵のない絵本ふうに)

セリちゃんのおじいさんは大きな町のはずれに住んでいます。

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ときどき遊びに行くと「いっしょにめだかに餌をあげようか」と嬉しそうに話します。

まえに飼っていたワンちゃんが死んで、次におじいさんの家にやってきたのがめだかです。
おじいさんの家は小さい家ですが、めだかがいるのはとても大きな鉢のお家です。

少し前にお母さんと妹とおじいさんの家に行くと、めだかのお友達がいました。
タニシというそうです。
なんだかカタツムリみたいです。

おじいさんの家の近くには田んぼが3つありました。
でもお家がどんどんできて、今では1つしか残っていません。
その田んぼの水路にタニシがたくさん暮らしていて、7匹ほど獲ってきたそうです。

タニシはめだかと仲良しなので、いっしょの鉢に入っても喧嘩はしません。
めだかの糞や苔をタニシが食べてくれるので、ちょっとだけ鉢の水がきれいになりました。
タニシはおそうじ屋さんなのです。

小さなめだかの子どもが生まれていました。
おじいさんは「めだかが大きくなったら、大きいばあちゃんとセリちゃんにあげようかな」とニッコリしています。
でも「生きものはダメよ」とお母さんは反対です。
生きものをお世話するのはとてもたいへんだそうです。


・・・ってな具合で、昔はそこらへんにごろごろいたタニシですが、いまではネット通販で売っている時代になった。
田んぼがあると、こうしたタニシやザリガニやあめんぼも身近に見られます。

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2018.05.05

自転車の季節

5月5日(土) 138タワーから大垣城をめざしてサイクリング

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昨日は久しぶりに友人らとのサイクリングでした。

GW中ともなると高速道路は長蛇の列で、まあ、どこもかしこも渋滞、混雑。
それでも家族で休暇利用となるとGWになってしまうのが「バカンス」とは程遠い日本の「大型連休」・・・こんなに頑張ってる、働いてる、日本の労働環境って!

さて、名古屋から名岐バイパスで一宮138タワーへ、これは自転車を積んで車で行ったのですが。

Img_0102今回は諸般の事情で5名の自転車仲間サイクリングとなりました。

最近はご結婚やご出産や、あれやこれやで参加の方も少なくなってきたが、自転車にはとてもよいこの新緑の季節です。
ウグイスなども歓迎の鳴き声をあげ、若葉の新鮮さも目の保養です。

一宮・木曽三川公園の138タワーから木曽川、長良川、揖斐川を超えるルートです。

途中の豊臣秀吉が一夜で築城した「一夜城・墨俣城跡」に寄り、終着点はこれまた関ヶ原合戦で石田三成の本拠となった「大垣城」という、戦国時代ロマン。

何がロマンなのかよく分からない私ですが、織田・豊臣・徳川と時代の権力者を輩出した「愛知県」ならではの、どこかしこにある「戦国ロマン」というものです。

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しかし、GPSで走行ルートを振り返ると、東西一直線の往復43.89キロになっています。
レンタルサイクル利用の参加者もいて、片道20キロ強はやっぱり「しんどい」。

まだスポーツ自転車など知らなかった頃に名古屋から旧美濃路街道を走り大垣まで行ったが、駅前の駐輪場に一晩置き、翌日取りに行き戻ったのを思い出します。
ママチャリの限界距離だとつくづく思うので、一晩すぎた今日は筋肉痛に苛まれているのではないかと・・・

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【墨俣城、ほんとうは「砦」のような城だったとか!?】

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【川に挟まれた輪中の大垣城は石垣まで洪水の痕があり、城下は一面水没と】

ともかく「心地よい疲労」(だと言うことにして)のサイクリングは久しぶりでした。
自転車は遠くまで走ってこそわかる「良し悪し」なので、買い物自転車ママチャリも、それはそれで良いし、電動自転車もありでしょうし、そういう自転車の世界に、ちょっと値ははるけれど、軽く走れる自転車(スポーツ自転車)というのも選択肢にあってよいと思うのです。

40キロ、60キロ、80キロ・・・、100キロの壁を越えたことはないけれど、自転車の世界というのは、自動車に勝るとも劣らない「優れた発明品」だと思った新緑のサイクリングでした。

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2018.05.02

心情を読む

5月2日(水) 浅田次郎の小説の世界

GW真っ只中だが雨。
雨にめだかの稚魚がやられた反省から雨除けには気を付ける。
メダカ鉢の上に透明なアクリル板で屋根を作った。
至れり尽くせりである、妻は少々呆れ気味だが、稚魚数十匹が早く成長して欲しいと願う気持ちは同じようだ。
というのも、もう少し育ったらひとり暮らしの義母宅に養子に出す予定だから。

もっぱら小説は図書館で借りる浅田次郎の本であるが、区の図書館の文庫本「あ」行「浅田次郎」のコーナーは読み尽くし、少々大きいが単行本を借りたりしている。
小説を読むことだけならば「文庫本」がベストである。

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「日輪の遺産」は戦時中に日本軍が戦後復興の軍資金として隠匿した財宝をめぐる物語である。マレーシアの山下大将の隠し資金の話は何かの記憶があるが、それが密かに終戦間際に日本国内移送され隠されたというが、真実は知らない。
それをめぐる当時の女子学生たちや軍人の過去を解き明かすという物語。

「輪違屋糸里(上下)」は江戸末期の京都を舞台に「廓」世界で生きる花魁「糸里」と新選組の隊士らが繰り広げる一時代の物語。

浅田次郎の小説のおもしろさは「人の情」の結びつきであり、登場する個々の「人」の心情がとても豊かに描かれている。
単純な構図のなかに「人物」をあてはめる小説ほどつまらないものはない。筋立てだけで読ませる小説は読後感がすぐに失せてしまう。

しかし、人の心のありようとか心の気味というか・・・複雑な心情というのは奥が深い。
いったい、それらがどれほどのものかと考えると、たぶん日常の生活経験のなかだけでは、さして深く考えたり気付いたりすることは少ないと思える。

情の深さ一つ例えても、浅くもあり深くもあり広くもあって、そうしたものの奥へ奥へと入るには、想像する経験値としての小説はもってこいだと思う。
文字であるという制約がゆえに、視覚や聴覚では想像できない、頭の中の(心の中の)想像力が試される、というのも小説のおもしろさだと思っている。

上記の文庫本は返却して現在は単行本「月島慕情」(これも浅田次郎の短編集)を読み始めた。まだまだ読んでない小説も探せそうだが重いので仰向け読書には不向きだなぁ~。

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2018.04.28

開き戸(とびら)

4月28日(土) ありそうで、やっぱりあった話

二階の北西角の三畳半が自分の部屋となっている。納戸のようなもので、それでも窓を二か所つけてるのは風が通り抜けるようにとの思いから。
本、パソコン、かばん、道具類など我が家では一にを争う、もっとも雑然とした部屋になっているが。

図書館本の返却のために、少し大きめの鞄をとりに行き、入り口の戸を閉めた。
ここまでは特に普通のことだったが、なにかパタンと倒れた音が聞こえてきて、いや~な感じがして、やっぱりいや~な事が起こった。

入口の戸は部屋側への「開き扉」になっている。およそ半畳が扉の開閉部分。
ここに折り畳み脚立を立てかけたのが数日前のことで、この脚立が倒れ完全に扉を塞いでしまったから大変、しまった!。

おまけに二階なので窓から入ることも出来ないし・・・
ご近所さんで廊下に面したトイレの前に立てかけた台が倒れて開けられず窓から出たという話を聞いたことがあったが、これは一階だからかろうじてセーフ。

日本の古来の家屋は現在のように部屋を個室化することもなかったので、引き戸が一般的だった。引き戸の利点は開き具合で調節して風を通すことができる。
ちなみに個室化すべきトイレや風呂は内側開きにしない。というのも中で倒れたら戸が開かないので救出困難になるから。

そんなわけで閉館時間も迫っていたので、もやもや困惑しながらそのままとりあえず図書館に行ったが、こういう日は弱り目に祟り目で、借りたい本も貸し出し中。
やれやれどうしたものかと・・・厄日である。

倒れた脚立がピッタリサイズで戸を塞ぐというのも出来過ぎた話だが、悪い予感というのは当たるもので、当たらないのは宝くじと懸賞応募。

二階までの長~いハシゴをどこかで借りて、はたまた扉を破壊するか、あるいは「開かずの間」にしてしまうか(そんなのは出来んよなぁ)

思い悩んだところで、扉の下の隙間が1センチあるのに気が付いた。ここにモノサシを突っ込んで、ぐいぐいと押すと、ほんの数センチ開いた。
屋根裏部屋から細い金属棒を探し出し先端をL字に曲げて、隙間から四苦八苦しながら、脚立を引き上げる。
文章にするとそういうことだが、汗だくになりながら格闘すること一時間弱。
やったぁ~!、天は我を見放さず!神は賽銭分のご利益を下さる!(笑)

日頃の行いが天罰を招いたのか、はたまた窮地をすくったのか、開き扉にはご用心という、ありそうで、やっぱりあった話。つるかめ、つるかめ。

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2018.04.27

うす紫の藤棚の下で~♪

4月27日(金) 津島市・天王川公園の藤棚

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うす紫の藤棚の下で~♪という歌詞を御存じなのは昭和の世代。
「女学生」って歌なんだけど、清楚なイメージがあった、あの頃はやっぱりあの頃でしかない(笑)

さて、愛知県津島市の天皇川公園の藤が見ごろを迎えている。
この季節といえば街路のツツジも鮮やかで、ひときわ目を惹くから、自転車を走らせるには心地よい街角。

天皇川公園までおよそ18キロ、自転車散歩としゃれ込む。市町村でいえば名古屋市、あま市、津島市の3市町村をペダルきこきこするわけで、できるだけ路地を探して走る。
電車を使えば名鉄津島駅からも徒歩で行けるし、自動車なら30分もかからない。

「シブロク」、「藤の花」と「自転車」の割合、つまり「花見4自転車6」というのが充足感になっている。もっともこんなのは季節や行き先で変わるのだが、自転車に乗って花見遊山という、忘れられてしまった昭和の風情といったところか。

藤棚の花の長さは1メートルほど、池にそって300メートルほどの藤棚に、文字通り「うす紫の藤棚に~♪」というわけであるが、平日のことお年寄りのご夫婦とか、老人クラブとかの賑わいで、もちろん「女学生」の姿など見当たるはずはない。(笑)

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2018.04.22

よもやの・・・

4月22日(日) 熱い!暑い!

4月にしてこの気温、このまま季節がすすめば、この夏はどうなっちゃうんだろうと思わずにはいられない今日この頃。

中日対広島の三連戦、よもやの三連勝。断トツで優勝予想が一番、戦力も一枚も二枚も上の広島。

対する中日は断トツ最下位候補、戦力も足りないと評論家の折り紙付きだから、3つも勝つなんて誰も予想だにもしなかった。

対戦前は5連勝中の広島、5連敗中の中日というのも・・・どうして連勝できたのかわからない。
外国人選手の活躍があったとはいえ、総合的には「不利」の二文字。

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そこで思い出すのは、あの野村克也監督の名言「負けに不思議の負けなし、勝ちに不思議の勝ちあり」
考えてみればプロ野球をこういう観点からとらえる面白みなのだと思うのですが、その道で長く飯を喰ってきた人というのは奥が深い。

ついでに何かのCMで今年のドラゴンズは?と問われた、落合元監督の「外国人選手がどれくらい数字を残すかじゃないですか・・・」これも分析力。

まだまだ始まったばかりのプロ野球、ニンマリしたりニヤケタリするのも、断トツ最下位候補チームのファンだからこそ味わえる、予想がひっくり返る愉しさなのですね。(笑)

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2018.04.16

パブロフのめだか(笑)

4月16日(月) めだか日誌

「めだかを飼ってるよ」と、知り合いに言ったら「ああ、近所の老人も最近飼い始めたらしい、歳とともにめだか好きになるのかな?」と返って来た。

一人暮らしの高齢者、犬や猫を飼う人も少なくないが、世話が大変だし、自分の残りの人生を数えてペットを飼うか考える。その点、めだかならば、そこまで考えなくて良い、老後の楽しいお友達ということか。

「パブロフの犬」の話はよく耳にする。
簡単に言うといつも一定の条件下で餌をやると、条件反射的によだれを出す、という意味だったと思う。

4月になり暖かな日が続き、めだかも睡蓮鉢で元気に泳ぐようになり、腹に卵も抱え始めたので、餌は少し多めに与えている。
コンコンと鉢のふちを叩くと10匹全部が寄って来る・・・
というのを、何日も繰り返していると、パブロフの犬ではないが、コンコンという音だけで水面に上がって来るようになった。
パブロフのめだかである。

概ね20度を超える日は元気に泳ぐ。卵を抱えて泳ぐのだが、10匹のうち6匹はメスのようで、まだ少し小さいのを除くと、オス対メスの割合は6対3で、さながらハーレムのような様相と言えるが、ハーレムもどきがめだかにとって幸せかどうかは分からない。

ついでに、メスがかかえる卵は受精卵かどうか・・・
これは疑問があったので調べたら、暖かい日の朝の早い頃に、卵を抱えたメスをオスがヒレで抱え込むように受精するらしい。
なんとなく可愛げがあると思うが、早朝らしいので見たことはない。見られたくもないか!

生き物は花であれ魚であれ動物であれみんな面白いと思う。
庭のボタンが大輪を咲かせたが、ここ数日で見る影もない姿となり、チューリップも赤いのは散り終え、ピンクのものが、もうすぐ散り始めそうだ。

なかなか芽が出ないとやきもきしていた茗荷が四つほど芽をだした。狭い花壇を占領する紫陽花の葉がますます我が物顔で成長している。

物、人が作り出す「物」よりも、人の意志に関係なく咲いたり生まれたり死んだりする「生き物」のほうが、よほど好きである。
こうした趣向というか嗜好というのは、その人の自然観に基づくものだろうか。

どんな立派な「物」であっても、生き死にする「命」のダイナミズムには及ばない・・・
そうした「生きとし生けるもの」への関心は、とりもなおさず「自分の生死」と向き合う姿に重なるような気がする。

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2018.04.13

哀しみと優しさの向こうに・・・

4月13日(金) アニメ「火垂るの墓」

亡くなられた高畑勲監督のアニメ「火垂るの墓」がテレビ放映されていたので見てしまった。

30代の頃に初めて見て、それ以後毎年8月の敗戦記念日前後に放送されているが、この時期の放映は珍しいのは高畑勲監督の追悼のいみがあるのだろう。

自分の時代にあわせて、このアニメへの思いも変化があって、若い頃には戦争への憤りが、平和への思いが強く喚起される作品だった。

涙なくしては見られないのはいつも同じ感想で、家族でこのアニメを見て、娘なども涙をこらえながら見ていたものである。

人間の哀しみや悲しみ、親子兄弟の人間愛、戦争がもたらす悲劇、もうそういうものが、じわじわと心の内に広がるわけで、今は漫画とかアニメとかいろいろ作品が生み出されているのだけど、人の心のなかに理屈を超えて感情というものに訴える作品は、僕はこの作品が傑出していると思っている。

とくに「哀しみや悲しみ」という人間感情が時代を超えて共有できるのは、やっぱり技術とか技巧とかいった理屈では言えないもののように思われる。
「哀しみ」という感情も自分の時代の変遷によって変化してくる。

戦争への憤りを強く思った頃、人の、とくに「せつこ」に代表される、いたいけない子どもの生と死への憤り、そうして今では、この哀しみと優しさの向こうに、いったい何を見るのかと。

ただただ悲惨で哀しい物語だけでは言い表せない、なにか人間感情の奥深さのようなものに、共感を覚える。
それと同時に、もう見るのが辛いなぁという気持ちも、いっそう大きくなってくるのは、70数年前の時代の哀しみが、時を経て今でも地球上のどこかで繰り返されていることに、愚かなり人間社会、反省無き人間社会、とため息がこみ上げて来るからなのかも知れない。

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2018.04.09

転ばぬ前(さき)の・・・

4月9日(月) 転ばないように

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【庄内緑地公園の菜の花】

先日のこと、80歳を超える妻の伯父さんの見舞いに義母と行った。
一人暮らしなので近所の人がなんだかんだと、お世話してくれているそうで、この日も病院に来てくれていた。

高齢化社会となり一人暮らしや老々介護や孤独死も言われ、地域の人間関係があってのこうした、ある種の共同が成立している。

さて、その入院の原因はというと、転んで背骨を骨折したという、つまずいて尻もちをついた拍子に骨折となったらしい。

転倒してついた手を骨折する、肩を脱臼する、鎖骨を折る・・・、身近にも「骨折」の話はすくなくない。
「転ぶ」という危険性は自転車に乗る機会の多い自分にとっては他人事とは思えない。

もう「若くない」のだから、ここは一つ「転ぶ」ことが及ぼす日常生活の一変、他人様のお世話になる可能性を重々、肝に命じる必要がある。
骨がもろくなる、筋力も衰える、バランスも悪くなる・・・ほんのちょっとの段差にもつまずく。
あるある、それに似た事柄が。

段差といえば、もう一人の伯父さんの晩年は、自転車に乗って歩道の段差の衝撃で骨折し、歩行がままならなくなった。
たかだか歩道の段差でも来る衝撃、こうしたことは感覚的に「他人事」でしかなかったが、これからは用心するにこしたことはないと思う。

まだまだ、そんな歳でもないとは思うが、過信が命取りにもなりかねない。
転ばぬさきのなんとか・・・


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2018.04.06

味噌ラーメンを喰いに行く

4月6日(金) 暇人の暮らしぶり (笑)

今週はカレンダーに予定が入っていなかった。
空白の日付が嬉しくなる。

「何もする予定がない!」という解放感の心地よさ、マグロなどの回遊魚は泳ぎ回っていないと生きて行けないというが・・・何かをしていないと暇に押しつぶされてしまう、という心境にはこれまでなったことはない。

というわけで、そうだ味噌ラーメンを喰いに行こうと思いついた。
これをして「暇人」ととらえるのかどうか?ただ「味噌ラーメン」を食べるために、市バスの時刻表をしらべ、名古屋駅へと足を運ぶ。

美味いラーメン店はちょっと油っぽい店内と相場は決まってるが、以前からここの味噌ラーメンは自分には合うと納得しているラーメン店である。
インスタ映えするような写真もアップしない。
味についてとやかく講釈もたれない。

ただ言えるのは、「敬老パス」のおかげで30分弱の市内観光もどき路線バスからの風景を楽しみ、途中予期せぬ市バスの運転手と乗用車のプチトラブルに遭遇し、そうして、ごくごく普通の「味噌ラーメン」を求めた旅(笑)

ごくごく普通の日常、何か特別の催しを訪ねるわけでもなく、普通の暮らしに充足感を持てるのかどうか…有閑ではないが「暇人の極意」とはそこにある気がする。

ちなみに「愛知県人=味噌好き」という県民気質が言われているが、味噌カツ、味噌おでん、味噌煮込みうどん・・・八丁味噌も美味いものだ。
八丁味噌で作る牛スジのどて煮(みそ煮)などは、娘と婿からは「美味い」と高評価を得ている私めの数少ない得意料理でもあるが、ふむ、料理などと言える代物でもないか。(笑)

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2018.04.04

やれやれ・・・

4月4日(水) 球春

プロ野球もやっと始まった。

いやもう3月から始まってるが、ズルズルと黒星を重ね、先発ピッチャーはことごとく打たれるわ、打線も打てないわ・・・

という、もやもやした試合が続いていた中日ドラゴンズが、やっとかめ(やっとのこと)で白星を勝ち取ることができて、ホッとしている。
なので、他の11球団とは違って、今日が「球春」の始まりぃぃぃ~♪

思い入れが強ければ強いほど、連敗するほどに気落ちし、ボロボロやなぁ~、なんでやねん~、などとなる。
普段の暮らしがちょっと下降線だと、その気分をますます下降させる負け試合。

もっとも、これも逆に連勝とか活躍する選手が現れたりすれば、なんとなく「もやもや」していても、回復剤となるから、おもしろい。

ほどほどなプロ野球ならば、そこまで気にしなくていいから、それぐらいの距離感でいたいものだが、小学生の頃から一途に応援してきて体質のように沁み込んでいると、そうならないところが痛いといえば痛いし、心地よいといえば心地よい。

もう理屈ではない地平でプロ野球を堪能している最近なのであります。

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2018.03.30

五条川の桜 2018年

2018年3月30日(金) サクラガサイタノデ ジテンシャデ ミニユキマシタ

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もはや恒例になった春の五条川の自転車一人サイクリングに昨日行ってきました。
見事に満開!素晴らしく満開、飽きるほど満開!
桜の花見ほど、桜そのものだけでなく、どんなシュチエーションなのかが楽しい花見はありません。
家族でにこやかに、友人らと連れ添って、恋人と手をつないで・・・とまあ、そういうものが桜の花見には欠かせません。
桜の花見には自転車が似合う!って思うのが私なんですが、「五条川の桜満開!」と娘と妻にLINEで写真を送ったら・・・
すぐあとに「こちらも満開!」って桜をバックに孫の笑顔の写真が返された。
「桜と孫」これには勝てないなぁ~。

【桜と自転車と】

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2018.03.28

スーツにネクタイしめて

3月28日(水) 式典

この春からオープンする施設の式典があり、年に数回着るか着ないかほどのスーツにネクタイをしめて出かけた。

久しぶりの「正装」もどきに、若い頃の毎日の出勤スタイルを思い出し、ちょっと懐かしい。
それも若い頃の話であって、もう何年も着る機会も少なくなった。

そうすると問題も出て来る、ズボンの腹回りが合わなくなる。
無理して腹を引っ込めると「苦しい~」・・・まあ、半日ほどの行事だから我慢することになる。

日頃がラフな格好で生きていると、スーツとかネクタイとか黒革靴とかが、人体を縛り付ける拘束具のように思えてかなわない。
そうすると、こうした洋服というのが、はたして本来の日本の気候風土に合致したものかと呟きたくなる。

3月に夏日を観測した年の夏は猛暑になるとテレビから聞こえてきた。
真偽はさだかでないが、年々の温暖化、ヒートアイランド現象、もはやエアコンなき暮らしが考えられない時代になった。

・・・などと「夏の話」書いていると、つい先日まで冬の寒さがあったことを忘れてしまう今日の陽気なのである。
なんだかねぇ~、国会の中継を見ていても、新聞記事を読んでいても、涼しいというか清々しいというか、そういうことになかなかお目にかかれない世相になって、また少し「イライラ」とするのも「身体内温暖化現象」かな。(笑)

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