2018.02.17

五輪は平和週間だなぁ

2月17日(土) カーリングが面白い

寒いから戸外にでるのも億劫になる。
明日の朝刊の一面は「羽生選手、金」の見出しが躍るだろうなぁ。
優雅で流れるようなスケーティングは美しいからほれぼれする。

自分が出来るか出来ないは別として、スポーツ競技は見て楽しいものと、やって楽しいものに分かれるような気がする。
フィギュアスケートなどまさに見て楽しむことに尽きる。

そうすると、やって楽しいものに入るのがカーリングかな?
もちろん、実際に氷上であんなストーンやブラシのような道具など使えやしないし、氷の上に立つことすらやっとのことだと思うが。

それでも、カーリングは面白い。
重そうな石をどこに配置しどこで点を取るのか、とか一投で形勢が逆転したり・・・
解説を聞きながら、自分流に陣形を整え、微妙な間隔を喜んだり嘆いたりして。
ねらいは「此処だろう!」と勝手に思うが、一流アスリートのねらいは奥深い。
こうしてテレビを見ながら、自己流の戦術立てて、競技に重ねるのも、ある意味参加する楽しさだと思う。

オリンピックが開催され、新聞紙上に選手の活躍が載り、新聞もテレビも平和な雰囲気である。
少なくともオリンピックが開催されてるここ数週間は一触即発の軍事衝突の事態は回避されるわけだから。

「オリンピックは平和の祭典」ということに現実味を感じる。
だから「平和ボケ」という言葉は平和な世の中にうつつを抜かす様として使われるが、「平和ボケ」できる社会こそ理想的じゃないかと思うのだなぁ。


 

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2018.02.08

家を作るならぁ~♪

2月8日(木) ロウバイの花が咲き始めていた

先日、娘たち家族の棲む最寄りの駅に降りて、少しぐるぐると散歩してたらロウバイの花が咲き始めていた。
梅の季節がやってきた。春が待ち遠しいこの頃だ。

娘夫婦が「間取り図」を書き、建築設計士と話しながら家つくりを始めている。
玄関回りや台所とシンク、階段はどこにするのか、家事室はあった方が良い、カウンターテーブルが、クローゼットは・・・、およそ暮らしに関わる家の間取りは、なかなか苦労がつきまとう。

大人二人に子ども二人、好みもあれば育ってきた環境にも違いはある。
そればかりか、家を作るのは、この先の子どもが成長し、四人家族の生活スタイルも考慮せなばならない。

間取りからして苦慮することも多いが、この地域がどんなところか、生活範囲が広がれば広がるほど、「棲家」というのは想像力をもって対応せなばならなくなる。
「家」はそこに暮らす人に応じて、いろいろな変化をもたらすもので、金銭と利便さだけでは推し測れないものだと思う。

一人には一人に応じた、二人には二人に応じた、そうして住む者が増えれば増えた分、それに応じて家の様相も変わる。
何が言いたいのかというと、「家」はその住人の文化に応じて出来上がるもので、極論すれば間取りも外観も利便さも金銭も、およそ付随的なものでしかなく、どう転んでも結局のところ「住む人の生き方」が現れるということだろう。

どんな家であっても「楽しい我が家」となるのが一番だと思うが、家を建てることも厳しい経済状態の人も少なくない社会。
ローンを組んで支払いにも苦慮しなければならないだろう。
時代も変わり「家を建てる」というのが一生の夢、庶民の夢として描かれた自分の頃に比べて、もう素直に「夢」として描きにくい時代になった。

まあ、だからこそ考えに考え抜いて、しっかりと話し合い、将来設計もバッチリ頭に入れ、そうして妥協なき、いや妥協しながら「家つくり」のプランを実現して欲しいと・・・。
もっとも気に入った家を作るには三軒は建てなきゃ出来ないと言う、三軒も建てる余裕などありはしないが、それも道理があることだと思う。

「家を作るならぁ~♪」そんなフレーズの歌があったはずだが、何だっけ?

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2018.02.05

四苦八苦

2月5日(月) シンプルで単純にならないかなぁ

ここ数日、四苦八苦している。で何がというとスマートホンである。
使ってきた二世代前の古いスマートホンが不安定になり発熱や突然切断などなど、しかたなく携帯補償で同じものに移行することにした。
業者は最新のものに乗り換えをお勧めの顔色だったが、まだまだ旧機種で十分と判断して・・・

そこからが四苦八苦する目にあう。データ環境の移行ってやつだ。
クラウドとかIDとかパスワードとか、紙に残したメモも不正確で、そうは簡単に行かない。
メールの設定、LINEの移行などは、慣れた若者ならばサッサとするんだろうが、いやはやとんだ目に遭った。

二日かけてほぼ同じ状態に移行できたが、もっとシンプルで単純にならないのか。
けっこうLINEなどは必需品だしカレンダーの予定は消えたら控えもない。
四苦八苦。四つも八つも苦しむというのはこういうことだろうと思い、ふむ。
なんとなく調べてみたら。

【四苦八苦】①非常に苦しむこ、大変苦労すること。
まさにそのとおり苦労したわけである。
②生老病死の四苦に愛別離苦・怨憎会苦・欲求得苦・五陰盛苦の四苦とを合わせたもの。
仏教用語のようで、四つも八つもただ多いという意味じゃなかった。(笑)
そんなあらゆる苦悩に比べれば、スマホ一つ些細なことか、ははは。

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2018.01.29

バス停風景

1月29日(月) 隅々までWeb社会へと

先日降った雪がいつまでも道路に残り、アイスバーン状態だったが、やっと溶けた。
睡蓮鉢にはった氷が解けて厚さが2センチほどはあり、ホテイアオイの水草がカチカチになっている。

もっとも越冬対策をほどこしたメダカ鉢は氷ることもなく、陽もあたれば数匹泳いでいる。
寒いのが冬。
雪解け道や鉢の氷などをゆっくり観察すると、冬らしい子どもの頃の記憶も戻って来るものだ。季節感とでもいいましょうか。

今日は一時間に一本ほどしかないバスに乗るためにバス停に向かった。
あらかじめ時刻表は確認し5分前にはバスを待つ。
幹線道路から外れるとバスは必要な公共交通機関で、お年寄りや赤ちゃんを抱いたお母さんなどが、平日の昼間の利用客。

バスも低床の昇降口になり、転倒しないためのポールもしっかり付けられ、降車ボタンも数が多い。
マイカーを使えないお年寄りにとって、なるほどバスは生活の必需機関で、都市部といえども大切な「足」にますますなって行くだろう。

そのバス停に小さな「QRコード」付きのバス案内の紙が貼ってあった。
さっそくスマホで読み取ると、運行経路や時刻表などの案内が表示された。
なかなか便利になったものだと思う。
いちいちメモする必要もなくなったが、スマホが前提になる。

銀行の手続きも、交通機関案内も、買い物も、図書館情報も、貨幣も・・・、あらゆるものがWEB処理される時代を、巨大資本の戦略とみるのか、管理社会の徹底とみるのか、便利な社会とみるのか。
パソコンやスマートホンを前提にした「社会」が出来、そうしたものに「疎い」高齢者がだんだんと隅に追いやられそうだ。
くわばら、くわばら、ツルカメ、ツルカメ。


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2018.01.25

スマート(AI)スピーカー

1月25日(木) 人工知能にはほど遠いなぁ~

久しぶりに「物欲」の話だけど、物欲も生きる意欲としてはいいものだと思うが、見栄の流行モノとかコレクターなどといった「物欲」は本道に外れると思う・・・

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10年ほど使ってきたIPOD専用のスピーカーの音量ボタンが上手く反応しなくなった。
連射のように何度も押して5回に1回ほどの反応なので、もう、これは寿命ということ。

そんなタイミングで、いま流行のスマートスピーカーに買い替えた。
アマゾンの「エコー」って、申し込んでからやっと買える招待方式で、年明けになった。

テレビのCMでもやってた「アレクサ、今日の予定は・・・」などと話しかけると「〇月〇日、今日は一件の予定があります・・・」って、答えが返ってくる「代物」だ。
こうしたスピーカーを「AI(人工知能)スピーカー」とか「スマートスピーカー」などと称されているようだが、「AI」とはちょっと違う、ずいぶん違う。

ある程度の会話もどきにはなるが、天気、予定、ニュースなど、関連付けのあるものを音声でガイダンスしてくれる。
話しかける→それに応えてくれるレベルはというと、3~4歳の会話ていどのように思うが、もっともその情報の内容はデータなので、幼児レベルではない。

女性の声でガイダンスしてくれるので、ちょっと楽しい。
いろいろ話しかけるとその内容も向上(?)するというが、それほどの成長も見られない。(笑)

「アレクサ歌謡曲をかけて!」と言ったら、となりに寝ている妻が「アレクサ、暗い!(だと思ったが)」などと言うと「暗いというのは・・・」言葉の説明を始めてしまう。
とまあ、そんな程度なので、天気とか時刻とか予定などの確認にはよい。

もっとも本来のIPODの曲を聴くという方法は無線接続(Bluetooth)に切り替えて可能だ。
こういう取り扱いはネット検索すれば多くの解説やら評価やらがでている。
ある種の「おもちゃ」であり、スピーカーであり、オプション品を用意すれば家電制御らしくはなる。

本格的に「音楽」を聴くというよりも、BGMのような聴き方をしている自分にはちょうどいいかと。
そうそう、「アレクサ、行ってくるよ」などと話しかけると「行ってらっしゃい」と、声のトーンが少し明るくなる、といった点は、家族が出かけ一人でいるときは、それなりに楽しいので、「まあ、そんなものだ」と思って使うスピーカーかも知れない。
「アレクサ、おやすみ!」「おやすみなさい!」やはりちょっと声のトーンが変わる。
ははは。

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2018.01.21

ここぞとばかりに

1月21日(日) インフルエンザが流行してる・・・

先週は久しぶりに会議とか孫の守とか予定がてんこ盛りだった。
「予定」があるというのは多少とも誰かに「期待されてる」わけで、それはそれで有難いことだと感謝せねば・・・
予定があれば人と会い人と話をして頭の活性化には大いに役立つ。

インフルエンザが流行の兆しだ。
妻の職場では「3分の1」ほどの職員が罹っていると言ってた矢先、週末にその妻も発熱して寝込んでしまった。

インフルエンザではない様子だが「38度を超えた~」と体温の報告がある。
なんとなく嬉しそうな得意げな・・・というと叱られるが、ここぞとばかりに「水が飲みたい、冷たいアイスが欲しい、フルーツゼリーが食べたい」などなど。

病気になった子どもが親に甘えるしぐさに似てはいないかと思うが、「はいはい」と従い、まったくもって「普通の風邪でしょ!」と思う気持ちを抑えて、「何が食べたい」と、それなりに優しくなる。

インフルエンザはA型とB型の両方が流行っているという。同じ屋根の下で暮らしているが、目下、自分は元気にあれこれと、ほどほどに忙しい。

・・・といった、些細なことを文字にしているが、近頃「意欲」というものが減退している。
冬場になって「厚着」になり、日常生活の中の運動量が落ちているのだと思う。
寒いと自転車に乗る機会も減って来る。

それでも読書量は増えているのは、やっぱり動きが少ないからか・・・
ブログ日記に書く記事、まあ、あまり意味もないことが多いが、記事になるだろうという話題は三つ四つと溜まっている。
溜まった話題を文字にするのが緩慢・・・やはり「意欲」「モチベーション」ってことかなぁ~。

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2018.01.15

つれづれに古典小説・森鴎外

1月15日(月) 図書館返却の凡ミスの日

しまった!月曜の休館日だったと気づいたのは家を出てからで、ときどきある凡ミス。

新年から松本清張の初期短編集の文庫本を4冊ほど読んでるが、もう10数人が殺されている。
「殺人」など続いていると気が滅入るものだが、なんというか人間の持つ「業」の深さややりきれない「哀れな情」などが淡々と語られている。
推理小説の類はそれほど読んではいない。
推理小説といえば、犯人捜しやトリックの巧妙さも面白いが、清張自身が言ってる「その動機」の追究が、人の生き様や暮らしを浮き彫りにしている、そこがおもしろい。

さて、その松本清張の文庫を読んでいて、森鴎外の「高瀬舟」の話がでていた。
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はてさてどんな内容だったかと思い出そうとしても記憶の片隅にもない。題名は覚えているが・・・

という動機に基づいて図書館に向かった結果が休館日だったのである。
こういう古典の名作ならばBOOKOFFの100円棚にあるだろうと目星をつけて購入。
読書なんて、思い立ったが吉日、流れの赴くままに・・・

江戸時代、京都の罪人が遠島を言い渡され、高瀬川を小舟に乗せられて行く。
この小舟には町奉行の同心が護送のため乗船する。その罪人と交わす話のなかに、命の無常というか理不尽さを思うのが「高瀬舟」。

教科書に一部が載ってたような気もするが、古典の名作には時代を超えても失われない本質みたいなものがある。わずか数頁の短編だけど。

ついでに「山椒大夫」も読んだ。中学か高校の頃からずいぶん時が経ち、ちょっと懐かしい気持ちになる。
これは小学校の頃「安寿と厨子王」という絵本で読んで、盲目の老いた母が『安寿恋しや ほうやほれ。厨子王恋しや ほうれほれ。』と歌いながら鳥を追う絵に、ひどく哀しくなった想い出がある。

そんな純粋無垢な子どもの頃もあったが、いま再び読み返してみても、優しさと哀しさと仏教心が見事に表現されていると感心もする。
時が流れるように、一冊の本から無造作に他にうつり、気ままに読む面白さは格別のものがある。
さて残りも読んでしまおう。

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2018.01.12

読書グッズ

1月12日(金) なるほど便利な読書の友

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氷点下・・・玄関先の睡蓮鉢の水が凍っていた。
ホテイアオイが可哀想にコチコチになって寒い冬をしのいでいる。

めだかの越冬は鉢にプチプチを巻き、アクリルの二重蓋を載せ、さらに鉢全体に温室のようにビニールハウス状態。
凍ることはない。蓋をあけて覗くと底のほうに数匹じっとして身動きしない。
いくぶん痩せてきたようだが、あと数か月も辛抱すれば春になる。

そんな寒い中自転車を走らせ名古屋駅ビルの東急ハンズに行く。
読書用の便利グッズを買う。以前から目星をつけていたから衝動買いではない。

仰向けになって文庫本を読むことが多い。
疲れてくると右手に持ったり、左手に持ったり・・・持つ指が邪魔になったりする。

というわけで、写真のように親指につけ、片手で開ける優れものグッズを買った。
なんてこともないプラスチックが350円、しかしよく考えられたものだ。
読書グッズはいろいろ目にとまる。

定番のブックカバーや栞(しおり)や目薬や読書スタンドなどなど・・・
これも人生を楽しくするアイテムだが、普段は裸眼で差支えないけど、そろそろ老眼鏡とか拡大鏡メガネが必要になるのかなぁ~ (笑)

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2018.01.11

戌年なので

1月11日(木) 兄弟、子ども、孫・・・

すっかり明けてしまったが戌年!
で戌年は商売繁盛とか子宝・安産とか「吉」な年という話があるようだ。

正月に兄弟らとの新年会があって、一つ歳を重ねるごとに孫の数が増えて、集まった兄宅も小さな孫らが走り回るり賑やかなものだった。

自分の親の世代はもう亡くなって、兄弟とその子ども、そして孫たちが「新年会」の中心になっている。
改めて時の経過、時代の移り変わりが身に沁みると同時に、歳を重ねる自分も確認できる。

男ばかりの兄弟4人、その配偶者が3人、それぞれの子どもらが10人、その子どもの配偶者が7人、さて孫の人数となると15人。
めでたい話ではこの春に16人目の孫が生まれる予定だというので、合わせて39人となる。
ふむ、人数に間違いはないだろうか、ちょっと怪しいか?・・・そもそもハシャギまわる孫の名前も全部覚えられないのが現状だ。

もっとも全員が「新年会」に集まったわけではないが、二間を通した兄宅の部屋が処せましとなった。
正月ぐらいしか見られない景色といえようし、家族が拡散して「一同会する」のもこの先はどうなるかも知れない。

兄弟に子どもがいるだけの頃は「新年会」の話の中心は兄弟であったが、その子らが家庭を持ち、それなりの歳になると、話題の中心も、その子どもらの世代に移る。
親族も世代交代が始まり、「親族」という括りでは収まらない、それぞれの暮らしが出来て行く。

40人近い子や孫やが暮らすとなれば、いろんな考え方や生き方があり、その多様性は「親族」の枠にはおさまらない。多様性万歳なのである。
みんな元気に過ごし、暮らして行ければよいのである。

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2018.01.04

走り始め

1月4日(木) 今年も自転車ライフを楽しもうと思う

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【ブログで何度も登場する風景、変わらない穏やかさ】


今年の走り始めは昨日だった。空は青く風は冷たく、このヒンヤリ感が冬の良さかと思う。
冬場は意外と自転車を走らせると気持ちがいいもの。

いつもの風景が広がる。いや、いつもより流れる庄内川の水面が青い。
庄内川にそって枇杷島橋から庄内緑地公園、そこからサイクリングコースを走らせる。

ホームグラウンドと自認し、費用のかからないエコで心のリフレッシュには最適な道。
もう10年以上は続く自転車散歩道。

春には春の花々が、夏には夏のうだるような暑さが、秋にはもの憂う落葉が、そして冬は・・・
冬はちょっと淋しく人出も少なくなるが、缶コーヒーの一本でも口にすっれば極上のひと時。

ときどき出会う自転車乗りの方と交わす会釈もいい。
正月だから「おめでとうございます」と心で呟き、顔は会釈。
さて、あと何年この道を走り続けられるだろうか・・・

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【定番の自転車散歩道、往復で18キロぐらいかな】

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2018.01.02

迎春 2018年

1月2日(火) 笑門来福

「あけ・おめ~」って言うんだよと妻が孫に言う。娘の夫の実家に行ったときの「おさらい」のようだ。
新しい年を迎えて、変わり映えのしない日常も、正月気分は心地よい。

近くの神社の御神籤を引くだけに元旦早々からでかける。「中吉だった」と娘がいい、他もほどほどに良い一年らしい。
自分はといえば神社までの運転手、困った時の神頼みこそ「神の道」と心得る。

妻と娘は年末ジャンボ宝くじも外れたようだから、100円ほどの御神籤に一年を託すほうが、よっぽど確率の良い「運」である。

「だからねぇ~、年末ジャンボのくじ代をワタシに預けてくれれば、どうせ外れるのだから・・・」という世の現実は「夢がない!」というお叱り。
そういう自分も年末宝くじのプチを頼んで買ってもらい、みごとに300円ゲットし2700円をドブに捨てた。

講釈を語るほどに論理的一貫性はない。当るはずもない!と言いながら、もし当たったら!とほくそ笑むいい加減さである。

ほどほどに、適当に、いい加減に!良きことも悪きことも、ぜ~んぶ現実ならば、ぜ~んぶ引き受けて、楽しく笑いながら泣き嘆くのも、とっても人間味があってよいと思うお正月。
今年のブログも笑える記事が書ければいいが・・・気力と知力が寝たがっているからなぁ~(笑) 

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2017.12.27

何気なく手にした一冊

12月27日(水) 「母 住井すゑ」増田れい子著

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住井すゑの「橋のない川」を読んだのは高校一年のときで、その後に映画化されたのを観に行ったが、もうずいぶん昔のことなので内容も曖昧になっている。

「橋のない川」は被差別部落を扱った小説で当時の思いとしては差別への憤りをヒューマニズムの思いから読んでいた記憶である。

その住井すゑの娘さんが著書の増田れい子さんになる。
母との暮らしのなかで住井すゑという作家が何を大切にし、どう生きていたのかがとてもよく分かる、いわば回想録とでもいう本。
人の人生、エピソードを通して、その人の生き方が伝わる。

図書館で何気なく手に取り読んだ一冊だったが、さすがに「橋のない川」の作者だと納得できる部分が多い。

人間が持つ差別的感情、その心の襞(ひだ)にまつわる話が、知的障害児の施設職員をしている方との対談として書かれているので、少々長くなるが紹介すると。

『住井 日本人は、どこかでひとを差別しないといられないないんですね。差別することによって、自分に加えられている差別をがまんしてる。そこが悲劇です。差別構造のなかにいるから差別に苦しむのです。だからこの構造をやめなければならないんです』

続けて幼い時の体験をこうも語っている。

『住井 幼いときに被差別部落に入って行きました。経済的に圧迫され排除され、いじめられているわけですから、そこは貧しい暮らしです。こども心にもふつうのまちとは違うとわかりますよね。すると小さな紙切れがコロコロと転がったんです。ところが、私の目には、何かワケのわからないものが、紙切れをコロがしている、とうつった。被差別部落だからそういうふうに紙がころがるんだ、と思ってしまったんです。・・・』

人間社会が不平等をつくり上げ、それが人の差別の心を生み出すという、こうしたものは現代の貧困や格差や差別のもとで生み出されることに通じている。
古い話ではなく、病める現代人に共通のことだと思う。

それらを学んだり観察したり関わったりしながら心に留める。
人の心の襞(ひだ)にとても敏感であるがゆえに、差別的感情に憤りを覚え、そうしたものが住井すゑの「橋のない川」の作品となっているのがよく分かる。

これはこの本の中で紹介されてる一つの話ですが、全体としては住井すゑという作家の「暮らし方」がいかに家族にも人にも愛情豊だったかを知ることができる。

年の暮れ。嬉しい一冊に出会うと自分自身が清々しくなる気がするのだなぁ。

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2017.12.25

師走の遠州森町サイクリング

12月25日(月) 坂道にアップアップ・・・

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【坂道、坂道、押して、歩いて…】

気のせいかTVの「こころ旅」の火野正平さんが自転車のお手紙を読み、旅の出発地点が少し小高い場所になって、走る距離も13キロ前後になったように思うが、朝の自転車風景はそれだけで心が和むものです。
 
23日の土曜日、遠州森町駅から小國神社へと6名で自転車を走らせた。
遠州、つまり静岡県なんですね。「お茶の香りの~」静岡県ってわけで、これまでで最も寒い時期のはずが、暖かく風もなく自転車日和でした。

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【レトロな風情の残る駅です】

遠州の小京都と言われ、けっこう暖かく雪も降らないと、駅の案内の方に教えていただいた。
ここから持参した自転車とレンタル自転車に乗って地図上では5キロほど先の小國神社へと向かいます。

余裕しゃくしゃく、教えていただいた道をのんびりと・・・
のんびりと走る予定が道を間違えたのか、とても自転車では辛い上り道。一つ上り、一つ下りと3つほど繰り返すうちに、もう自転車は押すもの引っ張るもの状態になりました。

監督さんがいてアシスタントさんがいてサポートカーが欲しいぐらいだったですが、こういう経験も、それなりに楽しいサイクリングだったような気もします。
もっとも10年前に比べると体力的には落ちているので、「なんだ坂、こんな阪・・・」などと踏み込むペダルもちょっと弱々しいのが現実です。

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【小國神社、ちょうど結婚写真を撮ってましたよ】

小國神社境内の茶店でうどんをすすり甘いぜんざいなどを口にしたころには、次に予定している、あの清水次郎長の子分「森の石松」の墓のある大洞院まで、誰しも走る気力が萎えてしまいました。

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【大洞寺の石松の墓まえ】

比較的なだらかな下り坂道を元の遠州森駅まで戻り、な・な・なんと車で行こうという、およそサイクリングと言い難い(笑)結論に一致をみました。
まあ、名古屋のある濃尾平野がいかに平たんな地であるか、いかに自転車が楽に走りやすい地方であるかと改めて思い返したわけです。

今年を振り返ると台風や雨や行事などで何度となく中止・延期があった友人らとのサイクリングでしたが、暮れの押しせまった最後の最後に、元気な笑顔が見られたのはとても良かったです。

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2017.12.22

一陽来復のとき

12月22日(金) 冬至

「一陽来復」と聞きなれない言葉だが、陰から陽にかえる、悪いことが続いたあとに幸運がやってくる、新年がやってくる・・・そういった意味で「冬至」を指すようだ。

風呂の湯ぶねに「ゆず」の実がはいり、少しこすり合わせるといい香りがする。食卓に「かぼちゃ」が出され、「冬至」だからと妻が言う。

二十四節気のひとつ「冬至」。この頃を過ぎれば日照時間がながくなる。
夕方の4時も過ぎれば暮れ始めたのが、少しづつ長くなる。
太陽の日差しが延びて、ちょっとだけ得するような冬の日々だ。

ゆず湯で体を温め、かぼちゃでビタミンAを補い、風邪を引きそうな寒さが増すこの季節に、なんともまあご先祖様の時代は「知恵」者揃いだったことか。

毎年のスケジュールのように師走がやってきて、もうすぐ年も改まる。
ごくごく普通の日常は、とりたてて変わり映えのしない平凡なものだ。
先日、「人生ってなんだろうね」という話になり、「後悔しない人生でありたい」という人もいれば、「人生なんてたかだか自分事でしかないものだ」という人も在り。

ふりかえれば「後悔ばかりのこれまで」だし「自分という存在すら達観視できない」と、幾つになっても暗中模索のような日々なのである。
ただただ「粋な人生でありたい」と思うのだが、はてさて何が「粋」なのか。
悠々自適な暮らしなのか、旅に出て世を見極めることなのか、芸術家然として文化を享受するくらしなのか・・・

といった、諸々の暮らしよりも、ごくごく普通の生活のなかで、季節や人間を含めた生き物とともに、その一日々々を新鮮に生きられたら、変わり映えのしない生活に新鮮な事象や充足感を持つことが出来れば・・・というのが「粋」なことだと思う今日この頃である。

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2017.12.19

暖色

12月19日(火) 忘年会など・・・

日増しに寒さが強まり、玄関先のメダカなど鉢底に隠れて死んだふりをしている。
12月だから寒いのは当然として、戸外の気温が下がれば下がるほど、暖かな電球色の窓辺の色合いが、いっそう暖かく感じられる。

そんな昨日は忘年会だった。忘年会も一つか二つほどになって、それほど酒も飲めない身としては、過ってのうんざりするほど忘年会漬けになった師走から解放される解放感、と同時に無ければないで一抹の寂しさといって心境でもある。

社会との関係が減れば忘年会も少なくなるのは時世というものだろうなぁ。
寒い戸外の暗い路地を15分ほど歩き、自宅に戻って、風呂に入る。
しばし追い炊きなどすると、湯けむりで浴室がかすむ。二つの電球色のオレンジ色のライトもぼんやりとして、いっそう暖かさが身に沁みる。

・・・師走のなんてこともない日の風景である。

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